15.母が推す別の婚約者候補
「そのいち、人脈は大切に。そのいち、絶対に人に恥をかかせないこと。そのいち、相手を言い負かそうとしないこと。そのいち、聞いていますか、ライト様?」
「もちろんです。テンダー先生」
一段上の講師をと、父に頼んだところテンダーを紹介してくれた。スーツを着込んだ老紳士だ。
ライトも昔、師事したことがあるという。復習と称してお願いした。
パールとの結婚を両親に認めさせるために、俺は今よりずっとライトに近づく必要がある。
テンダー先生は早口だが、滑舌が良いのですっと頭に入ってくる。社交といえば、この人と言われるほどの人物だ。
髪は白いが、口調や立ち姿などに衰えは全く見られない。
「では私の今日のバッジの色を当ててください」
「はい?」
バッジ?
テンダーはスーツの襟を手で隠した。顔とスーツ以外は朧げにしか思い出せない。
仕方なく当てずっぽうで答える。
「……黄色」
「紫です。貴族たるもの、他者への観察を怠ってはなりません。何が好きか、どんな人物か。そういったことは全て細部に現われているのです」
テンダーは手を開いて、バッジを見せた。授業の内容で頭がいっぱいの俺にいつもハードルの高い要求をしてくる。
「いいですか、ライト様。自身にばかり目を向けていると、自意識過剰になります。内ではなく外側に意識を向けるのです。そうすることで視野を広く持て、メンタルも強くなるのです」
身につまされる。中学時代の俺にも教えてやりたい。俺がサッカーで調子を落としたのは完全に脆弱なメンタルのせいだ。つまり俺は自意識過剰だったってわけだ。
テンダーの授業を終え、俺はワインの銘柄一覧に目を通す。この国ではワインの知識は必須だ。産地、輸入元、生産者、種類、味を把握する。
その目の下には隈ができている。
「ライト様。このところスケジュールを詰め込み過ぎでは?」
「そうかな。今までだって、こんなものだったよ」
「ええ。ですが」
キリアが思案顔で言葉を止めた。
それは俺が転移してくる前のライトの話だ。
俺が徹底してライトとして振る舞い始めたので、キリアは困惑を隠せずにいる。
俺は読み終えたワインの一覧をテーブルに置いた。
新たに手にしたのは貿易の航路地図。そして主な貿易品目とその相手国が書かれたリストだ。
輸出の多い順に、ワイン、塩、宝石、香水と続く。
「明日は海軍の視察があるから、主要人物のリストを用意してくれるかな。衣装は視察用とパーティー用の二つ。イスラン殿下もいらっしゃるから、あまり派手でないものを」
「かしこまりました」
これから両親とレストランで外食だ。
キリアは俺の髪にピンを留めながら聞いている。優秀な従者はメモを取る必要はないらしい。
「それからカバーニュ精神棟に寄付を。額はハーネスト病院と同じで」
「はい」
「明後日の王妃陛下の誕生会では、仕入れたばかりの新種の百合の花を贈ってくれるかな」
「それはいいですね。王妃陛下は自身でも交配するほどの植物好きですから、きっと気に入ってくださるでしょう」
「そうだね。百合には彼女の名をつける。プレートに彫ってくれ」
「かしこまりました」
俺は手帳にワインの種類と貿易品目を描き込んだ。重要な部分だけメモをとっている。黒の分厚い手帳はボロボロだが、ライトに成り代わるには、これでもまだ足りない。
ふと、壁に掛かった絵画の王と目が合った。赤い瞳が俺を見下ろしている。
騎士階級だったにも関わらず、王位を簒奪したイナ王。
彼のおかげで今、ウィリアム家は上流階級のトップに君臨している。
『奪ってしまえ』
絵画の王がそう言った。
そうするよ、と俺は頷き、部屋を出た。
スタッフに案内された席に着いた途端、俺はやられたと唇を噛んだ。
「遅かったじゃない、ライト。こちらフェザー侯爵家のご令嬢のフローラ様よ」
「…………」
「初めまして、ではないですよね」
フローラが首を軽く傾けた拍子に、明るいオレンジの後れ毛が揺れる。
彼女には見覚えがあった。
オペラを見に行った時に、俺を誘ってきた女性だ。
「君……」
「フローラ・フェザーです。やっとお声が聞けました。あの時は声を掛けてくださらなかったから」
「嫌だわ、ライトったら。フローラ様があまりに美しいものだから、見惚れちゃって」
「違います」
「私たちは向こうの席にいるから、後はお二人でごゆっくりね」
母は俺の話など聞く耳も持たず、カツカツとヒールを鳴らしながら父の待つ席に移動していく。
彼女は諦めていなかったのだ。
残ったのは俺とフローラだけ。テーブルの上には二人分のカトラリー。
仕方なく、席に着いた。
店内のテーブルはほぼ埋まっている。まさかこの状況で女性一人を残して帰るわけにもいかない。それにこの場を切り抜けても、同様のことが続くだろう。
「母がすまない」
「いいえ。私はライト様にお会いできて嬉しいわ」
「ああと、その。初めに言っておかないとね。俺には婚約者がいるんだ」
「でもあなたのお母様は反対しているみたい」
フローラが目線で母を示す。父と乾杯しているところだった。
俺は苦笑いで、ナプキンを膝に掛けた。同時に水の入ったグラスがテーブルに置かれる。
「母はああいう人だからね。君も断れなかったんでしょう。迷惑をかけたね」
「違うわ。私は相手があなただから来たのよ」
彼女があまりにきっぱりと言うので、動揺でグラスを持った手に力が入りテーブルと擦れた。ゴッと音がして慌てて手を離す。
「失礼」
ふふ、と彼女が口元に手を当てた。孔雀のように鮮やかで、意志の強い女性に見えた。
「ライト様でもそんな風に動揺されるのね。いつも完璧だから違う面が見られて嬉しいわ」
「……君の気持は嬉しいけど、俺はパール以外考えられないんだ」
「知っているわ。ずっと見ていたもの」
フローラが切なそうに俺を見上げる。対峙すると美しさに飲み込まれてしまいそうになる。
透けるような肌のせいだろうか。
ソムリエがグラスに食前酒のシャンパンを注いで去った。
話題を変えたい俺は、助かったとばかりにグラスの脚を掴む。
「乾杯しようか」
「ええ」
「乾杯」とグラスを目の高さに掲げ、目を合わす。エメラルド色の瞳が逸らされることなく俺を見ている。
正直、気まずい。
シャンパンを飲む頻度が増し、目が窓の外を向いた。
薄暗くて外灯の明かり以外が曖昧に溶けている。さらに向こうは漆黒だ。
「ライト様は我がフェザー家が商業を営んでいるのはご存知?」
落ち着いて芯のある声が耳に届き、フローラに視線を戻した。シャンデリアの明かりが彼女の髪を透かす。
高級感溢れる店内に、楽団の音色が響き始めた。
フローラの父は圧倒的な資金力で爵位を賜るに至った実業家だ。この国も金を重視する流れに逆らえずにいる。これから成金貴族が増えていくだろう。
なるほどな、と俺はようやく父が反対しなかった理由を理解する。
俺が企画した新事業は「宝くじ」だった。
数字選択式で、少額の当選金で当たりが多い「クローバー賞」と、高額の当選金でハズレが多い「バラ賞」の二種類がある。
「父は君の家に販売の依頼を?」
「ええ。まだ決定ではないけれど、検討してくださっていると聞いたわ。つまり私たちはビジネスパートナーってわけ」
「なるほど。ウィリアム家とフェザー家が販売に携わっているなら、国民からの信用度は格段に増すね」
「そうね。そして当然、私たちの家同士の繋がりも深まるわ」
意味深に見つめられ言葉が詰まる。どうも主導権を握られているような、気の抜けなさがある。
彼女が動く度にシトラス系の香りが仄かにして、彼女のテリトリーの内に入ったことを嫌でも意識してしまう。
「悪い話じゃないでしょう? 私たちが手を組めば国内に敵はいなくなるわ。政治だって自由に動かせる」
フローラが甘やかされたご令嬢でないことは、この数分で痛感している。同時に、彼女が俺に好意を伝えてくるのは、家の為ではないかと勘繰りたくなった。
その方が俺としてもやりやすい。
「フローラ様が家の為に一生懸命なのは伝わったよ」
「違うわよ。あなたのためになりたいのよ」
フローラが笑顔を止めた。
彼女は最初から真剣に気持ちを伝えてくれていたのに、『やりやすい』だなんて……。
「ごめん……」
「どうして謝るの? 私は嬉しいのよ。私にもお役に立てることがあるかもしれないなんて、夢みたいだわ。ライト様とこうして一緒に食事をしていることもね」
彼女は横を向いて楽団の音に耳を傾けた。
弦を押さえるヴァイオリン奏者の指が小刻みに揺れて、深い音色が空気と混じり合う。
「ライト様は何の楽器がお得意?」
「俺はピアノかな。フローラ様は?」
「私はハープね」
「ああ、イメージぴったりだね」
「そうかしら?」
彼女が愛嬌たっぷりに肩を上げた。
彼女がハープを弾いているところを容易に想像できる。優雅なその姿に、誰もが釘付けになるだろう。
食前酒を飲み終わった俺たちのテーブルに次々と食事が運ばれてくる。スープ、サラダ、パン、ウサギ肉のテリーヌ、白身魚のポワレ、鹿肉のロースト。
この国では一品ずつではなく、同時に提供される。ただし食べる順番は決まっているので、メイン料理は冷めがちなのが難点だ。
フローラがスープをスプーンですくい、口に入れた。赤い紅が引かれた口元がクローズアップされ、慌てて目を逸らす。誤魔化すようにスプーンを手にした。
クリーム色のスープは複雑な味で、何のスープなのか分からい。
フローラは聡明で、途切れることなく話題を提供しては、俺の話を聞いてくれた。メインは仕事のことなのが有難い。
アルコールのおかげか二人して饒舌になり、最初の気まずさは、もうなかった。
白身魚のポワレを食べ終えると、ソムリエが赤ワインを持って現れた。鹿肉のローストに合わせたワインだ。
ワインが入ったグラスを回しながら、伏し目がちにフローラが言う。
「このレストランは昔からよく来ているの。お父様とお母様のお気に入りだから。彼らは私を放って、ずっと二人で話しているのよ。料理のこと、ワインのこと、旅行のこと、領地のこと、呆れるくらいにね」
「フェザー侯爵夫妻は仲の良さで有名だものね」
「ええ。二人は私の憧れなの。今夜、同じ気分が味わえた気がする。好きな人と食事をすると、こんなに心が満ち足りるのね」
フローラがナイフで鹿肉を小さく切った。ソースを付けてから口に運び、「美味しい」と声を漏らす。
彼女は俺に何かを求めている訳ではない。このひと時をただ楽しんでいる。
俺はどんな態度をとっていいか分からず、赤さの残る鹿肉にフォークを刺した。ルッコラの緑に鹿肉の花が咲いたような盛り付けだ。崩さないようにナイフを入れる。
程よく厚みがあり噛み応えがあるが、ジューシーだ。もっとパサついて固いものだと思っていた。
鹿肉の癖をローズマリーが包み込んでいる。
「確かに美味しいね」
「ええ。赤ワインとの相性もとてもいいわ」
そこから料理や店の内装、そしてまた仕事の話をした。彼女のすっきりとした語り口や自身の漲る表情が心地よい。恋愛さえ絡まなければいいパートナーになれただろう。
「今日はありがとう」
店を出たフローラが、振り返って口角を上げた。
両親は先に切り上げて馬車に乗って帰ってしまった。当然のように送ることになった俺は、御者に行先を告げ、フローラに手を差し出す。
「どうぞ」
フローラは俺の手をとり、馬車に乗り込んだ。
「これから私たちが一緒にいることが増えると思うの。パール様にも私のことを知っておいてもらった方がいいわ」
「それは……」
「あなたは気にすることはないわ。やましい気持ちがあるのは私だけだもの」
ふふ、とフローラが茶目っ気たっぷりに口元を押さえる。
「だから堂々とビジネスパートナーとして私を紹介して。大丈夫よ。パール様に余計なことを言ったりしないから」
馬車についた明かりが、フローラを照らす。
キュッと上がった口角と意志の強い眼差しが彼女の魅力だ。できるなら曇らせたくない。
けれどパールの顔が何度も頭をよぎる。
俺が一番守りたいのはパールの笑顔だった。
「フローラ様。君の気持は嬉しいが、俺はパールを大事にしたいんだ。君の気持に応えることはできない」
「分かっているわ。そんなあなただから好きなのよ。今から私たちはビジネスパートナー。よろしくね」
手入れの行き届いた手が、目の前に差し出された。俺はその手を取ったまま上下に振る。
パールと手を握った時とは違う、力強い握手だった。
「月が綺麗な、素敵な夜だわ」
フローラが窓から空を見上げる。
いつの間にか雲が散り、三日月が顔を出していた。




