アカデミーの厄介者 Olivia's Nemesis
その男は、弟子もとらず、義務となっている講義は最低限しか行わない。他の魔術師達との接点は、かろうじて年に二回の研究報告会議くらいか。しかし、この時の彼の発表……得意とする精神系に作用する魔術について、その作用機序の原理の解明に関する彼独自の研究の素晴らしい成果は、誰もが認める所で、重鎮達は苦々しくも、彼のアカデミー在籍を認めざるを得ないのだ。
とにかく、オリビアとその男は犬猿の仲だ。
というか、姉が一方的に嫌っているだけで、彼の方は姉との議論を密かに愉しんでいるのではないか、そうアロセールは感じている。
周囲から煙たがられている彼と、正々堂々、真正面から向き合い正論で衝突してくるのは、このアカデミーの中で姉しかいない。オリビアが何かと皮肉屋の彼に突っかかるのは、ライバルというだけではないとアロセールは見抜いている。
姉自身は気づいていないが、敵意以上に姉は、異質な彼に何かを惹かれているのだ。自分と同じように。
どうやら臨戦態勢が整ったらしいオリビアが、心を決めて、その男の部屋のドアをノックしようとした途端、扉が静かに内側へ開いた。
部屋から微かに煙が薄く漂い、独特な芳香が鼻を突く。
「これはこれは。飛ぶ鳥を落とす勢いのアカデミー期待の美人姉妹が、『アカデミーの厄介者』に何の御用かな?」
黒く柔らかな天鵞絨のローブに身を包んだ細身の人影が軽く会釈をして、深い紺色の瞳で双子の姉妹を静かに見下ろしていた。その口調は滑らかでよどみなく、穏やかな声は聞く者の耳になぜか心地良く響く。社交儀礼として世辞を言っているとも、また皮肉を言っているとも判断しづらい。単に事実を述べているだけ、という感じだ。
先手を取られた感じのするオリビア。
しかし無理矢理に微笑みを作る。
いつもなら眉をしかめる所だが、今は妹の素振りを演じているのだから。
「サカムビット導師。アカデミーから導師への仕事の依頼をお伝えに参りました」
「命令、だろうに。懲りないジジイどもだ」
繊細で神経質そうな青白い顔に、いつものごとく冷笑を浮かべるサカムビット・ティルハだ。そんな彼に、今度は姉を演じるアロセールが進み出る。
「お話くらい、させて頂けますかしら? ティルハ導師」
姉の振りをしているアロセールが、いかにも冷たい口調で事務的に告げる。
なかなか、なりきっているようだ。妹は普段はこの男を名前の方で『サカムビット導師』と呼ぶ。この男に敵対心を抱いている姉のオリビアは、この男を姓の方で『ティルハ導師』と呼ぶのだった。
「これは失敬。知性溢れる美女達を前にして、立ち話も無粋だな」
ドアを静かに大きく開き、会釈を深めに保ちながら、彼は香の匂いの立ち込めた薄暗い自室へと姉妹を促す。その優雅な仕草は紳士的で、微笑む顔も申し分なく慇懃だ。
しかし彼の美辞もこうした紳士的な態度も、オリビアの神経を逆撫でするのだ。
かえって馬鹿にされている気がしてしまう。また、実際そうなのだろう。
しかし、オリビアはこらえた。今は、彼女は妹のアロセールを演じているのだから。
険しい顔をする代わりに、にこやかに苦笑してやる。
「そんなに褒めても、何にも出ないからね、サーム導師」
とどめに、妹がたまに彼に対して使う愛称で呼んでやる。
扉を押さえている彼とすれ違う時、彼の片眉がわずかに上がったのに気づいたオリビアは、内心満足した。
他愛ないゲームだが、彼女のカンに障るこの男に一杯喰わせてやったと、後で密かに楽しんでやりたいのだ。今のところ、ゲームは私達の勝ちのようだ。この呼び方は効果的だったろう。普段の妹を、ばっちり再現できているはずだ。自信はある。
一方、姉に化けたアロセールは、目を伏せ下唇を噛んで無言でさっさと通り過ぎる。
我が妹ながら、なかなか見事な演じ振りだ。
いやでも、ちょっとあまりにもこれは……
サカムビットはローテーブルが側にあるソファに彼女達を促し、くるりと背を向け来客用の茶の支度をする。
「珈琲でも? ……ああ、失礼。オリビア嬢には紅茶を勧めるべきだったな」
オリビアはコーヒーが苦手だ。妹のアロセールは逆に紅茶よりもコーヒーを好む。
初対面の頃、彼女達に飲み物を勧めた時の、そんな些細な他愛無い事を、彼はまだ覚えているようだ。
「お構いなく。任務の資料を渡して用件を説明するだけですから」
アロセールが、まさしく姉の言いたかった言葉を代わりにすらすらと冷たい口調で言い放つ。その気になれば、完全に姉のオリビアに思考を同調させる事ができるらしい。
そんな妹の姿に、姉は内心舌を巻いている。
それにしても、だ。
自分はこんなにも可愛気のない女だったのだろうか?
妹の演じる自分の姿を目の当たりにして、オリビアは少しショックを受けている。
彼女達への飲み物が用意できたようだ。
彼は、さも当然のように、妹の身なりをしているオリビアの前に紅茶の満たされたティーカップを置き、姉の演技をしているアロセールの前には、静かにコーヒーカップを置いた。
その無言の答えに、姉妹は目を見張って息を飲む。
この男には、すり替えが見破られていたという事だ。
「……いつから気づいたのかしら?」
固い声でオリビアが問う。
「ドアを開けた瞬間から」
サカムビットは滑らかに答える。
肩をすくめてがっかりするアロセール。
「あ~あ、ゲームは私達の負けみたいね、姉さん。でも、どうしてわかったの? みんな気づかなかったのに」
「わかるさ。魂の色合いが全然違う」
「そんなものが見えるの!? サーム導師」
淡々とそう答える彼に、素直に驚くアロセール。
「魂の輝きが全然違う。アロセール嬢は宵闇の空のような美しい紫。オリビア嬢は生き生きとした鮮やかな深緑。二人とも、他の人間にはない綺麗な色合いを持っている」
眉をしかめるオリビア。もう演技する意味はないのだ。
「また私達をからかっているだけよ。騙されないでアロセール」
魂の色が見えるのかどうか真偽のほどには触れず、彼は穏やかな微笑みを浮かべているのみだ。
「で、君達のテストに私は合格したのかな? いや、オリビア嬢の顔から推測するに、これは不合格だったのやもしれないが。まあ、面白い趣向に感謝しよう。退屈なアカデミーでの拘束時間が、少しはマシなものになった。さて、用件とやらを伺おう」
告げて自らもコーヒーカップを手に、姉妹の正面の一人掛けのソファに座る。
オリビアが、手にしていた書類を小卓の上に差し出す。
「派遣通達書です。詳細は私達が補足説明します」
書類を広げ、さっと一瞥すると、肩をすくめて彼は通達書を脇へ置く。
そこそこの量の文章が記されているはずなのだが、その一瞬で彼は全て把握した様子だ。
「山間部での怪事象の調査、か。あの辺りは確か火山地帯か。丁度良い」




