18.祝賀会
祝賀会は広場の近くにあるフローラの屋敷で行われた。
挨拶時には婚約者としてパールをさり気なく紹介した。パールのドレスと、俺のネクタイを青でリンクさせている。ウィリアム家の紋章の色だ。
これでフローラとの仲を誤解する人間はいないだろう。
蝶ネクタイを付けた楽団が演奏を始めた。
いよいよダンスが始まる。ファーストダンスはフローラと一緒だ。
俺はフローラと手をとり、ダンス開始までステージでポーズを取って待つ。
彼女は向日葵を思わせる黄色のドレスを着ている。快活な彼女の印象にぴったりだ。美人なだけではなく、彼女の内から湧き出るエネルギーに周囲の目が自然に引き寄せられていく。
フローラが熱を持って手に力を込めてきた。
思わずピクリと手が反応してしまう。
「私、ライト様と踊るのが夢だったの」
「仕事のパートナーとして踊るだけだよ」
「それでもいいわ。夢が叶ったんだもの」
フローラがはにかむ。
こうも純粋に喜ばれると胸が痛いうえに、疚しいことをしている気になってくる。
ワルツが流れると、ステージに上がった紳士淑女が一斉に動き始めた。
フローラは華やかなダンスを披露する。繊細で優雅なパールのダンスとはまた違う魅力があった。
動くたびにフローラからシトラスの香りがして、俺は気づかぬ振りで目を逸らした。
イスランと踊るパールの姿が目に留まる。二人は完璧なダンスで観客を魅了している。両者の清らかさは、どこか崇高さすら感じさせた。
目ざとくフローラがそれに気づき、口を尖らせる。
「私と踊っている時くらい、パール様を見るのは止めて」
「すまない。たまたま目に入ったんだ」
「ふふ。なんてね、冗談よ。気になって当然よね。断ったとはいえ、パール様は過去にイスラン殿下に求婚されているんだし」
「え」
俺の表情が固まったのを見て、フローラが目を見開く。
「え……まさか知らないなんてこと、ないわよね。有名な話だもの」
求婚? 殿下がパールに?
これだけ動揺していても体が勝手にダンスを続けているのが不思議だ。
フローラがまじまじと俺を凝視する。俺の動揺を悟ってか、フォローを始めた。
「安心して。ご家族も反対したというし、パール様自身も殿下には興味がなかったようよ」
「反対? 王族に入れるのに」
「政治利用されたくなかったんじゃないかしら。パール様はご家族に愛されているから」
「つまり殿下はパールを愛してたわけじゃなく、家の為にパールに求婚を?」
「それは分からないわ」
フローラが肩を竦める。珍しく彼女の視線が揺れている。余計なことを言ってしまったと思っているのだろう。
乗っ取りで王座についた現王族に足りないのは、血統だ。
パールは元王族の正統な血を引いている。
政略結婚を目論んでもおかしくない。
「ごめんなさい。てっきりご存知かと」
「いや。教えてくれてありがとう。フローラ嬢、この話はしなかったことにして欲しい」
「ええ。もちろんよ」
殿下がパールとダンスをと言い出したのは、諦めていないから?
まさかな。婚約してから一度もそんな様子はなかった。大丈夫だ。
胸騒ぎを無理やり飲み込み、俺はフローラとのダンスを踊り切った。
演奏が止み、拍手に取って代わる。
「ありがとう。この後も楽しんで」
「あ、待っ……」
引き留めるフローラに構わず、俺はすぐにパールの元へと向かった。
パールはイスランと談笑している。
「パール」
「おや、ナイトのお出ましだ。では僕はこれで。パール嬢、夢のような一時をありがとう」
イスランがパールの手の甲にキスを落とした。
「殿下! 彼女は私の婚約者ですよ」
「知っているよ」
俺が凄むと、イスランはすぐに手を離し、俺たちに背を向けて去って行った。平然とした顔が腹立たしい。
「パール。殿下に何もされていない?」
「ただダンスをしただけ。そんなに焦らなくても平気よ」
「平気じゃないよ。殿下は君に求婚したんだから」
「思い出したの?」
パールが驚いたように眉を上げた。
俺はその問いには答えず、横からパールの腰を抱く。
「本当は殿下となんて躍らせたくなかった」
パールは俺に抱きつくように、胸に顔を埋めた。
「私もよ。フローラ様は人気者だもの。踊っている二人を見るのは胸が痛かったわ」
「パールが心配するようなことは何もないよ。これは仕事だから」
「フローラ様にときめいたりしなかった?」
「しないよ。俺にはパールだけだ」
「私もよ。踊りたいのはあなただけ。ライトのことだけを見ているの」
上目遣いのパールが至近距離で俺を見つめる。
「俺もだよ。愛しているよ、パール」
俺がそう言うと、パールは小さく微笑んだ。その表情がなぜか切なそうに見えた。
彼女は時折、こういう表情をする。それも決まって良い雰囲気になっている時だ。
何かあるのかもしれない。ライトと俺の違いが。
「そろそろ始まるわ。踊りましょう」
パールはすぐに表情を変え、俺に手を伸ばした。一瞬の違和感を置き去りに、俺は下からその手を支え、中央に進み出る。
次の曲が始まった。
パールが回るたびに、青いドレスが広がる。胸元に白い花が咲いたドレスは、蝶のような彼女の美しさを引き立てていた。
やはりパールと踊るのが一番しっくりくる。
手を頭上で繋いだまま、パールが一回転した。気品を感じさせる花の香りを感じ取り、手から伝わる熱を意識してしまった。
パールは頬を上気させ、楽しそうに踊っている。横を向いた時の首筋が色っぽい。
「ライトの香りに包まれると安心するわ。日差しをいっぱい浴びた海の香りね」
ライトが元々使っていた香水だ。お気に入りらしく、こればかり使っていたらしい。
「気に入ってくれたなら良かった。そうだ。結婚の記念にペアの香水を作ろうか」
「いいわね。同じ調香師の方にお願いしたいわ」
「依頼していおくよ。どんな香りがいいか考えておいて」
「ええ」とパールは上機嫌に頷いた。
さきほどの表情は、俺の見間違いだったのだろうか。
ダンスを終え、シャンパンでパールと乾杯する。
夜空には星が散りばめられ、事業の成功を祝ってくれているようだ。
「やあ、素晴らしいダンスだったね。洗練されていながらもフレッシュで、皆も君たちに釘付けだった」
後ろから声を掛けてきたのはリオンだった。珍しく一人だ。全身黒色のコーディネートで、より引き締まって見える。アクセントのサファイアが美しい。
俺はパールを隠すように一歩前に出た。目の前で対峙すると、エキゾチックで官能的なムスクの香りが漂ってくる。
「ありがとう、リオン」
「宝くじの成功おめでとう。おかげで俺の賭博場は人が減ってしまったよ」
「よくいう。連日盛況だと聞いているよ」
「そんなことないさ。新しく事業を始めるなら俺にも声を掛けてくれれば良かったのに冷たいな」
誰が声なんか掛けるか。
苛立ちを抑え、口角を上げる努力をする。
リオンはシャンパンを口に入れ、目で俺に探りを入れている。
俺はそれを流すように、伏し目がちになった。
「君はすでに賭博場を経営しているし、同じような事業には興味がないかと思ってね」
「売り上げを国の為に使うとか。今まで国で建設事業を請け負っていたのはニールの家だろう。それがこれからはピール社が請け負うと言う噂じゃないか。ニールが青ざめていたぞ」
「別に彼と競合する気はないよ。同業者として、ともに国の役に立てればいい」
嘘だ。ニールの家は国から請け負う建設事業が中心だ。
それを全て俺が貰う。
悪いな、ニール。
偽の投資で騙してくれたお礼だ。借りは返した。
そんな俺の考えを知ってか知らずか、リオンはフッと息を漏らし俺の耳元に顔を寄せた。
互いの香水の香りが混じり合うほどの距離だ。
重厚な深みのある香りに支配され、ゾクと皮膚がざわついた。
「国の二大美女を独り占めとは隅に置けないな。でもパール嬢を悲しませるなよ。調子に乗っていると他の男に取られるぞ」
「言われなくとも」
「なら良いんだ。彼女は君一筋だからね」
ピクリと眉を動かし、俺はリオンを睨みつけた。含みを持った視線とぶつかる。
まさか、こいつもパールを――?
リオンはすぐに俺から離れ、パールに目をやった。
彼は同性ですら息を呑むほどの美形だ。
俺は焦ってパールを確認する。
「パール嬢も邪魔して悪かったね」
「いいえ。久しぶりのお二人の話す姿を見られて嬉しいわ」
パールの対応に熱を感じず、俺が安心していると、横から女性の声がした。
「私も仲間に入っていいかしら?」
リオンも含め、全員がそちらを向くと、そこにはフローラが立っていた。少し顔が赤い。どうやらお酒に酔っているようだ。
フローラは自然に輪に入ってきた。リオンの隣に立ち、彼と話を続ける。
「フローラ嬢。この度は新事業の成功おめでとう」
「嫌だわ、リオン様。まだ成功かなんて、わからないわよ」
「成功が確約されたようなものさ。昼の二人の挨拶もとても良かったよ」
「あら、ありがとう。リオン様もご覧になっていたのね」
どうやらリオンとは顔見知りのようだ。新興の侯爵家同士、繋がりがあるのかもしれない。通気性の良い空気感が伝わってくる。
フローラが斜め向かいに立つパールのドレスに目を留めた。
「パール様のそのドレス、とても素敵ね」
「ありがとう。ライトが贈ってくれたの」
「ライト様の紋章の色だものね。透明度の高い海の色。お揃いでとっても似合っているわ」
「フローラ様のそのドレスも、知的な雰囲気にぴったりね」
服装や髪型を褒め合う女性たちの間に、リオンが混じる。
「この国の女神たちと、同じ世界に存在できて俺たちは幸せだな」
リオンの視線を受け、俺も「そうだな」と同意して両者を見やる。
ロマンティックで瑞々しいパールと、エネルギッシュで華やかなフローラは間違いなく、この国を代表する美女だ。
青いドレスのパールと黄色のドレスのフローラが同時にこちらを向いた。
今までこんなシチュエーションを経験したことのない俺は、緊張で目が泳ぎそうになるのを堪えた。
必死で慣れた風を装う。
「今宵の主役は間違いなく君たち二人だ。よければ四人で乾杯しないか」
「いいわね」
フローラが手を挙げてスタッフに新しいシャンパンを要求する。自分で行動するのが彼女らしい。
シャンパンを受け取り、目を輝かせた彼女を俺が注意する。
「フローラ様は一口だけね」
「あら、どうして」
「随分と飲んだでしょう。顔に出ているよ」
「ふふふ。だってこんな夜なのよ。飲まないと」
「締めの挨拶があるのを忘れてるね」
「あー、そうだったわね。だけど私が酔っていてもライト様が上手く締めてくれるわ」
ね、とフローラがウインクを送ってきた。
ほぼ同時にパールに腕を掴まれ、俺の視線がフローラからパールに移る。パールは俺には目もくれずフローラに微笑んだ。
にこやかな彼女たちに、なぜか冷やっとしてしまう。
「そうね。ライトならできるわ。私もいるし」
「あら、パール様がいるなら心強いわ。お昼は私とライト様の二人きりでの挨拶だったでしょう。少し不安だったの。ライト様が隣で励ましてくだっさったから乗り切れたのだけど」
「お昼は大衆に囲まれていたでしょう。ライトったら私に何かあったら困るから来ないでなんて言うのよ。心配症よね」
「それはそうよ。何かあったら助けに行かないといけないもの。その点、私ならそういう対応にも慣れているから」
これは俺が止めるべきなのか?
口を挟む間もなく繰り広げられる会話に、目で二人を往復することしかできない。
高校時代、モテ男が女子に囲まれてうんざりしていたのを思い出した。
本当は嬉しいくせに気取りやがって、と当時の俺はやっかみ半分で睨んでいたが、今なら気持ちが分かる。
居たたまれない。どちらに付いても駄目なやつだ。
「さ、じゃあ乾杯しようか」
リオンが上手く二人の会話を遮り、グラスを持ち上げた。この男はこういう場面に慣れているのだろう。
助かった。すぐさま俺が胸の前でグラスを掲げると、二人は会話を中断し顔を見合わせる。
その後、あくまで表面上だが、和やかに乾杯をし談笑した。
締めの挨拶を終え、庭園へとパールを誘った。
光で溢れた屋敷を抜け出し、裏庭にある緑のアーチをくぐる。外灯に照らされた薔薇が妖しく咲くこの場所は、高い生け垣に囲まれ人目が少ない。恋人たちは自慢するかのように前庭で語らうのが定番だ。
二人掛けの椅子で隣り合って座る。口数が減ったパールは明らかに機嫌が悪い。
「パール。何を怒っているの? フローラ様のこと?」
「……彼女はビジネスパートナーだって言ったけど、それだけじゃないわよね」
「それだけだよ。パールが気にすることなんて何もない」
「嘘よ。彼女のあの目は恋している目だわ。さっきだって私を挑発していたじゃないの」
先程から一度も目が合わない。パールは暗闇の中、外灯の明かりで浮かび上がった遠くの生け垣の緑を見るともなしに見ている。
膝に置いていた彼女の手を取って、こちらを振り向かせた。
「俺にはパールだけだよ。フローラ様にもそう伝えてある。ビジネスパートナー以上になることは絶対にない。それを示す為に紋章色のお揃いの衣装にしたんだ。もしそれでも不安なら今から会場に戻って全員の前でパールへの愛を叫んでもいい」
俺が真剣に提案すると、パールはフッと表情を緩めた。
俺の肩の力も少し抜ける。
「ライトが浮気するなんて思っていないわ。変ね。あなたを想う女性なんて今までも大勢いたけど全く気にならなかったのに。相手がフローラ様になった途端に不安になったの。彼女は自信に満ち溢れていて魅力的だもの」
驚いた。パールがそんなことを思うなんて。俺からすれば彼女こそ非の打ち所がなくて眩しい女性なのに。
不安にさせたくないのに、嫉妬してくれて嬉しい自分もいる。
「パールだって魅力的じゃないか。芸術家を支援したり、孤児院へ寄付する為にバザーを開いたり。俺はパールが芯が強いことも、愛情深いことも知っているよ。俺は何度もパールに救われた。パールだから好きなんだ」
俺が言い切ると、パールは俺の方に頭を預けてきた。
風が薔薇を揺らす。彼女の香りが流れてきた。
「リース様がフローラ様をライトの婚約者にするよう画策していると聞いたわ」
「えっ」
「私が悪魔祓いなんて提案したせいでしょう」
リースは俺の母だ。まさかパールの耳に入っているとは。だからこんなに不安になっているのか。
俺はパールの肩を抱く。
「不安にさせてごめん。でも俺の結婚相手はパールだけだ。父を説得してパールとの婚約の了承は得ている。そのために宝くじを成功させたんだ。俺の力が増せば、もう誰お俺たちの邪魔はできない」
パールが俺の肩に頭を預けた。
「フローラ様に嫉妬なんてして……馬鹿ね、私。記憶喪失だと知った時も今も、ライトを信じればいいだけだったのに。どちらも元は私のせいなのに」
「違う。パールのせいじゃない。俺が未熟だから悪いんだ。それに俺が頑張れるのはパールがいるからだよ。パールのためなら何だってできる」
パールの目を見ながら気持ちを伝えると、彼女は泣きそうな顔をして抱きついてきた。頬に彼女の髪が触れる。
「ねえ、パール。一つ聞いてもいい?」
「ええ」
「殿下とは本当に何もなかったの?」
「ないわ。お兄様が猛反対したし、私も殿下のことは好きでも何でもなかったから」
「でも相手は殿下だ。無理やり結婚に持ち込むこともできるだろう」
俺がそう言うと、パールは抱きしめていた手を解いて、俺を見上げた。何か言いたげに瞳を揺らしている。
彼女の熱が急に下がったのを感じた。
「やっぱり、まだ全てを思い出したわけじゃないのね」
「……ごめん」
「謝らないで。もうあなたが何者でもいいの。私は目の前にいる、あなたを信じるって決めたから」
覚悟を秘めた力強いパールの声に、目元が熱くなった。
ライトしか映していなかった目に、確かに俺が映っている。俺はずっとパールに、俺を見て欲しかったんだ。
「およそ五百年前ね、我がブライト家が現王家に協力するにあたって、一つだけ条件を出したの。それは王位を手にしても、ブライト家の女性を無理やり王妃にしないこと。ご先祖様は現王家が血統を欲しがることを読んでいたのね。今でもその契約書は我が家に大切に保管されているの」
「なるほど。だから殿下はパールと婚約できなかった」
「そうよ」
「でも俺だって末端とはいえ、王族の血を引いている。パールはそれでいいの?」
「ええ。だって王位継承順で言えば、ライトが王になることはないでしょうし、何より私があなたと結婚したいの。結婚するなら政略結婚じゃなく恋愛結婚って小さい頃から決めていたのよ」
屈託なく笑うパールを、どうしようもなく愛しく感じた。
「大切にする。愛しているよ、パール」
「私も。愛しているわ」
薔薇に囲まれた裏庭は薄暗い。
俺たちは、どちらからともなくキスをした。




