12.看破
議会が長引いたせいで、俺はパールとのデートの待ち合わせ時間に遅れてしまった。彼女とのデートはオペラ以降、初めてだ。二回目にして遅刻なんて笑えない。
デートに浮かれて、昨夜は眠れなかった。
急いで馬車を下りると、先程より暗さを増した空がモノクロ映画のような色をしている。
降り出す前で良かった。
俺は大通りに面した三階建ての真っ赤な建物の前に立った。赤いドアを挟むように青々とした観葉植物が飾られている。
カフェ「レスト」はパールとライトの行きつけだ。リオンが出資しているカフェで、貴族御用達の人気店だという。
俺が近づくと、爽やかな笑顔の男性スタッフがドアを開けてくれた。
中は満席だ。壁やソファのピンク色が眩しい店内で、着飾った令嬢たちが一流のティーセットで紅茶を楽しんでいる。
香水とお菓子の甘い匂いで酔いそうになりながら、正面奥にあった階段を上った。
二階はカップル席だった。白い壁紙とウォールナット素材のテーブルのおかげで、一階よりもナチュラル感が増している。ホテルのロビーのような雰囲気だ。
窓際の角にパールの後ろ姿を見つけ、ジャケットの襟を整えながら歩みを進めた。昼に会うのは初めてだ。
柄にもなく緊張する。上手くライトになりきらないと。
カップルの後ろで凛と佇む彼女は、ホワイトブロンドの髪をハーフアップにして緩やかに巻いている。髪の先まで抜かりがない。
後ろ姿を見ただけで俺の胸はときめいた。
背後から近づいてもパールが俺に気づく様子はなく、正面に回って声を掛ける。
「お待たせ」
「え、ライト?」
「ごめんね。待たせちゃったね」
いつもなら笑顔を向けてくれるパールが、じっと探るような目で見てくる。遅刻したことで機嫌を損ねてしまっただろうか。
内心焦ったが、彼女がすぐさま「ううん。気にしないで」と白い歯を見せてくれたので、ホッと胸を撫で下ろした。
メニューに目を通しながら俺が悩んでいると、パールがメニューブック越しに視線を寄こした。大きな瞳が真っすぐ俺を見つめている。
「珍しいわね。ライトが悩むなんて。今日はナッツケーキにしないの?」
「たまには違うのもいいかと思ったけど、やっぱりナッツケーキかな」
「ホントに好きね、それ。あとはベルガモットティーでしょう」
揃えた指先を口元に当てくすくすと笑うパールに対して、俺は表情が硬くなった。
危うくコーヒーを注文するところだった。もっと慎重にならないといけない。
「お待たせしました」
紅茶とケーキが運ばれてきた。焼きたてのケーキの甘い香りが漂ってくる。
蜂蜜ナッツがごろりとのったケーキは辛党の俺には苦行だが、他のケーキ類よりは幾分食べやすそうだった。
パールは干し葡萄のタルトをフォークで一口サイズにし、目を閉じて味わっている。
可愛い。
きっとライトも彼女のこういうところに癒されていたのだろう。
俺はティーカップを持ち上げ、紅茶の香りを楽しんでから一口飲んだ。
「どうしたの。紅茶にお砂糖もミルクも入れないなんて」
「ああ、パールに早く会いたくて、慌てて来たから喉が渇いていてね」
そうか、ライトは甘党か。
普段は出された物を食べるだけだから好みがわからなかった。キリアが何も言わないので、てっきりライトもストレート派だと思い込んでいた。
咄嗟に誤魔化した嘘は通じたようで、パールはフォークを置いて納得したように頷く。
「そんなに焦らなくても良かったのに。ライトのことを考えていたから、あっという間だったわ」
「そう言われると照れるな」
良かった。悟られてはいないようだ。
俺は怪しまれないようシュガートングで角砂糖を掴み、紅茶に入れた。スプーンでぐるぐると混ぜる。
パールの表情が曇った気がして、スプーンを持つ手の動きを止めた。
「どうかした?」
「ライト、どこか具合でも悪いの? ケーキが全然進んでいないわ」
「ああ、実はここ一週間ほど体調を崩してね。でももう平気」
「手紙では仕事が忙しいって。言ってくれればお見舞いに行ったのに」
「だから言わなかったんだよ。パールに心配かけたくないから」
俺は問題ないと証明するように、ケーキを一口食べた。べったりとした甘さが舌の上に残る。
「ねえ、ライト。以前に言っていた湖にはいつ行く?」
「湖?」
「そうよ。シグルト湖。約束したでしょう」
「そうだったね。ごめん、ごめん。いつにしようか」
パールが急に声音を変えた。静かな声なのに、耳に突き刺さる。
「……あなた、本当にライトなの?」
唐突なパールの指摘にカップを落としそうになり、俺は慌てて指の力を込めた。紅茶が数滴零れ、テーブルを汚す。
パールは訝し気にその様子を観察している。
「えっと、どういう意味?」
「湖に行く約束なんてしていないわ」
パールの言葉に、俺は今度こそ指の力が抜けた。幸いカップはテーブルの上だったので、倒さずに済んだ。
試されたのか。
「ごめん。勘違いしていた」
「湖の約束だけじゃないわ。今日のあなたは歩き方や紅茶の飲み方も乱暴で、まるで別人のよう」
俺の歩き方が乱暴? 本物のライトの歩き方を俺は知らない。
紅茶の飲み方だって、取っ手に指は入れなかった。他に何がある?
何とか誤魔化さないといけないのに、目が泳いでしまう。
このままだと俺がライトじゃないとパールにバレてしまう。
「一カ月会えない内に、私に興味がなくなってしまった? そんな適当な返事、今まで一度もなかったのに。それとも何かあったの。」
パールの泣き声が耳に届き、咄嗟にでまかせを言った。
「落ち着いて、パール。議会が荒れて少し気が立っていたんだ。謝るよ」
「……嘘つき」
彼女は握りしめたハンカチで顔を隠している。
その手が震えている。
「私たち、もうすぐ結婚するのよ。何があっても二人でともに乗り越えようって約束したでしょう。私にも言えないの?」
潤んだ瞳が、俺に訴え掛けてくる。
何とか言い訳を……。
いや。このまま嘘を重ねても、きっと彼女は見抜いてしまう。
「記憶喪失なんだ」
俺は諦めて、パールにそう告げた。
さすがに異世界のことは話せない。ライトが死んでいる可能性があることを彼女に悟らせてはいけない。
記憶喪失が一番都合の良い言い訳だった。
パールは大きな瞳を見開き、何度か瞬きをした。
「記憶喪失って」
パールはそれきり黙り込んだ。形の良い唇を開けっぱなしにして、目を右往左往させている。
俺は沈黙を埋めるように、紅茶を喉に流し込んだ。砂糖の溶けきった生温い紅茶に眉を顰め、すぐにテーブルに戻す。
「やっぱりサンドラ様のことがショックで……」
家族やキリアと同様に、パールもサンドラと記憶喪失を結びつけた。
サンドラの事件がライトにとって大きな心理的負担になっていたのは周知の事実のようだ。
「どうしよう、私のせいだわ」
「え? どういう」
サンドラの事件とパールに何の関係があるのか。
予想外の反応に、俺の言葉が途中で切れた。
パールは周囲を見渡した。
二階席はほぼ埋まっており、話し声が響いてくる。
「三階に行きましょう。そこなら人目を気にせず話せるわ」
立ち上がったパールはスタッフに案内されるまま廊下へと進んでいく。食べかけのケーキを残して、俺も後を追った。
三階の個室は他のフロアと違い、シックな赤の内装が重厚感を漂わせている。窓を飾る厚手のベロア生地のカーテンが下側だけ開き、空間の重苦しさを外に逃がしていた。
蝶ネクタイの紳士が手際よく紅茶を注ぎ終えるのを、二人して無言で見つめる。
湯気の出る紅茶が、目の前に置かれた。紺のラインが入った白いティーカップに、赤茶色の紅茶が映える。
紳士は礼をして、音もなく部屋を出ていった。テーブルの上には銀の呼び鈴が置いてある。
紅茶には目もくれず、パールがすぐさま口を開いた。
「記憶喪失って本当なの? いつから」
「最近だよ。しばらく会えなかったのはそのせい。それより『私のせい』って」
パールは唇を噛んで、横を向いた。
雨が窓を叩いている。とっくに降り出していたことに、やっと気づいた。
「私が『もうすぐ結婚式ね』って嬉しそうに言ってしまったから」
それきり彼女は下を向いた。
俺は意味が分からず、問い返す。
「ごめん。意味が分からない」
「ライトは優しいから、サンドラ様が亡くなったのに自分だけ幸せになるのが辛くなったのよ」
「そんなまさか」
俺は苦笑した。
いくらライトが優しくても、それで記憶喪失になるほどショックを受けるとは思えない。そもそもパールがいるのに。
パールは俺の疑問を汲み取ったようで、テーブルの上で両手を握りしめながら口を開いた。
「サンドラ様が娼婦ばかり狙われる連続殺人事件の被害者だっていうのは知っているわよね」
「新聞で見たよ。運悪く娼婦に間違えられたって」
「サンドラ様は緑のチョーカーをしていたの。娼婦の間では黒のチョーカーが流行っていて、夜だったから色の見分けがつかなかったんじゃないかって」
「チョーカー?」
「ええ。……そのチョーカー、ライトが贈ったものだったの」
俺はティーカップを持ち上げたまま、手を止めた。
なるほど。自分のせいでサンドラが死んだと思ったわけか。
紅茶の苦みが口内に広がった。もう誤魔化す必要がなくなったので砂糖もミルクも入れていない。やっと喉を潤すことができた。
パールは手に焦点を合わせながら、静かなトーンで話し始めた。
「それだけじゃないわ。葬儀の後、サンドラ様からライト宛てにピアスが届いたのよ。ライトの行きつけの宝石店で買ったもので、その帰りに狙われてしまったの」
「それは……」
「サンドラ様はライトへのプレゼントを買った後、近道をしようと裏通りを歩いてしまったのね。本通りからそんなに距離もないし」
確かにそれは気に病むかもしれない。優しいライトなら、自分のせいだと思い込んでも仕方ない。
パールが涙声になる。
「私、ライトが苦しんでいることにも気づかずに、結婚後の生活や子どものこととか、理想をたくさん話してしまったの。ライトもその時は嬉しそうに聞いてくれていたんだけれど、後で罪悪感に襲われたのかもしれないわ」
「パールが気に病むことじゃないよ」
俺は慰めようと、パールの手に自身の手を重ねる。
彼女は手をさり気なく引いて俺から逃れた。複雑そうな顔で「そうね」と、目を逸らす。
触れることを拒否された俺の視線は、パールからティーカップ、それから赤いビロードのカーテンに素早く移っていった。
彼女はきっと俺をライトだと思っていない。表情に怯えの色が見える。
「俺との思い出を教えてくれないか? 聞けば何か思い出すかもしれない」
思い出すはずないのに、彼女が希望を持てる言葉を探してしまった。沈黙に耐えられなかったというのもある。
彼女も同じ気持ちだったのか、伏し目がちに話し始めた。
「ライトとの出会いは、今から二年前の舞踏会だったわ。私が男性にしつこく言い寄られていた時に、助けてくれたの。その後も色々なパーティーで顔を合わせるうちに仲良くなったのよ。『出会った時から運命の人だと知っていた』って言ってくれて、とても嬉しかった」
お伽噺のような馴れ初めに、俺は「へぇ」としか返せなかった。ライトの話をし始めた途端に、パールの口元が緩んだことも素っ気ない返事の原因だ。
カップの取っ手を意味もなく摘んで、意識を違うところに流す。
パールは相槌と理解したようで、さらに話を続ける。
「私ね。ライトに会うまで男性が苦手だったの。修道院に入ろうと思っていたくらい。でも不思議なんだけど、ライトのことは最初から嫌じゃなかった。好みが似ていたせいかしら。甘いものでしょう、オペラでしょう、その他にも彼とはとても気が合ったの」
パールは両手を合わせて、ここにはいないライトに思いを馳せている。
俺のことなどまるで目に入れていない。
パールが後れ毛を耳にかけた。金で装飾された真珠のイヤリングが光る。俺の視線に気づいたパールが、「ああ、これね」とイヤリングに手を当てた。
「これ、初デートでライトから貰ったの。着けていると必ず気づいてくれたのに、今日は何も言われないから寂しかったわ」
つまり最初からライトの振りは失敗していたわけだ。
俺はふぅと静かにため息を吐いて、背もたれに体を預けた。天井まで赤い部屋で、クリスタルのシャンデリアが主役のように輝いている。
俺はその眩しい光を目に入れながら、ライトへの道のりの遠さに心が折れそうになっていた。
「お願いがあるの」
「お願い?」
「私と一緒に教会に行って欲しいの」
他人を見る目で、パールが懇願した。肩に力が入っているのが分かる。
悪魔祓いだな、とすぐに検討がついた。母も同じことを言っていたいからだ。
つい数時間前まで心が繋がっていたのに、今では他人よりも遠い。
俺が頷くと、パールは「ありがとう」と目を逸らした。
大丈夫だ。婚約者のパールがライトと俺が別人であることに勘付いたって、教会の人間にはそんな判断はつかない。悪魔だなんて、司祭だって簡単には信じないだろう。
彼らを味方につけてパールを説得すればいい。
結局、彼女は最後まで紅茶に口をつけなかった。




