ジュエル Jewel
「……ホークスだな?」
「さすが、旦那だ。結構気を遣って身を隠してたんだがな」
ホークスが、窓のカーテンの影から姿を現した。暗い灰色の忍び装束に身を包んでいる。普段はあまり使わないのだが、夜、確実に忍び込む時には必ずこれをホークスは身につける。薄手の暗灰色の布で、服を着た上から簡単に付けたり外したりできる。畳めば手の平に収まる程である。夜の屋外では、真っ黒の色よりも、ある程度明度を上げた暗灰色のほうが目立たないのだ。
「おまえが本気で身を隠してたんなら、たとえ鼻先に立ってても、俺が気づく事なんてできねえと思うがな」
「それはそれは、光栄だねえ。んで、昼間のアレはどういう事なんだ、ライル? 何か裏があるんだろ?」
「お前が今晩きっと来てくれると思ってた。昨日は話す時間が無かった。すまねえ。実はな、こういうこった……」
ライルは、ジュエルとの婚約の裏に隠された、このハーディー家にまつわる遺産騒動をホークスに説明した。
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伝統あるハーディー家には、かなりの領地と資産がある。領地内に良質の鉄の鉱脈が発見されてから、戦乱による鉄の需要の増加と共に、その資産は近年また膨れあがった。ジュエルの父親、ランドル伯は先日亡くなった。母親は病弱で、ジュエルが小さい時に既に亡くなっており、父の遺言により、溺愛していた一人娘であるジュエルがハーディー家の膨大な資産を全て相続する事になった。
それを妬ましく思っているのが、この地方でハーディー家に次ぐ実力を持つワインベルク家の長男、ダミアンである。政界にも顔が利き、軍部とのつながりも強い。戦乱もあって、この男から財政的支援を受けている軍部は、現在政治にもかなりの圧力をかけている。
今回、ジュエルが遺産を相続するにあたり、ダミアンがジュエルに求婚を申し出てきた。もちろん、その遺産が狙いである。美しいジュエルと共に、その膨大なハーディー家の資産を手中にすれば、この地方は彼の思いのままとなろう。しかし、ジュエルはそれを拒み続けてきた。
彼女は昔から、この男を好きになれなかった。自分に対するダミアンの憎しみを込めた冷たい眼差しに、何度も恐怖を感じる時があった。いくらこの男が美辞を重ねて自分に求婚してきても、彼女の心が揺らぐことなど無かった。彼は自分ではなく、自分の資産を欲しているだけだという事は明白なのだから。しかし、ダミアンの求婚は執拗だった。彼女が恐れを感じてしまうほどに。
業を煮やしたダミアンが、手荒い手段を用いてくるのに、そうそう時間はかからなかった。やくざな手下達に命じ、ジュエルの誘拐を計画したのだ。膨大な身代金を要求した上、ひどい事をして強情な彼女の心と身体を汚し、思うままにハーディー家を揺さぶる心づもりであった。
しかし、思わぬ邪魔が入ってダミアンの計画を狂わせた。
街へ出たジュエルが、一瞬で連れの者達を殺されてしまい、口を塞がれてまさに馬車へと押し込まれようとしていた時に、ライルが割って入ったのだ。立ち向かってきた男二人を、ライルは瞬く間に斬り倒す。それを見て、男達は慌ててジュエルを乗せて馬車を動かそうとしたのだが、すかさずライルが馬車の車輪をその長剣で叩き壊した。弾みで飛び出して、地面に落ちそうになったジュエルをライルはしっかり抱き留め、片手に持ち替えたバスタードソードで、残る男どもをたちまち無惨な死骸へと変えた。
誰がこのような事を仕組んだのか、薄々感じ取ったジュエルだったが、とにかく怖くて震えながらライルにしがみついていた。そして、そのライルの見事な闘い振りの一部始終を目にしたジュエルは助けてくれた礼を言い、きちんとした御礼がしたいからと言ってライルを屋敷へ連れて行こうとする。しかしライルは肩をすくめる。
『別にたいした事じゃねえ。気にすんな』
そして長剣を背に戻し、普段通りぶっきらぼうに背を向けようとする。その様子を見て『この人なら、きっと大丈夫だ』と直感したジュエルだった。断るライルを『もう怖くて仕方ありません。図々しいお願いですが、私を家まで送って頂けませんか?』と強引にハーディー家へと連れ込んだ。
そして……
ジュエルはライルに求婚したのだった。悲しい決意を胸に秘めて。
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「そういう訳か……なるほどな。こりゃ、ちっとばかし厄介だぜ、ライル。下手をすると、何も関係ない人々まで血を流すことになるかもしれねえ」
ホークスが腕組みをして、目を鋭く光らせている。軍部とのつながりも強いダミアンである。事によると、ジュエルと結婚する事で力をつけた彼が、内乱を引き起こす事にもなりかねないのだ。そうなれば、何も関係ない人々まで巻き込まれてしまう。ジュエルはそれを心配して、ライルと表向きの婚約発表に及んだのだ。結婚という形でジュエルに手を出せなくなれば、ダミアンはハーディー家の莫大な資産を正当に奪う事ができなくなる。
「旦那。あんた今、かなり危険だぜ……」
「ああ、わかってる。でも、なんとかしねえとな」
それで黙っているダミアンでは無いだろう。必ず全力で、婚約者であるライルの命を狙ってくるはずだ。その事を、二人とも理解していた。
その時、ライルの部屋を、静かにノックする音が聞こえた。素早くホークスは身を隠す。先程ライルに姿を現した時とは違い、完全に気配を絶っている。隠れた所を見ていたのでなければ、ライルとてホークスの存在に気づきそうもない。
『ジュエルよ、ライル』
「いいぜ。あいてる」
ジュエルが辺りをはばかりながら、そっとライルの部屋にやってきた。
「ごめんなさい。こんな遅くに」
彼女は、うつむいている。何か、不安気だ。
「まだ起きてたし、別に構わねえよ。婚約者同士なんだしな」
ニヤリとライルが笑いかける。
ジュエルは、少し顔を赤らめる。
「ごめんなさい。こんな事に、あなたを強引に巻き込んでしまって。でも、あなたの腕前を見て、あなたしかいないと思ったの」
「でも、あんまし長続きはしないぜ。これからどうするつもりなんだ?」
問いかけるライルに、ジュエルは唇を噛みしめて告げる。その瞳に、悲しげな光が灯る。
「家を出ようと思ってる。遺産は、ダミアンの手の届かないように遠くの教会に寄付するつもり。それで、そこで修道女になろうかなって。その手続きが済むまでの間、なんとか時間を稼げば……」
「それで、本当にいいのか、ジュエル?」
「うん……」
今日二十歳になったばかりの美しい女性は、寂しげにうつむいた。
その時、彼女がライルと二人きりだと思っていたこの部屋の片隅から、男の声がした。
「おいおい、そりゃあないぜ! 今が満開の花……いやいや、これから益々きれいに咲き誇る花を、無理矢理摘み取るこたあねえだろ? もったいねえ。お嬢ちゃん、世の中もっと気楽に楽しまねえといけねえぞ」
たまらず、ホークスが物陰から姿を現した。
びくりと驚くジュエル。全くホークスの気配に気づかなかったのだ。ライルがそんなジュエルの肩に手を置いて、笑いかけて安心させてやる。
「俺の仲間だ。ホークスといって、盗賊をしている。まあ、仲間ってより、腐れ縁ってとこだが」
「その言葉、そっくりそのまま返すぜ、ライル。俺だって、好きこのんで旦那と一緒に居る訳じゃねえ。ホンっトに腐れ縁だぜ、全くよう」
ニヤリと笑い合う二人。
その様子を見て、驚いていたジュエルも少し落ち着いた。
「あの、ジュエルです。初めまして」
「これはこれは。いきなり不躾で申し訳ない、ジュエルお嬢様。正々堂々、名乗るのもおこがましい事でございやすが、卑しい盗賊、ホークスめにございます。美しいお嬢様のためならば、今からこの盗賊が、ダミアンのパンツを野郎めの頭にすっぽり被せて参りましょう」
いかにも生真面目にそう言って、慇懃にジュエルにお辞儀をするホークス。
ホークスのその言葉に、彼女の頭にダミアンのその情けない姿が思わず浮かんでしまった。
「プッ……あはははっ。面白い人ね、あなたって」
ジュエルは思わず吹きだして笑ってしまった。ジュエルは意外と親しみやすく、お嬢様という感じがしない女性だ。
「よく言われやす。笑うとかわいいぜ、お嬢様。修道院なんぞに行かすのは、やっぱりもったいねえなあ。もっと俗世で楽しまねえと。なんなら、俺が……」
鼻の下を伸ばして迫るホークスの言葉を、すかさずジュエルが遮った。
「それは遠慮致します。素敵な盗賊さん」
「ちぇっ、これだもんよ。残念無念。俺様の恋はいっつも空回り~っと。寂しい寂しい盗賊よ~い」
肩をすくめるホークス。それをにっこりとジュエルが見詰めている。
「ライル、あなたのお友達って、みんなこういう風なの? なんか、いいなあ」
「こいつだけ特別にこういう風だ。まあ、他の奴等も、変わった奴ばかりだけどな」
「おいおい、旦那にだけは言われたくねえぞ。あんたが一番の変わり者だぜ」
「そうかもね。フフッ」
ジュエルがクスクス笑う。笑っている彼女を見ると、どこにでもいる普通の娘とどこも変わらないような感じだ。
「おい、ジュエル……」
ライルが顔をしかめる。ジュエルは笑いながら告げる。
「フフフッ。だって、昨日いきなり私が『結婚して』って言ったら、全然何も聞かずに『いいぜ』って言うんだもん。普通じゃないよね?」
ジュエルに同意を迫られたホークスが、何やらだらしない顔をしている。
「お、俺に言ってくれてたら、迷わずOKだぜ。ついでに肩を抱いて、キスのサービスなんかも……」
ホークスが鼻息を荒げている。鼻の下まで伸ばしている。クスクスと笑うジュエル。本当に楽しそうだ。
「……普通じゃない人が、もう一人いるみたい」
父親を亡くしてから、彼女がこんなに笑ったのは久し振りの事だった。
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ライルが、話を切りだした。
「お前はどうしたらいいと思う、ホークス?」
盗賊ホークスの表情が変わる。だらしないニヤけた顔が、一瞬にして真剣な鋭い顔つきになる。真面目な顔をすると、彼はかなり精悍で男前である。それを側で目にしたジュエルが、胸の内で少し驚いた。
「そうだな……そのダミアンという男、かなりのワルみてえだ。きっと、裏でかなり汚ねえ事をやってるに違いねえ。調べれば、いくらでも埃が出てくるぜ。その尻尾を確実につかむ事さえできれば、なんとか勝機はこっちにあると思う」
「頼む。調べてみてくれねえか?」
「ああ。任せとけ。くれぐれも身の回りには気をつけな、旦那。食い物にも油断しねえ事だ。この屋敷の中にも、奴の内通者がいると俺は思う。ジュエル嬢ちゃんも、一人で外に出るのは避ける事だ。なるべくなら、ライルと一緒にいるといい。奴等、ライルの命を狙ってはいるが、まだお嬢様を殺す事まではしないからな。それでライルの旦那もちっとは安全になる」
しかし、ホークスの目は冷たくキラリと光る。ダミアンの腐った手下どもが考えそうな事を、彼は同じような思考で弾き出していた。彼もまた、闇に身を潜めている者なのだ。
「まあ、襲いかかった上で旦那を殺して、嬢ちゃんの方は誘拐するって手もあるが。それは以前やって、失敗してるからな。そうそう同じ手ではしばらくやらねえと思う。多分ちょっと間を取って、こちらの警戒心を緩めてから、今度は手練れの刺客を送り込んでくるってとこかな。宿屋で待ってる奴らをこちらの護衛に回そう。明日から、旦那は一階に寝た方がいい。旦那の腕前なら、敵の気配がすぐわかった方がいいし、逃げ場も多い。俺はギルドに顔を出してみる。何かつかめるはずだ。しかし……」
「しかし、何だ?」
言いよどんで難しい顔をしたホークスに、ライルが言葉を促した。
「ああ、俺の勘だが、何か俺の素性を証明するモノがあったほうがいいような気がする。盗賊ギルドが完全に奴の手に墜ちているとは思えねえが……もし、ギルドにまでダミアンの野郎の手が伸びてるとしたら、真っ当なギルドの奴等はかなり過敏になってるはずだ。流れ者の俺の事を野郎のスパイだと思って、信用してくれねえかもしれねえ」
「なるほどな。確かに、そういう事もあるかもしれねえな」
ライルも腕組みをして厳しい顔をする。
二人の様子を見て、ジュエルがその青いサファイアのネックレスを外して進み出た。
「なら、これをあなたに貸します。亡くなったお父様が、生前につき合いのあった、ガイアという名前の盗賊ギルド長に、信頼の証として交換し合った物です。今は噂は聞かないけど、私が小さかった頃、当時のギルド長は時折屋敷に顔を出して、お父様と親しげに話していました。私とよく遊んでくれたの。ガイアおじさんって、面白い人で、私とっても大好きだった。その時は、ガイアおじさんが盗賊だって事は知らなかったけど、でも、私が大きくなってから、お父様が教えてくれたの。お父様はよく、『あの男こそ、真の盗賊だ。あの人が頑張っていてくれるから、本当にひどい事をする奴等がこの地方に入ってこられないんだ』って言ってました」
ジュエルの差し出すそのネックレスを、ホークスがしっかり受け取る。
「わかった。ありがたく借りとくぜ。なるほど、こいつはまた、たいしたお宝だ。なかなか、これ程のお宝には出会えねえぞ。ガイアの野郎、たいした腕だな」
目を輝かせて、そのネックレスをホークスがしげしげと値踏みする。
「どさくさに紛れて、ネコババすんじゃねえぞ、ホークス」
ライルが念を押しておく。
「……わかってるって」
そう答えるのに、なぜか微妙な間があるホークスであった。
「ダメよ。ガイアおじさんにもらった、私にとって大事な物なんだから。それに、今となっては、お父様の形見でもあるの。無くなったら、私泣いちゃうんだからね」
ジュエルが再び念を押す。肩をすくめるホークス。
「へいへい。ちぇっ、信用ねえなあ。ま、無理もねえか。俺は盗賊だしなあ。んでも、ちゃんと後で必ず返すからよっ。かわいいジュエルを泣かせたくはねえしな。じゃあなっ!」
そう言うと、ホークスは二階だというのに窓を開けて、ひらりと身を翻した。
「え!? ちょっと、ここは二階よ!?」
慌ててその窓に駆けつけたジュエルが身を乗り出すと、猫のようにしなやかに音もなく着地したホークスは、広い庭を素早く駆け抜け、ふわりと身軽に跳躍して高い塀の途中に片足をつけ更にもう一跳び軽やかに飛び上がり、高い塀に片手をかけると、身体をさっと引き上げて塀を乗り越え、たちまち姿を消していった。
ジュエルが、その開け放たれた窓に立ちつくし、盗賊ホークスの常人離れした身のこなしに唖然としている。鼻の下を伸ばして自分に迫った先程のホークスの姿からは、全く想像できないもう一つの彼の一面をまざまざと見てしまった彼女だ。
「……ああいう人なの?」
やっと、そうジュエルがつぶやいた。
「ああ。ああいう奴だ。いざという時は頼りになる。普段のあいつの姿からは、想像もつかない事を軽々とやってのける男だ。あいつは前に、ジューダスの天才軍師が仕組んだ、国家規模の策謀の一つをほとんど一人で叩き潰した事がある。あいつに任せておけば、間違いない」
ライルは、ホークスを信じ切っている様子だ。確かに、ホークスは『人喰い虎カイエン』の事件では、サーカスを逃げ出したトラの事を足がかりに、ジューダス王国の天才軍師が、この国と東のブロミア国との関係を揺さぶろうとした陰謀を見抜き、一行の誰も全く知らない間に、独力で刺客を捕らえ、戦禍の火花を影でつみ取った事がある。
そんなライルを、ジュエルがまじまじと見詰めている。
「フフッ。さっきは二人とも憎まれ口叩いてたのに。いいなあ、そういうの。私の周りには、そんな人達いないもの」
そう言って、ジュエルは少し寂しそうにうつむく。
そのような様子のジュエルに、ライルがにっこりと笑いかける。薄暗い部屋に、明かりが灯るような笑顔だ。こういう時のライルは、胸の片隅に苦しい痛みと暗い怒りを宿している男にはとても見えないのだが。きっとこれが、彼の本来の姿なのかもしれない。悲しい出来事が、それを狂わせてしまっているのだろう。
「これからジュエルにも始まるのさ。いい男がきっと目の前に現れてくる。それに、気持ちのいいやつらが自然とお前の周りを囲んでくれるようになっていくさ。こんな気立てのいいお前さんだったら、間違いねえと俺は思う」
「そうかなあ?」
ジュエルは、かわいらしく首をかしげた。
「そうさ。だから、しばらく俺達を信じてみないか? 修道女にだったら、いつでもなれるんだしよ。なんか、逃げるみてえに焦ることはねえと思うぜ。別にお前さんは、なんにも悪くねえんだし。きっと、なんとかなるってばよ。ホークスじゃねえが、俺ももったいないと思うぞ」
温かなライルの言葉に、まじまじと彼を見上げるジュエル。少し、気恥ずかしげだ。
「うん。信じてみる。あなたの言葉なら、なぜか信じられる気がする。それに……素敵な男の人が、もう二人くらい私の目の前に現れてきたみたい」
そう言うと、ジュエルは背伸びをして、そっとライルの頬に口づけした。
「おやすみ、ライル……ありがとう」
そう囁いて、くるりと背を向けると、ジュエルは急ぎ足で立ち去っていった。
ライルは、頬に残る感触を確かめるかのように、無意識に指を頬に当てていた。やがて開いた窓を閉めると、ライルは浅い眠りについた。




