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第1話『サターンウィルス』

はるかさん、ちょっと……」


 検査室のドアを開けて、事務長が私に声をかけた。


 私は、事務長から直々に声をかけられた事など無いので、無言で自分を指差してキョトンとしていたが「遥さんは貴女あなただけでしょ! ちょっと一緒に来て」と、強引に拉致られた。


 振り返ると、深田先輩とみやこ先輩の心配そうな表情が目に入った。 


 私、何か問題起こしたっけ?


 確かに『姉御』にまで登り詰めた女ではあるが、それはバイト時代の偶然の産物で、私の実力では無い。 とは言え、この理不尽なご時世、遂に私も『出入でいり』に参加しなくてはならないのか……とか、突拍子の無い事を考えていたら、事務長室に到着してしまった。


 中では、院長と技師長、更に知らない壮年男性がいた。


 壮年男性が立ち上がり

「遥さん、初めまして。 わたしは『東戸市中央クリニック』の穂上ほがみです」

 と言って名刺をくれた。


 東戸市中央クリニックは、私が勤めている町野中央病院の系列病院で、隣の県にあるクリニックだ。

 

 穂上さんは、そこの人事課長らしい。


 院長が「実は『サターンウィルス感染症』パンデミックに対処する為に、急遽中央クリニックに『PCR検査センター』を立ち上げる事になったのだが……」と切り出した。


『サターンウィルス感染症』


 本来は通常の風邪程度の感染力と病原性を持つウィルスだった『サターン』なのだが、変異株(ミュータント)に世代交代してから、急激に強力で悪質な変貌を遂げ、現在、世界中で猛威を振っている感染症だ。


 サターンウィルスを検査する方法は、簡易的な抗原キット、簡易的な抗体キット、そしてPCR検査……があるが、抗体検査は感染後の抗体の有無をスクリーニングする為の物で、現在、感染しているかどうかを判断するには向かない為、専ら抗原検査かPCR検査が行われている。


 で? それが私に何の関係が?


「遥さんは、パソコンや最新機器が得意らしいね?」


 いやいや、得意って程じゃありません!


 と言ったものの、実は私は、漫画を描くためにパソコンやスマホに給料の殆んどを費やしていたんだが、いつの間にか操作が得意になっていた。


 事務の人に色々と説明したり、お教えしたりしていたのは、事務長にバレバレだったんだ。


 穂上さんが「今、当クリニックには臨床検査技師が居なくて、即戦力として機械に強くて体力がある若い技師さんに協力して頂きたいのです!」と言った。


 仏頂面の五木いつき技師長が


「先程も言いましたが、遥が抜けるのは大きな痛手です。 新しい検査技師が入ったら、遥を戻して頂けますよね?」と言ってくれた。


「それは間違い無く! 引き継ぎはお願いしますが、必ずお返し致します」と、穂上さんが技師長と私に頭を下げてくれた。


 院長が「五木君がここまで言ってくれる職員を一時的とは言え手放すのは甚だ遺憾ではあるが、東クリの、新しい検査センターを動かさない訳にはいかない。 後は遥さんの気持ち次第だが、どうだね?」


 ここまで言われて断れる職員がいます?


 私は、一言だけ院長に聴いた。


「これは、命令ですか? 命令なら従います」


 院長は

「正式な辞令を出す。 命令と思ってくれて良い」と言った。



 こうして私は、期限付で『東戸市中央クリニックPCRセンター』に出向する事になった。

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