勇者介護
新聖暦:六七年 四月一日
正直、世の中ってのは反吐が出るほど単純だ。
強い奴が勝ち、弱い奴は淘汰される。ただそれだけ。
エリュシオン魔法大学の卒業実技試験会場は静まり返っていた。
闘技場を模した巨大な講堂。その広大な敷地内に無数の標的が無造作に配置されている。
「始め!」
開始の合図。俺の脳内で、術式が光の速さで組み上がっていく。
一小節、二小節、そして三小節の並列起動。無から氷が生まれ始める。
俺が指を鳴らした瞬間、完璧な幾何学模様を描いた数十もの氷槍が、全ての標的を粉砕した。
周囲の学生たちがどよめき、顔を引きつらせている。俺はそれを一瞥することもなく、試験官のもとへと向かった。
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魔王が打倒されて以降、世界は平和を謳歌しているように見える。
しかし、それは表面上の話だ。
水面下では、来るべき世界の舵取り合戦――誰が次の世界の王座をとるかという闘いが始まっている。
六十七年前、数百年もの間、世界に君臨していた魔王を、我がエリュシオン王国生まれの勇者がぶち殺した。結果、エリュシオン王国は諸外国に対して絶対的な優位に立ち、新世界の手綱を握りしめている。
我が国は魔王軍占有地の分譲は言わずもがな、そこで採取される自然資源、はたまた魔道具の所有権すら獲得した。これまで流通することなかった多くの素材を活用し、我が国は世界のイニシアチブを獲得している、そう誰しもが思っているのだろう。城下町は、祭りの浮ついた空気で満ち溢れている。
誰もが、エルフの勝利を疑わず、自分たちが中心だと信じているのだ。
俺、アルヴィスは、コートの左胸に縫い付けられた勲章に目を落とす。
魔法大学主席卒業の勲章。それは言わば成功の保証書と言っても過言ではない。
このままの勢いで任務をこなし、俺は若くして宮廷魔導師の座を手に入れるのだ。
それが優れたものの使命なのだから。
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新聖暦:六七年 四月二日
カビ臭い地下通路を、内務卿セドリック閣下が冷徹に進んでいく。室内灯すら無い煉瓦造りの構内に、セドリック閣下の持つ蝋燭が揺れる。
今日は、宮廷での初任務だ。
俺の卓越した術式構築速度と、魔術理論の全てにおいて俺は大学トップだった。
内務卿直々の礼状が交付された時、俺は自身の成功を確信し、初回任務は、最重要機密の護衛か、禁断の古代魔術の解読だと思っていた。
しかし俺は今、国家実験場の地下階段を進んでいる。
暗い噂しか聞かない、かの『掃き溜め』である。そんな場所に連れてきて、一体どうしようというのだ。
「アルヴィス。その憮然とした態度、いつまで続ける気だ」
「は。申し訳ございません」
慌てて取り繕う。
十分ほど階段を下ると、閣下は、黒々とした巨大な扉の前で止まった。
瞬間、直感した。
————この扉には近づくべきではない。
扉は黒絶石でできていた。魔力を吸収し、術式の構築を阻害する石。魔法を使う生物にとっては死因となりかねないそれを見るや、生物としての本能が危険信号を発し始めた。
そもそも、黒絶石は魔王軍領で発見された希少素材のはず。これだけの量を使用する扉の中に、一体なにがあるというのだ。
唾を飲んだ俺に、 閣下は振り返ることもなく語る。
「確か、君の故郷はブレゼだったな」
「はい。もう記憶も朧げですが」
「実は、妻との結婚式をあそこであげたんだ。海と溶け合ったような美しい街並みとうまい料理。百余年がった今でも鮮明に覚えているよ」
閣下の語気が強まる。
「だからこそ、あの日を思い出すだけで、私はいつも怒りで震える。何故、あの街が蹂躙されたのか。あの日、妻が旅行に行くのを止めていれば。そう思わない日はない!」
閣下は扉を殴りつけた。ごおんという金属音が暗闇の中へと溶けていく。俺はそれを、ただじっと聞いていた。
「........アルヴィスよ。君の才能は素晴らしい。しかし、私が君に礼状を送ったのはその才能のためではない」
「........一体何故ですか」
振り返る閣下は年齢よりもひどく年老いているように見えた。
「君は心に『炎』を宿している。大切なものを失った悲しみ。怒り。全てが混じった黒色の炎だ。その炎が消えぬ限り、君はどんな困難も乗り越え、望んだものを掴むことができる。ちょうど、若い頃の私のようにね」
閣下はゆっくりと扉を押し開いた。
「これから君が目にするのは、国家の存亡に関わる超重要機密案件だ。他言は愚か、勤務時間外に思考することすら禁ずる。勿論、家族に知らせる事などもっての他だ」
私は無言で頷いた。そもそも、私に家族はいない。ブレゼの崩壊と共に皆死に絶えた。
部屋は漆黒だった。月明かりが遥か高くの天井から漏れて入るものの、それら全てを飲み込むように黒絶石が壁面を、床を覆い尽くしている。
しかし、それよりも濃い、全てを飲むような黒が部屋の中央に蠢いている。
驚愕も束の間、閣下は部屋をゆっくりと進む。
慌てて俺も追うが、全身に汗が滲んできた。俺は、故郷が焼かれた時と同等の恐怖を、眼前の漆黒から感じ取っていた。
時間の概念が崩れそうになってきた頃。ようやく閣下は立ち止まった。
目の前の光景に、俺は素っ頓狂な声をあげた。
「え.......?」
魔法を遮断するその部屋の中央、古びた椅子に一人の老人が磔にされていた。
それは、ほとんど死体だった。ボロ雑巾みたいな老人。伸び散らかした髪は爛れ、肌は土気色。生物的なに腐臭を漂わせたそれには、右腕と、両脚が欠損している。
ただ、本能が告げていた。この死に体の老人こそが、先ほどから感じている危険信号の正体であると。
「か、閣下。この、このエルフは一体何者ですか」
「勇者だよ」
閣下の言葉に、俺の思考が停止した。勇者? あの伝説の英雄が、この老いぼれ?
それはおかしい。勇者は六十七年前に魔王を討伐した。
そんな短い年月で、若いエルフの勇者が歳をとることなどあり得ない。
魔王の呪詛? それとも、元々年老いていたのか?
いやそれは違う。この老人からは何の呪詛も感じないし、そもそも老体になるにつれて魔術出力は弱まる。とても魔王の討伐などできるはずがない。
「……よく見てみるといい。コレは耳が短い。それに我々よりも汚らしく、醜い顔立ちだろう。コレは、古文書の隅に載ってた出来損ない――『ニンゲン』という種族だ」
俺の指摘に、閣下は淡々と応えた。
「ニンゲン......」
「そうだ。体の構成こそ我らに近いが、何よりも短命。肉体は貧弱であり、他種族に勝る部分は何一つない。だが、この個体だけは例外だった。独自の魔術体系をたった数年で確立し、構築速度。威力。全てが我々が築き上げてきたモノを隔絶していた。でもまあ、最終的には生物としての差が出たようだが」
閣下の語りを俺は、何も理解できずにいた。
世界を救った英雄が、我々エルフではなく、ニンゲン......? それはつまり、政府は彼をエルフの勇者に仕立て上げ、最強の抑止力として利用しているということを意味する。
その驚愕の事実に俺は半狂乱になりかけるが、ゆっくりと口をひらいた。
「……それで、私に何をしろというのですか。この、勇者に何をしろと?」
「介護だ。この英雄様を安らかに眠らせてやれ。それが君の任務だ」
「はぁ!?」
思わず声が裏返った。
「冗談じゃない! 俺は宮廷魔導師になる男ですよ? なんでこんなゴミの尻を拭かなきゃならないんですか。拒否します。他の誰かにやらせればいいだろ!」
「いや、コレは君にしかできない仕事なのだよ、アルヴィス君。私の全てをかけて約束しよう。無事全てをやり遂げた暁には、君は世界の英雄として語り継がれることとなる。というわけで、よろしく頼むよ」
閣下は俺の抗議を完全に無視し、背を向けて去っていった。
漆黒の中に、俺と、磔の老人だけが残されていた。




