誘拐 Kidnapping
女性二人が買い物を一通り終え、帰ろうとして人気のない通りに差しかかった時だった。
狭い裏路地からいきなり伸びてきた腕が、二人をたちまち捕らえ、裏路地へ引き倒した。一人の男がジュエルを後ろ手にして身動きを封じ、倒れたキャロルの前には男が二人立ち塞がる。ジュエルを押さえる男の後ろにも一人の男が控え、さらにその向こうに通りの様子を見張る一人がうかがえた。男達は少なくとも五人。逃げ場は全くない。例えキャロルが魔術を駆使したとて、この配置では目の前に立つ二人の男を倒すまでが精一杯だ。背後のジュエルを守る事までは不可能だ。
この冷静な状況判断を、キャロルは瞬時に下している。師匠のノエルはかつて彼女に、『追い詰められると真の力を発揮する』と言った事があるが、それもうなずける。
「おい、兄貴! 確か一人娘のはずだよな。どっちがジュエルとかいうお嬢様なんだ?」
ジュエルの身動きを封じている大柄な男が問いかける。
「どっちだっていい。二人とも連れていけば間違いはねえ」
キャロルの目の前に立つ男がそう言い放つ。
「そうか、さすが兄貴だぜ。頭がいい」
先程の大男が感心している。
キャロルは、この男達の目的がわかった。
富豪の一人娘、ジュエルを誘拐しようとしているのだ。
「(そんな事、絶対にさせない!)」
彼女はその行動を、全くためらう事がなかった。
護身用に常に隠し持っていた銀の短剣を素早く抜き放ち両手で持つと、自らの喉元に突きつけてキャロルは男達に命じる。
「ジュエルは私。その子は関係ない。用があるのは私だけのはず。離してあげなさい! でないと、私はここで自分の命を絶つからっ」
男達が驚きの表情を浮かべる。お互いに顔を見合わせて、どうしたらいいのか迷っている。
「やれるわけねえ。さ、その短剣をこっちによこすんだ」
「私は本気。さあ、その人を離しなさい」
キャロルは短剣の切っ先をゆっくりと自らの喉に埋め込んでゆく。彼女の喉元から血がじわりと伝い落ちてくる。しかし、キャロルの表情は全く変わらない。真剣そのものだ。窮地になればなるほど、その瞳は燃え上がる。ジュエルを守らねば、という一心で頭が一杯で、恐怖などみじんも感じていないようだ。喉に鋭い痛みが走るが、その痛みでさえ彼女の意志を揺るがす事がない。
「わかった! おい、その女を離せ」
「でもよ、兄貴……」
「いいから、離せっ! お嬢様は本気だ。目を見ればわかる。ジュエルが死んだら、元も子もねえ」
「わかったよ。ほらっ、どこへでも行きやがれ」
男がジュエルから手を離す。解放されたジュエルだったが、自分の身代わりになろうとしているキャロルを放っておけない。
「私が……」
自分がジュエルだと言いかける彼女に、キャロルはそれを遮るようにぴしゃりと言葉を投げつける。
「いいから、もう早く行きなさい! あんたみたいな貧乏貴族の娘なんて、この人達には用はないのっ! どうしても買い物に一緒に来てくれって言うから、仕方なくつき合ってあげたら、この様じゃないの。全く、家が傾いてるところの娘となんて、つき合うもんじゃないわねえ。こっちまで運が無くなってくるし。いい、執事のノエルに、この人達の欲しいだけのお金を用意するように伝えときなさい。私の命に見合うだけの金額じゃなきゃ、承知しないから。いくら鈍いあんたでも、それくらいの事はできるでしょ。わかった?」
高飛車なお嬢様っぽく、矢継ぎ早にそう言い放つ。男達の中で、『兄貴』と呼ばれている男が、それを聞いて笑い声を上げた。
「はははっ。こりゃまた、たいしたお嬢様だぜ。なかなか気が強え。これなら、余計な手間が省けそうだ。その度胸、気に入ったぜ。心配するな。お前がそういう態度だったら、こっちも手荒な事はしねえ」
「それはどうも。紳士的な誘拐だこと。そういう事だから、あんたが心配する必要なんてないの。あんたはとっとと私の屋敷に帰って、ノエルにだけこの事を伝えて、まっすぐ家に帰って布団を被って寝てればいいの。誰にも言っちゃダメ。あんたが余計な事をしたら、私が大迷惑するのよ。十分なお金さえ用意すれば、一瞬で私は屋敷へ帰れるのっ! いい、ノエルに伝えなさい。『一瞬で帰れる』ってね。わかったら、早く行きなさい! ほらあっ!! ホントにトロいんだからっ」
短剣をまだ喉元に食い込ませながら、必死で目配せするキャロルの心を汲んで、ジュエルはこくりとうなずくと全力で屋敷へと駆けていった。大声で誰かに助けを求めたら、身代わりになったキャロルの命が危うい。この人通りの無い裏通りからなら、警吏の詰め所に駆け込むよりも、助けてくれるかどうかもわからない見知らぬ人達を探して助けを求めるよりも、屋敷に戻ってノエルを頼りにした方が確実で早いと判断したのだ。
「(キャロル……待ってて。必ず、必ず助けるからね……)」
邪魔なスカートの裾をたくし上げ、髪を振り乱して必死で走り抜くジュエルだった。
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息を切らせて駆け戻ってきたジュエルが、音高く書室のドアを開けてノエルに迫る。さすがにノエルもその騒々しさに本から顔を上げて眉をひそめる。
「ジュエル、どうしたのですか?」
「ノエルっ、キャロルが大変なのっ!! キャロルを助けてっ!!!!」
汗で額に乱れた髪が貼り付いているのも構わず、一気にまくしたてるジュエルであった。
その一部始終を聞いたノエル。その顔がみるみる険しく、蒼冷めてゆく。冷静なノエルも、さすがに動揺している様子だ。しかし、ノエルは大きく一つ息をついて、瞬く間に自制を取り戻した。こういう時こそ、何より回避すべきは我を失って行動する事である。その事を、実戦で鍛え抜いたノエルはよくわきまえている。
冷静さを取り戻してもう一度よく考えてみると、キャロルが『ノエルに伝えなさい』と投げかけた言葉の真意を、彼は理解した。彼女がしようとしている事を察し、誘拐した男達に協力的な態度をとっているキャロルの監禁状況を推測してみて、おそらく心配は要らない事にノエルは気づいた。
「どうしたらいいの、ノエル?」
ジュエルは落ち着かず、すがるようにノエルを見詰める。
彼は静かに微笑む。
「多分、私達は何もしなくていいでしょう。そのうちキャロルは、自分でここに戻ってくるはずです。待っていればいいんです」
「え!? ど、どういうこと?」
彼はその問いに答える風でもなく、腕組みをして一人考え込んでいる。
「しかし、その後ですね、問題は。その男達が再びジュエルを狙う事が考えられます。ちょっと釘を刺しておいた方がいいでしょうねえ」
自分の問いの答えになってないノエルに、ジュエルが再び迫る。
「ちょっと、ノエル! キャロルが心配いらないって、どういう事なの!?」
「言葉通りの意味です、ジュエル。彼女を信じてあげなさい。私が思うに、あと数時間ほどで、あなたの部屋か書室に多分キャロルが現れますよ。彼女としても、早く我々を安心させたいはずですから、そのどちらかの部屋にすると思います。きっと大丈夫です。彼女は本番に強いほうですから。今は待ちましょう。それからですね、これからの事は」
自信たっぷりにそう告げるので、一応は不思議そうにうなずいたものの、自分の身代わりになったキャロルを心配し、不安が消えないジュエルだった。




