藤の想い出6
身体が宙に浮いた後、故意に浮かせたならば着地も楽だが、そうでない場合の末路など決まっている。
ズシャッ!
泥と葉っぱと小石を巻き込んで盛大に転がる。何度も転がったせいで、衣装のあちこちが擦り切れて台無しになった。面が割れなかっただけマシか。
のそりのそりと、余裕をかまして妖怪はやってくる。腹立たしいことに、奴が突進してきたせいで自分は転んだのだ。
奴がこちらに届く所に来る前に、立ち上がろうとする。幸い見た目ほど裂傷は酷くないので、四肢はきちんと動くし。
なのに。
「ククク……」
のしり、と背中に乗ってくる。まだ距離はあった気がするのに早くないか!?
「……っ!」
骨が軋んだような痛みが走る。犬のような奴が妖力を込めて踏みつけてくるのだ。
圧迫され、息が詰まり、身体が悲鳴を上げる。とにかく痛い、ひたすら痛い。
「ニッキをヨこせ……」
「知らんと、言って、いるだろう……!」
泥を掴む。痛みがひどくなってくる。ただ単に圧迫されているだけでなく、触れているところから奴の妖気が入り込んでくる。激痛が身体を巡った。
「うぐ……!」
「オトナしくイえばヨいモノを……」
「性格が悪いんでね……!」
自分の妖気を使って奴の妖気の循環を打ち消す。それでも埒があかない。
───仕方ない、奥の手を使え。
自分は決意する。奥の手というほど奥の手ではないが、付裳神だからこその逃亡手段。
自分は妖気の循環を止めるのを辞めた。途端に激痛が走る。けれど、それを歯を食いしばって我慢し、自分の妖気を拡散させた。
自分の姿が、夜色の靄と藤の花びらが混ざったものへと分散する。途端に身体から痛みがひく。
───これで暫くはもつな。今のうちに結姫に連絡を。
自分は結姫を探すため空に舞い上がった。
☆†☆†☆
「しつこい、しつこい、しつこい!」
結姫梨香は癇癪を起こしたように、早歩きで坂を下る。ガードレールの向こうからから木の枝がこんにちわしていて本当に鬱陶しかった。
その後ろを追いかける姿がある。雪斗だ。
「おい、待て結姫!」
「待たない! しつこい!」
立ち止まり、きっと睨む。
「先生には関係ないわ。あたしが妖怪とどんな付き合いをしてても、先生には関係がない!」
「いや、ある」
結姫は半眼になる。何があるというのか。
結姫と雪斗は単なる生徒と教師。今回の事がなければ、接点すらまともに持たなかっただろう。
何を今更。
「先生じゃない。妖怪が見える者として心配なんだ」
結姫の目が少し驚いたように開かれる。
「……どういうこと?」
「世の中には藤子のように優しい妖怪ばかりがいる訳じゃないんだ。俺も昔はいろんな奴が見えて、そいつらは俺を驚かしてきた。それこそ、些細だが俺にとっては死にそうなレベルの悪戯をされた」
結姫に追いついた雪斗は、息一つ乱してなかった。
「あのな、結姫」
雪斗は語る。言った通り先生としての立場ではなく、妖怪を視る人間の立場から。
「妖怪は人のように嘘を平気でつく。人を疑うように妖怪を疑え。妖怪を無条件で信じるな」
「そんなの知ってるわよ。そんなこと色んな人に言われたわ。それこそ妖にさえも、ね」
口の端を僅かにあげて自嘲するように、結姫は笑う。
結姫は雪斗の目を見る。
「先生、あたしの目を見て」
左手で己の左目に触れる。黒ではなく、光の当たる角度によっては血よりも深い赤になる。
それはまるでカラスの瞳だ。闇に光る不気味な色。
「───あたし、妖と契約しているの。そうしないとあたしの力は中途半端で、すぐに狙われてしまうから」
左手を滑らせて、だらりと下げる。雪斗から逃げ回っていた先ほどと違って今度は自分から近づく。
雪斗は背筋に悪寒を感じた。何かが、何かが違う。
結姫の気配が先ほどと違う。
思わず後ずさった。
「先生は勘がいいわ。あたしは中途半端。先生の方があたしより力が強いわ。この言葉の意味」
分かる?
そう言葉を続けようとしたとき、結姫の背後に何かが落ちる音がした。
「!? 藤子!」
結姫が振り向くより、雪斗が先に駆け出す。
そちらを見れば、土煙の中に倒れ伏した人影と、犬のような獣の影がいた。




