勉強中! Studying!
ノエルがハーディー家の書室で勉強したい本を選んでいる時、キャロルとジュエルが、屈託無くにこやかにおしゃべりしながらやってきた。先程の様子とはうって変わって、二人はとても仲が良い。先程の様子が頭に残っているノエルは本当に不思議だったが、まあ、よかったと、ホッとした。ジュエルは二人の勉強の邪魔にならないよう、そっと書室を後にする。
黙々と静かに本を読みふけり、新しい知識の吸収に努めるノエルとキャロル。
やはり、魔術師ノエルは読み進むのが速い。ページを次々と繰ってゆく。目をキラキラさせながら、一心不乱に文字を追っている。キャロルの集中力がやがて一山越えて、大きくふうっと息をついて彼女が顔を上げる。しかし、師匠の集中力はまだまだ持続しているようで、黙々と読みこなしては、ノートに何やらささっと書き留めている。
キャロルはこういう時のノエルのノートを見せてもらった事が何度もある。しかし師匠のノートは、単語の走り書きがいくつも閑散と見開き一杯に散らばって書かれていて、それを線や丸や矢印が縦横に結んでいたり、独特の記号が単語の脇に幾つか記されているばかりで、彼女には何やらさっぱり理解できない代物だった。
ノエルには、その走り書きで十分に事足りているらしい。後でそのノートをもとに、要点を押さえてしっかりと理解の行き届いた、簡潔で素晴らしい書類をノエルは作成してしまう。その書類を読ませてもらうと、やっとあの走り書きの意味合いがぼんやりと浮き彫りになってくるといった案配である。
師匠いわく、『寝かせる事と、起こす事が大事』なのだそうだ。吸収したものを、敢えて一旦手放し、後で折に触れて全く異なる知見から関連性を見出したりして記憶を刺激するとの事だった。走り書きのノートから後で必要に応じて知識を復元する作業も、その一つの手段らしい。
どうやらノエルには、彼独特のやりかたがあるらしい。キャロルも真似しようとしたが、さっぱりだった。諦めて、彼女なりに理解の助けとなるノートを書くキャロルだった。ノエルの言では、彼女のノートは『時間はかかるが、綺麗でよく整頓されている、理解の深さがよく現れた洗練されたノート』だという事だ。ノエルの場合、急いで読まなくてはいけない事が多々あり、こういうスタイルができあがってしまったのだという。
まあ、適したやり方は人それぞれ。
味わう喜び自体に、優劣などないのである。
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勉強に集中する魔術師二人のいる書室に、休憩の頃合いを見計らってジュエルが紅茶とお菓子を運んでやってきた。
キャロルはすぐにっこりとジュエルに笑いかけるが、ノエルは全く気づかない様子で、真剣な眼差しで夢中になってページを繰っている。もの凄い集中力ではある。そんなノエルを見て、二人は目を見合わせてクスクスと笑ってしまう。
「(すごいねえ、ノエルって。全然気づいてないみたい)」
小声でジュエルがキャロルに囁く。弟子はヒソヒソと答える。
「(新しい本が手に入ると、いつもこんな感じなんですよ。私が部屋に入ってきても、袖を引っ張るか、大声出さないと気がつかないくらいなんです。一度、どれくらいで気づくかなって思って、夕方から部屋の中でずっと様子を見てたんですけど、お師匠様ってば、食事もしないで夜中になっちゃいました。頭にきたんで、お師匠様のベッドで寝てやったんですけど、朝起きてみたら、まだあの調子でずっと読んでるの。ベッドから出て、大声で挨拶してやったら、『おはよう、キャロル。今日は早起きですね。でも、ちゃんとノックして入ってきなさい』だって。あきれちゃいましたよ)」
ノエルもノエルだが、頭にきたからと言って、年頃の娘が独身男性の部屋で寝てしまうというのも、どうなんだか。よくもまあ、噂にならなかったものだ。
そんな一幕を聞かされて、思わず小さく吹き出してしまうジュエルだ。
「(プッ……そんな感じなんだ、こういう時のノエルって。おもしろ~い♪ ノエルくらいの魔術師になると、みんなこういう風なの?)」
「(いいえ。お師匠様だけですよ、こんな変わった人なんて)」
「(ふふっ、そうなんだ。……こういう所も、好きなんでしょ?)」
意地悪く尋ねたつもりのジュエルだったが、もうキャロルは動じない。
「(まあ、そんなとこですかねえ)」
腕組みをしながら、すました顔でそう答える。
仕草が師匠にそっくりだ。
「(へえ、言うじゃないの。ふふっ)」
ヒソヒソ話とノエルの様子を肴に、お茶を楽しむ女性達だ。噂の的となっている当のノエルは相変わらず、黙々と本を読みふけっている。
「(キャロル。そろそろノエルを起こしてあげてくれない? お茶が冷めちゃうから)」
「(了解!)お師匠様っ!! ジュエルさんがお茶を入れてくれましたよっ! 美味しいお菓子もあるんですよっ!」
「あ……ああ、そうなんですか……」
答えるものの、ノエルはまだ顔を上げようとはしない。
「冷めますよっ!! 全部、私が食べちゃいますよっ!」
「は、はいはい……っと。ああ、ジュエル。どうもありがとうございます」
ようやくジュエルの存在に気づいたノエルだった。少々慌てている様子だ。
「どう致しまして。お邪魔しちゃったかな?」
「いいえ。そんな訳ないじゃないですか!」
目を丸くして、首をブルブルと横に振るノエルだった。
ジュエルは、吹き出しそうになるのをこらえている。
「どうかなあ? ふふっ」
いたずらっぽく輝くジュエルの瞳に見詰められて、ノエルは少し慌てた様子で紅茶を口にする。
「いや、おいしいですねえ、この紅茶。ありがとうございます」
意地悪くニヤニヤしながら、弟子が師匠を見詰めている。
「お師匠様、ごまかしてる」
「ちょうど喉が渇いていたのですよ。ホントですよ、ジュエル」
必死でそう主張するノエルに、ジュエルは苦笑している。
「はいはい、そういう事にしておいてあげる」
なにやら気まずいノエルが、話を逸らすかのようにジュエルに問いかける。
「そういえば、ジュエル。最近あなたは、身分に関わらず誰でも行くことのできる無料の学校や、貧しい人達でも診てもらえる病院をこの街に開設したそうですね」
にっこりと、ジュエルはうなずく。しかし、ちょっと難しい表情をする。
「はい。でもね、まだまだ色々問題があって、もう大変なの。病気が治っても、なかなか病院から出ていこうとしない人達も出てくるし、『身分の卑しい者達に、同じような教育なぞ必要ない』って、反対してる人達もいるし。だけど、私の考えをとてもよく理解してくれる、熱心な先生や立派なお医者様が頑張って下さってるの。本当にその方達に助けられて、なんとかやっていけてる感じかなあ。今、新しい建物を造ってる。それができたら、もう少し楽になると思うの」
「そうですか。やっぱり、あなたは素敵な人達に支えられているようですね。あなたのしている事は、とても素晴らしい事だと思います。困難な事にまだまだ出会うことでしょうが、周りの人々と助けあえば、きっと道は開けますから」
ノエルの温かな言葉に、彼女はうれしそうに微笑む。しかし、『大丈夫ですから』とでも伝えるように、大きくうなずいた。
「ありがとう、ノエル。でもね、私はこの先の事は何も心配してないの。きっと大丈夫だって思ってる。『お前ならきっとできる。俺が保証する』私にそう言ってくれた人がいるの。だから、絶対本当の事だと信じてる。あの人の言葉だから……」
彼女の瞳には、何があっても、誰に何を言われようと、絶対に折れる事のない信念の輝きが灯っている。その輝きを灯したのは、疑いもなく、あの男だろう。その男の言葉を心から信じ切っている美しい女性の姿が、そこにあった。
「これは、私の出る幕はなかったようですね。そうですか、あの男が……」
「ええ。私がこうした学校や病院を造ろうと思ったのも、彼の言葉から。それにね、今度は孤児院を造ろうって思ってる。彼の子供の頃の話を聞いたから。そんな思いをしなければいけない子供達を、一人でも少なくしたいの。私にできる事なんて、ほんのちっぽけな事しかできないけど。でも、その子供達のために頑張ってみる。……ううん、そうじゃないや。人のためじゃなくって、私がやってみたいの。私が私のために、そうしたいの。本気で、そう思ってるの」
そのように告げる彼女の身体中から、静かに放たれる穏やかで温かな光を感じる。ノエルは、再会したばかりのジュエルに抱いた自分の印象を、改めて再確認した思いがした。
このようなジュエルが、以前にも増してますますその美しさが際だっているのは、当たり前の事だろう。あの男がジュエルにもたらしたもの、そして、このようなジュエルがこれから人々にもたらすであろう恩恵は、計り知れないものになるという予感が、ノエルの胸に感じられるのであった。
人々から白い目で見られる盗賊が、このような形で影から確実に人々の助けになっている事に、にぎやかにおどけたその男の姿を、ノエルは感慨深く思い起こしている。
その盗賊の事を思い起こしていたのは、どうやら彼女も同じだったらしい。どこか寂しそうな表情で、ノエルにそっと尋ねてくる。
「あの人、元気にしてる?」
「相変わらず、あの調子のようですよ。今もどこかの遺跡をうろついてるでしょうね。『お宝、お宝っ!』って鼻息を荒げながら」
「そう……やっぱりね。彼らしいわ。フフッ」
それを聞いて彼女は、とてもうれしそうな、そして少し寂しそうな微笑みを浮かべた。
キャロルは、そんな二人のやりとりを、黙ってまじまじと見守っている。ジュエルの『大好きな人』とは、どうやらノエルもよく知っている人物らしいが、キャロルには誰なのかはわからない。
しばし昔の出来事に想いを馳せていたジュエルが、無意識に傍らの本を愛しそうに撫でているノエルに気づいて、にっこりとする。
「面白いですか? その本」
ジュエルのその問いに、ノエルは少年のように瞳をキラキラ輝かせている。
「はいっ、とっても。凄い蔵書ですよ、ジュエル。もう手に入れるのがかなり困難になっている数々の書籍があります。いつまでもここにいたい気分になりますよ」
何やらジュエルが思いついたようだ。
いたずらっぽく、ノエルの顔を覗き込む。
彼の方にずいっと顔を近づけて、こんな事を告げる。
「私と結婚したら、いつでも読めるようになるんじゃない? どうかなあ?」
ちょうど紅茶を飲んでいたキャロルが、思わずブホッとむせ返っている。
「ちょ、ちょっ、ちょっと、ジュエルさんっ!?」
「そうですねえ。それはいい考えです。よろしければ、ぜひ」
相変わらずの真面目な顔をして、ノエルはそう答える。
「あうっ!? お、お師匠様っ!?」
キャロルは今度はノエルの顔を、これでもかと目を丸くして見詰めている。
「わあ~、うれしい! じゃあ、日取りを決めないと。あ、まずは婚約しといた方がいいかな?」
「はい。まあ、婚約なら今日にでも大丈夫でしょう」
「そうね。じゃあ、早速支度を……」
たまらず、キャロルが叫び出した。
「こらっ、お師匠様っ!! 悪ノリすんじゃありませんっ! ジュエルさんもっ!」
「なんか、ダメみたいねえ、ノエル」
クスクスと笑うジュエル。キャロルの様子をうかがいながら、どこまでいけるかなあと、ノエルとの結婚話を意地悪く進めていたジュエルだ。
「しょうがない、弟子が怒るので、その計画はあきらめますか」
ノエルはすました顔をして肩をすくめている。もちろん初めから冗談のつもりで話していたのだが、ノエルはいつもと全く表情が変わらないので、ちょっとわかりにくい。
「んもおう~~っ、二人ともっ!!」
実は、結構焦ってしまったキャロルだった。




