イングリッド Ingrid
それからしばらくして、シャリーとアリアが院長室から戻ってきた。
そして、それに続いて院長のイングリッドも姿を現した。深い紺色の修道服に身を包んでいるので髪も露出はしておらず、顔立ちの見た目の年は三十代といった感じだが、人間として円熟味を増しているような、静かな落ち着き振りからすると四十代なのかもしれないと思わせる。優しげな深い茶色の瞳が印象的な女性だった。
「初めまして、皆さん。この聖カタリナ尼僧院の院長を務めております、イングリッドと申します。アリアが大変お世話になっております。本当に、ありがとうございます」
イングリッドはそう告げると、深々と一同に頭を下げる。その心からの感謝の気持ちが、一同にも伝わってくる。本当に、彼女はアリアを深く愛していることがわかる。そんなイングリッドに、ライル達も立ち上がって丁寧に挨拶を交わした。
イングリッドは微笑みながら、皆と握手を交わしてゆく。それぞれの者が、それぞれ個性的な手をしている事にイングリッドは気づく。その生き方が、手には反映されてしまうものなのだ。厳しい現実の中で、生き抜いている彼らの姿が想像できてしまう。
それぞれの愛用の武器に応じたタコができた、ライル、ギリアム、ホークスの手に、彼女は彼らが非情な世界を生き抜いてきた事を感じる。ティナの力のこもった握手には、彼女の明るい力強さが感じられる。ノエルの繊細な手には、魔術師として心を砕いて精進している彼の心がわかる。彼女は胸の内で直感した……主は、アリアを確かに見守って下さっていると。アリアの彼らに対する信頼の眼差しを傍らで見るにつけ、そう感じずにはいられないイングリッドであった。
お互いに一通り紹介が終わると、イングリッドは告げる。
「シャリーの事は承知致しました。でも、この子がこの場所に慣れてくるまで、少しの間こちらに訪れてきて頂けないでしょうか? もしよろしければ、それまでの間、この修道院に滞在して頂いても構いませんから」
ギリアムが腕組みをして大きくうなずく。
「うむ、筋の通った事だわい。特に、ティナとアリアはなるべくシャリーの側にいてやったほうがよかろうな。まあ、ワシら男衆はシャリーが怖がるし、この修道女様達の神聖な場所に住み着く訳にもいかんが、二人はしばらくここで、シャリーと一緒に過ごしてやるといい。ワシらは町で宿をとって、ここへ時折様子をうかがう形がいいのではないかな?」
頑固オヤジの貫禄の一言に、納得する一同であった。こういう時のギリアムは、本当に一行の父親的存在に思える事がある(ちゃぶ台をひっくり返しそうな親父だが)。
ギリアムの言葉に、イングリッドが微笑む。
「そうですか。温かい御配慮、うれしく思います。でも、今夜だけでもこちらへ泊まっていって頂けませんか? アリアがお世話になっている御礼をさせて頂きたいのです。こうした場所ですから、あまりたいしたおもてなしもできないのですけれど」
ホークスとライルの瞳が、なぜか生き生きと輝いている。
「そうか、だったら遠慮無くお邪魔しようぜ。俺は盗賊だからよ、なかなかこうした神様の居る場所に堂々と入れる機会なんてねえんだ。……な? 泊まらせてもらおうぜ」
「そうだな。俺も同感だ。ぜひ、泊まるべきだな」
ティナは見抜いた。口ではそう言っているものの、二人の目が怪しい。よからぬ事を考えているに違いない。この馬鹿どもが考えそうな事が、次々と彼女の胸の内にリストアップされてゆく。直ぐさま、油断すべきでないという結論に達した。しかし、院長様の手前、それをこの場で言う訳にもいかない。歯がゆい思いのするティナであった。
その時、部屋の扉を叩く音がした。フローラであった。
「院長様。あの、セバスさんがまたお越しですが」
それを耳にしたイングリッドの表情が、急に引き締まる。
「わかりました。お通ししてください」
「あの、どちらへ? こちらへですか? それとも、この前のように院長様のお部屋ですか?」
そのフローラの言葉に、なぜかイングリッドはアリアを見詰める。思い詰めたような眼差しだ。アリアが不思議そうに問いかける。
「あの、院長様。私は『セバス』という方には、心当たりがないのですけど……」
そんなアリアに、イングリッドは静かに問いかける。
「アリア。あなたに聞きます。あなたはこれから、自分の身の上の事で、つらい事を聞くことになるでしょう。あなたは、それをここにいる方達に聞かれたくはないですか? それとも、構いませんか?」
彼女の深い茶色の瞳が、じっとアリアの答えを待っている。
最初はアリアに戸惑いが見えたが……それでも彼女はやがて、はっきりと告げた。
「構いません。何があっても、私は私です。全てを受け入れます。この皆さんなら、私は何も隠すことなどありません。何を聞かれても構いません」
そのように告げるアリアを、イングリッドは温かい眼差しでまじまじと見詰める。小さい頃、いじめられてよく泣いていたアリアの姿が思わず胸に浮かぶ……本当に、この子は強くなった。旅立つ以前にも増して、確実にたくましく成長しているアリアの姿に、胸の内でうれしい驚きを感じ、そんなアリアを支えてくれているこの人々、そして神に感謝の想いが沸き上がるイングリッドであった。
「わかりました。フローラ、セバス様をこの部屋へお通しして下さい」
「はい」
先程のイングリッドの言葉に、何やら不安な気持ちを感じてしまう一同であった。
---------------------------------------------
やがて、セバスと呼ばれる初老の男性が現れた。
実は、先程一行が尼僧院に入るのを見て追って来た人物だ。
苦労の後を偲ばせる白髪が交じり、風雨にさらされた歳月を感じる、日に焼けたやつれたその痩せこけた顔が、アリアの姿を目にして喜びに輝く。男は思わず、アリアの手を取ってひざまずいた。
「おお、おお……間違い無い。その顔立ち…母君の面影がありまする。瞳の色は、亡き御主人様と同じですなあ……やっと、やっと捜し出す事ができました。アリアお嬢様……」
セバスはアリアを見上げ、後から後から涙を零している。そんなセバスに、戸惑うアリアであった。
「あ、あの、セバス様。何かの間違いではありませんか? 私は、あなたに会った事はないと思うのですけれど……」
「失礼致しました。私めはセバス。貴族であるバルディア家の使用人でございます。そしてあなたは、アリアお嬢様は、紛れもなくバルディア家前当主、アルロッゾ様のお子様なのでございます。今は亡きあなた様のお父上に命じられ、アリア様の消息を尋ねて八年。やっと、やっとこうしてお会いする事ができました。……神よ、心より感謝致します」
そのやりとりを目にして、驚く一同であった。
アリアがどうやらバルディア家という貴族の娘だったらしいのだ。しかし、どういったいきさつで、赤子のアリアがこの修道院の礼拝堂に捨てられていたのであろうか? 一同固唾を飲んで、その成り行きを見守っていた。




