番傘の空6
☆†☆†☆
『──何ダ、その奇妙ナ呪ハ』
「……これですか? ちょっとした余興ですよ」
のろのろと顔を上げて己が主を見上げると、間近にその顔があって、思わずのけぞる。
『何ダ、その反応ハ』
主は白すぎる狐に向かい、にたにたと嘲笑う。
ただただ嘲笑う。
知っているから。
その呪が何なのか知っているから。
だから嘲笑うだけ。
にたにたと嘲笑うだけ。
『主ヲ裏切るカ? この主ヲ裏切るカ?』
白すぎる狐は再び顔を伏せて、表情を読ませない。
ただ淡々と、人形のように言う。
「そんなことよりも。主様、お体の調子はどうですか。外つ国の妖である身には随分と堪えましょう」
白すぎる狐が薄く笑えば、主も薄く笑う。
『お前ガ気ニする事デハ無い』
そう言って、主はふと顔をあげる。白すぎる狐の身にも、清らかな風が吹いてきたのではっとする。結界が破られたのだと、体で感じる。
主が、縷々空の力を吸うために張っていた結界が、外からの重圧でたわみ、破られたようだ。
白すぎる狐は頭を深く深く下げて指示を待つ。
主は静かに立ち上がった。
『出る』
白すぎる狐は、主が部屋を出ようとするのをすんでのところで止めた。
「お待ちくださいませ。僕が見てきます。何かあったら、僕が対応いたします」
『できるカ?』
静かな視線を受け止めて、白すぎる狐は頷く。
主が部屋の奥の、幕の内へ戻っていくのを見て、白すぎる狐は静かに身を翻した。
───ああ、まだ余興を楽しんでいたいのに。
運命の歯車の清らかさは、それを赦してくれないようだ。
☆†☆†☆
縷々空が顔をあげたので、私も顔をあげた。
「どうした?」
「けっかいが、やぶられたわ」
小さく小さく、声を抑えて縷々空が言う。
縷々空に身繕いされていた私は立ちあがって、そっと廊下を伺ってみた。うーむ。
「なにしてるの?」
「結界が破られたのを見てみようと思って」
「みえないわよ。からだでかんじるものだから」
縷々空に言われて、そういうものなのかとうなずく。とりあえず障子を閉めて、部屋の中央へと戻った。
「結界が消えるとどうなる?」
「あたしがとくをするわ」
縷々空にとっては良いことらしい。では、白世にとっては?
「わるいわ。いまごろ“ぬしさま”とやらに、おこられているんじゃないかしら」
飄々と言ってのけるので、大して心配することではないのだろう。それにしても、結界とやらはなんで破られたのか。
それが不思議で首を傾げていると、閉めた障子の向こうからバサバサという派手な音がした。
そちらを見れば、白世よりも大きな影が障子に映っている。なんだあれは。しかも背中の辺りがもっさりしているし。
「……うのめだわ」
縷々空が立ち上がって障子を開こうとする。
「待て、縷々空! お前はこの部屋から出られないだろう!」
先ほど、縷々空は閉じこめられていると言っていた。しかも縷々空は今までに、部屋の中央付近から移動している様子がない。
案の定、縷々空は障子に届きそうもないところで、見えない壁のようなモノに弾かれた。
「縷々空!」
慌てて駆け寄ると、縷々空は障子を指さして、あけて、と囁いた。
縷々空の代わりに障子を開けてやると、庭に面した廊下には黒いもさもさの翼を持つモノが、幾つもの輪っかを連ねた金色の棒をシャラリと鳴らして立っていた。おぉぅ。デカいぞ。
『探したぞ』
「ごめんなさい、でもしかたないわ」
ゆっくり身を起こして縷々空は黒いのを見上げる。
黒いのは何かに気づいたように眉根を寄せた。
『お前、その姿───』
「けっかいがここにもはられてて、それでれいりょくがすわれてるの」
『破ればよいのか?』
「そうよ」
『分かった』
そう言って黒いのは、金色の棒を構える。シャラリと涼しげな音が鳴る。そしてその金色の棒を突き出し、
『行くぞ。《結びし世界を解き給う》』
黒いのはそのまま金色の棒を左右に振った。すると、パチンという火の粉が弾けたような音がする。
びっくりして目をつむってしまった。恐る恐る目を開けてみると、──横に縷々空がいない。
「縷々空!?」
慌てて辺りを見渡せば、いつの間にか黒いのが縷々空を担いで、廊下に出ていた。
「お前、縷々空に何する!」
『るるあ? 馬鹿を言うな。こいつの名は、』
「いいえ、縷々空です」
先ほどまでいた者の声が廊下の先から聞こえてきた。
「遅かったですね。我が主はもうお目覚めいたしますよ、烏之瑪?」
『───何故、我が名を知っている。お前は何者だ』
黒いのは白世に向き直った。
そしてそのまま二人の世界に入ってしまったようで、無視される。おい待て。私を無視するな。
憤慨してみるけども、届かない。無理に近寄ろうとすると、なんだか“私”という存在が壊されそうなほどに、黒いのは洗練された力が周囲に振りまかれている。私がアレに触れるのはやめておいた方がいいと、本能的に察してしまった。
仕方なしに、部屋の中からそっと伺う。
「そうですね、聞かれたので名乗りましょう。……僕は外つ国の神妖、九尾・耶赦が眷族。名は白世と申します。以後、お見知りおきを。名前を知ってるのは、彼女が言っているのを聞いていたからですよ」
妖艶とはまさに今の白世を指すのだろう。唇の端をわずかにあげ、間を細めて、袖を口元にあてがうその姿は、何とも言い難い艶やかな雰囲気を漂わせていた。




