風使いの少年 Wind Boy
人々が盛り上がりが一段落ついてきた頃合い、通りの向こう側から鋭い叫び声が飛んできた。
『お前ら、そんな事してる場合じゃねえぞっ! ジューダス兵達が五十人くらいこっちへ向かってる。ロメオスって野郎もいるぞ。早く逃げろっ!!』
たちまちシンとなってしまった。人々は顔を見合わせると、それぞれ散り散りになってその場を離れる。『ロメオス』とは、この街を占領しているジューダス軍の総司令官だ。類を見ない剣の使い手であり、兵士達の指揮能力も高く、歯向かう者達には容赦しない。
『選ばれた優秀な民族が、下等な民族を支配する事で平和がもたらされる』との考えを持つ男だ。エドの街の人々も移民や難民の人々も、彼にとっては厳しく管理すべき下等民族に過ぎない。その弾圧の手は益々ひどくなってきている。
このロメオスを倒す事が人々の最終目的となる訳だが、今はまだ闘いに向けて何の準備も整えていないのだ。ひとまずは身を潜める人々だったが、その胸にある「ジューダス軍を皆で協力して追い払う」という熱い炎が消える事はない。ウェインとティアラの和解の噂は、今日その姿を目にしたこの人々によって、たちまち広まってゆく事になる。
ウェインとティアラも、ここからほど近い難民街に一時身を潜めることにする。
彼がライル達も促す。
「ライル殿、聖女様達も、早くこちらへ!」
しかし、ライルも仲間達もしばし迷っている。先程聞こえた聞き慣れた声……それは間違いなく、ホークスの叫び声だったのだ。そんなライル達に、どこからか再び、苛立ちに満ちたホークスの声が響いた。
『俺は俺でやる。お前等、勝手になんでもやりやがれっ! じゃあな』
一同なおもしばし待ったが、もう辺りには不気味な静寂が訪れているのみだ。
ノエルがライルの肩に手をかける。
「仕方ありません。行きましょう。今はとにかくここを離れなければ危険です。それからホークスの事を考えましょう」
一同うなずいて、ウェイン達に導かれるまま、曲がりくねった裏路地へと駆け去っていった。
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エドの街の別の裏路地を一人歩く盗賊ホークスの姿がある。
怒りが収まらないのか、彼は時折、足元に転がるゴミを蹴飛ばしている。蹴飛ばした時の衝撃で、怪我をした左肩に痛みが走る。その痛みは、さらにこの男を不機嫌にさせた。
「(ライルの馬鹿野郎が……何のために俺はこんな怪我までして、こっそり探りを入れてたんだよっ! くそったれっ!!)」
痛む肩に手を当てながら、しばし建物の壁に身をあずけて上を向く。今、彼は一人だ。仲間達と一緒になる以前にも彼は一人だった。一匹狼の遺跡狙いの盗賊だった。お宝を狙って仕事に集中している時は胸が躍った。一つの遺跡を片づければ、さらに難しい遺跡へと挑む心が生まれてきた。寂しいなどとは感じていなかったはずだ。
しかし、
しかし今は……
取り返しのつかない道へ迷い込んでしまったのではないか、そう感じてしまう自分がいる。仲間達と一緒に過ごした楽しい時間が、胸に鮮やかに浮かんでくる。
ライルと一緒に馬鹿騒動を起こして、ティナに殴られる。アリアに怒られる。からかい過ぎて怒り狂ったギリアムに絞め殺されそうになる。その横でノエルが溜息をつきながらも、生真面目な顔をして本をペラペラめくっている。
その時間は、自分が一人で過ごしてきた時間よりも、ずっとずっと短い時間だ。
そのはずなのに……
いつの間にあいつらは、自分にとってこれほど大きな存在になってしまったのだろう?
心に大きく、ぽっかりと穴が空いてしまったような感覚。
身体のどこかを、失ってしまったような気持ち。
大きな溜息をつくホークスだ。無意識に独り言が漏れてしまう。
「やれやれ、これからどうしようかねえ」
すると、行き止まりになっているその路地裏の先から、クスクスと子供の笑い声があがった。
「おじさん、どうしたの? そんな暗い顔しちゃってさ。財布でも落としたの?」
ホークスが声のする方へ振り向くと、小汚いみすぼらしいボロを着た痩せた男の子が一人、ゴミ箱の上に座ってニヤニヤしながら見詰めていた。その子供の方から、涼しい風が吹き抜けてくる。こんな狭い路地裏から風が吹き抜けてくるはずはないのだが。
「財布じゃねえが……もっと大事なモンを落としちまったみてえなのさ、ボウズ」
「ふうん。じゃあ、僕も探してあげようか? 半分はもらうけど」
思わずニヤリと笑う盗賊だ。
「さあ、そいつは難しいぞ、ボウズ。でも、そうだなあ。もしお前が見つけたら、ヒゲを生やした雷オヤジと、剣の腕はめっぽう強いが女に頭が上がらねえ男と、いつも本ばっかり読んでるインテリ男は持っていっていいぞ。女二人はダメだ」
浮浪児と思われる汚い顔をした男の子は、眉をぎゅっとしかめる。
「なに、それ!? 金目の物じゃないの? あ~あ、つまんないの。せっかく稼げると思ったのにさ。……あ、そうじゃないのか。わかった! おじさん、迷子なんだね? その人達とはぐれちゃったんだろ」
なかなか賢い子供のようだ。そんな事を言って、期待に満ちた眼差しをホークスに送ってくる。
「まあ、似たようなモンだな」
盗賊は肩をすくめる。
確かに、そうと言えなくもない。
……ある意味、正しい。
「じゃあさ、僕がその人達のいる所を見つけてきてやるよ。その替わり、見つけたら金貨一枚だ」
商魂たくましい子供だ。ホークスの顔に笑みが広がる。かつては、自分もこの男の子と同じような浮浪児だった盗賊だ。つらい境遇に負ける事なく生きる力を全身から溢れさせている、このような子供が彼は大好きだ。ホークスが浮かべた、その心からの笑みは限りなく優しく温かい。闇に生きる者だとは、とても想像できない。
「へへっ、抜け目ねえボウズだな。気に入ったぜ。ほれっ」
ホークスは懐から金貨を一枚取り出して、ピンと親指で弾いて男の子に飛ばす。
慌てて受け取る男の子だ。
「え!? 今から捜すんだよ。見つけてからでいいんだよ。でないと僕、これ持って逃げちゃうよ」
「いいんだ。それはお前にやる。それにな、そいつらのいる場所はすぐに探し出せるんだ。でもな、ちょいと今は会えねえのさ。……もしかしたら、もう二度と顔を見る事なく終わっちまうかもしれねえ」
盗賊はうつむく。男の子は不思議そうだ。
「なんで? 喧嘩したんなら、とりあえず謝っちゃえば? 大体うまくいくよ」
臆する事なく、そんな事をホークスに向かって告げる。なかなか大人びた子供ではある。きっと、影で色々苦労をしているに違いない。
「そういうんじゃねえのさ。そういうのとはな……」
「だったら、なんなのさ?」
しばしの沈黙。
彼は、自分の心にあるわだかまりを再び見詰め直した。
「俺には、あいつらがやろうとしてる事が納得できねえんだ。俺には、手を貸す理由のねえ闘いなんだ」
そうなのだ。彼にはライル達のような闘う理由がない。このエドの街を占拠するジューダス軍に対抗して闘うべき義理などない。街の人々が苦しんでいる状態は彼にもわかる。しかし、今は余計な争い事に首を突っ込むべき時ではないはずなのだ。『霧の華』を独占しているサカムビットの手がかりを探すために、この街に立ち寄っただけの事なのだ。一同、それを約束し合ったのだ。
しかし、それをライルが先頭を切って破った。サカムビットに対して一番怒りを抱いているはずの男が、だ。ホークスには彼の行動が、どうしても納得できないのだ。
一心に聞き入っていた少年は、わかったような、わからないような表情を浮かべた。
「ふうん。なんだか、大人の事はよくわからないや」
「お前にも、いつかわかるようになるさ、ボウズ。大人になれば、嫌でもな」
「なんか、やだなあ、そんなの。僕はこのまま、大人になってやる」
ぎゅっと眉をしかめて、心底そんな事を言う。思わずホークスは吹き出してしまった。こんな気分の時、このような子供に出会えると、本当に心が洗われるようだ。
「ははははっ、ホントに面白れえボウズだ。ますます気に入ったぜ。……お前、親はいねえのか?」
「うん。ジューダスの奴等に殺されちゃった」
ポツリと言う。
「……そうか。すまねえ事を聞いちまったな」
それでも少年は、明るく答える。
「ううん。いいんだ。ホントの事だもの。でもね、僕ね、一人じゃないんだよ。ほらっ、ここに綺麗な風の妖精がいるんだよ。シルフって言うんだって。街にいる占い師のおばあさんに教えてもらったんだ。この妖精はね、僕がもっと小さい頃からずっと側に居てくれてるんだ。おじさん、見える?」
少年はその横の空間を指さしながら、唐突にそんな事を告げる。ホークスが見るところ、何もない。ただ、先程から優しい風がどこからともなく、少年の背後からそっと流れてはいる。
「……俺には、よくわからねえけどよ」
「ふうん、そっか。残念! とってもかわいい女の子なんだよ。宙に浮いてる。いつも風が吹いてるんだ。僕がお願いすると、好きなように風を起こしてくれるんだ」
少年が『とってもかわいい女の子』という言葉を告げた瞬間、さあっと柔らかな風が巻き起こった。少年がにっこりして、自分の横に顔を向けてしゃべる。
「あはっ、なんだよ。照れなくてもいいじゃない。ホントの事なんだから」
今度は風がそよそよと吹いている。
男の子の言葉に、風が敏感に反応しているような気がしてしまう。
「そ、そうなのか。まあ、お前の側から風が吹いてるのはわかるけどよ」
「おじさん、笑わないね? いい人だ。名前はなんていうの?」
先程から引っかかっていたホークスが、声を荒げる。
「こらっ、お前はさっきから……おじさんじゃねえ。ホークスと呼べ、ホークスと!」
まだ二十代のホークスだ。『おじさん』と呼ばれるのは心外だ。
慌てて謝る少年だ。やっと気づいたらしい。
「あ、ゴメン! 僕はウィード。みんなには、『風使い』って呼ばれてる」
(ウィードはこののち、ティナに出会う事になる。この少年の精霊使いとしての並はずれた素質を見抜いたティナは、ウィードを風の精霊使いとして鍛え上げてやる。ウィードは手先が器用で集中力もあり、とある男から手ほどきを受け長弓の名手としても成長を遂げる。風の精霊の力を借りたウィードの矢は、信じられないほど遠くの的を的確に射抜けるようにまでなるのだ。ギリアムの養子となった若き騎士のカイと共に、一行の活躍を引き継ぐ後継者の一人として成長してゆくウィードだ)




