番傘の空7
白世は、唇に柔らかく人差し指を立てた。
「[«織り成せ¦秘狐界»]」
白世がそう言った瞬間、世界がぐにゃりと曲がっておどろおどろしいものへと変貌する。
庭に生えていた趣ある木々は、だらりと枝が垂れて葉は全て落ち、ささやかに生きていた緑の草花も茶色に染まって生きる力が萎えている。畳もぼろぼろのものとなり、障子は穴が開いて、張られていた紙が溶かされたように申し訳なくたなびく。
空は赫く染まり、辺りは一気に薄暗くなる。
相手の顔がよく見えなくなる中、ぼんやりと白すぎる白世の姿だけが浮かび上がった。
「さあ縷々空。こちらにいらっしゃい。僕らと一緒に行きましょう。主様がお待ちかねです」
「いや、といったら?」
縷々空が挑戦的な目で一睨みすると、白世は困ったように笑った。
「困ったお人です」
ぱちん、と指をならす白世。音が弾けると空間が歪んだ。
目眩を起こしたように気持ち悪くなって立ってはいられない。目を固く閉じて、景色を見ないようにする。
もういいだろうかと薄く目を開けると、縷々空の周囲の空間が捻りに捻れた後に彼女の姿は無かった。
「……この世界では僕が絶対の理です。縷々空だけを直接、主様の元へ送り込みました。さあ烏之瑪、僕と心置きなく遊びましょう?」
『ふん。私の目的はあれを連れて帰ることだ。他は知らん』
「そんな事を言わずに……」
突如、白世の周りに幾本の日本刀が宙に現れた。ちゃきり、と金属音を響かせ、日本刀が黒いのの方を向く。
黒いのは金色の棒を一薙した。
風が起こり、出現したばかりの日本刀を吹き飛ばす。
『雑魚が』
そう言って白世に背を向けたとき、黒いのの目前に日本刀が出現する。
『……何の真似だ』
「ここでは僕が絶対の理です、と言ったでしょう? 適当な場所へ日本刀を出現させることなんて、容易いのですよ。ほらこんな風に───」
言った瞬間、私の身体に鈍い衝撃が走った。痛みはない。だが、力を吸われていく感覚がする。その部位を見ると、あの日本刀が突き刺さっていた。
腹へ真っ直ぐ突き刺さった刃。その刃を伝う生温かい液体は、血……?
黒いのが軽く目を見開いた。が、それだけだ。こんなもののどこに価値がある、という顔。簡単に切り捨てようとする瞳だ。
「貴方がなんと思おうが知りませんが、良いことを教えて差し上げましょう。そこな付喪神は縷々空の寂しさが生んだモノ。縷々空のお気に入りですよ。それが消えたら、彼女はどうなるんでしょうね。貴方がいない間の寂しさを埋めるために作ったそれが消えたとき、彼女はどんな反応をするのでしょうか」
恍惚とした笑みを浮かべて、白世は言う。私は私の体がどうなるのか見当も付かない。
私は傘だから、壊れても直せるのだ。
我関せず、と言った体で構えていると、体の奥底で何かがざわついた。
『……あれが悲しむ顔でも見たいのか?』
「さあ? どうなんでしょう。僕にはよく分かりません。僕は主様が創ったただの人形ですから」
ただの人形。そんな悲しそうな顔をしてよく言うものだ。生まれたばかりの私だって、喜怒哀楽くらいは分かる。
ただ、私は寂しさや悲しさには敏感だ。それは生んでくれた縷々空の影響なのだろうか。
孤独に包まれていた縷々空の気配。生まれて初めて目にした儚い少女。縷々空は私のことをどう思っていたのだろう。
体の底のざわつきが膨らむ。膨らんで膨らんで、最後には溢れた。
『何だ!?』
「これは……?」
妖力とも言うべきモノが、部屋を渦巻く。おどろおどろしい白世の世界を塗りつぶすように、小さいながら私だけの世界が作り上げられる。
私の世界には何もない。
暗闇の空間だけが広がっている。
腹の刀を気にせず引きく。血は出ない。ゆっくり歩み出せば、私の世界が広がる。
「こ、れは……!」
白世を目指して歩き、彼に触れた。私の世界が彼に触れた。
『負の……寂寥の念……?』
黒いのも私の世界に触れた。
私は、ふわりと舞い上がって、白世の袖に触れた。
「な……!?」
───寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい。
私の体の底でざわついていた寂しさが、白世へと流れた。
白世がぐらりと傾く。
「やめ……て、ください……!」
白世は体をよじり、私の手から必死に逃れようとする。だが、それは虚しい抵抗で、白世は崩れ落ちる。かろうじて膝で立っている程度だ。
その様子を見て、黒いのが憐れみの視線のようなものを向けた。
『……狐。お前は人形と言ったが、感情が無いわけではないのだろう? 寂しさを感じるのならば、それと対極の感情を知っているのだろう』
黒いのがそれだけ呟いて、金色の棒をシャランと鳴らした。
『《結びし世界を解き給う》』
まず私の世界が崩れ、その後白世の世界までもが崩壊し、元の明るい普通の部屋に戻った。ただ違うのは、私が人型を保てず本性の番傘に戻ってしまったことと、白世が膝を折ってしまっていることだけだ。
白世はぼんやりと宙を見ていたが、のろのろと首を動かして私を見ると、ふてくされたような表情をしてへたり込んだ。
「……だから嫌いなんですよ、花笹。出し惜しみしないで素直に寂しいと言える貴方のことが───」
「初めて私の名前を呼んでくれたな、白世」
「今はそんな事言う場合じゃないでしょうに」
唇を尖らせて、白世は目を瞑った。彼がそんな表情をするところを初めて見た。白世でもそんな子供っぽい表情をするんだな。
それから白世はゆっくりと立ち上がって、部屋に転がる私を手に取る。
そして投げられた。
「おおう」
『む』
黒いのがうまく手の内に納めた。
「持って行ってください、邪魔ですので。僕は主様の元へ戻ります」
『みすみす私が逃すと思うてか』
「着いてきたいなら着いてこればいい」
白世が部屋を出た。その足取りは僅かに重たい。
黒いのがその後ろを静かに歩き出す。
私は先ほどの白世の攻撃で破れた部分にぼんやりと意識を向けていた。




