第1話 『黙食』
休職が決まった翌日、父が週休だったので、自動車で心療内科のクリニックに連れて行って貰った。
私は病院に勤めているが、自分が受診するのは初めてだ。
付き添ってくれた母が、紹介状を持って受付に行ってくれたのだが、予約が一杯で新患の予約は数週間先になってしまう……との事だった。
いくつかのクリニックを回っても、やはり新患の即日診療は無理なようだった。
……今の時代、想像以上にメンタルを病んでいる方が多い事を知った。
それに加え、このサターン禍真っ只中では、確かに診察は難しい。
この日は諦め、精神科の受診は、改めて電話で予約する事にして、3人で近くの和食レストランに入った。
この3人で外食するのは久しぶり……と言うか、兄貴抜きで3人で食事するのは初めてかも知れない。
手を消毒して席に着く。
『黙食』が推奨されているため、食器の音だけが響いていた。
何もかもがサターンウィルスによって変えられてしまったのを実感した。
店員さんが無言で食事を運んで来てくれた。
食べ始めてすぐに、普段は煩い事を言わない父が食事の手を止め、マスクをしながら言った。
「真優は、就職してから食べるのが早くなった。 慌てる必要は無いから、ゆっくり食べなさい」
「そうね。 いつもお箸の音を立てて掻き込むみたいに食べてるから気になってたのよ……」と、母もマスクをして言った。
気にしていなかったが、言われて初めて気がついた。
『一分でも早く検査室に戻らなくては』という気持ちが強く、ご飯を掻き込み、汁物で流し込むのが日常になっていて、それが癖になってしまったんだ。
私は苦笑いをして、お箸でひと口分のご飯を摘んで口に含み、良く噛んで食べた。
咀嚼により細分化された、お米の澱粉質を、唾液中のアミラーゼが分解してグルコースに変化させ、甘みを感じる……。
はっ!
私、理数系は、超苦手だったのに、いつの間にか思考も生活習慣も、全てが仕事に乗っ取られていた!
仕事とプライベートを上手に切り替えられない自分に気付いた瞬間だった。
そう言えば、陽向さんが言っていたことを思い出した。
「俺は、家に帰る前に、必ず車内で数十分間、一切の音を消して、自分をリセットするのをルーティーンにしてる」
あの時、それを参考に、私も何か『切り替えルーティーン』を見付けておけばこんな事にはならなかったかもな。
「おいおい、それはゆっくり過ぎだ」
と、父が言って笑った。
色々考えていたら、手が止まっていた。
定食を食べ終えた頃、父が「俺、この『黒蜜きなこパンナコッタ』ってのを頼んで良い?」と言った。
「ま〜、随分可愛らしいのを食べるのね〜」と言って笑いながら、母は『抹茶ぜんざい』をリクエストした。
私は、久しぶりに良く噛んで食べたらお腹いっぱいで、これ以上食べられなかった。
残念!




