祈る心 Prayer
息せき切って、修道院に到着したライルとフォレス。
直ぐさまフォレスはシャリーのベッドへと足早に近づくと、真剣な顔つきでシャリーの様子を確認する。毒矢が少女に刺さってからの時間、施した処置、その後のシャリーの容態などを、てきぱきとノエルやイングリッドから聞き出してゆく。やがて大きくうなずくと、フォレスは治療道具の入った鞄を素早く開けて、中から聴診器を取りだして、シャリーの身体の状態をさらに詳しく調べてゆく。自らに確認するかのように軽くうなずくと、フォレスは聴診器を外して、必要な解毒剤の調合に取りかかった。
その様子を見守っていた一同は、フォレスの迅速で落ち着いた対応振りに、胸を撫で下ろした。なぜか、この男に任せておけば大丈夫だと、皆はどことなく感じているようだ。普段のだらしない様子とは違い、医者として患者の治療に専念している時のフォレスは、とても頼もしい男であった。
ライルがそっとフォレスに近寄り、その手際を観察していたが、フォレスの鞄の中に様々に分類された数々の薬品の中の一つが目に入った。と、ライルはその見覚えのある特徴的な紫色をした包み紙に目が釘付けになった。ライルにとって、この医者の鞄の中にそのようなモノが入っていたことは、信じられない事であった。
思わずライルは、彼に声を掛けずにはいられなかった。
「おい、フォレス。その、紫の包み紙のヤツは……?」
ちょうど調合を終えたフォレスは、事も無げに告げる。
「ああ、これか。『霧の華』だ。たまに使う」
それを聞いて、ライルの表情が一変した。
怒りの炎がギラギラと両の瞳に滾っている。
激しい憎悪が、彼の顔を修羅のごとく歪める。
彼は利き腕の右拳を堅く握りしめたと思うと、その拳でフォレスをいきなり殴り飛ばした。腕の振りがうなりをあげる音が、周りの人間にも聞こえるほどだ。音高い打撲音が響き渡り、頬を殴られたフォレスは後ろの壁まで吹っ飛んだ。修道女達の悲鳴があがる。
「貴様っ!! 麻薬を病気の人間に使うってのかっ!? それともお前自身が使ってるのかっ!!!! この腐れ医者がっ!!」
さらにライルはバッと詰め寄り、フォレスの襟首を掴んで締め上げ、そのまま壁へとあらん限りの力を込めて押さえつける。その顔は暗い憎悪に満ちており、普段のライルからは想像できない形相だ。修道女達は、そんな凶暴な男の姿に怯えている。ライルの異常な怒りにノエルは戸惑った。ティナだけは、思い当たる事があった。
『霧の華』……それは、ライルが恨んでも恨みきれない麻薬の名前であった。幼い彼に悲劇をもたらした根源であった。
怒りに燃えて睨みつけるライルの瞳を、フォレスは静かに見詰め返す。
「俺の目を見ろ」
「ああ、見てるさ」
苛立ちながら、ライルはフォレスの瞳を睨みつけている。
「ラリってるように見えるか?」
「…………見えねえ」
冷静なフォレスの言葉と瞳に、少し、ライルの怒りの炎が静まってきた。しかし、相変わらずフォレスを壁に押さえつけたままだ。ライルの目を、その深い緑の瞳で見透かすように、フォレスは静かに告げる。
「何がお前にあったのかは知らんが……。この『霧の華』ってのは、適量を使えば優れた薬になる。異常に神経が高ぶってしまったような患者の心を落ち着かせたり、麻酔にも使える。毒と薬ってのは、同じもんなんだ。ただ、使いようで人を助けたり、苦しめたりする事になる。この薬そのものに、善悪などねえ。それを使う人間の目的次第なのさ。この薬はな、いわばお前の剣と一緒だ。お前次第で、人の命をただ奪う事もあれば、より多くの人の命を救う事もある……使う人間の心なんだ。一番大事なのは。そういう事だ。よく、覚えとけ」
フォレスの告げた事実に、愕然とするライル。
憎んでも余りある『霧の華』……それが人を救う薬ともなる事を初めて知ったライルであった。彼にとっては、悪そのものにしか思えない麻薬が。フォレスを押さえつけていた手から、だらりと力が抜ける。呆然と、ライルはうつむいてしまっている。
ようやく解放されたフォレスが、殴られた頬をさすりながら、そんな様子のライルの肩にポンと手を置く。
「俺は今、人の心次第と言った。こいつを使って、裏で悪どい商売をしてる奴がいると聞く。そういう奴等は、地獄に堕ちろと俺は思うぜ。そうは思わねえか?」
「(……その通りだ。この男の言う通りだ。俺はやっぱり、こいつを使って金を儲けようとする奴等を叩き潰す。悪いのは、そいつらだ。こいつの精製方法を独占して、闇で荒稼ぎしてる人間の心こそが、俺の敵だ)」
ライルは、心の底からそう悟った。
フォレスの言葉に、大きくうなずくライルであった。そんなライルを見て、フォレスはニヤリと笑う。再び治療に戻ろうとするフォレスに、ライルが声をかけた。
「すまねえ、フォレス」
背を向けたまま、フォレスは軽く片手をあげる。
「気にすんな。こんなのしょっちゅうだ。結局死なせちまった患者の肉親とかからな。そういうのも全部受け入れるのが俺のやり方だ。こんなもん、あれに比べたら屁でもねえ。……俺がまだ駆けだしだった頃、つまらねえミスして死なせた男のガキが、ちっちゃな拳握りしめて俺を叩いた時の、あの時の拳の痛みに比べたらな……あれが今までで、一番痛かった」
フォレスの胸に、あの時の小さな少年の姿が鮮やかに浮かぶ。……わんわん泣きながら、その小さな体中のありったけの力をこめて、何度も何度も自分の身体を叩き続けた少年の姿が。彼はそう告げると軽く頭を振って、また真剣な顔つきに戻ってシャリーの治療を再開した。
その一部始終を傍らで見守っていたイングリッドは、静かにじっと、心に痛みを背負って生き抜いている二人の男の姿を、胸に焼き付けていた。
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フォレスの医者としての腕前はさすがだ。毒の種類に応じた必要な処置を、てきぱきとシャリーに施してゆく。氷がたっぷりと要るという彼の言葉に、ノエルが立ち上がった。
彼は庭に出て、『氷の刃』の呪文をあらん限り連続で唱え続けた。効果範囲が広い呪文を無理矢理制御して、幾つも並べた金属製の受け皿目がけて解き放つ。かなり効率の悪い方法であったが、素早く氷を手にする方法は他には考えつかない。消耗し過ぎて、くずおれるノエルに、イングリッドも含めた修道女達が、かわるがわる手をかざして『癒しの泉』を行い、その精神力を回復させてやる。すると再びノエルは必死で立ち上がって、さらに『氷の刃』を唱えたのだ。
《凍える天空より舞いしきる、小さき氷のかけら達よ。我が願いに応え、寄り集まりて斬り裂く氷の刃とならん……アスト・シルヴァス・サラモニーク、ス・ノルディス、カタスト・パルス、ドュ・ケセ・オーディアス! 》
『万物の創造主たる主よ。その下僕、イングリッドがお願い申し上げます……疲れ果てたるこの者に、心の力をお与えください。湧き出でる白き優しき泉よ、この者の魂を包み癒したまえ。衰弱したるこの者に、再び湧き出でる心の力を満たし給え……』
体と精神が許す限りギリギリの所まで、ノエル達はそれを繰り返した。もう立ち上がることも出来ないくらい衰弱したノエルを抱き起こすティナは、自分が氷の精霊使いだったらと、唇を噛みしめる。そしてボロボロになった受け皿にたっぷりの氷を抱えて、修道女達がフォレスに差し出す。彼女達もまた、癒しの技を行い過ぎてフラフラだ。それをありがたく受け取り、フォレスはさらに治療を続ける。誰もが皆、この少女を救いたいと願っていた。
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フォレスの解毒治療が一段落ついたと思われる所で、イングリッドが申し出る。
「フォレス様。私達に何か他に手伝える事はないでしょうか?」
フォレスはボリボリと頭を掻く。
(大量のフケが舞う。イングリッドは思わず避ける)
肩をすくめると、フォレスはくるりと背を向け、片手を軽く挙げる。
「そうさな……ま、この子のために祈ってやってくれや、修道女様。俺のやれる事はやり尽くした。後は、待つしかねえ。今夜が峠だ。俺はちょいと仮眠を取らせてもらう。二時間後に起こしてくれ。容態がちょっとでも変わったら、いつでも叩き起こしてくれ。起きなかったら、蹴飛ばしてくれていい。殴ってもいい。さもなきゃ、顔に水をぶっかけてくれてもいい。なんでもいいから、とにかく必ず起こせ」
そう告げると、近くのベッドにどさりと横になり、フォレスはたちまち眠りに就いてしまった。
そんなフォレスの姿をじっと見詰めると、ライルは苦しげなシャリーにふらふらと近づき、膝を折って、その冷たい小さな手を握りめた。彼の心に、どうしようもない悲しみがこみ上げてくる。思わず涙しながら、彼はシャリーのために祈った。
「神様……俺はあんたを信じちゃいねえ。あんたは、あの時助けてくれなかったから……それから、俺はあんたに頼み事をするのを止めた。自分の力と剣だけに頼ってきた。でも、今度ばかりは、助けてくれ。俺はシャリーを死なせたくない。この子の身体が冷たくなるところなんて、見たくない。俺にできる事は、全てやり尽くした……もう、俺にはこの子に何もしてやれないんだ。待つことしかできねえ。虫のいいお願いだと、わかっちゃいるが……」
ライルは、シャリーの冷たい手を握る両手に己の額を押しつけ、熱い涙を流しながら神に懇願する。
「神様、どうかこの子の命を救ってくれ。この子の魂は、俺なんかよりずっと上等だ。死ぬんなら、血にまみれた俺の方なんだ。お願いだ……どうか、この通りだ。俺の腕が欲しいんならやる。俺の足が欲しいんなら、それもやる。お願いだ、どうか、どうか……」
シャリーの冷たい小さな手を握りしめ、泣きながら祈るライルの姿は、そこに居合わせた人々の胸を打った。
実はシャリーの意識は、先程から一時的に戻っていた。ただ、身体も口も動かす事はできずにいた。しかし、しっかりと自分の手を握りしめてくれているライルの手の温かさ、そして泣きながら自分のために祈るライルの声は、聞こえてしまっていた。
この人は、あの人達とはちがう……
お父さんと、お母さんを殺した男の人達。
あの建物の怖い男の人達。
それに、さっき矢を飛ばした男の人とは、ちがう……
あったかい手……大きな手……
こういう男の人も、いる。
あのお医者様も、そう。
こういう人達も、いる。
こういう人達も、いるんだ……
人々の温かい想いに包まれ、少女は横たわりながら身体を襲う毒と闘い続ける。
イングリッドはそんなライルの姿を見て、温かい眼差しを送っていた。そして部屋を出て、礼拝堂でシャリーの無事を神に祈る。彼女の胸に、シャリーを取り巻く人々の姿が浮かんでくる。
義憤に任せて飛び出していったギリアムの姿、それをニヤリと笑いながら風のごとく追っていったホークスの姿、全身全霊を込めてシャリーの治療を行うフォレスの姿、体力の限界まで呪文を唱え続けたノエルの姿、シャリーの手を取り励まし続けるティナの姿……そして、泣きながら神に祈ったライルの先程の姿が浮かぶ。ライルと彼らのためにも、彼女は祈りを捧げた。
「(主よ、あの人は……ライルという方には、確かにその心に闇があります。あなたに対する憎しみと、暗い怒りを抱えて生きている人のようです。しかし……しかし、大切なものを持っている人です。他人をいたわる美しい優しさを持った人です。主よ、願わくば、今あなたに背を向けているあの人を見捨てないで下さい。どうか、温かく導いてあげて下さい。あの人……それにあの人達は、今の世の人々が必要とする方達です。多くの人々の心に、温かい光を灯してゆく方達です。その光を灯された人々が、さらに多くの人々に温かい光をもたらしてゆくはずです。どうか、主の祝福があの人達にあらん事を……)」
そう祈らずにはいられないイングリッドであった。




