30.その後
「お待たせしたわね、ドット卿」
部屋に入るなり、フローラがマントのフードを脱いだ。露わになったオレンジ色の髪を手で後ろに流しながら、私の向かいにある深紅のソファに座った。
宝くじの販売が忙しいのか、やっと彼女と会うことができた。
いつも密会に使っているバーと宝石店の間にあるVIPルームだ。私はバーから、フローラは宝石店から入室している。
テーブル置かれていたワインボトルを取り、グラスに注いで彼女に渡した。
乾杯を済ませるとすぐにフローラがワインを飲み干す。
「喉が渇いていたの。もう一杯貰うわね」
「いくらでも飲むと良い。よければウイスキーもある」
私がウイスキーが並んだガラス棚を指さすと、フローラは「あとで頂くわ」とにっこりと答えた。私が注ごうとするのを断り、自分でワインをグラスに注いでいく。
どうやら酒豪らしい。
三杯目を注ぎながら、フローラが私を見た。
「それで、結局どうなったの?」
「ライト卿とリオン卿の反逆計画は事前に阻止できた。子どもを王位に就かせない契約書を、葵が作ったからな。彼らが王位を手にすることはない」
「そう。良かったわ。危うく戦争になるところだったわよ」
「葵と君で集めたウィリアム家の不正の証拠が効いたよ。礼を言う」
「お役に立てたなら良かったわ。私の家はそういう情報を掴むのが得意だから」
得意気なフローラに、私も頷く。
あそこまで不正の証拠を手に入れるのは、王家でも難しい。やはり商家の情報網は侮れない。敵に回したくはないな。
「パールは実家に戻ってきた」
「意外ね。彼女はライトと離れたくないって泣くかと思っていたわ」
フローラがグラスを回しながら笑う。
私もパールはライトの側にいたがると思っていたが、意外にも彼女はあっさりと戻ってきた。
『香りが変わったの。私ね、ライトのことが好きだった。でも愛したのは、この子の父親だけ』
パールはお腹を撫でながら私にそう告げ、それ以降ライトについて口にしなくなった。そこに悲観さはなく、ただ諦観と先を見越した意思の強さを感じた。
葵は「パールには異世界から来たことを話していない」と言っていたが、やはりパールは葵とライトが別人だと気づいていたようだ。
「子どもができてからパールは気丈になった。花の妖精のように可憐だったのに、今では月の女神のように大人びた精悍さがある」
私がパールを褒めると、フローラはうんざりした顔をした。
「悪いけど、あなたのシスコンに付き合う気はないわ。パール様とはライバルだったのよ」
「パールに負けたからって落ち込むことはない。人間が女神に勝てるわけがないのだから」
「キモッ」
フローラが心底嫌そうに顔を歪めて、聞いたことのない単語を発した。体を斜めにし、私の正面に座るのを避けている。
「キモッ、とはどういう意味だ」
「気持ち悪いって意味よ。平民の言葉でね。私は商家の出で元々は平民なの」
「なるほど。私には素の君を見せてくれるのか」
フローラはワインを呷ってから、冷笑した。
「取り繕う必要ないでしょ。度を越したシスコン男より、平民女の方がマシだもの。呼び出しの手紙にまでパール様を褒め称える文章を連ねるなんて、どうかしているわよ」
「そうか? 美しい薔薇が見頃ならば、手紙にもそう添えるだろう。それと同じだ。しかし、君の反応は他の女性たちとは違って面白いな。大抵は泣くか、非難するかのどちらかだったのに」
私が興味深そうにフローラを見ると、彼女は「ゲッ」と蛙のような声を出して口を曲げた。
「あんた、まさか婚約者候補にまでパール様の話をしてんの?」
「そうだが? 優れた芸術について語りたくなるのは自然なことだろう。誰が見たってパールは完璧だ。褒められる対象が自分ではないからといって傷つくのは自意識過剰というものだろう」
「あんた……。よくそこまで自分のデリカシーのなさを棚に上げられるわね」
フローラが頭を押さえて立ち上がった。
私への呼び掛けが「あなた」から「あんた」へと変化しているのが面白い。
フローラはガラス棚からウイスキーとグラスを一つ持って来て黄金色の液体を、氷を入れたグラスに注ぐ。
グラスをゆっくり回してから、フローラがウイスキーを口に運ぶ。
「それで、葵は?」
オレンジ色の髪を耳に掛け、フローラがグラスを見つめた。声に緊張が滲み出ている。
彼女も葵がもういないことに気づいている。
私は言葉を濁すことなく伝えた。
「葵はやはり消えたようだ。王城でライトに会ったが、葵とは別人だった。元々のライトに戻ったんだろう」
「異世界から来たって話、本当だったのね」
フローラが寂しそうに壁を見つめる。
私はワイングラスを置いて、彼女に同情した。
「君の気持は痛いほど分かるよ。私もパールがウィリアム家に嫁いでから仕事が手につかなくなった」
「うん、全然違うから! 感傷に浸っているんだから、水差さないでよね」
慰めようとしたのに怒らせてしまった。
フローラはウイスキーに手をつけ、足を組んでもう片方の腕をソファの背にのせている。
「それで、パール様はこれからどうするの?」
「パールはイスラン王太子殿下と内密に婚約した」
「何ですって?」
フローラが私を振り返った。
無理もない。パールは今、葵の子を身籠っているのだ。そんな状態で一国の王太子と結婚など常識ではあり得ない。
「パールのためだ。万が一にもライトがパールに危害を加えないとも限らない。一人目が駄目なら同じ手を使って二人目を、と考える可能性もある。他の男に襲わせて自分の子だと言い張る可能性も否定できない。あの男の側には置いておけない」
フローラが自分の顎を触る。
「もしライトがそこまでヤバい奴なら、パール様との結婚を白紙にするとは思えないんだけど」
「大丈夫だ。同性愛者だという証拠の手紙を見せるとすぐに従ったよ。パールとライトの結婚は白紙に戻った。その上で、イスラン殿下と婚約を結んだのだ」
フローラが顔を顰める。いつの間にかお酒を飲む手を止めている。
「パール様はそれでいいの? 王族には嫁ぎたくないんじゃなかった?」
「パールも納得済みだ。この国で殿下以上にパールとお腹の子を守れる人間はいない。ライトとリオンは力を持ち過ぎている。自棄を起こして何かをしでかさないとも限らないからな」
私がそこまで言うと、フローラはため息をついてソファの背に凭れた。表情が疲れている。
私も同じ気持ちだった。
パールには愛する人とただ幸せになって欲しかった。
ライトの手から逃れても、今度は王家のいざこざに巻き込まれる可能性もある。
救いだったのは、イスランが本当にパールを愛しているということくらいか。
「貴族って大変ね。もっと自由に生きられないものかしら」
「確かにな。でも大丈夫だ。イスラン殿下が守ってくださる。もちろん私も全力でパールを守る」
「そうね。微力ながら私も協力させてもらうわ」
「いいのか? 恋のライバルなんだろう」
フローラが大きな瞳で私を見ながら、口角を上げた。
「私は彼と仕事のパートナーとして充実した時間を過ごせたわ。恋人同士でいるよりずっと対等で濃密だったと感じているの。彼が私を女としてじゃなく、人として扱ってくれたことが堪らなく嬉しかった。だから私、パール様に負けたとは思っていないのよ」
彼女は恋愛より仕事に生きるタイプのようだ。そこらの男どもよりずっと凛々しい。
「じゃあ、そろそろ帰るわ」
「フローラ嬢。今度、食事に行かないか? 君がパールをどう捉えているのか関心がある。食事をしながら語り合おう」
「嫌に決まっているでしょ! それに私、家から出ないって決めたの。フェザー家に留まって、仕事をやり続けるわ。おあいにく様」
手を振るフローラに私は笑う。
「ならちょうどいい。我がブライト家の新領主は、パールの子どもが指名された。そうすれば誰も容易く手は出せない」
「えっ。あなたはどうするのよ」
「私はフリーだ。つまり婿に行ける。そうすれば、いつでも君とパールのことを語り合える。ひとまず食事に行こう」
「パール、パール、うるさいのよ。このシスコン男。誰が行くか」
「じゃあね」と乱暴にドアを閉められ一人残されてしまった。
大丈夫だ。振られることには慣れている。
また誘おう。




