アリアとロメオス Alia & Romeos
敗将ロメオスが目を開けると、薄暗い小屋の中で年若い修道女が彼の顔を見詰めていた。
「気が付きましたね。まだ、痛みますか? すみません。私も疲れてしまって、あなたにきちんと癒しを行う事ができませんでした」
まだ二十歳にも満たないであろう若い修道女は、そんな事を言う。ロメオスはゆっくりと身を起こす。あの闘いの最後に身に受けた傷口に痛みが走る。自分の胸を見ると、包帯が巻かれて、しっかりと手当が施されていた。
「なぜ……俺を助けた?」
不思議そうにつぶやくロメオスに、アリアはきっぱりと答える。
「私は癒し手です。たとえ私の肉親を殺した人であっても、私は癒します。それが私の信仰なのです。主が示して下さっている道なのです。主にとっては、全ての命が同じなのです。あなたの命も、この街の人々の命も。それに……ライルに頼まれました。あなたの傷を手当てしてやってくれと。必ず、命を助けて欲しいと。彼から、あなたへの言葉も預かりました。こう伝えてくれと……」
アリアは、その時ライルから託された言葉を、今一度、胸の内で思い起こす。
「『生きろ』と。『これから何があっても、生き抜け』と」
そう伝えられたロメオスは、眉をしかめて困惑している。
「ライル? ……俺を倒した男か。なぜだ? なぜ、そんな事をする? エドの街の人間達は、俺を八つ裂きにしたがってるはずだ。俺を庇えば、あいつの身も危ういのだぞ。それに、あの男が最後に放った技ならば、その気になれば俺の身体を真っ二つにできていただろうに。……なぜだ? 憐れみか? それとも、あの男もお前と同じような信仰を持っているのか?」
彼の問いかけに、アリアはしばし、無言でじっと考えていた。ここへロメオスを運んで寝かせつけ、自分を呼びに来た時のライルの様子を思い出している。その時のライルは、怪我をした親友を見守るような悲しい瞳をしていた。そして、こう告げた。
『こいつは、俺と同じなんだ。こいつの心に手を差し出した人間は誰もいなかった。だから、こんな風になっちまったんだろう。……アリア、頼む。こいつを手当してやってくれ。こいつの命を、必ず助けてやってくれ。こいつが目を覚ましたら、生きろと、これから何があっても、生き抜けと伝えてくれ』
アリアの胸に、ライルが背負っている苦しみの事が浮かぶ。彼が熱を出して口走った、痛々しい言葉が浮かぶ。そして、震えて泣きながら自分の膝にすがったライルの姿が浮かんでくる。父親を殺してしまった罪悪感。母と妹を守ることができなかったという罪悪感。幼かったライルに、一体何ができたと言うのだろう? その悲劇は、彼のせいではないはずなのだ。
それはライル自身も、頭では自分に必死で言い聞かせているのだが、それでもきっと、彼の心の傷が納得させてはくれないのだろう。その心の闇が、絶えず彼を責め立て続けているのだろう。暗く深い、心の片隅で。それは決して消し去る事のできない痛み。なぜなら、その傷もライル自身の一部なのだから……
やがてアリアは、ロメオスの瞳を真っ直ぐに見ながら静かに告げる。
「いいえ。違います。……多分、あの人も間違っているから。ライルは、間違った罪悪感に苦しんでいるのです。でも、それは頭ではわかっていても、他人が何を言っても、どうにもならない事なのです。あなたの姿を見て、自分と同じような闇と悲しみを見たのでしょう。自分も間違っているかもしれないと心の片隅で思いながら、ライルはあなたと闘ったのでしょう。だから、あの人はあなたを殺す事ができなかった。あなたに『生きろ』と告げた。なぜなら私達には、それしか道がないのですから」
ロメオスは、忌々しく首を振る。
「一体、何が正しいと言うのだ? どれが正しい道なのだ?」
今までの彼にとっての『正しい道』は、敗北という結果で崩れ去った。
一体、何が正しく、何が間違っているのか……
彼は戸惑い、混乱していた。
誰かにはっきりと、『これなんだ』と決めて欲しいような気さえしている。
しかし、アリアはきっぱりと言う。
「それは、私が教えられるようなものではありません。あなたが、これから生きてゆく中で、あなたにとっての真実の答えを見つけ出してゆくものなのです。心の目で見るのです。それが、主があなたに与えた罰。そして主があなたに与えた愛なのですよ」
思わず、アリアの瞳を見詰めるロメオス。
その少女の瞳は、静かに静かに、ロメオスの心を吸い込んでゆく。その瞳は、ある意味突き放すように冷たくもあり、また同時に温かな光にも満ちていた。
「己の手で死ぬことも許されぬという事か……手厳しいな」
目をふせてつぶやくロメオスだ。そんな彼に、アリアは一心に告げる。
「そうです。苦しみもあります。でも、喜びもあるのです。苦しみがあるからこそ、喜びもあるのです。ロメオス様、もう少し苦しんでみて下さいませ。その嵐の後には、きっと静かで穏やかな喜びの海に行き着く事でしょう。ライルもそうして生きています。……あの人はまだまだ、嵐の海を渡っている最中ですけど」
「そうか。あの男も俺と同じ……か」
アリアの言葉に軽くうなずくと、ロメオスは長靴をはいて立ち上がり身支度を整える。ジューダスの紋章の入った鎧は捨てておく。側に置かれていた愛用の家伝ブロードソードだけを腰に帯びて(ライルが、これからのロメオスに必要だろうと回収しておいたのだ)、そして戸口で一度アリアの方に振り返る。
「あの男の嵐とやらを、聞きたい。今後の参考にな」
アリアは一瞬ためらったが、この男の瞳に例えようもない悲しみの光を感じ取った。彼女は、今のロメオスになら告げても大丈夫だと直感した。
「あの人の人生を狂わせてしまった、『霧の華』という麻薬を作り出しているサカムビットという首謀者を捜しています。その薬を、このような形で生み出し人々を苦しめているその元凶を、この世から消し去る事、そのために闘っています。まあ、少し寄り道が多い人ですけど」
ロメオスの表情がピクリと変わる。
「そうか……いや、それは寄り道などではなく、最短の近道を選んでいたのかもしれぬぞ。あいつに伝えろ。エドの街の北端に居を構える大商人がいる。サイモンという名前だ。しかし、サイモンの真の名は『サカムビット』という」
「え!?」
ロメオスの告げた言葉に、驚いて目を丸くするアリアだった。
「これで、あいつへの借りは返した。世話になった、修道女。お前の言葉をこれから一人でゆっくり考えてみよう。さらばだ」
ロメオスは一人、マントのフードを目深に下ろして、ライルに受けた傷口に無意識に手を当てながら立ち去っていった。
後にこの傷跡を見る度、彼は自分の敗北を思い出す。ライルの姿を思い出す。アリアの言葉を思い出す。そして、答えの出ない問いを胸の内で何度も何度も問いかけながら生きる事になる。
アリアはじっと、そんな孤独な男の後ろ姿を見送りながら、神の祝福が共にありますようにと一心に祈るのだった。
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その後ロメオスは一人各地を流浪する。敗北と言う名の苦しみ、価値観の崩壊に直面し、苦しみ抜いた末に、自らの両目をつぶす。『心の目で見る』ために。
彼は両目の光を失って、ようやく「人の心に民族、種族の違いの優劣はない」という事に気づいた。自分に接する相手の人間の心の美しさ、醜さがよくわかるようになった。
やがては、盲目の剣士として『心眼剣』を編み出す。目が見えぬはずなのに、相手の動きを全て手に取るように見切る剣技をもって、彼は多くの人々の助けとなっていったという。放浪の末、心優しい異国の娘と結ばれることになり、最後は静かで穏やかな余生を送ったそうだ。
その時期になって妻によく、『あの修道女の言葉通りだった』としみじみと告げていたということだ。




