癒しの技 Healing Wish
その場に、深紅の夕日が赤々と沈み落ちているかのようだった。
雪の残る地面も、周りの草木も地に転がる死骸も、飛散した赤黒い液体で染まりあがっている。その血塗られた舞台で闘い続ける人間達の姿は、現実離れして幻想的にさえ感じられる。五人の人影がうごめき、荒い息づかいと武器の打ち合う音、段々小さく消え入るうめき声、立ち回る男達の足音ばかりが、辺りに静かに静かに響き渡っている。
異国の男は、まだ血刀を振るって闘い続けていた。
斬った人間の血と脂が刃に染み込み切れ味が鈍ってきている。だから途中から彼は、切っ先で相手の急所を狙って突き込んでいる。もう、何人斬り倒したか覚えていない。体の動く限り息の続く限り、全身の傷口から流れ出している己の血が最後の一滴に到るまで、彼はこの闘いを止めるつもりはなかった。いや、そんな思考すら、もはや彼の頭に浮かんでいない。自分の存在すら忘れているのかもしれない。目を背けたくなるようなこの血塗れた修羅の世界に溶け込み、没頭していた。
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一人の男が打ち込んできた剣の斬撃を、愛刀の根元で受け止める。相手が刃を押し込む力に逆らわず、ふっと力を抜き背を丸めて自ら後方へ転がると同時に、相手の腹に片足を当てて『巴投げ』のように投げ飛ばす。狙った先は、小道を壁のように塞いでいる倒れた大木。宙を飛んでいった男は頭からまともに木の幹に叩きつけられ、首をグニャリと変な方向に曲げて息絶える。
地にあおむけになった状態のカゲツネだったが、その顔面めがけて間髪入れず野盗の首領がウォーピックを振り下ろす。鋼鉄製の鳥のくちばしのような、その鋭い先端は分厚い鎧をも貫き通す威力を持つ。
身をよじって頭部へ喰らうのは避けたものの、かすめた一撃でカゲツネの右耳の上半分がなくなった。彼の背中に接した地面は赤々とべっとり染まっている。治りかけていた彼の背中の傷口は今、更に大きく深く開き切っていた。
片膝を立てて立ち上がろうとした矢先、彼の左腕の上腕部に鋭い痛みが走る。一人の男が剣の切っ先を埋め込んだのだ。異国の男はギリリと歯を食いしばって耐え切り、身を半転させて立ち上がりざま、右手で持った刀を斜め下方から上へ振り抜いて、男が剣を突き出していた手首をサッと軽くその刃で撫でつける。それは手首の内側にある動脈を切断し、男は剣を取り落として手首から溢れ出す血をもう一方の手で押さえながら、その場から逃げて行く。それを見て、もう一人の男もこれ以上の怪我を恐れて逃げ出した。
カゲツネは鬼のような顔をして、ゆらりと血の海に立ち上がる。全身にまとう緋色の衣は、己の血なのか他人の血なのか、もう誰にもわからない。
そんな彼の姿は、『阿修羅』さながらだ。
闘いを好む悪の鬼神と人々から恐れられ、果てしない死闘を繰り返していた『阿修羅』。人の住む世界よりも格下の、絶えず争いが行われている血生臭い『修羅道』と呼ばれる世界に生きる者。
奈良・興福寺の阿修羅像は、そんな荒々しい気性とは裏腹に、何かを求めて心迷える少年のような顔をしている。どこか悲しげにも感じる眉根を寄せた美しい顔立ちは、ややもすると少女のようにも感じられる。向かって左側の顔は、何か胸の内で想う事でもあるのか、なぜか下唇を噛んでいる。
三面の顔を持ち、六本の腕を持つ。二本の腕は体の前で手の平を合わせて合掌し、仏の教えにすがるような意思を感じる。上の二本の腕は手の平を上に向けており、天の法則とつながろうとするかのごとく。そして残る真中の二本の腕は、はっきりした意思を感じるそれらの腕とは対照的に虚空にさまよい、まるで天地の狭間で苦しみ迷う人間の心のようだ。
『一体何を求めて、この阿修羅は闘い続けていたのだろう? また、闘わざるを得なかったのだろう?』
そんな事を感じさせる、その姿。
内に秘めた心を隠して、悪鬼の顔にて闘う阿修羅。
今のカゲツネは、まさしく阿修羅の化身だ。
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もはや残るは、ウォーピックを使うヒゲづらの首領、ただ一人。
その男は、手下の全てを失ってもなお、退こうという考えはかけらも持たないようだ。男は乾いた上唇を、己の舌でぺろりとなめる。そのウォーピックを、ゆっくりと構えて口を開く。
「おめえは、悪魔か? それとも地獄の鬼か?」
「ただの人間だ」
ならず者は静かに首を振り、口の端を歪めて声もなく笑う。
「いいや、違うな。おめえは俺と同じ臭いがする。血の中でしか生きられない人間だ。自分が望もうと、望むまいとな。どんだけ言い訳しても、行き着く場所は血の海。必ずそうなる人間だ」
「そうかもしれぬな」
血塗れた異国の男は、否定はしなかった。
その答えぶりに、野盗の瞳が狂気をはらんでギラギラと不気味な光を増してくる。何人もの頭蓋骨を叩き割ってきたそのウォーピックを静かに己の体側に引きつけてゆき、体になじんだ得意の構えに持ってゆく。
「へっ、上等だ。おめえみてえな野郎が出てくるのをずっと待ってた。いい加減飽き飽きしてた所だ。こんだけ血が騒ぐのは久し振りだ。楽しいぜ……」
「おまえのような人間を、これ以上楽しませるつもりはないのだがな……」
異国の男は、この野盗の首領の目を油断なく見据えながら、愛刀群雲を鞘に収めて束に右手を置き、腰を沈めて身構える。『居合』の構えだ。己に残る余力は一撃のみ。ならば、鞘走りの真空を生かして最速の一撃を生み出すこの『居合』の技に全てを込める。
首領の男は、のしかかるような威圧感のある前傾姿勢で、つるはしのようなウォーピックを両手に持ち肩に乗せるようにして構え上げる。異国の男は、膝を軽く曲げ右肩を相手に向けて、右手を左腰に収めた刀の束にかけた半身の姿勢。
そのまま二人は、お互いに静かに静かに、すり足でゆっくりと間合いを詰めてゆく。
二人の男の間に、涼やかな冬風が吹きぬける。
その時、小さな女の子の叫び声が響き渡った。
『カゲツネおじさんっ!』
瞬間。
解き放たれた男達が命の火花を散らして交差した。
異国の男の刀の切っ先は、野盗の首筋半分を斬り抜けて虚空に舞う。野盗のウォーピックの先端は、狙った頭部から外れ異国の男の左肩の付け根にめり込んだ。
野盗の男の首筋から、鮮血がほとばしる。群雲の刃は、その気道と頚動脈を断ち切っている。一方カゲツネの体に埋め込まれたウォーピックは、彼の動脈を切断していた。
彼の意識が急速に薄れてゆく。
「(お妙……お前に会える時がやっと来たようだ。俺は、あれからお前に恥じぬように生きてきたつもりだ。会って……くれるよな? 俺は、お前に一言、『すまぬ』と謝りたいのだ)」
その場に駆けつけてきた小さなアリアの目の前で、二つの人影が地に倒れた。
「いやああああっ!」
アリアは悲痛な叫びを上げて、あおむけに倒れるその男の側へ駆け寄る。倒れた時の衝撃で食い込んでいたウォーピックが外れ、その深い傷口からとめどなく血が溢れ出している。しゃがみこんだアリアは小さな両手をかざして、必死で『癒しの技』の祈りの言葉を口にする。
『主の御名において、その下僕、アリアが願います。どうかこの傷つける者を癒し給え。再びこの者に力を注ぎ給え……清らかな白き小川よ、この者の傷を包み癒し給え……』
しかし、やはり何も起こらない。
無理もない。
小さなアリアは、今までに一度も癒しの技に成功した事がないのだ。
心乱れるままに、それでも小さなアリアは何度も癒しの技を試みる。それでも、その傷口は全く塞がらない。血が止まらない。小さなアリアの瞳に、涙が一杯溜まっている。
「う、うううっ……。主よ、お願いです。どうか、この人をお救い下さい。たとえ世界中の人達が、『この人は悪い人』だと言っても、私は信じません。この人は、あったかい人です。私にとても優しくしてくれました。それは本当です! この人は町の人達を守ろうとしたのです。ひどい仕打ちをした人達なのに。誰にも信じてもらえなくても、誰にも認めてもらえなくても、誰にも見てもらえなくても、この人は命を賭けて闘いました。たった一人で。主よ、お願いです。どうか、どうかこの人の命をお救い下さい」
泣き濡れて必死で祈る女の子の声が、ぼんやりと聞こえた異国の男。暗くなる視界の中で、その見慣れた修道服姿のアリアの面影がおぼろげに浮かぶ。
なぜ、こんな所にこの子が? きっと、幻なのだろう……
「(ああ、俺はこの子にも、すまぬ事をしていたなあ)」
優しげな漆黒の瞳をした異国の男は、弱々しく口を開いた。
「ひどい事を言ってすまぬ、神の子よ。あれは、嘘だ。おまえが邪魔になどなろうか? とても楽しかったぞ……」
髪隠しをした修道女の女の子の頭を、右手を精一杯伸ばして何度も何度も優しく撫でてやった。
やがてその手は、力無くパタリと地に落ちる。
呼吸が浅くなり、その間隔がゆっくりと……
アリアの小さな涙の雫が、男の体の上に幾つも幾つも落ちてゆく。
「『清らかな白き小川よ……』 う、うううっ……いやです、こんなのいやです。主よ、この人は死んでいい人ではありません。主よ、どうか、どうか……この人に罪があるのなら、その罰を私も受けます。間違う事のない人などいません。私も同じです。悪い子です。でも……でも、どうかこの人をお救い下さい。この人を御許に召されるというのなら……」
小さなアリアは、涙の溢れる顔を天に向けて告げる。
「主よ、あなたも間違っています!」
悲しみと怒りに満ちたアリアの叫び。
その瞬間、アリアの両手が白く柔らかな淡い光に包まれた。泣き濡れる少女のかざした手の下で、みるみるうちに男の致命的な傷口がふさがってゆく。
それに気づく事なく、小さなアリアは気を失っていた。
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武器を構えた男達を遥か後方に置き去りにして駆けつけてきたイングリッド。地に横たわる一人の男の上に折り重なるようにして倒れ伏す、小さな我が子の姿を真っ先に見つけ、むしゃぶりつくようにして抱き起こす。
「アリア、アリアっ!」
動揺している彼女は、アリアの体を滅茶苦茶に揺さぶる。ようやく到着したノーマンが、そんなイングリッドの肩に手をかけて止め、慎重にアリアの首筋に指をあててうなずく。
「大丈夫だよ、イングリッドさん。この子は生きてる。でも、このカゲツネさんの怪我がひどい。まだ息がある。早く癒してあげてくれないか? 俺達の命の恩人なんだ。絶対に死なせたくない」
冷静な宿の主人の言葉、それにアリアの無事を自分でも確認して、イングリッドは震える息を大きく飲み込んだ。
こうして、やっと我に返ったイングリッドの手によって、異国の男は命をつないだのだ。
この時、この男の怪我に次々と癒しの技を施してしていた彼女は、不思議な事に気づく。異国の男の左肩の付け根の部分の服が、大きく破れて血溜まりができていたというのに、その下の地肌の傷口は塞がっていたのだ。
気を失ってノーマンの腕に抱かれている小さなアリアの姿を、まじまじと見詰めるイングリッドだった。




