22..結婚式と新婚旅行
ウェディングドレスを着たパールは、神話に出てくる女神のように気高く純粋だった。あまりの美しさに俺が褒めることもできずにいると、パールの方から「どうかしら?」と感想を聞いてきた。
ついにこの日が来た。あの日俺を飲み込んだ渦は、今では穏やかだ。今日の日のために異世界に放り込まれたのだとしたら、俺は渦に感謝しないといけない。
パールは控室の鏡の前でウェディングドレスを軽くつまみ、左右に体を回転させている。サンゴを模した真珠の髪留めが両サイドの髪を飾り、手には白い小花を集めたラウンド型のブーケを持っている。
「あまりにも魅力的で言葉がでなかった。こんなに素敵な人が俺の妻だなんて、世界中の男に恨まれそうだ」
「ふふふ。ありがとう。やっとこの日が来たわね」
パールがしみじみという。
俺は今までの出来事を順に思い出した。
入れ替わり、精神棟、悪魔祓い、宝くじ、サッカー、連続殺人事件。正直、短期間に色々あり過ぎて長かったのか短かったのかよく分からない。
ようやくここまで来たという実感だけがあった。
「ライトも白いタキシードがとても似合っているわ。私の隣に立つのはあなた以外いない。愛しているわ」
「恥ずかしいな。俺も愛しているよ」
俺が耳を触りながら照れ笑いをすると、パールはブーケを床に落とした。
両手で口元を押さえ、目を見開いている。
パールの目にみるみる涙が溢れたが、化粧を落とさまいと必死に上を向いて耐えている。
「パール?」
「何でもないの。ごめんなさい。あなたのその耳を触る癖、久々に見たから懐かしくて」
「泣いたら式の前にお化粧が落ちちゃうよ」
「ええ、そうね。でも嬉しくて。やっぱり以前のライトと今のあなたは同じ人だったのね。良かった。私ね、もし別人だとしたら、あなたがどこかに消えてしまうんじゃないかって、ずっと怖かったのよ。同じ人なら私の前から消えたりしないわよね」
「当たり前だよ。俺はずっとパールの側にいるから。さ、涙を拭いて」
パールは俺がライトではないと気づいていた。でも不安の原因はライトがいなくなったからじゃなく、今の俺がどこかに消えてしまわないかだった。
パールの涙を拭いて、抱きしめる。愛しくてしかたなかった。
「そうだ、これ」
俺は手のひらサイズの箱をパールに手渡した。
「なあに?」
パールがリボンを解く。
白を基調とした高級感溢れる箱の中には、透明なボトルが入っている。
「これ、香水? 完成したのね!」
「そう。俺のはこれ」
俺は青いボトルをパールに見せる。色違いのペア香水は昨日届けられたばかりだ。
「一緒にこれをつけて、忘れられない結婚式にしよう」
「ええ! 嬉しい」
パールが早速香りを確認する。
咲き誇る花々の中で、たった一輪に目を奪われてしまうような、特別な引力のある香り。パールに相応しい高貴さと無垢さを感じる香りだ。
俺の香水は、どこまでも高い青空に風が通り抜けるような香りで、清潔感と爽快感のある香り。
そして二人の香りが交わると、泉が湧き出す神聖な空間に生まれ変わる。俺たち二人だけが立ち入れる秘密の花園だ。
パールが俺を見上げた。また目が潤んでいる。
「この香水は俺のパールへの愛の証だから、毎日つけるよ」
「私も。この香りを感じるだけで毎日きっと幸せだわ。ありがとう」
「キスできないのが残念」
「ふふ。そうね。口紅が落ちちゃうわ」
控室にノックの音が響き、二人でドアの方を向く。
「どうぞ」と声を掛けると、現れたのはパールの兄ドットだった。俺には目もくれず、パールに一直線に歩み寄る。
「お兄様!」
「パール。今日の君は女神ですら嫉妬するほど美しい」
「ふふ。ありがとう」
極度のシスコンだと聞いていたが、本当だな。これではどちらが新郎か分からない。
俺は割り込むように、話しかける。
「お義兄様」
「君にそう呼ばれる筋合いはない」
「……ドット卿。本日はお忙しいところをありがとうございます」
「パールのためだ。当然だ」
議会で一度も目が合わなかったのは気のせいじゃなかったらしい。完全に敵視されている。
しかし、ドットが来てくれただけで有難い。
彼は王室秘書官として連続殺人事件の担当をしている。忙しくて来られないかもとパールが寂しそうにしていたのだ。
家族全員にパールの晴れ姿を見せることができた。
ドットが射抜くような目で近づいてきて、俺の耳に顔を寄せた。
「もしパールを泣かせたら、全力で君を潰す」
結婚式の祝いの言葉にしては物騒で、俺は苦笑した。
「ご安心を。俺の生涯をかけてパールを大切にします」
ドットは不満気な表情だったが、それ以上は何も言わなかった。
結婚式にはドッドやフローラ、リオンはもちろん、サッカー関係者も大勢出席してくれた。慣れないスーツ姿でもサマになっている。
王家を代表して王太子であるイスランも参列し、国内最大規模の結婚式となった。
式の執り行いは予定通りホワイト司祭が担い、生演奏やテノール歌手の歌唱など、盛りだくさんの内容で参列者を楽しませる。
「誓いのキスを」
司祭の言葉に反応したように晴れ間が射し、教会が光で溢れた。神が祝福しているのだ。
パールにキスをすると、香水の香りに包まれて胸が熱くなった。
「これを持って、二人を夫婦とする」
誓約書にサインした俺たちは参列者に大きく礼をし、天井まで届く拍手に送られながらバージンロードを歩いて会場を後にした。
途端に響き渡った鐘の音が、門出を祝福する。不覚にも泣きそうになった俺を見て、パールが笑いながら抱きついてきた。
きっと彼女となら何が起きても大丈夫。
俺は彼女の背に腕を回し、もう一度キスをした。
新婚旅行は馬車で三日ほどのリゾート地。途中、宿で休みながら、ゆったりと海岸沿いを進み、目的のレストランに着いた。この辺りで一番有名なレストランで、店内は貴族たちで込み合っている。
リゾート地なだけあり、ドレスコードもなく開放的だ。女性は胸元や腕を出し、男性もネクタイを外している。
窓際の特等席に案内された。テーブルには白い布が掛けられ、水色を基調とした店内はまるで海の中のようだった。
「見て! 綺麗ね」
開け放された大きなガラス窓の外をパールが指差す。
青い海が煌めいて、穏やかな白波が揺れていた。潮風がパールの髪の隙間を通っていく。最高の景色だ。
パールは珊瑚色のドレスを着て、貝をモチーフにしたネックレスを着けている。
上機嫌の鼻歌が聞こえて、俺の顔も緩んだ。
シャンパンで乾杯し、生牡蠣にレモンを絞る。プルルンと張った牡蠣は大きいが、殻つきのまま切らずに口へと放り込んだ。海から取り出したばかりのような海水の味がして、噛むと口いっぱいにミルクの旨味が零れ出した。
「こんなに大きな牡蠣、初めて食べたわ」
「さすが名物なだけあるね」
「プルプルで美味しい」
あっという間になくなった。
続いて鯛のカルパッチョをフォークで刺した。ピンクに色づいた鯛は、もっちりとしている。ビネガーに山椒のようなスパイスが入っていて、ピリッとした清涼感が口の中に広がった。
メイン料理はパスタとパエリア。どちらもムール貝、あさり、海老、イカなど魚介満載だ。
赤ワインを頼み、また乾杯する。
パスタはトマトベースで結構辛い。パールは「美味しいわ」と、けろりと食べていたが、俺は魚介で辛みを和らげながら食べた。
彼女が辛さに強いことを結婚して初めて知った。
パエリアは鍋ごと提供された。魚介は歯ごたえ抜群で食べ応えがあるが、トマトとレモンの酸味が効いていて幾らでもいける。
何より、米が存在したことが嬉しくて、手が震えそうになった。やはりパンより米が好きだと実感する。噛みしめながら食べたパエリアは、この世界に来て一番美味しかった。
デザートはジェラート、チョコレート、焼菓子の盛り合わせ。合わせるドリンクはコーヒーだ。
「珍しいね、パールが紅茶じゃないの」
「この辺りではコーヒーが有名なの。旅行に来たら、やっぱり名物を頼まないとね」
「そうだね。ここに来たら真珠も買わないとね」
「それは楽しみだわ」
満腹の状態で海を見下ろす。底が見えそうな透明度の高い海が、青く光っている。
しばらく海を眺めながらパールと海風を感じた。
お腹が落ち着いた頃、砂浜へと下りた。パールがヒールを脱いで、素足で砂を踏みしめる。感触が楽しいのか、あちらこちらへ飛び跳ねる。
「ライトもやってみて」
パールに誘われ、俺も素足になった。砂の感触を確かめるように、キュッキュと踏みつける。温かくて、サラッとして気持ちいい。パールが先に海へと辿り着いた。波打ち際で波に近づいては逃げるを繰り返している。いつもより子どもっぽいパールが可愛い。
貴族でも庶民でも海に来るとやることは一緒なんだな。
「ライト! 早く」
「今、行く」
俺は波がギリギリ届かない場所に立って、水平線を眺めた。
海は俺がいた世界と何ら変わらない姿で、横たわっている。
元の世界に戻ってきたような錯覚に陥った。
同じだ。波も、風も、空気も、香りも、何もかもが。
俺はこの景色を知っている。
「ライト?」
パールが俺のすぐ近くで名を呼んだ。覗き込まれてやっと泣いていることに気づいた。
「ああ、ごめん。あまりも綺麗だったから」
「……そうね。綺麗なものを見ると泣きたくなるものね」
パールはそう言って横から俺に抱きついた。パールはそれ以上は何も言わず、縋るように腕に力を込める。
行かないでと言っているようだった。
俺はすぐにパールを抱きしめた。
「せっかくだから入ってみる?」
軽い口調で誘うと、パールも「ええ」とホッとしたように笑った。
「ドレスが濡れないように気を付けて」
パールが膝までドレスをたくし上げる。こういう時に躊躇わないのが彼女の良いところだ。
普段なら「はしたない」と諫められる行為も、ここなら許される。
上からでも魚が泳いでいるのが見えた。
海の中に足を入れると、冷たい水が足首を撫でた。足に纏わりついていた砂が一瞬で落ちる。
「気持ちいい」
「ね」
寄り添ったまま、どこまでも青い海に目を奪われた。
それから真珠館でネックレスを買い、夜はアクアパッツァが名物のお店で絶品の鯛に舌鼓を打った。
晩餐を済ませる頃には、俺の緊張はピークに達していた。新婚旅行で夜とくれば、必然的に待っているのは初夜なわけで。
この世界では新婚旅行は跡取りを作るためのものだという。
寝室の扉を開けると、夜着のパールがベッドに腰かけていた。
合わせを解くとその下はきっと裸だ。
俺は硬直しそうな体で何とかパールに近づいた。明かりはベッド上にある二台の壁付け燭台だけだ。
「パール」
俺が頬に触れると、彼女は恥ずかしそうに俯いた。心臓の音がうるさい。
「パール。嫌なら言って」
「……嫌なわけないわ」
パールが顔を隠すように俺の胸に顔を埋めた。香水の香りが混じり合う。
カッと体が火照るのが分かって、俺はすぐにパールを上向かせ唇を奪った。
角度を変えてキスを繰り返す。
パールの舌が熱い。
理性が飛びそうだ。
キスの終わりに、荒い呼吸をしながらパールが目を細めた。
「ライト。どこにも、行かないでね」
「ずっとパールの側にいるよ」
海での俺の態度に不安を覚えたのだろう。キスをせがむ彼女に口づける。
互いの存在を確認するように、俺たちは奥まで繋がった。




