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物語る日記帳  作者: 采火
本編
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41/63

番傘の空8

 むせるような煙たい香が漂う部屋は、どこから一体何が出てくるのか分からないほど怪しい空間だった。進む白世の後ろを黒いのが軽い足乗りで着いていく。隠れる気など全くない堂々とした態度に私は感服した。一応敵陣地だぞ?

 部屋の最奥だろうか。豪華な紋様の入っている襖の前でぴたりと白世は止まった。黒いのも間隔をあけて立ち止まる。

 白世は躊躇うように声を震わした。


「……やはり僕は人形でしかないようです。この先に何があろうときっと心が揺るがないのだから」


 黒いのはただ冷めた目で白世を見ていた。

 私は白世の言葉の意味が分からない。一体何を言いたいのか、さっぱり汲み取れない。

 この先にはきっと縷々空がいるのだろう。それなら何故、白世は今更開けるのを躊躇う必要があるのか。

 そう、白世は躊躇っていた。襖を開けるのを。口では皮肉っているのに、なかなか開けようとしない。本人はそれに気づいていないのだろうか。


『つべこべ言わず開けい』


 黒いのが痺れを切らしたように大股で襖へと近づき、思いっきり開けた。

 かたん、と音を鳴らした襖の先にはさらに濃い香が焚かれていた。しかもその中心で縷々空が立っていた。


『帰るぞ。お前の居場所は此処ではないだろう』


 黒いのが私を縷々空に向けて投げた。

 縷々空は投げられた私を受け止める。

 黒いのは一歩、踏み出した。カーン……、と金の棒を打ち鳴らす。シャンシャンと金の輪っかが擦れてなる度に煙たい香が風に運ばれて行き、澄んだ空気へと変わる。

 そこで気づいた。

 縷々空の纏う気配がまるで違うことに。

 あの寂しさが滲んでいた気配ではなく、あの儚さが溢れていた気配ではなく、あの可憐さがこぼれていた気配ではなく。

 ───全く別の空っぽな気配。


「縷々空?」


 呼びかけても返事をしない。私を手にしたまま、ぼーっと立ち続けるだけだ。


「おい縷々空! 聞こえているのか」


 縷々空はぴくりとも動かない。どうしてだ!


『───我コソ、耶赦ナリ』


 地の底から響く朧気な声がさらに奥まった簾の向こうから響き、姿を表す。

 その姿は白い髪、白い肌、白い尾。白世とほぼ瓜二つなのに、もっともっと冷酷な残忍な最凶な気配に、私は射竦んでしまう。


『神代ノ烏……帰れヌ烏……哀れナリ……』

『……聞き覚えのある名前だと思うたら、お前だったのか耶赦。異国へ追放され高天原より名を消された忘却の神狐。これはどういう事なのか。私の契約者と知ってその者を捕らえたのなら、容赦はせぬぞ』


 黒いのが錫杖を一際高く打ち鳴らした。


『目を覚ませ! 食われても良いのか!』

『遅い、遅い……! 食らうタ、食らうタ。甘し甘し、この娘ハ我ノ物ナリ』


 けたけたと嘲笑う耶赦。不気味なその気配に私は目を背けたくなる。だができない。背けてしまったら、縷々空はどうなるのだ?

 縷々空を守るのはきっと黒いのだけだ。白世はどちらかというと敵のように見える。私は、この姿だから何もできない。

 せめて、もう一度。もう一度だけでも、この足で立って歩けたなら……。


「縷々空、どうしてしまったのだ。起きてくれ、私を見てくれ……」


 ぐすぐすと心がざわつく。

 どうにかして、縷々空を正気に戻す方法は無いのだろうか……。

 そう思いながらも何もできないでいると、私と縷々空を挟んで、黒いのと耶赦の妖力が爆発的に膨れ上がっていっていく。怖い、やめてくれ、助けてくれ───


『──《«巻いた風は竜の如し»》』

『──[«砕し成せ¦覇狐(はこ)»]』


 二人が同時に妖力を圧縮した瞬間、私はもう駄目だと目を瞑った。耶赦はともかく、黒いのまで間の縷々空を無視して攻撃を仕掛けるというのか。

 お前は一体味方なのか敵なのかどちらなんだ。

 その言葉を飲み込んで身を強ばらせていると、もう一人味方なのか敵なのか分からない奴が縷々空ごと私を抱きしめて、跳んだ。

 ───白世だ。


「お目覚めください、縷々空──」


 そう言って、白世が縷々空の唇に唇を重ねた。

 おおぅ、接吻。これぞ接吻。接吻している者同士の真ん中に挟まれている私は目線が外せないじゃないか。ていうか白世、そんな事をしている場合じゃないだろう。

 私は二人の体温を感じ、白世の長く熱のこもった接吻を見続けさせられてる。こっちの身にもなってみろ。しかも空中だし。

 白世は黒いのと耶赦の妖力の及ばない安全な場所へ着地すると同時に、縷々空から唇を離した。かくん、と縷々空の膝から力が抜けて崩れ落ちる。


「縷々空!」

「大丈夫ですよ。主様に根こそぎ霊力を奪われていたのを、僕の妖力で補ったんです。馴染むまで少し辛いでしょうが、生きる屍になるよりはマシでしょう」


 小声で私にだけ聞こえるように白世は言う。言ってる側から縷々空が苦しそうに呻き出す。胸をぎゅっと掴み、背中を丸め、肩を震わせる。


「妖力は魂にまで定着してしまうから、これは縷々空の業となってしまいますが……。僕はそれでいいと思います。いつかまた彼女と会えるかもしれませんからね」

「白世、お前はもしかして、」

「言わないでください、花笹。僕は主様の眷族である限り、縷々空にとって害でしかありませんから。でももし、もしもですが───」


 白世はその先を言わなかった。白世が何を言おうとしたかは分からないが、きっと白世は何かの条件があったら耶赦を裏切る決心でも着くのだろうか。そう匂わせるような台詞の切り方だった。

 縷々空が身じろぎ、のろのろと腕を着いて起きあがった。それを区切りに、黒いのも耶赦も妖力のぶつけ合いをやめる。

 白世も切なさ、悲しさ、寂しさ、全てをその心の内へと押し隠し、冷めた目で縷々空を見る。


「ああ、起きてしまったのですね。僕の妖力を直接流し込みましたから、耐えらないと思ったのですが」


 先の言葉とは全くの正反対の言葉が部屋に響いて、私ははっとする。

 白世、やはりお前は───


「これは失敗しましたね。僕の妖力が貴女に取り込まれてしまいましたから封印の術でも使われると厄介です。まあ、烏之瑪が弱っている縷々空の助けとなれるかにもよりますが、ね……」

『ぬかせっ!』


 黒いのが吠え、耶赦から距離を取る。跳びずさり、ついでとばかりに金の棒を振るい風を生み出すと白世に当てた。白世は身を任せて縷々空から離される。


「……なら、こうつごうじゃない……。うのめ、ぜったいにとけないようなふういんを、かましてあげましょう。にっきはある?」

『ああ』


 白世と入れ替わりに黒いのが縷々空の元へやってくる。そして一冊の藍色の冊子を差し出した。


「やしゃをふういんするにはどうすればいい?」

『あれは元神狐。今は妖狐と成り果てているから、霊力で封じることができる。お前の持つ霊力を考えると、封じることが限界だろう。霊力を使い果たせば消滅させることもできるが、お前が死んでしまうからな。だが私が神力を使うには霊力が足りぬ。お前の力量次第だ』


 黒いのはそう言って金色の棒を構える。縷々空の細いうなじにその先端をつけた。

 周囲に漏れ出ていた妖気が、人間の洗練された霊気へと変わっていく。水を入れる容器を移し換えるように、どんどん縷々空の中の霊力が膨れ上がっていく。

 ぱたぱたと髪がはらみ、着物の袖が舞い上がる。それだけでなく、縷々空の髪が長くなり身長が少し伸び、身体つきが丸みを帯びてくる。──縷々空が成長していた。

 しかし、それら一連の動作を耶赦が静かに見守るはずがなかった。


『その霊力ヲ寄越せ……![«砕し成せ¦覇狐»]』


 ゆらゆらと燃え上がる蒼白い狐火がこちらへ向かう。さらに白世が人差し指を唇にあてがい、世界の構築をしようとする。

 だが、


「残~念~賞~。こちらの方が早かったわね」


 完全復活を成し遂げた縷々空の元、黒いのは金色の棒を横に凪ぐと耶赦の攻撃が成立する前に打ち消し、さらに白世を吹き飛ばそうとして術の構築を差し止めた。

 成長した縷々空が藍色の本を片手に、もう片方の手で私を耶赦の方へ突きつけ……っておい。突きつけるな馬鹿。


「よくもこのあたしに散々な事をしてくれたわね、耶赦。あたしの結婚相手に化けてこの屋敷に数年も閉じこめたのは尊敬に値するわ。でも、それも今日で終わりよ……!」


 縷々空から仄白い気配が浮かび上がる。霊力が目視できるほどにまで高まっているのだ。

 最後、ちらりと縷々空は白世を見て、目を閉じる。呟いた言葉はきっと私にだけしか聞こえなかっただろう。

 ありったけの寂しさがこもった呟きは白世へと伝わることなく、放たれた。









 さようなら。









 縷々空の霊力が方向性を持った。

 術の成立だ。

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