北からの風 North Wind
頬をかすめる風に、ティナは思わずマントをにぎりしめた。
「ちょっと寒くなってきたわねえ」
「うむ。秋も終わりといった感じだな。木の葉など、ほとんど散っておるな」
ギリアムもうなずく。そんな季節になってきた頃合いだ。
「そうですねえ。北風のようですし。それに、かなり乾いた風です。喉にきますね、ちょっと」
ノエルは埃がつっかえたらしく、少し咳き込んでいる。
「おいおい、ノエル。呪文をかける時に、そいつは勘弁だぜ。シャレになんねえぞ」
ホークスの指摘に感心したように、なるほどとノエルはうなずく。
「そうですねえ。その通りです。『魔術師は手が命』と弟子達に教えてきましたが、確かに喉も大事ですね。なるほど。覚えておきましょう。こういう所は、なかなか気づかない点です。やはり、実践修行が一番ですねえ」
「今頃気づくなよなあ。頼むぜ、おい……」
そんな様子のノエルに、ホークスがボヤいているようだ。
どうやら、こうした危険性に初めて気づいたらしい魔術師だ。案外、『声などいつでも出せるもの』という思い込みが盲点になっているようだ。部屋にこもりきりで魔術の研究をしている他の魔術師達などは、ややもすると一生その重大性に気づく事ができないかもしれない。アカデミーに帰ったら、早速弟子達に『喉も大事にしなさい』と教えるようにしようと、彼は胸に刻んでいる。後で弟子のキャロルにそう伝えたら、何を勘違いしたのか、おかしな発声練習をする声が彼女の部屋から聞こえるようになったとか。
冬の始まりが徐々に近づいてきている気配が、乾いた北風の冷たさに感じられる季節になってきている。その気候のせいで、ここまでの道中、何かと会話も弾んだような感じにはなりにくいようだ。しかし、それ以上に、一行の中で二人の男が発する空気が、そうさせてしまっている気がしないでもない。
一人目は、やはり盗賊ホークス。
この一番にぎやかなはずの男は、まだ本調子ではない様子だ。何事も無かったかのように振る舞う事は、まだ難しいようだ。以前と比べたら、ちょっとおとなしい。まあ、それまでが騒がし過ぎたという気もするが。
突っ込み担当(?)のティナとしては、なんだか張り合いがない。以前は一日に一度は必ず、ホークスの頭を殴っていたものだが。
「(まあ、しょうがないかな? にしても、もっと軽い男かと思ってたけど、案外、引きずるもんなのねえ。女の方が、こういうのは強いのかもしんないなあ)」
などと、ティナは思っている。まあ男も女も、こういうのは人それぞれで、その内容にもよるので、一般的にそうなのかどうかは、ちょっとなんとも言えないが。
もう一人の男は……ライルだった。
なぜか、ライルも黙り込む事が多くなってきている。いつもの屈託ない陽気さを見せる回数が減っている。話しかけられれば、無難に答えを返すものの、どこか心そこにあらずといった風だ。何かが、ライルの胸の内に隠されている。
その様子には誰もが気づいていたが、あえて誰も問いただしたりはしなかった。理由はよくわからなかったが、この男とここまでつき合ってきてみて、信頼に足る人間だと、全員胸の内で認めているからだ。ライルが今、何を考えているのかはわからない。しかし、必ずいつものようなライルに戻るはずだと、信じて待っているのだった。
そんなライルに、アリアがさりげなく気をつかってやっている様子だ。
「ライル。マントが外れかかってますよ」
そう言っては、アリアはずれたマントをかけ直してやる。
「あ、ああ……すまねえ」
ボソボソと告げるライルに、アリアは心からの優しげな笑顔を返す。
「いいえ。どう致しまして。季節の変わり目は、気を付けないと風邪を引きますよ」
「ああ、そうかもしんねえな……」
ライルの気のない返事にも、アリアはくじける事はない。息子を見守る母親のように、温かく微笑んでいる。ずいぶん小さなお母さんと、図体の大きな息子ではある。
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やがて、街道沿いの宿場町に到着した一行。
まずは宿を取り、一同は腰を落ち着けて今後の予定を話し合う事にした。資産家のジュエルからかなりの路銀を各自手渡されており、今はしばらくゆったりとしたいという気持ちが自然と一同の心の中にあった。
ただ一人の男を除いては。
その食堂に座を占めて一同がくつろいでいる。ホークスが話を切り出した。
「さて……とだ。これからどうする? まだ、心当たりの遺跡はあるんだけどよ。んでも、そんなに焦る必要はねえ。お宝ちゃん達は、ちゃんと待っててくれるからな。ま、女と待ち合わせの時は、そうもいかねえがよ」
ジュエルとの別れの後、少しの間おとなしかったホークスだが、徐々に元のペースを取り戻しつつあるようだ。ちょっと前から、冗談が飛び出しつつある。以前ほどのキレはまだ取り戻していないが。まあ、それも時間の問題だろう。
「そうねえ……。まあ、今はそんなに無理する事もないんじゃない? ちょっとだけ、羽根を伸ばしたいってとこかな? 私はね」
ティナはやはり、ちょっとくつろぎたい気分のようだ。
「そうですねえ。私も今は実戦修行より、ジュエルさんに頂いた新しい呪文書で勉強したい気分ですね」
魔術師ノエルは常に側に持っているその呪文書の皮表紙を、何度も愛しそうに撫でている。この呪文書で、さらに自分の新しい力が引き出す事ができる思うと、はやる気持ちを抑えきれないのだ。
「うむ、そうだな。ワシも何やら、大きな戦を一つ終えたような気分がしておるわい。しばらく、ゆったりとどこかの町で過ごすのもよいかも知れん。気ままに寝起きし、喰らい、町をふらつき、酒を飲み、寝る。ワシはこうした気分の時、昔からそうしてきた。一週間ほども経つと、そのうち自然とやりたい事が見えてきて、身体と心が勝手に動きだしてくれるものだ」
ギリアムの頑健な心身の秘訣は、こうした自然なやり方にあるのかもしれない。
「私は、特にこうしたいという事はないです。主のお導きに従うだけですから」
何が起ころうと、アリアの信念は揺らぐ事はないようだ。この一同と行動を共にしてから、修道女として、そして一人の人間として、さらに成長しつつある少女である。
しかし……
「俺は北へ向かいたい。一人でも俺は行く」
ボソリと一言、そんな事を告げるライルであった。
そんなライルを、一同は不思議そうに見詰める。ライルは目をふせて、エールのジョッキに手をかけては、また離してテーブルの上で拳を握ったりしている。いつもの陽気な雰囲気はなりをひそめ、彼は黙り込んでいる。
何かが、普段のライルとは違っている。
ティナは気づいた。なぜ、ライルが北へ向かおうとしているのかを。ライルがダミアンを吊し上げた時、その言葉が近くに駆け寄って来ていた彼女にも聞こえていたのだ。
北……それは、この地方一帯の麻薬供給を担っていたダミアンが、麻薬『霧の華』を受け取る頻度がもっとも高かったという方角だ。ライルは、その出所を突き止めるつもりなのだろう。そしておそらくは、『サカムビット』という、その麻薬の製造方法を独占して荒稼ぎしている首謀者を見つけだすつもりなのだろう。彼の人生を狂わせた、その元凶に対して挑むつもりなのだろう。
「一人でも行く」というライルの言葉に、たまらなく不安を感じるティナだった。ライルは誰にも告げる事無く、たった一人で向かうかもしれない。ティナが目を覚ました朝には、彼の姿はどこにも見あたらないのかもしれないのだ。
「(そんな事……絶対にさせない。私はそんな事、絶対に許さない!)」
燃え上がるティナの瞳が、そんなライルを見守っている。目を合わさないようにしていたライルだったが、ティナの無言の訴えには気づいていた。一つ、大きく溜息をつくと、手元のエールのジョッキを一気に飲み干した。
「……いや、なんでもねえ。今のは忘れてくれ。ちょっと、頭を冷やしてくる」
またポツリと、ぶっきらぼうに告げると、そのまま席を立ってライルは外へ出ていった。それを見て、ティナも思わず後を追って出ていく。今、この時にもライルは黙って一人で立ち去ってしまうかもしれない……不安で仕方ないのだ。
そんな様子の二人を見て、取り残された者達は顔を見合わせている。アリアも、どうしたらいいのか、落ち着かない。ホークスの目は鋭く光っている。ノエルは腕組みをして考え込んでいる。ギリアムは顎髭を何度も撫でつけて、一層渋面を深くしている。
「やはり……ライルは何か、隠していますね」
ノエルがそっと告げる。彼は今まで目撃したライルの態度から、彼が『霧の華』と何らかの因縁がある事を推測していた。北へ向かう、というライルの言葉から、それが確信に変わりつつあった。ホークスもうなずく。
「ああ……それに、ティナはその事を知ってるな、こりゃ。たぶん、アレだと思うが…それが旦那とどういう関係があるのかは、わからねえけどよ」
「『アレ』って、なんなのですか、ホークス様?」
アリアが迫る。不安で思い詰めているようだ。
ホークスが口を開く前に、ギリアムが重々しく答えた。
「『霧の華』……ではないか? あのダミアンから、あやつはその出所を問いつめておった。北、とは『霧の華』をダミアンが受け取っていた方角だと言う。それにその後、ライルのやつはダミアンを容赦無く叩き斬ろうとしおった。ワシがその手をとどめたが……凄まじい力だった。このワシが渾身の力を込めねばならぬ程であった。そして、あやつの目には激しい怒りと憎悪の炎が燃えておった。ワシは、あのようなあやつを初めて見たぞ。御前試合で命を賭けて闘った時ですら、あのような暗い殺気は無かった。あの時は、心地よい真っ直ぐな闘気を感じたものだが。あやつには、『霧の華』と何か因縁があるのに違いなかろう」
この頑固オヤジは、なかなかどうして、核心を捕らえていたようだ。ギリアムの言葉に、ホークスもノエルもうなずいた。ノエルは続いて、ライルが『霧の華』を所持していた医者のフォレスを殴り飛ばして迫った時の様子も説明した。この中ではノエルしか、その時の様子を目撃していない。フォレスは医薬品の一つとして、患者の治療に使用していたに過ぎないが。
アリアは、それにじっと聞き入っていた。アリアの脳裏に、ライルが洞窟で熱にうなされながら口走った痛々しい言葉が浮かんできた。おぼろげながら、それが何かつながりがあるのかもしれないと、アリアは感じていた。
「ま、しばらくは、様子を見てみようぜ。この事は、無理に突っつかないほうがいい。誰にだって、聞かれたくねえ事の一つや二つ、必ずあるもんだ。生きていりゃあ、誰だってな」
「ふん、おぬしなぞ、一つや二つで済むとは思えんがな」
ギリアムの突っ込みに、盗賊はニヤリと笑う。
「おお、よく知ってるな、おっさん。その通りだ。多すぎて、自分でもどんだけあるのかわからねえ。さすが、船酔いで死にかけた男だけはあるぜ。生死の境を乗り越えた男ってのは、やっぱ違うなあ」
「ぐ……き、貴様……」
ギリアムの顔が、怒りに赤く染まってきた。ホークス、ここに完全復活である。なおもホークスは毒舌のために口を開くのだ……後の展開は、ご想像にお任せしよう。
荒れ果てた食堂で、ノエルは割れたジョッキやら床にこぼれた酒などを雑巾で拭き取りながら、「(こんな時、ティナさんが居てくれたら)」と、胸の中でボヤいていた。彼女なら、これほどホークスが暴走する前に、殴り飛ばして押さえてくれただろうに。
アリアは宿屋の主人に何度も頭を下げていた。その後で、床に正座させられたギリアムとホークスは、怒ったアリアにこんこんと説教されていた。




