シャリー Sharrie
あれから一週間ほど経った日である。
ギリアムは衰弱していた。やはりこの方法を取った事を、彼は後悔せずにはいられなかった。しかし、あの女の子のためである。なるべく早く、目的の場所に着いたほうが良いという一同の判断に、自らも筋が通っている事だと感じたギリアムであった。たとえ死地に赴く事になろうとも、彼は自分のその信念を曲げる事などできない頑固な性格であった。
一歩足を踏み入れた時から、こうなる事はわかっていたのだ。昔一度、死ぬほどの苦しみを味わってから、二度と近づくまいと固く決意したのだ。豪勇の騎士として名を馳せる彼であっても太刀打ちできない、その悪魔の名は、生涯の天敵である。その名を耳にするのも口に出すのも、呪わしいのだった。
また、ひどい吐き気がしてきた。
もう出し尽くしたはずであるのに。
この揺れる箱め……忌々しい。
その時、誰かが扉を叩く音がした。起き上がる気力も無く、ベッドに力無く横たわったまま、衰弱しきった彼は弱々しい返事を返した。
「……開いておる」
「よ、具合はどうだ、おっさん? 何、こんなの慣れだ。じき良くなるだろうさ」
ニヤニヤしながら、盗賊ホークスが入ってきた。
「(くそ、この忌々しい時に、忌々しい男がやってきた)……いいや。ワシはもうダメだ。おぬしには色々からかわれてきたが……その度に何度も絞め殺してやろうかと思ったが……今となっては、良き思い出だ。もしワシがここで倒れたら、ヒゲを切ってマイトの所へ持って行ってくれんか?」
しみじみと、この豪勇の騎士は告げる。
ホークスが、そんな髭オヤジを見てあきれている。
「何を今生の別れみてえな事言ってやがる。変なオヤジだぜ。いい女の髪なら別だが、おっさんの汚ねえヒゲなんて俺は触りたくねえぞ。ただの船酔いだろうが?」
そう指摘するホークスを、ギリアムはギロリと睨みつける。鬼のような形相で、子供が見たら確実に一発で泣き出してしまうだろう。
「『船』と言うなっ!! これはな、ただの揺れる木の箱だっ!!!! 」
一喝するギリアムに、びくりと首をすくめるホークス。雷が落ちたような声だ。泣き出した子供もピタリと泣きやんで、またさらに大声で泣き出してしまいそうだ。
「(おお、怖ええ……)ま、まあ……そうとも言ったっけか?」
「そうだとも」
引き下がるホークスにとりあえず満足したらしく、ギリアムはまた深々とベッドに落ち着いた。
「まあ、気がむいたらメシでも喰えよ。上じゃ、みんな食べてるんでな」
「この揺れる箱にいる限り、ワシは何も喰わん」
「ま、いいか。……ギリアムよ、ちょいと耳を貸せよ」
何やら、ホークスがニヤニヤしている。
彼は嫌な予感がした。しかし、今死ぬかもしれぬという時に、つまらぬ遺恨を残してゆくのは心残りな事だ。ここは一つ、心を広く保って受け入れてやろう。
「何だ?」
ホークスがギリアムにそっと耳打ちする。
「船、船、船、船、船、船、船……ここは船の上だ。どこまで行っても海しかねえ。船だぜ、船っ!」
「き、貴様っ!!!」
バッと起きあがって掴みかかるギリアムの手から、ひらりと身を翻してホークスが駆け去ってゆく。
「そんだけ元気ありゃ、大丈夫みてえだな。じゃあなっ!」
ギリアムが怒りに顔を赤らめている。
「(くそう……あの男、いつかきっと、必ずこの手で殺してくれる)」
物騒なことを、かなり本気で考えているギリアムであった。
しかしたちまち、再び迫り来る船酔いの吐き気との格闘に専念する事になるのだった。
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「どうだったの、ギリアム? 大丈夫だった? なんか、凄い声がしてたけど」
尋ねるティナに、ホークスは肩をすくめる。
「ああ、あれだけ元気がありゃ、まず大丈夫だろ。ただの船酔いに、大袈裟なおっさんだぜ、全く」
「こういった事には、私の癒しもあまり効果がありません。気の毒ですけど……」
困ったような顔をするアリアだった。
「そうですねえ。まあ、少しは気休めになるかもしれせんが」
ノエルも生真面目にうなずく。癒しの技の本質をよく理解している魔術師ノエルだった。彼の蓄えている知識は魔術に限らず、その知的好奇心の赴くまま、広範囲に及んでいる。魔術アカデミーの頭の堅い重鎮達には、そんな彼を異端視している者もいるらしい。
「そうなのか? アリアの癒しだったら、何でも治るって思ってたけどよ」
ライルは癒しの技をそのように感じていたらしい。アリアは首を振る。
「いいえ。癒しの技も万能ではないのです。人が本来持っている回復力を、主の力を借りて手助けするのが癒しの技なのです。ですから、傷や怪我、精神力の回復といった事なら効果が高いのです。こういった船酔いとかにも、心を落ち着かせるくらいの効果はあるのかもしれませんが、苦しい症状を完全に無くしたりはできないのです。毒などもそうです。毒に侵された人の抵抗力を強める事はできるのですが、体中にある毒素を消し去るような技ではないのです。ですから、いくら癒しの技を行っても命を助ける事ができない場合もあるのです。それに……」
そう告げるアリアは、悲しげに、彼女の側にいる少女を見詰める。
「それに、心の傷までは、私達の癒しの技ではどうする事もできません」
「そうね……」
ティナもまた、その少女をそっと見詰めている。
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一行には今、女の子が一人同行している。七、八歳くらいで、名前はシャリーというらしい。というのも、彼女は一行の誰にも口を閉ざしていたからだった。
先日、一行はアンジェラの教えてくれた見取り図をもとに、人売りをしていた悪党達のアジトを奇襲し、無事女性達や子供を救出した。そして、彼女達がそれぞれの家族のもとへと帰れるように、一行は手助けした。その時、監禁されていた女性の一人から、この女の子の名前を聞き出したのだ。シャリーは戦災孤児らしく、悪党に浚われてあのアジトに監禁されていたらしい。
ティナやアリアは、シャリーになんとか近づく事ができるのだが、ライルやホークス、ギリアム、ノエルなど、大人の男が近づくと、たちまち泣き出しそうに怯えてしまう。震えながら、ティナやアリアの影に隠れ、その服をぎゅっと握りしめて離そうとしない。かなり、ひどい事をされていたようだ。服の袖から覗く腕や足に、むごい打撲の跡がある。タバコの火を直接押しつけられたような火傷の痕もある。そんな様子のシャリーに、胸が痛くなる一同であった。どうしようもない、悲しみと怒りがこみあげてくる。
ティナは、宿屋でシャリーと共に風呂へ入ったのだが、服の下に現れた彼女の身体を目にして、再び激しい怒りを覚えた。あってはならない事が、こんな小さな子供にあってはならない事までも、無理矢理強いられた痕跡があった……大人の男に怯えるのも無理はない。あの時、あの悪党どもを全員殺してやればよかったと、ティナは本気で思った。しかし、アリアが皆を制したのだった。
『誰であれ、生きる事を赦されています。裁きは、主にゆだねましょう。私達は、人の命を裁く資格などありません。それが許されているのは、神だけです。主の御心を信じましょう。私には、この人達が再びこの場所で、同じような罪を犯す事はできなくなるような気がしています。アンジェラさんの想いが宿っている場所ですから』
そうして結局、そのアジトをティナのサラマンダー達で焼き払い、役人達に彼等の身柄を引き渡したのである。
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その後、このアリアの言葉は現実となる。心の重荷から解放されたパイソンは、あの屋敷跡の瓦礫を取り除き、花を植える。とても困難な作業だったが、彼は黙々と一人で、火傷の痕も、無惨に切り取られたその腕も隠さず、汗水垂らしてその作業を毎日行った。
そんな彼に声をかける町の人も増えてきた。パイソンは相変わらず無口な男だったが、よく笑うようになった。ポツリと、『この丘を、一面のきれいな花畑にしたいんだ』と言って。野良作業の合間を見て、パイソンを手伝う人間も増えてきた。そうしているうち、彼は町の人々に徐々に受け入れられるようになっていった。
やがて完成した花畑の庭園は、それはそれは見事なものになった。土を掘り起こしている最中に、偶然温泉が見つかったこともあり、それを利用できるような簡素な建物も立てた。パイソンは皆に推されて、灯台守をやめ、そこの管理人として住み着いた。
この温泉は一般的な効能があったが、特に不思議と、火傷に良く効いた。炎に焼かれて亡くなった、アンジェラの想いがこもっていたためなのだろうか? ……わからないが。街道が近い事もあって、気軽に立ち寄った旅人達がのびのびと憩うことのできる場所として噂になり、大勢の人々が訪れるようになってゆく。
その場所で、パイソンも穏やかな余生を送り、微笑みながら眠るように亡くなったそうだ。観光名所として人々が賑わう場所となったせいで、人売りの裏商売には不向きな場所となった。
図らずもこのような形で、この地方から人身売買の影が無くなったのである。それがアリアの言う通り、神の見えざる手によるものなのかどうかは、誰にもわからないが。
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~ 風呂場 ~
少女の痛々しい身体を目の当たりにして怒りを覚えたティナだった。しかし、気を取り直して笑顔をつくる。少女が自分を見詰めていたからだ。彼女を不安にさせてはいけない。
ティナはまず、シャリーの身体に湯をかけてやった。シャリーは神妙におとなしくそれを受けいれている。少女にとっては、久しぶりの風呂で、確かに気持ちが良い。それに……このお姉さんは、自分にとても優しくしてくれる。女の人なら、怯える事なく接する事のできるシャリーであった。でも、その口は閉ざしたままだ。
「どう? 気持ちいいでしょ?」
にっこりと尋ねるティナに、シャリーは素直にうなずく。本当に、気持ちがいいのだ。
「お風呂、好き?」
なおも尋ねるティナに、またもこっくりとうなずくシャリー。それを見て、ティナがにっこりと微笑む。本当に、この子は素直でいい子だ。ティナはそんなシャリーの身体を洗い始める。少女の身体をそっと洗いながら、ティナは会話を続けてゆく。
「私も大好きなのよ、お風呂って。温泉も大好き。シャリーは、温泉って知ってる?」
彼女は不思議そうに首をふる。幼いシャリーにとって、それは初めて聞くものだった。
「温泉ってね、山の奥とかに、自然にお湯が沸いて出来たお風呂なの。神様が私達にくれた、とっても素敵な贈り物なのよ。白いお湯とか、赤っぽいお湯とか、色んな色のお湯があるの。それに入るとね、疲れなんてみんな吹っ飛んじゃうんだから。シャリーも温泉、入ってみたい?」
うんうんと、目を輝かせながらうなずくシャリーであった。ティナの微笑みが広がる。
「よしっ、いつか私が必ず連れていってあげるからね。一緒に入ろ」
うれしそうに、またシャリーはうなずいて、ティナに任せて身体を洗ってもらっている。
そうしてシャリーの小さな身体を洗ってやっている時、その無惨な傷跡を再び目にして、ティナはまた、胸に激しい憤りを感じた。
どうして、この子がこんな思いをしなくてはならないのか?
どうして、こんな事をして恥じない大人がこの世にいるのか?
この子はなんにも悪い事などしていないのに……
洗ってやっているティナの瞳から、思わず涙が溢れてくる。その涙は、後から後から溢れ出してきて、止める事ができなかった。涙しながら、シャリーを見詰めるティナ。少女は少し不思議そうに、そんなティナをまじまじと見上げるのであった。
遅れて一緒に風呂に入りにきたアリアが目にしたものは、膝をついてシャリーを抱いて泣き濡れるティナと、それを困ったような顔をして心配そうに、よしよしと、ティナの頭を何度も撫でてやっている小さなシャリーの姿であった。
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そして今、一行は大人の男に怯えてしまうシャリーを、アリアがいた修道院に預けるつもりで、船に乗ってその修道院のある町へ向かう途中なのだった。アリアの話では、その修道院は尼僧となる女性しかいない所で、大人の男は一人もいない。このようなシャリーを預けられるのは、そこしかないだろう。あの場所なら、この哀れな子供を優しく受け入れてくれるだろう。この少女が再び心から笑えるように、温かいぬくもりを与えてくれるだろう。
心の傷を抱えてしまった少女を、一刻も早く温かな愛情溢れる場所へと連れて行ってやるために、月に二回往復する定期船を利用して、最速で目的地を目指す一行であった。




