第1話 医療崩壊
昼食を食べ終わる頃、グループ内の検体が到着した。
100件分? 予定では300件くらいの筈では?
検体を持って来た看護師さんが、かなり疲れた顔で言った
「実は、職員が多数感染して自宅待機になっちゃったんです」
……!
これこそ、私達が恐れていた最悪の事態だ。
PCR検査の前に行う『抗原検査』で職員の感染が判明した場合、院内感染を防ぐため自宅療養させるか、症状がある場合は入院措置をとる。
必然的に人員が減るから、当然、看護が疎になってしまうのだ。
事実、今回、職員の感染が判明したグループ内施設はご入居者様が居るので、職員数を減らすわけにはいかない。 そのため、他のグループ内施設からの出向や潜在看護師(看護師免許を所持しているが、看護職を退いている看護師)を雇って、何とか継続するしかない。
その為、いくつかのクリニックを休診にして対応したそうだ。
患者さんにとっては、本来、受けられる筈の医療サービスを受けられない事態に陥った事になる。
俗に言う『医療崩壊』の状態である。
今回送られて来た検体は、その『ヘルプ』の看護師さんや他の医療従事者から採取した物だった。
サターンウイルスの恐怖が本格的に押し寄せて来たんだ。
今回送られてきた検体は『抗原検査』を行っていないとの事で『プール法』を使わず、全数PCR検査を施行した。
最終的には……105名中、陽性35名!
陽性率……33%!
実に、3人に1人は陽性という事になる。
検査を実施して陽性が出る度、大東風部長に報告するのだが、4クール……つまり4回、陽性者の結果報告をする都度、部長の声に張りが無くなっていくのが判る。
当たり前だ。
陽性者は勤務させられない為、また別の方を探す必要が生じるんだ。 仕方無い事なのだが、報告するのも申し訳ない気分になる。
さて、検査や報告が立て込んでいて気付かなかったが、ふと時計を見ると、間もなく深夜0時……
陽向さん……まだ戻って来ないよ……。
と思った矢先『コン……コン……コン』と力無いノックの音が聞こえた。
ドアを開けると!
陽向さんだ~~~! お帰りなさい!
「遥さん……まだ帰れなかったんだね……。 お疲れ……」
そう言う陽向さんの方が疲労の色が濃い。
それもその筈、200名分の問診補助と検体採取を一人でやり切り、しかも、その後2時間以上かけて、やっと戻って来たんだ。 これで疲れていなければ、最早人では無い。
「……遥さん……ごめん……ちょっと……寝かせて……」と、陽向さんは検査室の椅子に座ろうとした。
「ひ、陽向さん! こんな所で寝たら風邪ひきますよ! せめて休憩室で!」
検査室は精密機械が多く、湿度が高いと故障する恐れがある。 その為、一年中、冷房をつけっぱなしにしている。 普通にしていれば問題無いが、寝るには寒い。
私は陽向さんを支え、休憩室の簡易ソファーにお連れした。
「……ありがとう……先方様には……『結果は明日以降』って伝えたから……遥さんは……帰って休ん……で……」
やっと戻れて安心したからか、陽向さんはすぐに寝息を立てた。
検査室に戻ると、私も張り詰めていた緊張の糸が緩み……その途端、唐突に涙が溢れ出た。
今回のパンデミックで、全世界の人々……文字通り、数え切れない人々が悲しみ、苦しみ、死者まで出ている。
陽向さんが、こんな大変な思いをして検体を運んでくれても、私が何百人検査をしても、サターン禍の大勢に変化が起きるとは到底思えない。
私たちがどんなに足掻いても、ウイルスが消える事は無い。
それなのに……私たちは、なんでこんな事続けてるんだろう……。
無力感が私の全身を包み込んだ。
ドッと疲れが出て、無性に眠くなった。
陽向さんが運んで来て下さった検体を保冷庫に入れ、帰ろうとした時、陽向さんが検体と一緒に持ち帰ってくれた検体リストが目に入った。
……リストには、氏名、生年月日をはじめ、ワクチン接種の有無などが印刷されていたが、リストの空欄に、体温やご本人の訴え、気になる症状、感染者との接触の有無等々……200名以上分の情報が、所狭しと事細かく記載してあった!
陽向さんが、全員に聴収して記録してくれた貴重な情報だ。
陽向さんだけでは無い。 医療に携わる方々は、須く、こうやって患者さんを看てドクターに報告し、チーム一丸となってウイルスと戦っているんだ。 いつの日か必ず訪れる『勝利の日』を信じて……全力で!
このリストを見て、私は自分が恥ずかしくなり『私はなんて愚かなんだ! 何様のつもり!?』と、自分で自分を詰った。
何が『全世界の人々が苦しんでいる』だ! 国だって世界だって『個』が無くては存在出来ない!
世界なんかに目を向けて『自分は無力だ』なんて、思い上がりも甚だしい! そんな暇があるなら『個』の、一つしかない大切な命をを護る為に、精一杯足掻きに足掻け!
そう、自分に命じた。
私は、リネン室からタオルケットを借り、気持ち良さそうにイビキをかいている陽向さんにそっとかけた。
そして、陽向さんを起こさない程度の小声で「本当に、お疲れ様でした。 感謝致します」と呟いて、最敬礼してから部屋を出た。
病院の前では、なんと! 兄貴が自動車で迎えに来てくれていた!
え? なんで?
「『俺、明日休みだ』って言ったら、お父さんに『迎えに行ってくれ』って頼まれたんだ」
陽向さんにも感謝だが、家族にも感謝だ! 本当に有難い。
「晩飯食った?」
あ~、そう言えば食べてない~!
「俺も小腹が減ったから、付き合うよ。 この時間でやってんのは『ラーメンゴロウ』かな」
ええ〜! あの『こってりドロドロ系』の代名詞の〜!?
「お兄ちゃん! ゴロウは『小腹』ってレベルじゃ無いでしょ!?」
「じゃあ、やめる?」
「いや、行く」
空腹には勝てない。
兄貴も私も、大盛り全マシを食べた。
真夜中に食べるラーメンは背徳感も相まって途轍もない美味しさだった。
……翌日
私は爽快に目覚めたが、言い出しっぺの兄貴は胸やけが残ったと言う。
同じ物食べたのに、不思議だな〜(笑)




