3.自己嫌悪
晩餐会の招待を受け、ライトの親友だというリオンの屋敷に向かう。高級馬車でも車に比べると揺れは激しい。
上下左右に揺られながらも、俺は招待状をポケットから取り出した。
小さな本のように半分に折られた招待状を開くと、大きく「オスカー侯爵家」とある。
黒い縁取りがスタイリッシュな印象のそれには、横文字で時間と場所が書かれていた。
招待状の下部に、「久々にライトに会えるのを心待ちにしている」と筆跡の違う文字が添えられている。これだけが本人の直筆だろう。癖がなく、すっきりとした字が斜めに並んでいる。
オスカー侯爵家は伝統こそないが様々な事業を手掛け、王国においてその影響力は計り知れない。近年では政治の世界でも力を持ち始めているという。
父がこの晩餐会への出席を命じたということは、その息子であるリオンも相当な重要人物なのだろう。
俺は馬車の窓から屋敷を眺めた。夜に溶けそうな黒色の城だ。
門の前にはずらりと馬車が並んでいた。どれも紋章入りの立派な馬車で、従者が主人たちを見送っている。
ライトとリオンは同じ王立学校の出身で、令嬢たちの人気を二分していたという。ライトがパールと婚約してからはリオンに婚約依頼が殺到しているが、本人は身を固める気はないようだ。
キリアからは切れ者だと聞いている。
卒業後も二人は毎週のようにサロンで語り合っていた仲だというが、中身が入れ替わったことに気づかれたりしないだろうか。
若干の不安を抱えつつ、俺は馬車から降り、案内役の執事に連れられ大ホールへと向かった。
煙草の煙が充満したホールにはハイテーブルが二十卓。壁際にはシェフが立ち、客の目の前で料理の盛り付けを行っている。
招待客は五十名程で、同伴の女性を覗いては男性ばかりだ。立食という点から見ても、カジュアルさが伝わる。
すでに奥にあるビリヤード台で遊んでいる者もいて、晩餐会というよりも雰囲気はバーに近い。
入り口にいる俺の元へ、男性が近づいてくる。長身で黒髪の美形は、金ボタンつきの黒いタキシードをモデルのように着こなしている。
一目でリオンだと分かった。
「よく来たな、ライト」
「ああ。招待ありがとう。リオン」
リオンは爽やかな笑顔で手を差し出してきた。官能的なムスクの香りに、煙草の香りが混じっている。
柔和な態度なのに捕食者の凄味が全身から滲み出ていた。
彼の自信からくる余裕には覚えがある。
中学時代、サッカー部でエース扱いされて天狗になっていた俺に、転校生の黒石王理が勝負に挑んできた。
黒石とのレベルの差は歴然だった。
自信満々に対峙した俺を、ボールを持った黒石は股抜きという屈辱的な方法で簡単に抜き去った。振り返った時には、黒石にミドルシュートを決められていた。
あっという間にエースの座は奪われ、俺は徐々に孤立していく。
完全に調子を崩した俺は、他のメンバーにも次々と抜かされて結局退部した。
元エースの自分が必死に足掻く姿を皆に見られたくなくて、逃げたのだ。それ以降、俺の自己肯定感はなくなったといっていい。
嫌なことを想い出した。
リオンの雰囲気は飄々と俺を飛び越えていった黒石にそっくりだった。
蘇りそうになる卑屈さを隠すように、負けじと力強く握り返す。少しでも弱みを見せると一気に食われそうだ。
リオンの瞳には油断ならないギラつきがある。
「領地はどうだった? ライト」
「ああ、霰のせいで一部農作物に被害があったようだが、他は特段問題がなくて安心したよ」
「それは良かった。領地は娯楽がなくて退屈だったろう。今宵の会はライトの為に開いたんだ。さ、こちらへ」
リオンに背を押され、ビリヤード台の前に案内された。すでに三人の男性が台を囲んでいる。赤毛の男が球を撞くところだ。手球が当たった九番のボールは、そのまま台の隅にある穴に吸い込まれた。
「ライトのお出ましだ」
リオンがそう声を掛けると、三人とも手を止めてこちらを向いた。彼らの身なりや雰囲気はどう考えても一軍のものだ。
試すような視線に晒され、体が硬くなった。サッカーの失敗以来、俺は同年代の一軍男子が苦手になっている。
怯えを悟られると舐められる。俺は息を吸い込んだ。
「やあ」
テンダー先生の教え通りに腹から声を出すと、彼らはにこやかに挨拶を返してくれた。
「ライト! 待っていたぞ」
「久しぶりじゃないか」
良かった。そうだ、元々彼らはライトの親友だ。心配するこなんてない。
「ちょうど良かった。ナインボールをやっていて、終わったところだ」
「次はニールとライトでやるといい」
ニールというのは先程ショットを決めた、赤毛の男のことだ。
彼が上着を脱ぐ。
サスペンダーに蝶ネクタイという格好でも男らしく見えるのがすごい。元の俺なら笑われて終わりだろう。
「先行はバンキングで決めるか? いつも通り五ラック先取だ」
まずい。俺は過去に一度ビリヤードをやったことがある。大学生になりたての頃、一度だけ友人に教えて貰った。
つまりライトの体が勝手にショットを決めてくれることはない。あれは俺が未経験の場合だけ発動するのだ。
俺は片手でニールを制した。彼はすでにキューを持ち、台の前で俺を待っている。
「今日は止めておくよ。領地から戻ったばかりで疲れているんだ」
「そう言うなよ。久々にお前のミラクルショットが見たいんだ」
「そうだ。そもそも今日は気晴らしに来たんだろ? やらずに帰れるか」
四人に囲まれ、逃げられなくなった。
冷汗が噴き出してくる。リオンに渡されたキューとボールを握る手が汗で滑りそうだ。
バンキングって何だっけ?
ラックは卓球で言うゲームのことだよな。つまり最低五ゲームはやらないといけないのか。
キューの持ち方って?
焦って脳が空回りする。
「ライト。早く位置につけよ」
リオンが俺の腰を引いて移動させたのは、ビリヤード台の短辺の方だ。ニールが俺のすぐ隣に立っている。
他のメンバーは台の近くの椅子に座り、俺たちのゲームを眺めている。
そうだ、バンキング! 思い出した。
最初に互いに球を撞いて向こう岸に当て、戻ってきた球が近い方が先行だ。あれがバンキングか。
ルールも用語もうろ覚えで、とてもじゃないがゲームになりそうにない。
「準備はいいか? 行くぞ」
「ああ」
俺が意を決して打った球は、センターラインを越えてニールのゾーンに入ってしまった。センターラインを越えて自陣から出たらファールだ。
ニールの球は綺麗に戻って来て、ほぼ打った時の位置で止まった。
「おいおい、ライト。ファールじゃないか。素人じゃあるまいし」
「手加減なんてしてやるなよ」
横から野次が飛び、俺の体は増々硬くなった。
「俺の勝ちだな」
ニールが馬鹿にするように鼻で笑った。
菱形に並べた九つのボールに向かって、先行のニールがキューで手球を撞いた。手球は真っすぐ一番ボールに向かい、ボールがバラバラになる。
数個がポケットと呼ばれる台の隅の穴に入った。これでニールのターン続行だ。
俺は自分のターンが回ってこないことを祈った。ニールが全て決めてくれれば俺はやらなくて済む。
ニールが一番ボールに狙いを定めた。ナインボールでは台に残った一番小さな数字の球を最初に当てなくてはならない。
「惜しい」
俺の願い虚しく、ニールは一番ボールをポケットに入れ損ねた。
「チャンスだ。ライト! 良かったな」
「ライトなら余裕だろう」
期待の声が俺にプレッシャーを与える。手汗が止まらない。
白い手球から、一番の的球とポケットが一直線で、余計な障害ボールもない。ライトなら絶対に入れられる。
俺は撞きやすい位置に移動し、キューを構えた。
やるしかない。頼む。入ってくれ。
焦って動作が早くなる。
力み過ぎたせいで、勢いよくキューに当たった俺の手球は一番ボールに当たることなく右に逸れた。
プッと噴き出す声が後ろから聞こえ、耳が赤くなる。
「おい、どうした。ハンデか?」
「まあ九番を落とした奴が勝ちだからな。今入れる必要もないさ」
「案外、本当に外してたりして」
「まさか。ライトに限ってそれはないさ」
しかし結局、その後のゲームでも俺は一度もボールをポケットに入れらず、ニールに五ラック先取されてしまった。
皆の視線が恐くて顔を上げられない。
「まるで別人みたいだな。一人でやってる気になったぜ」
ニールが言うと、皆も頷く。
俺はキューを握りしめ肩を縮めた。
「ライトでもこんな日があるんだね。調子が悪いなんて言い訳は聞かないほど酷いデキだった」
「確かにらしくないな。いつもならニールに負けることなんてないだろ」
「あーあ、つまんない。次はニールとリオンが対決してよ」
俺は椅子に座り、存在感を消した。
隣にいる二人は煙草をふかしながら、ゲームを楽しんでいる。
バンキングの結果リオンが先行になり、ブレイクショットを打つ。力強く正確に手球が的球に当たり、ばらけた的球の一つがそのままポケットに消えた。
「すごい! ブレイクでいきなり九番ボールが落ちた」
「一点先取だ。さすがリオン」
リオンは飄々と一ラック目を取った。他の客たちもリオンのビリヤードの腕に釣られて集まってくる。
こんな勝ち方、俺には絶対にできない。どこの世界にもこういう神に選ばれたような人間がいるんだな。
見るのが辛くなった俺は、スタッフに配られたウイスキーを一気にあおった。
その後もリオンは技ありショットを連発し、ニールに一点も渡さず勝利した。
台を取り囲んだ客たちから拍手が巻き起こる。
リオンは「ありがとう」とクールに言い放ち、俺の隣に座った。気まずさから、ついお酒に手が伸びる。
「吸うか?」
リオンが葉巻が入った黒い箱を俺に差し出した。中には葉巻が十本並んでいる。見るからに高そうだ。
独特な香りが鼻を突いた。
「スパイシーなものからバニラ味まである。どれがいい?」
「じゃあスパイシーなものを」
リオンが葉巻の端を切り落とし、俺に渡す。
葉巻を咥えた俺に、リオンがマッチの火を近づけた。
死ぬほどうまい。
口から煙を吐き出し、また吸う。
荒んだ心に、葉巻が沁みた。葉巻ではなく電子煙草だが、元の世界では一日三本ほど吸っていた。やっぱり煙草はいい。
「あれ、ライト。煙が嫌だから、葉巻は止めるって言わなかったか?」
「……今日は吸いたい気分だったんだ」
「ああ、俺に負けたからか?」
ニールが嘲り、皆が笑う。
居たたまれなくなった俺は、静かに俯いた。軽口で返せばいいのに、それもできない。中学時代に戻ったみたいだ。
リオンが口に咥えた葉巻を手に取り、煙を吐き出した。その手でニールを止める。
「もうやめとけ。それより皆に美味しい投資話があるんだ。ライトも興味がないか? 親友のよしみで紹介してやるよ」
「投資?」
「ああ。書類をやるから目を通せ。旨い話は早い者勝ちだ」
まだ書類を手にしたばかりなのに、「リオンが勧めるなら乗った!」「俺も」「僕も」と他の三人が競うように声を上げる。すごい食いつきだ。
「悪いが、返事は今日中だ。他にも希望者が殺到しているからな。まずは親友の君たちに話を回したかったんだ」
様々な事業を手掛けるリオンが言うなら信用できる。宰相の父が一目置くくらいだ。
書類には「サニー銀行の新事業について」とあった。ページを捲ると小難しそうな数字の羅列がある。
これ以上、他の三人に引けを取りたくない。
「俺も乗るよ」
場の空気にのまれた俺は、金額も目にせず書類にサインした。




