今度は馬鹿三人 Three Idiots
翌日にはシャリーの熱も大体下がった。昼間近になる頃合い、シャリーが静かにかわいらしい目を開ける。
「シャリー! よかった。気が付いたのね」
ベッドに横たわったまま、少女が顔を横に向けると、目尻の涙を拭いながら、ティナがそっと手を握ってくれた。ベッドの側、シャリーの枕元に近い小卓に、底に少し水の入った小さなガラスのコップが置いてあり、何かの野草が一本生けられていた。
「(これは……?)」
不思議そうに、枕元にあるコップに生けられたその小さな野草を見詰めるシャリーであった。その眼差しに気づいたティナが、にっこりと告げる。
「ああ、これね。ホークスが取ってきてくれたのよ。四つ葉のクローバー。普通は三枚の葉っぱなんだけど、四枚あるのって、なかなかないの。これを持ってるとね、ちょっぴり幸せになれるって言われてるのよ」
ティナの言葉に、目でうなずくシャリー。
「(知ってる。お母さんが前に教えてくれたもの。でも、本当になかなか見つからなかったなあ。ホークスって、確か船で手品を見せてくれた、面白い男の人だ。そうなんだ……)」
ホークスは、この少女を楽しませてやろうと、船に乗った時に、いたずらっぽく大袈裟におどけながら、器用な手先でちょっとした手品を色々見せてやっていた。シャリーは恐る恐る遠巻きにしながらも、じっとその手品に見入っていた。
不遇な幼少期を送っていた彼は、あの頃の自分に与えられなかったものを、この少女に少しでも与えてやりたいと思っていたのだった。
だからホークスは、子供好きなのである。苦しい思いを強いられて、生きてゆかねばならない子供達を目にすると、彼は人事とは思えず、どうしても放っておけないのだ。各地で目にするそうした子供達に、ホークスは何かと小遣いをやったり、しばし一緒に遊んだりして、ほんの一時だけでも子供達に楽しい時間を作ってやっていた。不運にもめげず、明るくたくましく生き抜いている子供達を見ると、彼の顔は限りなく優しくなるのだった。
そうしたホークスだけ見ていると、裏の世界を渡り歩いている盗賊とはとても思えない。毒矢を放った曲者の耳を容赦無く切り落とし、陰謀の首謀者であるアランを震え上がらせた身も凍るような脅しを口にした、冷酷な男の姿は全く想像できない。この一行の誰しも、大なり小なり、そうした矛盾した一面を併せ持っている。ライルも、それが激しく心に現れている者の一人だろう。
しかし、それが人間というものの、ありのままの姿なのかもしれない。迷いながら、間違いながら、傷だらけになりながら生き抜いてゆくしかない、小さな小さな存在として創られた、人間というものの真実の姿なのかもしれない。
まじまじと、その生き生きとした緑のクローバーを見詰めるシャリーと、それをにっこりと側で見守っているティナであった。
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シャリーが目を覚まし、一同が胸を撫で下ろしたその日の夜。
男三人の、怪しげな姿が見受けられる。
「(おい、フォレス。押すなよ)」
「(いいじゃねえか。ケチケチすんな。……おお、すげえぞ、こりゃ。うおっ!)」
「(次は俺様だぞ。いいな)」
「(なんだよ、俺は最後かよ)」
ライルが口を尖らせてボヤいている。
ここは、修道院の庭のとある一角である。ホークス、ライル、それになぜかフォレスまでも、肩寄せ合うようにして、ある小窓から、その部屋を一心に覗き込んでいるのであるが……。その窓からは、何人かの女性達の声が聞こえてくる。湯煙が少し、そこから外に漏れているようだ。どうやら、その部屋は修道院の大きな共同風呂のようである。
「(おい、早く代われよ、フォレス。お前医者だろ? 女の裸なんて見慣れてるんじゃねえのか?)」
「(馬鹿者。それとこれとは違うのだ。そういうものなのだ。ぬおおおっ、でかい!)」
「(おら、代われ! ほうほう。ふ~ん。そうなのか。なるほどな……)」
「(はあっ……よかったぜ)」
不埒な男三人が、よからぬ事をしてコソコソと盛り上がっているようだ。
「(おい、まだかよ? 早く代われよ、ホークス)」
「(焦るな、焦るな。やっぱ、アリアは小さい方だな、こうしてみると。形は悪くねえけどなあ……ティナはすげえな。何度見ても貫禄があるぜ。フローラもなかなか……)」
「(おいっ、代われ!)」
我慢できなくなったライルが、ホークスの肩を掴んで引き剥がしたその時、側にあった木の枝に身体が触れてしまった。ガサリと音がしてしまう。凍り付く男ども。
「(あ、馬鹿野郎! じゃ、そういう事で。さらばだ。幸運を祈るぜ、ライル、フォレス)」
「(すまねえ! うまく逃げろよ、フォレス。じゃあな)」
「(お、おいっ!)」
手慣れて素早く逃げたホークスとライルに出遅れて、慌てて逃げようとするフォレスの後頭部に、ティナが思いっきり投げつけた木製の風呂桶が見事に炸裂した。バランスを崩してコケたフォレスを、身体にタオルを巻いた女性達がたちまち取り囲む。皆、怒りの炎が燃えている。
湯上がりのティナが、倒れたフォレスを仁王立ちで睨みつける。
「フォレスっ! あんたもかっ!! ちょっとでも見直した私が馬鹿だった。医者のくせに、恥ずかしくないのっ!?」
「う……」
アリアも迫る。かなり怒っている。
「フォレス様、見損ないました。あなたはライルやホークス様とは違う人だと思っていましたが……どうやら、同じ種類の人だったようですねっ!!」
「わ、悪かった。この通りだ。勘弁してくれい。出来心だ。お前さん達が、あんまりにも綺麗で魅力的だったからよう……まるで天女様みたいだった。美しい名画を見てるみてえだった。もうしねえ。心を改める。医術に専念する。一生の思い出になった。もう死んでもいい。気の済むまで、好きなだけ殴ってくれ」
立て続けに言葉を重ね、フォレスは頭をついて土下座する。う~ん、なんというか……こうなった以上、ベストを尽くしているようだ。
そんな潔いフォレスを前にして、ティナは戸惑った。いつもは懲りないホークスやライルばかりを相手にしていたし、すごく綺麗だとも言われてしまっている。ホークスとライルからは、吊し上げた所でそういう言葉を聞いた記憶がない。勝手が違うのだ。
「ま、まあ、ちゃんとした反省はしてるみたいねえ。あいつらと違って。みんな、どうしよっか?」
フローラが、覗かれてしまった皆を代表するかのごとく進み出る。
「フォレス様。私達、そんなに綺麗だったの?」
フォレスは土下座したまま、熱っぽくうなずく。
「ああ、みんなとっても。心が洗われるようだったぜ。……でも、いけねえ事だった。信じられないくらい綺麗なお前さん達の虜になって、思わずやっちまった。すまねえ。もう逃げも隠れもしねえ。言い訳もしねえ。どんな罰でも受ける。好きにしてくれ」
「……ふ~ん(ヒソヒソ……)」
女性陣は囁き合っていたが(時折、クスクスと笑い声が聞こえた)、どうやら判決が下ったらしい。反省の色もうかがえるという事で(というか、綺麗だと絶賛された事のほうが大きく影響しているようだが)、とりあえず、今回だけは許してくれる事となった。大きく溜息をつくフォレス。
「(あいつら……俺を見捨てやがって。くそう)」
先に手早く逃げたライルとホークスを逆恨みするフォレスであった。
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覗き騒動があった翌日。
フォレスはシャリーを診察し、もう自分の手は要らないだろうという判断を下し、イングリッドらに内服薬と、シャリーに与えてよい食べ物などを細かく指示する。そしてその後……昨夜の事を、散々、修道女達にクスクスと意地悪くからかわれた後、不機嫌な顔をしてフォレスは修道院を立ち去るのだった。ライルとホークスがそんな彼の後を追ってきた。ライルは何やら細長い包みを持っている。
「よお、すまなかったな、フォレス」
謝るライルに、フォレスは無言で足を速める。ホークスが取りなす。
「なあ、悪かったって。なにせ、俺達はちょっと前にもヤバい事やっちまってるもんでよ。捕まってたら、もう一生、あそこの畑を耕す事になっちまうところだったんだ。でも、俺達の事、黙っててくれたんだな。ありがとよ。男の友情ってやつを感じたぜ」
「お前らとは、もう口をきかん。消えろ」
ますます不機嫌なフォレスであった。
「いや、悪かった。詫びといっちゃあなんだけどよ、こいつは俺達からの贈り物だ。受け取ってくれよ」
ライルがその包みを差し出す。しかしフォレスはにべもない。
「いらん。消えろ!」
「まあまあ……こういうやつなんだけどよ」
ライルが細長い包みを取り去る。そこには、穂先から手元まで五本に分割された、組み継ぎの立派な竿が入っていたのだった。その竿が視界に入ったフォレスの表情が一変した。ピタリと立ち止まる。
「お、おいっ! こりゃ、かなりいいやつじゃねえかよっ!?」
一目でその価値を見抜いたフォレスは思わず手に取って、たちまち竿をつないでみる。彼はその竿を惚れ惚れと眺めて立ちつくす。とても長い竿なのだが、その軽さは羽根のようで、一日中手に持っていたとしても、全く疲れを感じないだろう。彼が今までに見た事の無い素材でできている。これが、釣り好きの彼が噂に聞いた、東洋でしか採れないという釣り竿に最適とされる『竹』なのだろうか。ちょっと振ってみる。穂先のしなりは力強いしなやかさに満ちていた。心地よい弾力が彼の手に伝わってくる。
間違いなく、魚が暴れる衝撃の全てを包み込み、なおかつしっかりと引き寄せる丈夫さをも兼ね備えた逸品だ。ウキ釣りには最適の竿だ。銘を確認するフォレス。彼には読めない東洋の文字で何やら記されている。
ホークスがそれに気づき、教えてやる。
「確か店のオヤジが、イッペイ・ミヒラ作の竿とか言ってたぜ。遥か東方の国の、釣り竿作りの名工だってよ」
その名を聞いたフォレスは、竿を持つ手が震えた。彼のような釣りキチ達の間では、竿作りの名職人として、この国までも名が通る高名な男の名なのだ。この銘品は、ホークスとライルが、朝一番で町の古物商を漁って捜し出したのだ。
「気に入ったか?」
ニヤリと顔を覗き込むライル。フォレスは目を輝かせていた。
「おうっ!! 凄いぜ、こいつはよ」
そんなフォレスを見て、ホークスはニヤニヤしている。予想通りの反応なのだ。
「まだまだあるんだぜ。これもだ」
ホークスは、何やら円筒に巻いた黒光りする糸らしきものを取り出す。見慣れない繊維が幾重にも複雑に撚り合わせられている。見たこともないような独特の織り込まれ方である。フォレスは不思議そうに見詰めている。
「これはな、極細の丈夫な糸だ。特別製だぜ。盗賊御用達の品だ。普通じゃ、絶対に手に入らない品だ。盗賊ギルドの一部でしか手に入らねえ。見てろよ」
そう言うと、ホークスは道ばたの木の枝にその糸をくるりと引っかけ、糸の両端を両手に巻き付けると、ぐいと身体を引き上げる。細い糸だが、彼の身体の重みに切れずに耐えている。
「どうだ? こいつを釣りに使えば、大物がかかった時、この前みてえに糸が切れるなんて事は絶対にねえぜ」
フォレスの瞳が、もうギラギラと不気味なほどに輝いている。子供が見たら怯えるだろう。
「おうっ、それなら絶対大丈夫だっ!! クジラだって引っこ抜ける!」
思わず興奮しているフォレスだ。
「だろ? これもやるよ。悪かったしな」
ホークスがそう告げて、フォレスの手にその糸を握らせてやる。
「い、いいのか? ホントにか? 後で返せって言っても、ダメなんだからなっ!?」
高級な竿と、特別製の糸を手にして目を見張るフォレスであった。
「決まってるじゃねえか。遠慮無くもらってくれよ。友達だろ?」
ライルとホークスは、ニヤリと笑う。
フォレスが、あまりの感動に声を震わせて叫ぶ。
「おおおっ! 持つべき者は友達だな、やっぱりよ! もうこれで昨日の事はチャラだ。お前達がもし怪我や病気したら、俺んとこへ来い。タダで診てやる。……おしっ、やる気出てきた。お魚ちゃん達が俺を呼んでる声がビンビンするぜ。じゃあなっ、ありがとよっ!!」
竿と糸を愛しそうに握りしめ、瞬く間にフォレスは駆け去っていった。目指すはもちろん、港である。彼の帰りを心待ちにしている患者達の事は、今の彼の頭の中から、きれいさっぱり消えている。
後に残された二人が、その後ろ姿を見送ってニヤリと笑っている。
「な、言った通りだったろ?」
ホークスの言葉に、ライルもうなずく。
「ああ。けどよ、あれでも釣れねえんだろうなあ」
「ああ、釣れねえだろうな、きっと。そんな気がするぜ、なんとなく」
肩をすくめる二人であった。
なにやら、ライルが感慨深げだ。
「あれだけ単純な奴も珍しいぞ。変わった男だ」
「でもよ、結構気が合いそうな奴じゃねえか?」
「ははははっ、そうだな。今度来た時は、あいつと一緒に飲んでみてえな」
「ああ、俺もそう思ってた。きっと面白いぜ」
この会話を聞いたら、ティナとアリアは頭が痛い事であろう。馬鹿二人が、馬鹿三人になってしまうのだから。凄腕の剣士と、一流の盗賊、それに腕の立つ医者のはずなのだが。




