23.手遅れ
夢のような新婚旅行はあっという間に終わり、日常に戻った。違うのはパールが屋敷にいるということ。
両親は理由をつけて別の屋敷に追いやっている。彼らがいるとパールも伸び伸び暮らせない。
いつものように仕事をしていると、パールが勢いよくドアを開けて入ってきた。ノックもないなんて、礼儀正しい彼女にしては珍しい。
「パール? そんなに慌てて」
「子どもができたの!」
「えっ」
俺は悲鳴のように高い声を上げたきり、言葉がでなくなった。
パールのお腹に俺の子がいる――?
体中から何かが込み上げてきた。
目がぼやける。
異世界に来てから自分の居場所をずっと探していた。どうしてこの世界に来たのか、どうして俺だったのかずっと考えていた。
きっとこの瞬間のためだ。
パールの隣だけが俺の場所だったが、もう一人増える。
それも俺とパールの子だ。
生まれて初めての多幸感だった。
「ありがとう」
パールを抱きしめて涙を隠した。
パールに妊娠を知らされてから、仕事にも一段と力が入っている。
俺は革張りの椅子に座り、机の一番上の引き出しを開けた。鍵付きのそこには、相手に合わせた複数の手紙と封蝋を破る小型ナイフが入っている。
手紙を全て取り出し、その中にあった白い手紙を机の上に広げ、投資の可否を書き綴った。
手紙を折り、火で溶かした蝋を垂らしてスタンプを押した。その作業を繰り返す。投資依頼が殺到しているのだ。
全てを書き終えた頃には、羽ペンを持つ手が痛くなっていた。
引き出しを開け、未使用の手紙を雑に押し込む。かたん、と奥で音が鳴った。
何だ?
目いっぱい引き出して確認するが、異常はない。入っているのは手紙とナイフ、それに新しい羽ペンくらいだ。
中身を全て机の上に出し、引き出しを見ると、底が僅かにずれていることに気づいた。引き出しを抜きとり、膝の上に載せて確認する。
「これ…」
底の手前部分を下に押すと、後方が浮いて板が斜めになった。
二重底になっているのだ。
上の底を取り除くと、板と板の間にあった薄い隙間に金色の鍵を見つけた。
少年のような好奇心が疼き始め、手に取って鍵を翳してみる。
上部は穴あきのクローバー状で、中心には緑の宝石が埋まっている。鍵の差し込み部分はアルファベットのEを向かい合わせたような形だ。
一緒に入っていた名刺には住所が書かれていた。
鍵付きの引き出しの中に隠されていた秘密の鍵に胸が躍る。
そりゃ行くしかないだろ。
住所が書かれた名刺をポケットに入れ、立ち上がった。
オレンジ色だった空が藍色に染め替えられた頃、パールとキリアにも内緒で外に出た。晩餐にはまだ早い時間だ。
場所はそんなに遠くはない。歩いても十分行ける距離だ。念の為、黒い衣服に着替え、ハットで顔を隠しながら歩く。
横目に見た本通りは人通りが多く、貴族用の馬車が通りをひっきりなしに行き来している。
一本奥の道を通る俺は人目を避けて早足に道を行った。
昨夜の雨で石畳が濡れてており、チャプチャッと足音が響く。
住所にあった建物は四階建ての赤茶のレンガ造りで、各階に白い窓枠が三つずつ嵌められている。
宿街の裏手でひっそり佇む細長い建物は入り口にぼんやりと灯りがあるくらいで、薄暗く不気味だ。
本当にここで合ってるのか?
ライトが出入りするような場所には見えない。通りの標識を確認すると、確かに「ガドリー通り」とある。名刺の住所はここで間違いなさそうだ。
ポケットから金色の鍵を取り出し、ドアノブの下にある鍵穴に差し込む。回る感触とともに、ガジャンと重い音がした。
思い切ってドアノブを回すとギィと嫌な音を立てながら扉が開いた。
中は真っ暗で、外と同じくらい寒い。
玄関にあった蝋燭を手に取って中に入る。お化け屋敷に来た気分だ。
見回す限り、盗られそうな物もない。がらりとした空間があるだけだった。
右手にあった木製の階段を上がる。一人分の幅しかない螺旋階段で、手すりは鉄製で冷たく持てたものじゃない。
二階、三階と覗いたが、一階同様に何もない。
最上階の四階に着いた。
ハットを取って、髪をかき上げる。かじかんだ体には良い運動になった。
右手に続く廊下の先は行き止まりだ。
目の前の木製のドアには鍵がない。押し開けてそのまま中へと入った。
壁付き燭台に灯りを点す。
屋敷にある自室に比べると半分以下の広さだが、それでも元居た世界のワンルームよりは広い。
暖炉に火をつけた。
窓辺に置かれたキャンバスが雑に黒く塗りつぶされている。キャンバスの下にある木箱は道具入れだろう。
何かを描こうとしたわけでも、消そうとしたわけでもなさそうだ。ただやけくそに塗りつぶしてるように見える。
……ライトがやったのか?
世間の評判とは違いすぎる一面に、俺は体が冷たくなるのを感じた。
黒く嫌な空気が体に纏わりつく気配がする。
気を取り直して壁と向かい合ったデスクに向かい、椅子に腰かけた。椅子の質は最高級だ。しっかり体を支えてくれるし、肘掛け部分も皮張りで手を置きやすい。
デスクは左右に四段、真ん中に一段引き出しがあるが、真ん中には何も入っていなかった。右上の引き出しを開け、手が止まる。
葉巻だ。
リオンの家で見た葉巻ケースと同じものだった。十本入っているはずのそれは、もう残り二本しかない。
パールは「ライトは煙草を吸わない」と言っていた。ではこれは誰のだ?
寂れた部屋には誰かの温もりを感じない。
ライトが吸っていたのだと、俺は直感的にそう感じた。
デスクの右端にある引き出しの一番下を開ける。
素っ気ない白い手紙が大量に仕舞われていた。
差出人も宛名もない。
一枚を手に取り、目を通す。
「舞踏会で君の香水を感じる度に胸が震える。君が俺のものである証拠だから。愛している」
俺は手紙を落としそうになった。脳の処理が追い付かず、思考が止まる。
無意識に握りしめた手紙がぐしゅっと音を立てたことで、意識を取り戻した。
癖がなく、すっきりとした字には見覚えがある。
――リオンだ。
俺は手紙を落とし、片手で口を押さえた。
どういうことだ?
ライトの香水はリオンが贈ったもの? それをライトはいつも肌につけていた?
俺は宝くじの祝賀会でリオンの香水に反応したことを思い出した。
俺があの時使っていた香水は日差しをいっぱい浴びた海の香り。リゾートの海のように澄んだ透明感を含んだ香りだ。
それがリオンのエキゾチックで官能的なムスクの香りと合わさった瞬間、二人だけの深海へと堕ちていくような意味深で恐怖すら覚えるほど切れ味のある香りに変わった。
あの時、皮膚が粟だったのは気のせいなんかじゃなかった。
あれはペア香水だったのだ。
血が逆流するかのように頭がぐらつく。
この国では同性愛は禁じられている。
あの香水は二人にだけ分かる密やかな愛の表現方法。
他の手紙にはこうあった。
「君が彼女に触れることに嫌悪感があるのは当然だ。俺だって君にそんな真似はさせたくない。一緒に方法を探そう。何かあるはずだ」
「これから俺と君の子が生まれると思うと待ち遠しくて仕方ない」
俺は重い足で鏡台に歩み寄り、鏡を覗き込む。誰もが「良い人」だと称した男の顔が映った。
不自然な程に口を揃えた「良い人」は、ライトが一生懸命作り上げたキャラクターだった。
曖昧だった男が、ここにきて実態を持ち始めた。
腹の辺りに嫌な予感が溜まっていく。
サンドラが「ライトは悪魔の手に堕ちた」と日記に書いていたが、「悪魔」とはパールのことではなかったのかもしれない。
彼女はライトとリオンの関係を知っていたのではないか。
気を落ち着かせるため、残っていた葉巻を一本取り出し先を切り落とした。
吸いながら火をつけるとバニラのような甘い味がする。
十本の葉巻は全て味が違う。
つまりライトは辛口から手をつけていたということ。
甘いのが好きというのはパールに合わせただけか。
葉巻を持つ手がじっとりと湿っている。
煙を吐き出した。
手が震える。
もしかして俺はとんでもないことを、してしまったのかもしれない。
逃れたはずの渦が、足元でまた回り始めるのを感じた。




