13.悪魔祓い
俺はパールの隣で聖イニフィス教会を見上げた。
教会の左右に尖塔が二基ずつ聳え、その上部には鐘が吊るされている。毎日、九時、十二時、十六時、十九時に鳴り響く四つの鐘は、この地域の名物だ。
「王城から距離はあるけれど、ここが国で一番大きな教会なの。国教でもあるわ」
「話には聞いていたけど、本当にすごい」
白壁の教会は王城よりも高さがあった。近づくほどに大きくなる教会は、畏怖の念を抱くほどの存在感を放っている。その壮麗さに、俺は歩きながら見惚れてしまった。
教会の窓の上では金色の「∞」のマークが陽を反射して光っている。
「あの∞マークが教会のシンボルなの。熱心な信者はネックレスにして着けていることが多いわ」
「へぇ。ところで、ホワイト司祭ってどんな人なの?」
俺の命運は司祭が握っている。彼に正常だと認められれば、パールだって俺をライトとして受け入れてくれるはずだ。
「司祭様は年に数回、各国で神の教えを説いて回っていて、知識や敬虔さで彼の右にでる者はいないの。きっとあなたの問題も解決してくれるわ」
パールが力強く言う。俺への励ましというよりは、自分に言い聞かせているようだった。
教会へと続く石畳の道を歩く。右手にあるハーブ園では黒い服を着た女性たちが、多種のハーブの世話をしていた。薬効だけでなく、魔除けにも使われるのだという。
青臭さと土の香りが俺の鼻にも届いた。
低い石段を五段ほど登り教会に入る。外よりもひんやりとして、空気が澄んでいる気がした。
四方の窓から光がいっぱいに射しこみ、真正面のステンドグラスをすり抜けた光が教会内を照らしている。多様な色が融け合った光が幻想的な空間を演出していた。
壁から天井にかけて彫られた彫刻を、首を後ろいっぱいに倒し見上げる。宗教をモチーフにした像がびっしりと浮き出ており、建築に掛かった年月を想像しただけで途方もない気持ちになった。
「すごいね」
「しっ」
パールが人差し指を唇に当て、黙るよう合図する。小声のつもりがやけに響いた。祈りを捧げていた二十名ほどがちらりと俺たちを振り返る。
そこへ教会の鐘が一斉に鳴り響き、俺はビクッと肩を震わせて顔を上げた。十六時の鐘だ。
日本のずっしりとしたゴォーンという鐘の音とは違い、カァーンと軽い音が何重にも響き合って今にも天使が舞い降りてきそうなメロディを奏でている。
「行きましょう」
この鐘の音を合図に、二階に行くように指示されているという。
教会の左手奥にあるドアを開け、中にあった螺旋階段を上がる。古い木の板は踏みしめる度にギシッという音が鳴った。
ノックをして中に入ると、黒いローブを纏った男性がにこやかに二人を出迎えてくれた。六十代くらいで、眼鏡をかけている。彼がホワイト司祭のようだ。
眼鏡で目の奥がよく見えない。
司祭は口の両端を引き上げ、手で向かいの椅子に座るように案内してくれた。
間にはテーブルすらない。
「お待ちしていました。ここまでの道のりは遠かったでしょう」
「いいえ。司祭様にお会いできるのであれば、どこへでも参ります」
「それは、それは。それだけお悩みということですかな?」
眼鏡が光った。おっとりとした口調だが、どこか油断ならない空気を感じ取る。年の割にがっしりとした体格のせいかもしれない。
パールは俺をちらりと目に入れ、記憶喪失であることをホワイトに伝えた。
司祭は「ふむ」と顎に手をやり考え込むような素振りを見せた。しばらくして立ち上がり、箪笥の引き出しから何かを取りだして戻ってきた。
小さな薄紫色の小瓶には「∞」のマークが入っており、聖水であることは見当がついた。
「失礼」と突然、司祭がそれを俺に振りかけた。
「うわっ」と反射的に目を閉じる。スプレーだったらしくミスト状の水が頬や髪にかかった程度で済んだが、不意打ちを食らったせいで体が強ばった。
「お名前は?」
司祭が声を落とし、唐突に俺に尋ねた。一瞬、言葉が詰まる。
駄目だ、飲まれるな。
俺は一拍置いて冷静に名乗った。
「ライト・ウィリアムです」
「間がありましたね。あなたの本当の名前を教えてください」
「私にライト・ウィリアム以外の名はありませんよ」
俺は努めて柔和に返した。
精神棟に入れられた彼らは、教会からあの施設を紹介されたのだ。
悪魔憑きだと判断された瞬間、俺は地獄に落ちる。
演じきれ!
冷静に観察すると部屋には「∞」マークのグラスや、神の姿の像が多数棚に並んでいる。俺たちの周りを取り囲むように床やサイドテーブルに置かれた燭台には蝋燭の火が灯り、異様な雰囲気を醸し出していた。
ごくり、と唾を飲み込む。
「ライト卿。貴殿は悪魔に憑りつかれているのではないですか?」
俺を見下ろす神父の目は淀んでいる。この目には覚えがあった。両親が見せる疑念と恐怖が入り混じった目だ。
嘘を見破られそうで、司祭と目を逸らすことができない。
「司祭様まで。そんな訳ないじゃないですか」
「顔立ちは同じでも、以前とは人相がまるで違う。そんな光のない瞳をする人ではなかったし、話し方もそうです。ライト卿はもっと柔らかかった。私の目は誤魔化せませんよ」
「私は記憶がないだけですよ。そもそも記憶喪失で悪魔祓いなんて変です。医者に診てもらうなら分かりますが」
俺が両手を軽く広げると、司祭は訝し気に眉を寄せた。
「記憶がないのはあなたの心に悪魔が巣くっているからですよ。それに記憶喪失で医者を呼ぶだなんて話は聞いたことがない。あなたは何を言っているのです」
「そうよ! 記憶喪失は精神の異常よ。やっぱりあなた、おかしいわ」
パールが声を荒らげ、立ち上がった。顔には怯えが滲んでいる。
全身に圧し掛かる空気の重さに、しまったと背筋が寒くなった。
この世界の医学の進歩具合を理解していなかった。
このままでは精神棟行きだ。二人の顔がそう言っている。
「失礼。記憶がないので常識的なことも抜け落ちてしまっていて」
「では、記憶喪失で病院へというのは誰の記憶なのです?」
すぐさま方手を挙げて、詰め寄る二人を遮る。
「違いますよ。両親が医師を頼りにする場面をよく目にしていたので、記憶喪失もそうなのかと思っただけです」
「ということは今回は医師にご相談はされていないということですよね。どうしてですか?」
司祭が逃すまいと詰めてくる。左目が引きつりそうになりながら、無理に笑顔を作った。
「両親に心配を掛けたくないですし、すぐに思い出すだろうと考えたからです」
「つまり公爵夫妻はご存知ないと」
「すぐにお伝えした方がいいわ! この後、私と一緒に会いに行きましょう」
どんどん自分の嘘に追い詰められていく。
どう切り抜ける? こんな状況になっていると知られたら今度こそ両親は俺を許さないだろう。
指が冷たい。口元だけ引き上げて、何とか声を絞り出した。
「大丈夫だよ、パール。徐々に思い出してきているから」
「どこが大丈夫なの。悪魔に憑りつかれるほど気持ちが落ち込んでいるのに」
「悪魔って」
「悪魔でしょう! だってあなたはライトじゃないわ。別人よ。歩き方も紅茶の飲み方も違うのは、そういうことでしょう」
パールが右手で涙を拭った。恐怖からか俺がいるのとは反対側に身を引いている。
歩き方はともかく、紅茶の飲み方は俺のミスだ。
トングで掴んだ角砂糖をそのままカップに入れてしまった。本来ならば、角砂糖をスプーンに載せてからカップに入れないといけないらしい。
あのミスがなければ、と何度も後悔している。
「ライトの体から出ていって。ライトを返して!」
パールが頬を濡らしながら叫んだ。
『私はいつでもあなたの味方よ』と微笑んだ彼女が、今では目を釣り上げて俺を悪魔扱いしている。
本来俺がこの世界にいるべきではないのは、自分が一番理解していた。
もしライトが俺の代わりに死んでいるとしたら、彼女からすれば俺はやっぱり悪魔なのだろう。
でも俺は、悪魔に魂を売り渡す準備をしている。俺はライトに成り代わるんだ。
「悪魔じゃないと証明するために、悪魔祓いを受けるよ。パールにはそれを見守っていて欲しい。俺はライトだよ、パール」
パールは頷き一つ返してこなかった。横を向いて、寒気を和らげるように腕をさすっている。
司祭と向き合うと、再度聖水を頭上からスプレーされた。霧状の水で頬と手が湿る。
黒い本を片手に、司祭はおもむろに呪文のような言葉を唱え始めた。この国の言語ではないようだ。さっぱり聞き取れない。
俺は身じろぎせず膝の間で両手を組み合わせる。
喉の渇きを自覚して、頭がぼんやりとした。
「一人でいたいと願うことが多くなっていませんか?」
本をサイドテーブルに置き、司祭が俺を見据える。床に置かれた蝋燭の灯りを見つめている間に、いつの間にか祈祷が終了していたらしい。
「いいえ」
「ギャンブルに溺れていませんか? お酒には? 女性にはどうでしょう?」
司祭は尚も質問を続ける。それが使命であり逃す気はないと、緊張感溢れる彼の姿勢が言っていた。
「いいえ」
「おや、おかしいですね。オスカー侯爵家が主催する晩餐会で莫大なお金を投資をなさったとか。適当な投資はギャンブルと同じです。お酒も随分飲まれていたと聞いています」
「一度きりですよ」
リオンに投資を持ち掛けられた日だ。あの失態を知られているのか。
真顔で俺たちのやり取りに注目していたパールが、軽蔑したように目を逸らした。
「好みは変わっていませんか。明るいのが苦手になったりは」
「いいえ」
「嘘よ! あんなに甘いものが好きだったのに、苦手になっているじゃない」
「……ああ、そうだったね。しかし明るい場所は好きですよ」
その後も様々な質問を受け、ストレス値は上限に達した。もう喉はカラカラだ。
ずっと同じ体勢でいるのも辛くなり、軽く座り直す。
「再度問います。あなたの本当のお名前は何ですか?」
「ライト・ウィリアムです」
「それはあなたが憑りついた人物の名前です。私が尋ねているのはあなたの名です」
「ライト・ウィリアムです。何度聞かれても同じですよ」
いい加減、うんざりする。
しかし司祭の質問は続いた。
「あなたのお生まれは?」
「ブルキア王国、アリソン地方」
「なぜライト卿に憑りついたのです?」
「なぜって」
俺が聞きたいよ。
どうして俺は異世界に来て悪魔祓いなんて受けないといけないんだ。
「ライト卿の心が弱っていることにつけ込んだのですよね。悪魔は純粋な人間を好む。彼はうってつけだったでしょう」
「私は悪魔ではありませんよ。記憶がないだけで私がライト・ウィリアムです」
「憑りついた目的は」
「憑りついていません」
何度も繰り返されるやり取りに苛立ちも溜まってくる。
埒が明かない。
パールが見かねて声を掛けてきた。ドア付近に立ったまま、涙ぐんでいる。
「正直に答えて。お願い」
「答えているよ」
暗澹とした気持ちで微笑む。
パールは俺を悪魔だと本気で思っているのだ。
「俺はウィリアム公爵家の跡取りで、君の婚約者だ。パール」
「違うわ! あなたはライトじゃない」
「俺がライトだよ。きっと司祭様が証明してくださる。その為にここに来たのだから」
そうだ、俺はライトとして生きると決めた。心が折れそうになっても引くわけにはいかない。
司祭は俺の周りをうろつきながら呪文を唱える。そしてまた同様の質問を、言い方を変えて繰り返した。もう何周もしている。
彼は当初より早口になっている。
俺もそうかもしれない。精神的な疲労が互いに溜まっている。
極度の緊張を断ち切ったのは、教会の鐘の音だった。十九時になったのだ。
三時間も飲まず食わずで問答をしていたことになる。
「今日はここまでにしましょう」
司祭が音を立てて本を閉じた。
それを合図にバレないように脱力し、鼻から長い息を吸う。三時間ぶりに空気を感じた。
「俺がライトであることを、分かっていただけましたか?」
司祭は中指で眼鏡を押し上げ、俺の方を向いた。相変わらず目の奥が読み取れない。
「今回だけでは何とも」
「これまで淀んでいた気持ちが司祭様のおかげで、とても澄んだ気持ちになれました。もしかしたら本当に悪魔に憑りつかれていたのかもしれません。ありがとうございました。感謝しています」
「いえ」と半信半疑の司祭が、曖昧に返事をする。
俺は立ち上がって、パールに向き合う。
「パール。こんなに長い間、付き合わせてごめんね。疲れたでしょう。帰りによく行っていたレストランで食事でもしようか。久々に名物のソーセージでも食べよう」
「それって……」
ライトとパールがデートで遠出をした時によく利用していたという店だ。ソーセージなんて庶民の食べ物を、人目を盗んでこっそり二人で食べていたという。これはキリアからの情報だ。
「その話は二人だけの秘密なの。記憶が戻ったの? あなた、本当にライトなの」
「戻りつつあるって言っただろう。信じてもらえるまで、何度だって証明するよ。さ、行こうか」
俺が手のひらを差し出すと、パールは探るような目をしながらも素直に手を預けた。
部屋を出て、司祭の目から逃れた安堵感を噛み締める。
悪魔祓いを受けて良かった。パールと握り合った手の感触に、そう確信した。
「足元、気を付けて」
「ええ」
階段を下り、一階の講堂に入った。手の込んだ建築には目もくれず、長椅子に挟まれた通路を並んで通り抜ける。
急にパールが足を抑えて立ち止まった。
「いた…」
ヒールで踵を痛めてしまったらしい。長椅子に手をついて、パンプスを確認している。
「大丈夫? ごめんね、何時間も立ちっぱなしにさせちゃったから」
「違うわ、私が――きゃっ」
俺はパールを抱きかかえた。想像よりも軽くて、すっぽりと腕に収まっている。
お姫様抱っこされたパールの顔が赤い。
「自分で歩けるわ」
「駄目だよ。足に傷が残ったら大変だ」
パールが驚いたように俺の顔を凝視する。
「ん?」
「以前にも同じことがあったわね。あなたは覚えていないかもしれないけれど。記憶がなくても、やっぱりライトはライトなのね」
パールの瞳から冷たさが消えた。両手で顔を覆ったパールの声が震えている。
「今日はごめんなさい、私……」
「いいよ。俺のことを心配してくれたんだよね。ありがとう」
「ライト!」
首に抱きついてきた彼女から、花のような香りがした。




