第10話 家族
うわあ
うちらの上司ってヤバい人なのでは!?
確かに、かれこれ2か月くらい経つのに、一度の挨拶も無いとは。
『謎の組織のボス』じゃあるまいし。
「……なんか……すごい不安になってきたんですが」
陽向さんはそこで、伝家の宝刀『ガッツポーズ』をしながら「大丈夫! 俺がいるから!」と言って笑った。
ええ~!? じゃあ、陽向さんがいなかったら、本当にヤバいってことぉ~!?
「はははっ 冗談冗談! 芯はしっかりした人だし、やり手だし……特に求心力はズバ抜けた人だよ。 そうでなきゃ、天下の『町野グループ』が、新規事業を任せないよ!」
で す よ ね ぇ ~ !
そんな呑気な話をしているうちに、目的地に到着した。
空気が綺麗で、近くには建物も少ない。
PPEや検査器具を入れたコンテナをワゴン車から下していると、と、スキンヘッドの初老男性が
「お世話になります。 施設長の遠川です」 ……目の下にはクマができている。
『クラスター』が発生してしまうと、当然、ご入居者様のご家族にも連絡しなくてはならないし、責任問題も発生するだろう。 お疲れなのは当然だ。
「こちらは臨床検査技師の遥、私は看護師の陽向と申します」
陽向さんが頭を下げつつ、遠川さんにお名刺を渡した。 私も同様に恐縮しつつ手渡した。
***
余談だが、私が名刺をお渡ししたのは、今回が初めてだ。 ……私はぺーぺーだし、町野中央病院の検査室でお名刺を持っているのは五木技師長だけだった。 一人前になれたように思えて、ちょっぴり嬉しかった。
***
陽向さんが「早速準備したいのですが『ゾーニング』は?」と遠川さんに聴いた。
『ゾーニング』とは、文字通り『区域分け』をする事だ。
当然だが、感染症のクラスターが発生した施設に入って、検者(検査担当者)である私たちが感染してしまったら身も蓋も無い。 安全に着替えや準備をする必要がある。
その為、建物内を『グリーンゾーン』『イエローゾーン』『レッドゾーン』の3つの区域に分け、それぞれに合った体制をとるのだ。
『グリーンゾーン』は『通常業務区域』で、ここはサターンウィルスが存在しない事が大前提となる。 マスクの着用や換気の必要はあるが、職員にとっては『オアシス』と言える区域だ。 お食事も出来る♡ ←食いしんぼ
『イエローゾーン』はPPE(防護服)を着脱する為の『準危険区域』で、サターンウイルスが存在するとの前提で、安全を確保する必要がある場所だ。 …
この区域から『グリーンゾーン』に移動する際には、PPE脱衣と、消毒が必要となる。
※最近では、後述する『レッドゾーン』から出る際に、完全にウイルスを持ち出す危険が無い場合に限り、『イエローゾーン』を設定しない場合が増えています。
『レッドゾーン』! 感染の危険が最も高い区域で、立ち入る際にはPPEを正しく着用し、感染者から検体を採取する場合や、看護師さんやヘルパーさんが直接感染者に接触する場合は『N95マスク』と『アイプロテクト』を装着する必要がある。
遠川さんが言った
「はい。 私たちが居る『管理棟』は安全と思われますが、現時点では不確定です」
「承知しました。 では、私たちは、駐車場で準備します」
手早くコンテナからPPEを取り出し、陽向さんと互いに指差し確認しながら『感染対策マニュアル』通りに着用し、検体採取セット一式を使い捨てバッグに入れた。
……!
この時突然、家族の顔が脳裏に浮かんだ。
鼻歌を歌いながらキッチンで楽しそうにお料理をするお母さん……。
「みんな〜! おみやげだぞ~」と、笑顔で大きなお菓子の包みを抱えて帰って来るお父さん……。
私が残した『たまごサンド』の耳にマヨネーズをたっぷりかけ、それはそれは美味しそうに食べる兄貴。
(思うと、全て食べ物に関する回想だった ←食いしんぼ)
もし、私がサターンウィルスに感染して、皆にうつしてしまったら、どうしよう?
私は急に怖くなり、動きが止まってしまった…。
そんな私に気付いた陽向さんが、理由を訊ねてくれた。
「ここだけの話にして欲しいんですが」と、不安な気持ちを打ち明けると、陽向さんは、いつもより力強く、こぶしを私が寄り目になる程の至近距離で突き立ててくれた。 その手はマニュアル通り、手袋を二重に装着してる。
「だ~いじょぶ! 幼い子供が4人、妊婦が1人、家で帰りを待ってくれてる俺も一緒に行くんだから!」
「それなら尚更です! 怖くないんですか?」
「怖く無い!」
アイプロテクトの奥の陽向さんの目は、いつもと違って、笑顔では無かった。
そして私の目を見て、低い声で言った。
「……って言えば、正直、嘘になる。 でも本当に怖いのは『怖さ』を失くした時だ」
……!
「人は『怖さ』を持ち続けている限り、危険に敏感で、慎重に行動する事が出来る。 だから『怖い』と正直に言えた遥さんも、俺も『大丈夫』だ! さぁ! ご一緒に!」
アイプロテクトの為に拭けない、熱い涙を頬に感じながら手を握りしめて
「グッ!」と、陽向さんと声を合わせた!
それはまるで、試合前の円陣のように、私に勇気を与えてくれた!




