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アリアの願い Her Wish


 聞き慣れたその叫び声に、アランに迫っていた二人が振り向くと、アリアが息を切らせて駆けつけてきた。その遙か後ろに、後を追って走ってくるセバスの姿もある。アリアは邪魔な修道服の裾をたくし上げ、きれいな足とその白い下着がチラリと見えてしまうのも構わずに必死で走ってくる。


 二人の側まで到着し、なんとか呼吸を整える。ホークスは構えた短剣を降ろしたが、腰には戻していない。ギリアムも右拳を解いたが、まだアランを吊し上げたままだ。


「嬢ちゃん……こいつを許せってのか? こんなクズ野郎を?」

厳しい顔をして問いかけるホークスに、アリアはうなずく。


「ワシは、こやつを地獄に叩き込まねば、気が収まらんぞ!!」

怒りの炎を滾らせるギリアムを見上げ、アリアは必死で嘆願する。


「どうか、そこを曲げてお願い致します、ギリアム様。あなたの怒りはもっともです。悪の心を憎む怒りは、私も同じです。でも、どうか、どうかその人の命を助けてあげてください。その人は、私のたった一人の兄なのです。例えどのような人であろうとも、私にとって、この世で唯一、兄と呼ぶ事の許されている人なのです」


そう告げると、アリアは膝を折って二人の前にひれ伏した。



 そんなアリアを目の前にして、二人の男は大きく溜息をつく。このアリアにそこまでされてしまったら、手をかける訳にもいかない。ホークスは短剣を腰に収め、ギリアムはアランを地へ降ろしてやった。


「全く……金に目がくらんで、自分を殺そうとした奴なのによ。アリアの嬢ちゃん、甘過ぎるぜ。こいつを生かしておけば、また命を狙われるに決まってるぞ」


「うむ……ワシもそう思うぞ、アリア。お前はこの男を兄と呼ぶかもしれんが、この男はアリアの事を、自分の金を狙う泥棒猫としか思っておらんぞ」


口々に言う二人をよそに、アリアは倒れているアランの左肩の怪我に癒しを行っている。


『我が父たる主よ、その下僕、アリアがお願い致します。どうかこの傷つける者を癒し給え。再びこの者に力を注ぎ給え……清らかな白き小川よ、この者の傷を包み癒し給え……』


 アランの傷口がみるみる塞がる。そして気を失っていたアランが息を吹き返した。状況がわからず、落ち着きなく視線をさまよわせている。アリアと目が合った。



「初めまして、アランお兄様。アリアです」


アランが驚きに目を見張る。思わず腰をついたまま、ジリジリと後ずさる。


「わ、悪かった……もう、二度としないっ! 誓ってもいい。資産は半分お前にやるから。それで見逃してくれっ!!」


アリアはそんなアランをじっと見詰め、静かに首を振った。


「は、半分じゃダメなのか? じゃ、じゃあ六割やる。これならいいだろ?」

それでもアリアは静かにまた首を振る。


「な、七割だ。これ以上は勘弁してくれっ!!」



そんな様子のアランに、アリアは静かに告げた。


「いいえ。私はこのバルディア家の資産は、ひとかけらも欲しいとは思ってません。私が望む事は二つだけあります。それをお兄様が承知してくださるなら、私は許します」


 アリアが、バルディア家の資産が目当てではない事を知らされ、アランは戸惑っているようだ。彼には信じられない言葉であった。彼女の身の上に起きた不遇な過去に恨みを抱いて、その復讐の刃を自分に向けてくるのではと思いこんでいたのだ。アリアは養子であった自分とは違い、前当主の血を引き継いでいるのだから。殺される前に、殺してやろうと思っていたアランであった。


「な、なんだ? 二つの望みって?」

不安そうに問いかけるアランに、アリアは静かに告げた。


「一つ目は、私を庇ってあなたの差し向けた毒矢に苦しむ、シャリーという女の子に謝って欲しいのです」


なんだ、そんな事か。アランは安堵した。それなら自分の腹は全く痛まない。

「わかった。必ず謝る」


 そんなアランの様子を見て、ギリアムは一層渋面が険しくなり、ホークスは腕組みをして厳しい表情をしている。この男の謝罪など、口先だけに決まっている。


それをも全て承知した上でアリアはうなずき、再び口を開いた。


「二つ目は、お父様とお母様の墓参りに、私が訪れる事を許して頂きたいのです。私が望む事は、その二つだけです。他は何もありません」


 なんだ、それだけの事だったのか。安心してしまうアランであった。しかし、胸の中ではそんなアリアを心から信じてなどいない。こういう種類の人間は、こうした場合、いくらかでも無理な金を要求されるほうが、かえって安心するのである。自分と同じような人間なら、彼は理解できた。しかし、そんな不信は今はおくびにも出す必要などない。首を縦に振って白々しくアランは告げる。


「ああ、許す、許すとも!」


調子よくそう告げるアランに、プチリと切れたギリアムの一喝がとどろいた。


「たわけ者っ!!!! 貴様なぞが、このアリアを『許す』などという言葉を吐く事、我慢ならんっ!! もう一度でも抜かしたら、舌を引っ張り出して、そのまま顎を叩き砕き、その二枚舌を己の汚い歯で断ち切ってくれるぞっ!!!! 」


 そのギリアムの大喝に、飛び上がらんばかりにビクリと驚くアラン。そして今度はホークスが、腰をついているアランの胸ぐらをぐいと掴み、血の気も凍るような鋭い冷たい眼差しで睨みつける。


「いいか、よく聞け。さっきの短剣はな、その気があればお前の喉に突き刺す事だってできたんだ。シャリーのために報いてやりたかったから、同じ左肩を狙ったんだ。……俺の短剣は不思議な奴でな、お前がまたよからぬ心を持った瞬間、俺にもわからないうちに、どこからかお前の喉を目がけて飛んでくるはずだ。それを肝に銘じておけ 」



 口々にこの二人の男達に脅されたアランは、顔がもう真っ青になってブルブルと震えている。彼は恐ろしさのあまり、思わず失禁してしまった。温かな液体が彼の股ぐらを濡らし、地面に染み渡ってしまっている。情けない姿であった。



「これに懲りたら、二度とこんな事しないで下さいね。もし、もう一度こんな事がありましたら、私、この人達を止められないかもしれませんよ。先程の二つの約束、心から守ってくださいませ」


 アリアがにっこりと微笑みながら、そう念を押す。情けない姿で、必死でうなずくアランであった。ギリアムとホークスは、それを見て大きな溜息をついた。これだけ脅せば、この男には再びこんな事をする度胸はないと見てとった。それぞれの愛用の武器を、この男の血で汚す価値すらない。


(その後アランは、一応その約束を守ったらしい。いつも何かにビクビクと怯えているようだったが。その上、聖カタリナ尼僧院に多額の寄附をしたということだ)



アリアが、傍らで一部始終を見届けていたセバスに振り返る。


「セバス様。お兄様をよろしくお願い致しますね。この人を支えてあげてください」

「かしこまりました、アリア様」


 深々と慇懃に頭を下げるセバス。この気高く優しいアリアお嬢様が、バルディア家の跡継ぎであったならと、しみじみと感じるセバスであった。



そしてアリアはギリアムとホークスの前に立つ。

「ギリアム様。ホークス様。御迷惑をおかけ致しました。すみません」


そう言って、二人に深々と頭を下げるアリア。


「何、アリアの嬢ちゃんが謝る事なんて何もねえよ。俺はそんなの、見なかった事にするからな」


無理矢理そっぽを向くホークス。

何やら、照れ臭いらしい。


「うむ。こやつと同じなのは不本意だが、ワシも同じ気持ちだぞ。アリアの謝罪など、それこそ筋が通っておらんわい。さあ、シャリーの所へ戻ろうぞ」


そんな二人に、再度アリアは深々と頭を下げる。


「はい。本当にありがとうございます。ギリアム様、ホークス様」


ホークスが、もう落ち着きがなくてしょうがない。

「そんなの、もういいってばよ。……ほらっ、早く行こうぜ、早く!」


そう言って、二人をせかす。やっぱり、照れ臭いホークスなのであった。意外とかわいい所もあるようだ。



 足早に帰る途中、道ばたでホークスは地面に偶然、ある物が目に入った。思わず膝を折って、それをつまみ上げる。そしてそっとそれを胸ポケットの中にしまい込んだ。その彼の顔には、なぜか、優しそうな微笑みが浮かんでいた。


 そんなホークスだったが、ふと、何か忘れているような気がしていた。何だったか、先程の戦闘で忘れてしまったようだ。まあ、忘れるくらいなら、たいしたことでは無いのだろうと、肩をすくめて忘れ去る事にした。



 裏路地では、例の毒矢を放った刺客が、身動きができずにもがき苦しんでいた。三日後に町の人間に偶然発見された時は、半死半生だったという。

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