桜①
「……最悪だ。俺の輝かしい将来が、なんで」
俺は老人の周りを一周し、吐き捨てるように言った。
というか、思い出したが閣下は未婚のはずだ。俺を絆すために、ホラを吹いたのだろう。さすがは政界を渡り歩いてきた老獪というべきか。
いや、今はそんなことどうでもいい。
目の前の勇者は喋ることも、まともに動くこともできない。ただ生かされているだけの、生ける屍。おまけに、この部屋一体を黒絶石が覆っている為、術式の構築がままならない。魔法で介護するのは可能ではあるだろうが、普段の術式構築の数倍の時間と魔力が必要となるだろう。
俺は、大きくため息をつくとゆっくりと、『勇者様』へ近づいた。
最初は恐ろしく思えていたものの、死に体の老人と分かった今、何も感じるものはない。
「おい、アンタ。名前はなんていうんだ。……下半身、動かないのか?」
勇者のはこちらの声に反応した、のだろうか。ゆっくりと顔をこちらに向けた。
「☆%……18……49……」
老人の唇がピクピクと動き、不快なノイズのような音が漏れる。
「何言ってるかさっぱり理解できない。せめて共通語を喋ってくれないか?」
俺は乾いた笑い声をあげた。
嘘だろ。マジでこいつを介護するのか……?
魔法大学を主席で卒業したこの俺が、介護を?
明日になれば、何かの間違いでしたって連絡が来るはずだ。そうに決まってる。
俺はゆっくりと勇者から離れると、走ってその場を後にした。
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新聖暦:六七年 四月三日
朝一番で、本部から転送魔導を通じて「介護執行細目」、それと、大量の黒絶石が自宅へと郵送された。
羊皮紙に並ぶ無機質な文字の羅列を見て、目眩がした。
6:00 起床・清拭
7:30 流動食の経口摂取介助
9:00 排泄物処理および更衣
……以下、就寝まで続く、吐き気のするようなルーチンワーク。
そして、赤字で最下段に二点注意事項が記されていた。
➀拘束は決して解かない事。
➁介助専用室を訪れる際には、黒絶石を必ず持参する事。
————介助専用室、ね。
俺はゆっくりと、地下室の重い扉を開けた。コートのポケットに通達通り、黒絶石を携えている。
椅子に磔にされた「勇者」は、昨日と同じく、生ける屍のように濁った瞳で虚空を見つめていた。
まずは、現状を把握する必要がある。
俺は最高魔法大学で医学・生理学の特別単位も修得している。この老いぼれの肉体が、物理的にどの程度損壊しているのかを「解析」するのは、魔導師としての知的好奇心を辛うじて満たしてくれた。
俺は勇者の痩せ細った胸元に手をかざし、診断魔術を展開した。
黒絶石のノイズが邪魔をするが、俺の並列構築速度なら強引に術式を編み上げられる。
「……なんだ、これは」
視界に透過表示された勇者の体内構造を見た瞬間、俺は息を呑んだ。
医学的知識があるからこそ、理解できてしまう。
彼の体は、生きているのが不思議なほどの「廃墟」だった。
両腕はなく、片足を欠損している。
全身の骨格は、一度粉砕されたものを無理やり接合したような歪な治癒痕で埋め尽くされている。
特に背骨から下、腰椎の神経系は完全に焼き切れている。これは物理的な怪我じゃない。過剰な魔力を強引に流し込み続けたことによる、魔力回路の自壊だ。
さらに、胸部には抉り取られたような巨大な古傷の跡。肺の一部は機能しておらず、心臓も魔術的な延命措置によって辛うじて拍動を維持している。
こいつが戦ってきた相手は、俺が相対した魔物なんて生易しいものじゃない。
魔王。絶望的な暴力と、正面からぶつかり合い続けてきたのだ。
「……アンタ、これだけの傷を負って、まだ生きるつもりなのか?」
俺の問いに、勇者は応えない。
俺は黙って、彼の痩せた腕を拭いた。




