心の闇 Dark Sides
表に出たライルの姿を追ったティナだった。素早く辺りを見回すと、それほど離れていない丘の木の側に彼の姿があった。その木の幹に少し背を預け、力無くポツリとたたずんでいる。そっと近づく。
「ティナ」
彼女が声をかける前に、ライルが小さく口を開いた。彼女の方を見ようとはせずに。
そんな様子の彼に、ティナは肩を並べるような距離にまで近づく事が、なぜかためらわれてしまう。思わず、一、二歩離れた所で立ち止まる。
「あいつらには、黙っていてくれねえか?」
「……うん」
ティナはうなずくと、ライルの背中側の木の幹に身体をもたせかけ、うつむいた。お互い、背中越しの会話が続く。
「これは、俺の問題だ。俺がこの手で、ケリをつけねえといけねえんだ。誰も巻き込みたくはねえ。……あいつら、いいやつらだ。お前もな。お前等と一緒にいて、こんな事は馬鹿な事だと、何度も自分でいい聞かせてみるようにはなってきたんだけどよ。でもな……でも、やっぱりダメなんだ。俺は許せねえ。『霧の華』で悪どい事をしてる奴等と、俺自身を。親父も殺して、母も妹も守れなかった俺自身をな……」
彼が力無く何度も首を振る気配がする。
「頭じゃ、間違った事だとわかってるつもりなんだ。俺のせいじゃねえと。あれは、どうしようもない事だったんだと。でもな、でも……やっぱり、ダメなんだ。どうあがいても、自分自身からは逃られねえんだ……」
「(ライル……)」
うつむいていたティナは顔をあげて、背中のライルの様子をうかがおうとするのだが、やはり途中でためらわれてしまい、再び視線を落とす。
彼の苦しみは、その痛みは、自分には想像もつかない。かけてやる言葉が、何も見つからない。軽はずみな同情や励ましの言葉なぞ、とても口にする事はできなかった。
「(でも、)」ティナは思う。
「(たとえ本当の意味で理解しあえなくても、一緒に生きていく事はできる。他人同士でも、支え合う事はできる。今は、彼の側に居てあげたい……)」
ライルは大きく溜息をつく。その肩が力無く落ちる。
「何言ってるんだかな……自分でも、よくわからねえ。わからねえよ、ティナ……」
「うん……」
ティナはだだ、ライルの言葉に静かに耳を傾けてやる事しかできなかった。
何やら、騒々しい音が先程の宿屋から聞こえてくるのだが(ホークスを絞め殺そうと追いかけるギリアムの騒動だ)、二人は無言でじっと立ちつくしていた。
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結局、その宿場町で数日はゆっくりと過ごす事に決めた一行だった。
というか、ギリアムとホークスは壊したテーブルやイスの修理をアリアに義務づけられており、それをしっかりと終えるまでは立ち去る事ができないのだ。
「ったくよう。俺が壊したんじゃねえってのに。納得いかねえぞ」
手を離すとボロリと取れてしまうので、ホークスはそのイスにギリアムが釘を打ち付けるまで支えてやらねばならない。アリアが監視をやめて、呪文書の勉強に没頭しているノエルの様子を見に二階へ戻ってから、ボヤき通しである。
「たわけ者。おぬしがワシを怒らせるから、いかんのだ! ほれ、ちゃんと支えろ」
釘を何本か口にくわえて、金槌でそのイスの足に打ち付けているギリアムだ。はちまきをしているが、なかなか様になっている。大工の棟梁でもおかしくない風貌だ。
しかし、手元が狂ってホークスの手に金槌が炸裂した!
「あいてっ! おいっ、クソオヤジっ!! どこに目ぇつけてやがるっ」
「ふんっ! 男がそれくらいで、いちいち騒ぐな。 ……まあ、悪かったと言っておく。ほれっ、次だ、次! とっとと終わらせるぞ」
「それが人に謝る態度かっ! はあっ、まあ、仕方ねえか。『老眼』じゃあなあ……」
みるみるギリアムの顔が朱に染まってきた。
「貴様……今、何と言った? もう一度言ってみろ!」
しかし、その怒りを察してもなお、ホークスはとまらない。
「ああ、耳まで遠くなっちまって……。まあ、おじいちゃんは少し休めや。ここは心優しい若者に任せて、あっちでのんびり茶でも飲めよ。後で一緒に、老眼鏡を買ってやっからよ」
いきなりギリアムは金槌をホークスめがけて投げつける。しかし、それを全て見切ったホークスは、ひらりと身を避けた。金槌は空を切って飛び、カウンターの陶器の水差しを粉砕する。騒々しい音が辺りに響き渡る。
すると、二階からバタバタと足音が。
「何やってるんですかっ!! ギリアム様っ、ホークス様っ! ……あああ~!?」
その惨状を目にしたアリアは、怒りに顔を赤らめながら、つかつかと二人に迫ってきた。
「むうう……アリア。これはな、この馬鹿男がいかんのだぞ」
「何言ってやがる。嬢ちゃん、信じてくれ。俺は無実だ。金槌投げたのは、おっさんなんだ!」
「二人とも、そこに座りなさい。イスではありません、ホークス様。床です。正座しなさい」
ドスの効いた低い声で、アリアが命じる。有無を言わせない迫力があった。ティナ直伝なのだろうか? いや、ある意味ティナよりも怖い気が……
「へ、へいっ!」
「ううむ……」
「大体ですね、あなた方には、お互いに思いやりが足りません。ホークス様は、悪ふざけが過ぎます。ギリアム様は、血の気が多すぎます。主は、こうおっしゃってます……」
再び一番年下の、しかも女性のアリアに怒られる事になった、一番年上の剛勇の騎士と、見事な策謀を練り出す事のできる一流の盗賊だった。
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その頃、ライルとティナは、この小さな宿場町の周りに広がる渓谷を散策していた。魔術師ノエルは宿屋の自室で呪文書の勉強に集中している。凄まじい集中力で、食事もろくに取らずに黙々と読みこなしているのだ。そんな彼を心配して、アリアは宿屋に残って何かと差し入れを持っていってやり、様子をうかがっている。もちろん、ギリアムとホークスの作業の監視役でもあるが。
二人とも、口を開かない。
ただただ、少しだけ肌寒い静かな小道をゆっくりと歩き、木々の発する新鮮な空気を吸い、渓谷を流れる清流のせせらぎに耳を傾けながら歩いている。
やがて、木々が途切れて見晴らしの良い所に行き着いた。切り立った断崖の上から北の方の景色が一望できる。ライルは無言で、じっとその方角の景色を見据えている。その瞳が暗い。
「私は、ついていくからね」
隣に並んだティナは、そんな事を言う。
ライルが口を開こうとすると、それを遮るように彼女は言葉を重ねる。
「あんたが何言っても、無駄だから。勝手についてく。最初に、そう言ったでしょ? それで、あなたも『もうあきらめた』って、言ってたんだから」
「なんでだ? なんでそこまでして……」
「さあね。ただの気まぐれ」
ティナは、そんな事をそっと言う。
「命を落とすかもしれねえんだ。気まぐれで死ぬ事もねえだろ」
「命を賭けた、気まぐれ。命を賭ける価値のある、気まぐれ。それに、必ず生きて帰る。私も、あなたも」
ライルは沈黙している。
少し間を置いて、ティナはそっと問いかける。
「ねえ、ライル。みんなに話したらどうなの? 協力してくれるかもしれない」
「本当なら、誰も巻き込みたくねえ。お前もだ。俺のせいで、お前らまで死ぬ事はねえ」
そんな事をうつむきながら言うライルに、ティナの顔がみるみる険しくなってくる。
「あんたね! さっきから……いい加減にしなさいっ!」
ティナはライルの両肩にバッと手をかけ、無理矢理自分の方に向かせて、その目を覗き込む。彼女の両目には、激しい怒りの炎が燃え上がっていた。
「死にに行くくらいなら、私がここであんたを焼き殺してあげるっ! それとも、ここから突き落としてあげようか? 死にに行くんじゃない。生きて、必ず戻るの。いい、生き抜くのっ!! そのために闘いに行くの! 顔を上げて、胸を張って生き抜くために闘うのっ! 私の言ってる事、どこか間違ってる?」
真っ直ぐに自分を射抜くティナの視線。
ライルは大きく一つ、溜息をつく。
確かに、ティナの言う通りだろう。
「……いいや。お前の言う通りだ。ありがとよ、ティナ」
その言葉を聞いて、ティナの険しい顔がパッと明るくなった。肩にかけた両手を離して、にこにことライルに告げる。
「わかったんなら、それでよし! さ、帰ろ、ライル!」
「ああ……」
ティナに誘われるまま、宿屋へと帰るライルだった。前を歩く彼女の後ろ姿を見詰めながら、彼は思う。
「(この女は、強い。心が強い。俺よりも強い)」
ライルは、そう思った。
一方のティナは、自分の後ろから気まずそうに、もそもそと歩いてくるこの男を、『強い』と思っていたのだった。戦闘能力とか、腕力などの事ではなく。
正気を失う事もある程の心の痛みを背負って、たった一人で厳しい世界を生き抜いてきた人間だと。自分には想像もつかない苦しみを抱えて、ギリギリの所で生きている人間だと。それでもなお、他人に対する優しさを忘れない。人を見捨てない。苦しむ人々、痛みを抱える人々に温かな励ましを与えてきている。決して、自分の事しか考えていない人間ではない。他人の痛みがわかる人間だ。今まで、何度も彼のそうした姿を見てきた。
そんなライルを、『強い』と思っている。
だからこそ、放っておけないのだ。
この男は、こんな所で自暴自棄になって悪党どもの手にかかり、のたれ死んでいい人間ではない。自分が先程口にした言葉は、ライルが自分自身の中で必死に言い聞かせているはずの言葉に過ぎない。それをただ、自分は再確認させたに過ぎないのだ。
「(私にできる事は、あなたが決して一人ではないという事を、認めさせる事。それが、あなたが生きて戻ってくるために必要な鍵……)」
ライルの前を歩くティナは、そう思っていた。
そんな事を考えていた彼女に、ふと、胸によぎる事があった。
「(彼の闘いを見届けるまでは側に居ると、私は決めた。その気持ちは今も変わらない。でも、もしも生きて戻ってきたとして……その後は? 私はどうしたいんだろう? 別れるの? それとも、まだ彼の側に居たい? ……居ていいの? 私は多分、彼の事が好き……でも、私は本当に彼を必要としているの? 彼には私が必要なの? 闘いを終えても? 彼が本当の意味で必要としているのは、アリアのような気がする……私には決して与えられない、包み込むようなアリアの優しさ……)」
ティナはそうした思いを振り払うように、頭を振る。
「(とにかく、今は目の前の事だけ考えよう。うん。その時になってから、考えればいいや。その時までは、みんな一緒に居られるんだもの)」
足早に、ティナは宿屋を目指すのであった。
別れが徐々に近づいてきているという漠然とした感覚から、逃げるようにして。




