第5話 緊張の糸
その翌日、母にスマホを返してもらい、産業医『苑原』先生のオンライン面談を受けた。
苑原先生は、壮年の優しそうな女医さんだった。
先ずは、私の勤務表を見て「これ、かなりお辛かったですね」と労ってくれた。
「遥さん、私は一度休職して専門医の診断をお受け頂く事を強く勧めます」
…… 休 職 ! ?
「期間はどのくらいでしょう?」
「早くて1ヶ月……最大で2年です」
このサターン蔓延の中、要となる検査センター勤務の私が休職なんてしていられない!
「部長が一週間休みを下さったのですが、それでは?」と遠慮がちに聞いたが……
「一週間では、全く足りないです」と、きっぱりと言われてしまった。
「私たち産業医には『勧告権』というものがあります。 現状を総合的に考えて、このまま勤務を継続させるのは病院にとっても不利益になると判断します」
『病院にとっても不利益』
この言葉は非常に重い!
私は何も言えずうつむいた。
「ちょっと見て下さい」と言って、先生は便箋を一枚取り出し、そのまま『グシャグシャッ』っと音を立てて丸め、摘まんでカメラに向けた。
「これを遥さんの今の『精神状態』だと思って下さい」
私は無言で頷いた。
先生は、それを広げ直して、もう一度私に見せた。 いくら伸ばしても皺クシャのままだ。
「このように、一度傷ついた精神は元の綺麗な便箋に戻る事はありません。 それどころか……」
その便箋を、もう一度丸めると、音もせずに丸まった。
「人間の精神は、この紙よりも脆いんです。 拡げる事も出来ず、破れてしまう場合も少なくない。 今は、時間をかけて疲れを癒し、可能な限り正常に近付ける……遥さんには、それが必要です」
私は、PCR検査センターに出向になってからの事を思い返していた。
必要書類の締め切りギリギリでの作成に始まり……
当初の、孤立無援の日々
レッドゾーンでの検体採取
サターンウイルスの蔓延と大量に届く検体
残業に次ぐ残業
代わる代わる来て下さるお手伝いの方々への業務説明……等々……
今思い返しても、背筋が寒くなる事が度々あった。
……そうか
私、いつの間にか……心が悲鳴を上げてたのか……。
「遥さんの真面目過ぎる勤務態度は、人事考課で充分に判ります。
だからこそ、今は休んで下さい。
早期の治療が、遥さんの将来を左右する場合もありますからね。
……今から診断書と紹介状を作成します。
PDFで大東風さんに送っておくので、後から郵便で受け取ってください。
後、今、お母様かお父様はいらっしゃいます?」
「はい……母がおります。 呼びましょうか?」
「お願いします。 大丈夫ですよ! ご家族に心配は要らない……とお伝えするだけですから」
と、お優しさがにじみ出ている笑顔でおっしゃった。
私は苑原先生に心からのお礼を言った後、母を呼び、話をして貰った。
何故か眠くて仕方ない……。
緊張の糸が切れたんだろうか?
私はまた、ベッドに潜り込んで眠ってしまった。




