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奪ってしまえ!  作者: 松原水仙
第三章

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15/32

15.母が推す別の婚約者候補

「そのいち、人脈は大切に。そのいち、絶対に人に恥をかかせないこと。そのいち、相手を言い負かそうとしないこと。そのいち、聞いていますか、ライト様?」

「もちろんです。テンダー先生」


一段上の講師をと、父に頼んだところテンダーを紹介してくれた。スーツを着込んだ老紳士だ。

ライトも昔、師事したことがあるという。復習と称してお願いした。


パールとの結婚を両親に認めさせるために、俺は今よりずっとライトに近づく必要がある。


テンダー先生は早口だが、滑舌が良いのですっと頭に入ってくる。社交といえば、この人と言われるほどの人物だ。

髪は白いが、口調や立ち姿などに衰えは全く見られない。


「では私の今日のバッジの色を当ててください」

「はい?」


バッジ? 


テンダーはスーツの襟を手で隠した。顔とスーツ以外は朧げにしか思い出せない。

仕方なく当てずっぽうで答える。


「……黄色」

「紫です。貴族たるもの、他者への観察を怠ってはなりません。何が好きか、どんな人物か。そういったことは全て細部に現われているのです」


テンダーは手を開いて、バッジを見せた。授業の内容で頭がいっぱいの俺にいつもハードルの高い要求をしてくる。


「いいですか、ライト様。自身にばかり目を向けていると、自意識過剰になります。内ではなく外側に意識を向けるのです。そうすることで視野を広く持て、メンタルも強くなるのです」


身につまされる。中学時代の俺にも教えてやりたい。俺がサッカーで調子を落としたのは完全に脆弱なメンタルのせいだ。つまり俺は自意識過剰だったってわけだ。


テンダーの授業を終え、俺はワインの銘柄一覧に目を通す。この国ではワインの知識は必須だ。産地、輸入元、生産者、種類、味を把握する。

その目の下には隈ができている。


「ライト様。このところスケジュールを詰め込み過ぎでは?」

「そうかな。今までだって、こんなものだったよ」

「ええ。ですが」


キリアが思案顔で言葉を止めた。

それは俺が転移してくる前のライトの話だ。

俺が徹底してライトとして振る舞い始めたので、キリアは困惑を隠せずにいる。


俺は読み終えたワインの一覧をテーブルに置いた。

新たに手にしたのは貿易の航路地図。そして主な貿易品目とその相手国が書かれたリストだ。

輸出の多い順に、ワイン、塩、宝石、香水と続く。


「明日は海軍の視察があるから、主要人物のリストを用意してくれるかな。衣装は視察用とパーティー用の二つ。イスラン殿下もいらっしゃるから、あまり派手でないものを」

「かしこまりました」


これから両親とレストランで外食だ。

キリアは俺の髪にピンを留めながら聞いている。優秀な従者はメモを取る必要はないらしい。


「それからカバーニュ精神棟に寄付を。額はハーネスト病院と同じで」

「はい」

「明後日の王妃陛下の誕生会では、仕入れたばかりの新種の百合の花を贈ってくれるかな」

「それはいいですね。王妃陛下は自身でも交配するほどの植物好きですから、きっと気に入ってくださるでしょう」

「そうだね。百合には彼女の名をつける。プレートに彫ってくれ」

「かしこまりました」


俺は手帳にワインの種類と貿易品目を描き込んだ。重要な部分だけメモをとっている。黒の分厚い手帳はボロボロだが、ライトに成り代わるには、これでもまだ足りない。


ふと、壁に掛かった絵画の王と目が合った。赤い瞳が俺を見下ろしている。

騎士階級だったにも関わらず、王位を簒奪したイナ王。

彼のおかげで今、ウィリアム家は上流階級のトップに君臨している。


『奪ってしまえ』


絵画の王がそう言った。


そうするよ、と俺は頷き、部屋を出た。



スタッフに案内された席に着いた途端、俺はやられたと唇を噛んだ。


「遅かったじゃない、ライト。こちらフェザー侯爵家のご令嬢のフローラ様よ」

「…………」

「初めまして、ではないですよね」


フローラが首を軽く傾けた拍子に、明るいオレンジの後れ毛が揺れる。

彼女には見覚えがあった。

オペラを見に行った時に、俺を誘ってきた女性だ。


「君……」

「フローラ・フェザーです。やっとお声が聞けました。あの時は声を掛けてくださらなかったから」

「嫌だわ、ライトったら。フローラ様があまりに美しいものだから、見惚れちゃって」

「違います」

「私たちは向こうの席にいるから、後はお二人でごゆっくりね」


母は俺の話など聞く耳も持たず、カツカツとヒールを鳴らしながら父の待つ席に移動していく。

彼女は諦めていなかったのだ。

残ったのは俺とフローラだけ。テーブルの上には二人分のカトラリー。


仕方なく、席に着いた。

店内のテーブルはほぼ埋まっている。まさかこの状況で女性一人を残して帰るわけにもいかない。それにこの場を切り抜けても、同様のことが続くだろう。


「母がすまない」

「いいえ。私はライト様にお会いできて嬉しいわ」

「ああと、その。初めに言っておかないとね。俺には婚約者がいるんだ」

「でもあなたのお母様は反対しているみたい」


フローラが目線で母を示す。父と乾杯しているところだった。

俺は苦笑いで、ナプキンを膝に掛けた。同時に水の入ったグラスがテーブルに置かれる。


「母はああいう人だからね。君も断れなかったんでしょう。迷惑をかけたね」

「違うわ。私は相手があなただから来たのよ」


彼女があまりにきっぱりと言うので、動揺でグラスを持った手に力が入りテーブルと擦れた。ゴッと音がして慌てて手を離す。


「失礼」


ふふ、と彼女が口元に手を当てた。孔雀のように鮮やかで、意志の強い女性に見えた。


「ライト様でもそんな風に動揺されるのね。いつも完璧だから違う面が見られて嬉しいわ」

「……君の気持は嬉しいけど、俺はパール以外考えられないんだ」

「知っているわ。ずっと見ていたもの」


フローラが切なそうに俺を見上げる。対峙すると美しさに飲み込まれてしまいそうになる。

透けるような肌のせいだろうか。


ソムリエがグラスに食前酒のシャンパンを注いで去った。

話題を変えたい俺は、助かったとばかりにグラスの脚を掴む。


「乾杯しようか」

「ええ」


「乾杯」とグラスを目の高さに掲げ、目を合わす。エメラルド色の瞳が逸らされることなく俺を見ている。

正直、気まずい。


シャンパンを飲む頻度が増し、目が窓の外を向いた。

薄暗くて外灯の明かり以外が曖昧に溶けている。さらに向こうは漆黒だ。


「ライト様は我がフェザー家が商業を営んでいるのはご存知?」


落ち着いて芯のある声が耳に届き、フローラに視線を戻した。シャンデリアの明かりが彼女の髪を透かす。

高級感溢れる店内に、楽団の音色が響き始めた。


フローラの父は圧倒的な資金力で爵位を賜るに至った実業家だ。この国も金を重視する流れに逆らえずにいる。これから成金貴族が増えていくだろう。


なるほどな、と俺はようやく父が反対しなかった理由を理解する。


俺が企画した新事業は「宝くじ」だった。

数字選択式で、少額の当選金で当たりが多い「クローバー賞」と、高額の当選金でハズレが多い「バラ賞」の二種類がある。


「父は君の家に販売の依頼を?」

「ええ。まだ決定ではないけれど、検討してくださっていると聞いたわ。つまり私たちはビジネスパートナーってわけ」

「なるほど。ウィリアム家とフェザー家が販売に携わっているなら、国民からの信用度は格段に増すね」

「そうね。そして当然、私たちの家同士の繋がりも深まるわ」


意味深に見つめられ言葉が詰まる。どうも主導権を握られているような、気の抜けなさがある。

彼女が動く度にシトラス系の香りが仄かにして、彼女のテリトリーの内に入ったことを嫌でも意識してしまう。


「悪い話じゃないでしょう? 私たちが手を組めば国内に敵はいなくなるわ。政治だって自由に動かせる」


フローラが甘やかされたご令嬢でないことは、この数分で痛感している。同時に、彼女が俺に好意を伝えてくるのは、家の為ではないかと勘繰りたくなった。

その方が俺としてもやりやすい。


「フローラ様が家の為に一生懸命なのは伝わったよ」

「違うわよ。あなたのためになりたいのよ」


フローラが笑顔を止めた。

彼女は最初から真剣に気持ちを伝えてくれていたのに、『やりやすい』だなんて……。


「ごめん……」

「どうして謝るの? 私は嬉しいのよ。私にもお役に立てることがあるかもしれないなんて、夢みたいだわ。ライト様とこうして一緒に食事をしていることもね」


彼女は横を向いて楽団の音に耳を傾けた。

弦を押さえるヴァイオリン奏者の指が小刻みに揺れて、深い音色が空気と混じり合う。


「ライト様は何の楽器がお得意?」

「俺はピアノかな。フローラ様は?」

「私はハープね」

「ああ、イメージぴったりだね」

「そうかしら?」


彼女が愛嬌たっぷりに肩を上げた。

彼女がハープを弾いているところを容易に想像できる。優雅なその姿に、誰もが釘付けになるだろう。


食前酒を飲み終わった俺たちのテーブルに次々と食事が運ばれてくる。スープ、サラダ、パン、ウサギ肉のテリーヌ、白身魚のポワレ、鹿肉のロースト。

この国では一品ずつではなく、同時に提供される。ただし食べる順番は決まっているので、メイン料理は冷めがちなのが難点だ。


フローラがスープをスプーンですくい、口に入れた。赤い紅が引かれた口元がクローズアップされ、慌てて目を逸らす。誤魔化すようにスプーンを手にした。

クリーム色のスープは複雑な味で、何のスープなのか分からい。


フローラは聡明で、途切れることなく話題を提供しては、俺の話を聞いてくれた。メインは仕事のことなのが有難い。

アルコールのおかげか二人して饒舌になり、最初の気まずさは、もうなかった。


白身魚のポワレを食べ終えると、ソムリエが赤ワインを持って現れた。鹿肉のローストに合わせたワインだ。

ワインが入ったグラスを回しながら、伏し目がちにフローラが言う。


「このレストランは昔からよく来ているの。お父様とお母様のお気に入りだから。彼らは私を放って、ずっと二人で話しているのよ。料理のこと、ワインのこと、旅行のこと、領地のこと、呆れるくらいにね」

「フェザー侯爵夫妻は仲の良さで有名だものね」

「ええ。二人は私の憧れなの。今夜、同じ気分が味わえた気がする。好きな人と食事をすると、こんなに心が満ち足りるのね」


フローラがナイフで鹿肉を小さく切った。ソースを付けてから口に運び、「美味しい」と声を漏らす。

彼女は俺に何かを求めている訳ではない。このひと時をただ楽しんでいる。


俺はどんな態度をとっていいか分からず、赤さの残る鹿肉にフォークを刺した。ルッコラの緑に鹿肉の花が咲いたような盛り付けだ。崩さないようにナイフを入れる。


程よく厚みがあり噛み応えがあるが、ジューシーだ。もっとパサついて固いものだと思っていた。

鹿肉の癖をローズマリーが包み込んでいる。


「確かに美味しいね」

「ええ。赤ワインとの相性もとてもいいわ」


そこから料理や店の内装、そしてまた仕事の話をした。彼女のすっきりとした語り口や自身の漲る表情が心地よい。恋愛さえ絡まなければいいパートナーになれただろう。



「今日はありがとう」


店を出たフローラが、振り返って口角を上げた。

両親は先に切り上げて馬車に乗って帰ってしまった。当然のように送ることになった俺は、御者に行先を告げ、フローラに手を差し出す。


「どうぞ」


フローラは俺の手をとり、馬車に乗り込んだ。


「これから私たちが一緒にいることが増えると思うの。パール様にも私のことを知っておいてもらった方がいいわ」

「それは……」

「あなたは気にすることはないわ。やましい気持ちがあるのは私だけだもの」


ふふ、とフローラが茶目っ気たっぷりに口元を押さえる。


「だから堂々とビジネスパートナーとして私を紹介して。大丈夫よ。パール様に余計なことを言ったりしないから」


馬車についた明かりが、フローラを照らす。

キュッと上がった口角と意志の強い眼差しが彼女の魅力だ。できるなら曇らせたくない。

けれどパールの顔が何度も頭をよぎる。


俺が一番守りたいのはパールの笑顔だった。


「フローラ様。君の気持は嬉しいが、俺はパールを大事にしたいんだ。君の気持に応えることはできない」

「分かっているわ。そんなあなただから好きなのよ。今から私たちはビジネスパートナー。よろしくね」


手入れの行き届いた手が、目の前に差し出された。俺はその手を取ったまま上下に振る。

パールと手を握った時とは違う、力強い握手だった。


「月が綺麗な、素敵な夜だわ」


フローラが窓から空を見上げる。

いつの間にか雲が散り、三日月が顔を出していた。

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