神への祈り Pray to God
アリアが目覚めたのは、その日の夜だった。
尼僧院のベッドで、寝かされていた。ベッドの側でずっと見守っていたイングリッドはすぐに気づき、小さなアリアの髪を撫でる。ぼんやりと、その心地良い感触を味わっていた少女だったが、目を見開いて跳ね起きる。
「カゲツネおじさんっ!?」
「あの人なら、もう大丈夫です、アリア。今は、ノーマン様の宿のお部屋で眠っておられる事でしょう。意識もはっきりしておられましたから、何も心配する事はないのですよ」
穏やかに告げるイングリッドだが、それでも小さなアリアは心配そうに聞き返す。落ち着かないのだろう。掛け布団をぎゅっと握り締めている。
「本当なの、イングリッド姉さん? 本当に大丈夫なの?」
「ええ。主に誓って、本当ですよ」
そこまでイングリッドに言わせて、ようやくアリアも落ち着いたようだ。大きくほっと溜息をついている。みるみる顔が明るくなった。
そんな我が子の様子を目の当たりにして、イングリッドは老院長の言葉が正しかった事を納得せざるをえなかった。この子が好きになったのは、どうやらあの大人の男だったらしい。何やら、母親としては複雑だ。微苦笑してしまう。
こんな幼いアリアなのだが……また、年上も年上の相手なのだが、なかなか立派に、異性に想いを寄せてしまっているようだ。今日のアリアの行動の一部始終を目にしてしまったからには、そう感じるより他はない。正直、イングリッドは参っている。
やがて、小さなアリアは急に顔を曇らせた。
イングリッドの方におずおずと顔を向けて見上げ、思い詰めたようにこんな事を言う。
「イングリッド姉さん。私の罪を告白させて下さい。私は主を疑いました。主に対して怒りを感じてしまいました。主に仕える修道女として、あってはならない罪を犯してしまいました……」
アリアは、今まで内緒にしてきた事を全て正直に打ち明けた。
ウソをついて学校を早退してしまった日があった事。イノシシに追いかけられて、あの三人の男の子達と、異国の男に助けられた事。その後、学校が終わってから道草をして異国の男の所で遊んでいた事。
そして、今日の出来事。
癒しの技を行おうとしていた時、神様に対して
『間違っている』などと、言ってしまった事……
その一部始終を打ち明けられたイングリッドは、温かく微笑んだ。
「それでいいのですよ、アリア。主に対して怒りを抱いた心を恥じて、重い罪の意識を感じる事はないのです。主の愛は無限です。迷える小さな存在の私達の怒りや疑い、そうしたものをも全て包み込んで愛してくださっているのです。私も正直に告白しましょう……私も、主に対して怒りを感じる時があるのですよ」
ベッドの上で半身を起こしたまま、小さなアリアは飛び出さんばかりに目を丸くする。
「え、イングリッド姉さんも!? うそ!」
「嘘ではありません。本当です。私も、何度も主に対する怒りや疑いを感じていますよ。癒しても癒しても、人々の苦しみは続きます。どうしてこのような仕打ちを正しき人々に背負わせるのか、どうして血生臭い戦を止めようとなさらないのか……」
イングリッドは、唇を噛みしめて遥か遠くに視線をさまよわせている。この今も、そうした事を考える度、胸に思い起こす度、彼女の心に静かな怒りが沸いてくるのだ。やがてこの修道女は、再び小さなアリアの瞳をじっと見詰めて、一心に告げる。
「でも、そうした怒りは、大切なのです。そのような主に対する怒りや疑いは、正しく受け止める事で、私達の魂をより良き方向へ導く助けともなるのです。気をつけなくてはならないのは、そうした怒りや憎しみ、疑いの心に飲み込まれてしまう事なのです。そうして、主が無条件で誰にでも与えて下さっている命や愛を見失い、自暴自棄になる事なのですよ。今の世の人々の多くが、そうして苦しんでいるのです。悲しい事に」
小さなアリアは、瞬きもせずにこの修道女の言葉に聞き入っている。
神に対して怒ってもよいのだと、信じられない言葉を耳にしたのだった。
『それでよいのです』と、イングリッド姉さんは言う。そんな事など、『聖なる書』のどこにも書いてないはずなのだ。今まで他の修道女達の誰からも、そのような考えなぞ聞いた事がなかった。
そんな女の子の髪を愛しそうに何度も撫でてやりながら、イングリッドは静かで穏やかな微笑みを浮かべた。
「あなたは、生まれて初めて主に対して怒った。そしてそれでも、救いたい人のために主に祈った。必死で祈った。あなたは、主に対する怒りや疑いの心をも自分で認めた。それでも主は、私達を愛してくださる存在なのです。そうした迷える子供達こそ、主は愛してくださるのです。主の深遠な御心は、小さな小さな私達には計り知れないものなのですよ」
そうして小さなアリアをそっとベッドに寝かしつけ、布団を掛けなおしてやる。イングリッドは、自分の手にすっぽりと収まってしまう我が子のかわいらしい両手を取り、祈るための形に組ませてやる。そして、アリアのベッドの横にひざまづき、自分も同じようにして両手を組む。
「さあ、アリア。祈りましょう。愚かな私達を恥じましょう。そして、主の御心を信じましょう。迷える私達を……迷えるこの世の人々全てを、温かく導いてくださいますようにと、主に祈りましょう。小さな小さな私達は、祈る心を大切にしてゆきましょう。大事なことを、忘れないように」
目を閉じて、小さくアリアはうなずいた。
イングリッドもにっこりとうなずくと、二人の修道女は無言で祈りを捧げる。
小さなアリアはそのまま眠ってしまい、穏やかな顔ですやすやと寝息を立て始める。そんな愛しい我が子の寝顔を見守って、改めて神に感謝の祈りを捧げるイングリッドだった。
---------------------------------------------
翌日。
異国の男の姿は、町から消えた。
今朝、宿の彼の部屋にノーマンの妻エアリスがそっと様子をうかがいに来たとき、ベッドはシーツがきちんとたたんで置かれていて、彼は立ち去っていた。知らせを受けた町の人々が手分けして捜したものの、彼の姿はどこにも見当たらなかった。
宿屋の主人ノーマンが、異国の男に貸してやっていた森の薪置き小屋へ足を運んだが、男の手荷物も見当たらない。部屋の中は床や壁が丁寧に磨き上げられ、新しい薪束が綺麗に整然とうず高く積み上げられていた。そして床の真ん中に硬貨の詰まった皮の小袋が置いてあり、『やどのあるじ、おくがたさまへ』と木炭で書かれた薄紙が添えられてたという。
その事を、昼近くにようやく目覚めたアリアは、イングリッドから知らされた。続けてイングリッドは、文字の書かれた一枚の紙と、帆を立てた小船のように折り込まれた形をした紙をアリアに手渡した。今朝、礼拝堂の表扉の下に、小石が上に乗せられて、これらが置かれていたのだという。
この折り紙は、『帆掛け舟』。アリアを追い払った時に、あの男が彼女に教えてやろうとしていたものだ。折っている途中で素気の邪魔が入り、そのまま中途半端になってしまっていたのだった。そして文字が書かれた薄紙の方も紛れも無く、あの異国の男が刀の手入れや折り紙を教えてくれた時に使っていた紙だった。
文字の書かれた紙を、小さな両手で広げる女の子。
その文字は薪の炭で書かれているようだ。字を覚えたばかりの子供が一所懸命に書いたような、たどたどしく不恰好な字で、こう短く記されていた。
『ありがとう、アリア。
俺には、これしか返せる言葉がない。
神の家の方々、本当に世話になった』
その紙を胸の前に両手で広げて持っているアリアの腕が小刻みに震える。顔は完全に下を向いて、うなだれてしまう。
小さなアリアの視界がぼやける。
ポタリと、その薄紙の上にアリアの涙が落ちた。
それは後から後から零れ落ち、炭で書かれた文字の微粒子を浮かび上がらせる。
その細かな黒い炭の粉が、涙のしずくの小さな小さな水溜りの上で、くるくると墨絵のように渦巻いていた。
---------------------------------------------
子供時代の思い出話を語り疲れたアリアは、静かな眠りに落ちていった。
ライルはそんな彼女のベッドに静かに近寄り、また掛け布団をそっと整えてやる。
童顔のアリアは、本当に小さな子供のような寝顔でスヤスヤと眠りに入っている様子だ。彼はなんとなく、そんなアリアの頭を優しくそっとなでる。
「(そうか。不思議なモンだな。人と人とのつながりってやつは)」
ライルは足音を立てないように気を配りながら、窓辺に近寄って星空を見上げる。
彼は懐かしげな遠い眼差しをして、アリアのその思い出の人の面影を思い起こしていた。それは彼にとっても、暗闇に沈みそうになる己を支えてくれる心を指し示してくれた男だった。人生の数々の場面で、いつも自分を助けてくれた技を伝えてくれた人。
『おぬしを見ておると、危うくて仕方ない。せめて、この技を共に連れてゆけ。この技を放つために精神を研ぎ澄ます時、己に対する疑いや迷い、今の自分を蔑む気持ち、怒りや憎しみ……そのような心が少しでも胸をよぎれば、この技は必ず失敗する。この技を使いこなせるようになれば、きっとおぬしの道を支えてくれるだろう』
その男が、かつて自分に告げた言葉が今でも鮮やかに胸に浮かぶ。
まさしく、その通りだった。
「俺に 、『ソウル・ブレード』 を教えてくれた男がねえ……」
虚空に輝く星々を見上げながら、ライルは一人つぶやいた。
~~~~外伝4【あの人は、今】終幕~~~~
---------------------------------------------
外伝第四弾は、修道女アリアの思い出話を描きました。
大きなスランプがございましたが、それもなんとか乗り越えたみたいです。
アリアの初恋の人は、ライルの技の師匠だったんですよ。
本編では明かすタイミングが無かったので、外伝で。
ソウル・ブレード=活魂ノ太刀、なのです。
師匠のカゲツネさんの方が、ライルよりも威力が上ですな。技の斬撃が刃渡り以上に伸びて飛んでます。
ライルは『表』の技のみ伝授されています。
対となる『裏』の技は危険なのでカゲツネさんは教えませんでした。
ライルが剣を手入れするやり方も、修行中にカゲツネさんのやり方を見て、いいなと思って以来、真似てるんです。
アリアが似てると感じるはずですね。
黒髪の剣士というのも共通点ですし、過酷な過去を背負って生き抜いているというのも似ています。彼女がライルに惹かれているのは、無意識に子供の頃のこの体験が影響しているのかもしれません。
『神の愛』を語るイングリッドさんの言葉には、ホントに冷や汗タラタラでした~。
なにせ、仏教徒(?)の私が書くものですから。『神』とゆー、ごたいそうな言葉を、自分が好きな『大自然や地球・宇宙そのもの』というイメージに胸の中で置き換えて言い聞かせ、なんとか書き上げました(苦笑)。キリ○ト教の教義はようわかりませんが、まあ似たようなモンでしょう(←いい加減)。
まあ、『人知を超えた存在を感じた時、それをどう受け止めると、実際に人間が生きてく生活の上で良さげで有用なのか』ってコトなんでしょう、多分。人の受け止め具合なんて人それぞれ。百人いれば百通りの考え方があって当然だと思います。『自分の神様が絶対正しい』って、胸の中だけで思うのは構わないと思うのですが、それで相手に無理強いしたり、異なる社会の中での決まり事を破って迷惑行為をしたり、多くの人の生活を脅かすのは間違ってると感じます。
カゲツネさんの姿勢を見習いたいものですな。
己が正しいと信じる道をはっきりと自覚し、それに見合う生き方を模索しつつも、異なる文化圏ではその社会を尊重し『郷に入りては郷に従え』の精神で触れ合う。
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
さてさて。
外伝の方も、これにて終了です。
読んでくれた皆様に感謝感謝です!
新しい話を送り出す度、ページビュー数がリアルタイムで増えていってるのがわかると、やっぱりうれしいものですね。ある時は一気に増えてたり。ああ、誰か楽しくどんどん読んでくれてるのかなと。こうしたシステムは昔には無かったので、新鮮でした。
二十数年前に書き上げていた、この物語のほぼ全てを一通り世に送り出す事ができました。年末からスタートして、ほぼ毎日一つずつ更新していきましたが、四カ月以上かかりましたねえ。感慨深いです。
書き物の再開も二十数年振りだったのですが、話の間を滑らかにつなぐ為に新しく追記してみたり、伏線を新たに入れてみたり、第一話の最初の展開はプロット変更してほぼ完全に新たに書き下ろしたりと、その程度ではあるのですが、最初の壁を乗り越えたら思ったよりすんなりと書けるようになってきました。
ひとまずここで更新は止まりますが、書き物自体は趣味として続けていこうかと。
もしかしたら、忘れ去られた頃合いに新しい外伝やら新作やら、こっそりと公開する事になるかもしれません。まあ、書き手として集中してましたので、今度はしばらく読み手として、他の皆さんの作品をひたすら楽しんでみようかと思っております。
商業作品はもちろん完成度が高いんですが、そういう形ではなくとも、作品を創って公開されている皆さんの中に、自分の心と波長がすごく合う作品ってのが、絶対にありそうなんですよね。そういう作品にたくさん巡り合えるといいなと思います。そして頑張ってる作者様を応援したいですね!
===============================
忘れ去られた頃合いに新しい外伝、書き始めておりまする。
外伝5【引き継がれるもの】What Is Passed On
魔術師ノエルの子供時代がちょっと垣間見る事ができるかもです。
若き日の三人の魔術師達の物語。
ノエルの師匠であるオリビア、その双子の妹アロセール、そしてもう一人は……
鋭意制作中!です。しばしお待ちをば。




