第6話 退職願
美緒とのオンライン飲み会の後、白い便箋に『私儀、一身上の都合をもって……』と、古式に則った文面を綴り、封筒に『退職願』と書き込んで封をした。
センチメンタルな気分になるかと思いきや、心は凪いでいた。
この退職は『自分のため』ではなく『世のため人のため』だからだ。
却って清々しい気分だった。
翌日、白衣のポケットに退職願を忍ばせ、陽向さんに退職を切り出すタイミングを計りながらPCR検査センターで書類整理をしていると、その陽向さんがさんが怒りの声をあげた。
『なんだこれ! 腹 立 つ 〜 !』
うわっ! びっくりした!
「ど! どうしました!?」
「……いや、ニュースアプリでサターン関係の通知が来てたから観たら……」
墨台さんが画面を観せてくれた。
その画面には……
……!
『サターンを望む人たち』と言う文字が!
私の深層を見透かされた気がして、一瞬心臓が停まった。
記事を読むと、サターンウィルスに感染して休職した人が、療養期間を過ぎても続けて休めるよう、保健所の担当者に体調不良を訴え、休職延長を求める事例が少なくない、との事だった。
確かにサターンウィルス感染症は予後が悪く、療養期間が延長されるのは珍しく無い。
寧ろ延長しなくては、急激に重症化する危険が多い恐ろしい病気だ。
しかし詳しく調査した結果、自宅待機期間にもかかわらず外出してショッピングしたり飲食して楽しく過ごし、療養期間終了一日前に症状悪化を報告する人がいたと言う。 それも相当数……。
「感染が確定した人はそれなりに経過をトレース可能だが、感染が不明な人は、場合によっては急性転化して治療を受ける前に手遅れになる事は充分にあり得る! 保菌者が歩き回って不特定多数の人と接触するのは本当に危険なんだ!」
陽向さんは悔し涙を拭いながらスマホに向かってやり場のない怒りを口にした。
陽向さん!
なんて美しい涙なんだろう。
そして、その男泣きの、神々しき姿!
この人こそ『医療従事者の良心』そのものだ。
私の目からも涙が零れ落ち、それはマスクに吸収されて蒸泄し、頬に冷たい感覚を残した。
私は今日まで、この人の近くでお仕事をさせていただけた事を、心から感謝した。 そして、あの事を告げるのは、今しかない……と思った。
悪魔の考えを持ってしまった私が、この人に懺悔し、全ての罪を禊いで、せめてキレイな『臨床検査技師』の姿のまま、お別れしたかった。




