聖カタリナ尼僧院 St. Catherine Nunnery
翌朝、一行はその町外れの一角に座を占めている、アリアの修道院へと向かった。
『聖カタリナ尼僧院』と呼ばれるその修道院は、尼となる修道女達だけが務めに励む、女性だけの場所である。広大な修道院は、自給自足を基本とした規則正しい生活をするため、敷地内に様々な野菜の畑、ヤギの小屋、ニワトリ小屋などがあり、それらを修道女達自らが汗水流して維持している。
しかし全く人々と交流が無い隔離された場という訳でなく、修道女達は町に出て奉仕活動をしている。また、こじんまりとした礼拝堂が通りに面しており、その扉はいつも外に向かって開かれている。そこは人々が祈りを捧げ、罪の赦しを乞う信仰の場として、老若男女、全ての人々に対して温かく開かれている。
この扉はひどい嵐でもない限り、一日中鍵が掛けられる事はなかった。この地に根を下ろし、この尼僧院の開祖となった聖カタリナの『迷える人々を、いつでも受け入れなさい』という教えが連綿と受け継がれているのである。格式張った教会ではなく、本当に助けを必要とする人々に、すぐに手を差し出せるようにとの彼女の志が今も生きている。
伝統ある修道院で、その石造りの古びた建物は、年月を経た、落ち着いた佇まいに威厳を感じさせる。しかし、それはどのような人間であれ、温かく受け入れる、優しげな老人を思わせる風情があった。
一行がシャリーを連れて、その修道院へと入ってゆくのを見て、少し離れた道ばたに座り込んでいた初老の男が立ち上がった。何か、慌てたようなそぶりだ。そして、ふらふらとその後を追ってゆく。
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アリアは礼拝所の前を通り過ぎてゆく。
ライルがちらりと様子を覗いてみると、朝の礼拝所は、その日の一日の無事を願う人々がちらほらと静かに祈りを捧げていた。色鮮やかなステンドグラスが朝の陽光に煌めき、美しい。祭壇に一人の修道女がおり、乞われるままに神の祝福を人々に与えていた。アリアはさらに一行を導き、礼拝所の右手にある建物へと向かう。その石造りの建物が、聖カタリナ尼僧院である。
アリアは皆を待たせておき、一人その扉へと向かう。簡素な扉叩きで来訪を告げると、扉が開いて一人の修道女が現れた。年頃は二十代後半といった所だろうか。アリアを見て、その青い瞳がうれしい驚きに丸くなってしまう。
「アリアじゃない! うわあ」
「お久しぶりです。フローラ姉さん」
アリアにフローラと呼ばれた修道女は、大きく両腕を広げてアリアを迎える。アリアも微笑みながら彼女に抱きついた。フローラもその腕をアリアの背中まで回してしっかりと抱き合っている。
「もう、ずっと心配してたんだからね。あの『泣き虫アリア』を一人で旅に出した院長様の心がわからないって、みんな言ってるわ」
アリアは少し身を離す。気恥ずかしさに顔を赤らめている様子だ。
「な、『泣き虫アリア』はもう止めてください。それに私は、私を送り出して下さった院長様にとても感謝しています。素敵な方達に出会うことができたのですから」
「そっか、あの人達ね。なるほど。あの可愛い女の子は?」
ティナに手をつないでもらっている小さなシャリーが目に入ったフローラだ。アリアの顔が、再会の喜びから少し心配そうな表情へと変わる。
「シャリーという子です。事情があって、この尼僧院にこの子を預けたいのです。院長様にお願いしたいのですが」
「わかった。今、院長様に知らせてくるから。中で待ってて」
「はい」
フローラはアリアの後ろに控えている一同に軽く頭を下げると、修道院の奥へと消えていった。
アリアは皆を導いて、入口近くの小部屋へ案内した。まずは腰を落ち着ける一同。
小さなシャリーは部屋をキョロキョロと見回しているようだ。一応、ティナとアリアから話を聞いており、自分がここに預けられるのだという事は理解している彼女だが、やはり初めての場所に少し不安そうだ。ティナが何かと彼女の身体に触れていてやっている。そうしてやると、シャリーもいくらかは落ち着くようなのだ。
ホークスが何やらニヤニヤしている。
「ふ~ん、ここが女の園ってやつか。確かに、男臭い匂いはかけらもねえな」
「そういうこったな。いや、なんていうか……」
「皆まで言うな、旦那。気持ちは隅々まで、よお~くわかるぜ。男として」
ライルとホークスが、うんうんと、何やら言葉少なに共感し合っている様子だ。
ティナがそんな馬鹿男二人を、じとっと睨んでいる。
「あんた達。ここは清らかな修道女様達だけの、神聖な場所なんだからね。変な事考えてたら、承知しないから!」
「へいへい。大丈夫だって。なあ、ライル?」
「ああ。罰が当たるからな」
そう言って、男二人はニヤっと笑う。釘を刺しても、のれんに腕押しの、そんな二人を見て頭の痛いティナとアリアであった。絶対、よからぬ事をしでかすだろう。この二人は。何やら嫌な予感のする女性陣だった。
しばらくして、フローラが戻ってきた。アリアにシャリーを連れて、院長室へ来るように促す。アリアはうなずき、シャリーの手を取って奥の部屋へと消えていった。もう一人の修道女が、簡素な木製のコップに冷たい井戸水を満たして一同に差し出してくれる。フローラが深々と皆にお辞儀する。
「フローラと申します。アリアがお世話になっているようですね。本当にありがとうございます」
もう一人の修道女も、空になったお盆を抱えながら、頭を下げる。
「ジュリエッタです。あの『泣き虫アリア』を支えて下さり、ありがとうございます」
丁寧な挨拶に、一行も礼儀正しく挨拶を交わした。
ティナが先程から気になっていて、二人に問いかける。
「あの、『泣き虫アリア』って、どういう事なんですか? そんなに泣く子ではないんですけど」
二人の修道女達は、顔を見合わせて微笑む。フローラが口を開く。
「言葉通りなんですよ。小さい頃、アリアは同じ年頃の子供達によくからかわれたり、いじめられて、それはそれはよく泣いていました」
ジュリエッタもうなずく。
「そうね。よく、院長様に当たり散らして、困らせてましたわ。『どうして、お父様とお母様が自分にはいないのか』って……でも、普段はとても優しい素直な女の子でした。ホント、懐かしいわねえ」
にこやかに微笑みながら、ジュリエッタは空の盆を抱えて部屋を出ていった。
ホークスがフローラに尋ねる。
「アリアの嬢ちゃん、やっぱり、みなしごだったのかい?」
アリアの様子から、彼はそうなのではないかと思ってはいたのだが。他の者もそうは思っていた。しかし今まで、誰もそのような事をアリアに尋ねたりはしなかった。そのような事など、どうでもよい事だ……彼らにとって、アリアはアリアなのだから。
フローラがうなずく。
「はい。十八年前、赤ん坊のアリアが礼拝堂に捨てられていたのです。手紙が一つだけ側にあって、この子の名がアリアである事、どうかお頼みしますと。それに、『十年間だけは、この子の事は誰に聞かれても内密にしておいて下さい。身勝手なお願いですが、この子の命がかかっております。神に誓って守って頂きたいのです。ひどい母親ですが、どうか、どうかお願い致します』という事が書かれてあったそうです。私はその頃まだ子供でしたので、後で院長様から話を聞いただけですが」
フローラの話によると、その後、赤子のアリアを、当時の院長に頼まれて一人の修道女が主に世話をする事になった。その修道女が、現在の院長である、イングリッドだという。彼女は、我が子のようにアリアに愛情を注いで育て上げた。後にアリアが十歳になる、ほんの一週間ほど前に、ここに捨てられた赤子はいないかと尋ねる男が確かにあったが、アリアの母親の心を汲んで、誰もが口を閉ざしていた。
修道女としての心得をアリアに説き、癒しの技を手ほどきしたのもイングリッドだという事だ。アリアにとって、現院長のイングリッドは、自分を手放した両親の代わりをしてくれた育ての親、そして神の教えを説き癒しの技を行う先生ともいうべき存在らしい。
そのアリアをイングリッドは、先日一人きりで世に送り出した。他の修道女達は、皆驚きを隠せなかったそうだ。まだ十八歳のアリアを旅立たせた院長の心が、自分には理解できなかったという。
しかしイングリッドは、アリアの癒しの技が十分に上達している事、そして一人の人間としての彼女のさらなる成長を信じて、アリアに命じたのだ。
『ありのままの世の姿を見てきなさい。ありのままの人の心を見てきなさい。美しい心も、醜い心も……そして世の困っている人々に、自分にできる事をして尽くしなさい』と。
確かに、イングリッドの胸に不安はあった。この世界は、アリアが今まで過ごしてきた修道院の静かな世界とは全く違った、厳しい現実が突きつけられる世界である。その事を充分に理解しているイングリッドなのだ。それに、我が子ともいうべきアリアである。別れは悲しかった。
しかし、この子を手放さないのは自分の我が儘なのだ。今よりもっと強く光り輝こうとする、若き魂の力を奪う事、それは許されない行為なのだ。
イングリッドの言葉に、アリアは静かにうなずき、今まで自分に与えてくれた全ての事に対して感謝の言葉を述べて、一人その修道院から旅立っていったのだった。その後ろ姿を見送りながら、主の御加護がアリアにあらん事を、切に願うイングリッドであった
やがてフローラも、礼拝所の務めがそろそろ自分の番の頃合いになりますからと、部屋を出ていった。




