信ずる道 The Way to Believe
森の小道を牡鹿のごとく駆け抜けるカゲツネは、ふと気づく。
「(この方角……薪小屋からの『鬼門』の方角、か。そして今は、俺の『天中殺』の時)」
『鬼門』とは、災いの起こる不吉な方角とされる北東。『天中殺』とは、天運の加護が最も希薄になる時期。
背中に負っている傷が、なぜか急にうずく。まだ完全に癒えてはいない。これ以上激しく動きつづければ、確実に傷口は開くだろう。こちらは一人。相手は十人以上はいるらしい。
彼は一瞬目を伏せるが、それでも再び真っ直ぐに顔を上げた。
「(それもまた、よかろう。宿の夫婦、小さな修道女殿。こんな俺でも、あの町に通う事を認めてくれた人々。今こそ、その恩に報いるべき時。そうだよな、群雲よ)」
右手に持つ愛刀に、無言で語りかける。
すると、すぐに心に答えが返ってくる。
異国の男は静かに微笑んだ。
「(うむ、そうか。お前も付き合ってくれるか。『腐れ縁だ、仕方ない』とは、また言うてくれるなあ、フフッ。これが定めの時かどうかは、わからぬが……この命、最期の時まで燃やし尽くしてみせようぞ!)」
迷いは消えた。
さらに走りをグンと加速させる。
駆け抜ける彼の身体中から、静かな闘気のオーラが溢れ出している。
『己の信ずる道を歩む事』
それが、いつ果てるとも知れぬ苛烈な宿命を背負ったこの男が出した結論だ。心疲れ果て、自ら命を絶とうとした事もあった。その手を止めてくれたは、脳裏に浮かんだ、一人の女の泣き顔だった。
それは子供の頃よく遊んでくれた、三つ年上の「お妙」という名の少女。不吉な予知夢がよく当たるので、寝るのが怖いと怯えていた少女。自分に『あやとり』や『折り紙』を教えてくれた人。『破魔の太刀』を会得するために隔離されてからも、自分を励ましてくれた大切な人。
そして……
命を捨てて自分を助けてくれた人。
未熟な自分が強力な『素気』に取り憑かれ生死の境をさまよった時、彼女はその素気を自らの身体に移して封じ込み、身代わりになって命を落としたのだった。
(彼女は自分の予知夢で、そうなる事を悟っていた上で、受け入れた)
その出来事が、現在孤独に闘い続ける彼の心の支えとなっている。彼女が与えてくれた命と心に、恥じない生き方をしようと彼は誓った。
彼の愛刀『群雲』は、彼女の家に代々伝わる刀だった。彼が技を会得して里を離れる事になった時、彼女の両親が、彼に持たせてくれた刀だ。この刀に語りかけるとき、彼はその大切な人に向かって語りかけているのかもしれない。
「(お妙……もし俺がここで命を落としたら、お前なら『馬鹿だ』と言うだろうなあ。でもな、もしお前が俺だとしても、きっと同じような事をしてるだろうと、俺は言い切れるがな)」
カゲツネの胸の中に、長い黒髪を揺らしながら苦笑する彼女の魅力的な笑顔が浮かぶ。我知らず、彼も微笑んでいた。
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子供を始末しに行った仲間を待つ野盗達。
「遅せえなあ、あいつら。ったく、ガキ一人に何を手間かけてやがる」
「ガストの野郎はイカれてるからなあ。今ごろ散々ガキをいたぶってんじゃねえか?」
待ちきれなくなった首領が立ち上がり、一同に号令をかける。
「ちっ、どっちにしても使えねえ奴等だ。馬に乗れ。行くぞ! 今すぐ襲う。ガキが町の人間に知らせたとしても、今すぐ襲えばまだ間に合う」
ならず者達が各自の馬に向かった時だ。
『いいや、俺が邪魔をしてみせる』
町へと向かう小道から聞きなれぬ男の声がした。
野盗達が一斉に振り向くと、その小道の少し離れた先に、血に染まった抜き身の剣を持った背の低い黒髪の男が立ちはだかってこちらを睨みつけていた。
「なんだっ、てめえは!」
それに答えるでもなく、カゲツネは無言で束を上にして斜に構える。呼吸を整え、その独特のリズムで体中の気を練り上げ、愛刀に注ぎ込む。群雲の刃身が、淡く青白い静かな光を放ってくる。
そして、その異様な構えを解いた。
「コオオオオオオッ……幻硫家、奥ノ秘剣『表』……活魂ノ太刀!! 」
彼は隣の大木に向かって大きく踏み込み、その太い幹に袈裟懸けに刃を一閃させる。剣の刃渡りよりも二倍以上も太いその大木が、一刀のもとに断ち切られた! その一撃は、大木の真裏に離れて立っていた木の幹にさえ斬り痕を残している。
分断された大木は恐ろしい地響きを立てて倒れこみ、町へと通ずる細道を完全に封じた。横倒しになった木の幹の高さは、とても馬が乗り越えられるものではない。
異国の男は倒れる大木の横から回り込み、声もなく目を見張って立ち尽くしている野盗達の前にゆっくりと進み出る。これで逃げても、彼は充分に時間稼ぎの役割は果たしている。しかし、彼はそうしなかった。
この男達を放っておけば、またいつかこの町が狙われるだろう。自分は、いつまでもこの町に留まる事は許されない身だ。受けた恩に報いる時は、今を置いて他にない。
先程の一撃を放ったため、彼の背中の傷口が開いて服に血が滲んでいる。技の消耗で、息があがっている。刀が、重い。それでも彼は両手で静かに、愛刀を構える。
無意識にカゲツネは母国の言葉で、祈るがごとく、念じるがごとく、一心につぶやいていた。
「我が身に受けた『仁』の心を忘れず、その恩に報いてこそ『義』」
彼に向けてボウガンを構えた男達から、数本の矢が放たれる。その全てを次々と彼は群雲で切り落した。刀を右足下段に構えて腰を落とし、すり足で男達に間合いを詰めてゆく。
「人に応え、己に偽り無き事をもって『信』と為す」
真っ先に槍を突き出してきた男。その槍先を下段から弾き上げ、突進しながら刀身を槍の柄に沿わせて滑らせ、男が槍を持つ両指を斬り飛ばして横殴りに胴部を切り裂く。群雲の切れ味は、男の皮胴衣をやすやすと切り分けて内臓まで達していた。男は絶叫しながら転げまわり、腹圧で飛び出す腸を指の無い両手で押し込もうと必死だ。
カゲツネの血が、さらに熱く熱く燃え盛ってくる。
「仁義の道を守り、信を行う者にこそ、『勇』あらん!」
ウォーピックを構えたヒゲづらの野盗の首領が野太い声を上げる。
「てめえ……何者だ!?」
異国の男は、静かに刀を正眼に構えなおす。
「我、そうあらん事を切に願う者なり。されど過ち多き愚かな修羅なり。願わくば我が剣よ。群雲よ。我が内なる闇を斬り裂き、真の道を示し給え……我、今ここに阿修羅となりて闘わん! 幻硫 影康が息子、影恒。参るっ!」
高らかに叫ぶと、異国の男は矢のごとく飛び出して修羅場へと身を投じた。
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その頃、町の人々はザックとキースからの知らせを受け、野盗達を迎え撃つ準備に追われていた。
男達は武器屋から提供された得物を各自手に取り、町の端に集結しつつある。火の手があがる事も想定して、ありったけのバケツや大鍋に井戸から汲み上げた水が満たされて町のあちこちに固めて置かれている。老人や女性、子供達は聖カタリナ尼僧院へと避難する。その周囲をまた、男達が油断無く守りをかため、ピンとした張り詰めた空気が修道院に漂っている。
緊迫した中、左足に怪我をした一人の男の子が、修道女達が怪我人に備えて控える礼拝堂に運び込まれた。
宿屋の主人ノーマンの腕に抱かれている、その男の子の姿が視界に入ったザックとキースが必死で駆け寄ってきた。ザックが叫ぶ。
「ジュード!」
まさしくジュードだ。
彼はノーマンに、「もう大丈夫ですよ。修道女さん達が治してくれますから」と告げて一人立つ。そして予想に備えて、怪我をしていない右足をしっかり踏ん張った。
やはり瞳を潤ませたザックが彼に向かって飛び込んできた。
「よかった、よかった……」
「相変わらず、大袈裟ですよ、キミは。全く……怪我人をもう少しいたわって下さいって」
迷惑そうに告げるジュードの指摘に、慌ててザックは身をひいた。
キースが心配そうに問いかける。
「大丈夫なのか、ジュード?」
「ええ。あの黒髪の人にすぐに手当てしてもらいましたし。そりゃあ、痛みますけど」
ずっと泣いていたアリアもこの礼拝堂に避難して、不安な気持ちでイングリッドの手を握っていたが、そのやりとりにピクリと反応した。
この町で黒い髪をした人間は、一人しかいない。
ジュードは肩をすくめると、やはり左足の痛みに顔を歪める。
「修道女様達。すみませんが、どなたか怪我を治してくれませんかね?」
イングリッドが進み出ようとしたが、すかさずキースが気を回した。
「フローラ、頼むよ」
「わかった。任せて」
にっこりと微笑んで、フローラは快く引き受ける。彼女はアリアをからかっていたこの三人を、今回の出来事で心から見直していた。ジュードの左足の怪我に手をかざし、『癒しの技』を施してゆく。淡白く輝く彼女の手の平の下で、みるみるうちにジュードの矢傷は塞がった。
「これはどうも、フローラさん。あなたみたいな乱暴者でも、一応修道女のはしくれといった所ですかね」
「ったく、口の減らないガキだこと。ムカツクわ。まあ、その分なら大丈夫かしらね。よくやったと言っておくわ」
憎まれ口を叩くジュードの頭を、ガシガシと撫でるフローラだ。(結構な力を込めて)痛がるジュードだが、まあ、まんざらでもない様子だ。
やがてザックとキースが口々に、あの後の事をジュードから聞きだす。彼は淡々と説明した。あの異国の男が自分を助けてくれて、一人時間稼ぎに野盗達へと向かって森の奥へと駆け去っていった事を。
それを耳にした修道女達や、ここに避難している町の女性達は顔を見合わせる。今更ながら、あの男の事を誤解していた自分達に、皆なにやら落ち着かない様子だ。
じっと耳を傾けていたイングリッドは、握っていたアリアの手が自分から離れるのを感じた。アリアは礼拝堂の裏口へとパタパタと走ってゆく。
「どうしたのです!? アリア!」
「お手洗いです!」
言い捨てて、小さなアリアは夢中で駆け去ってたちまち奥へ姿を消す。彼女の様子が変な事に気づいたイングリッド。
「待ちなさい、アリア!」
急いでアリアの後を追って、イングリッドは礼拝堂の裏口から外へ飛び出した。尼僧院の入り口への方向を見やるが、アリアの姿はどこにもない。
ぐるりと周囲を見回すと、裏手に広がる畑のあぜ道を、小さなアリアが森の方へ向かって駆けている。
「戻るのです、アリアっ!」
その叫びが十分聞こえる距離であるのに、アリアは全く振り向かない。小さな手足を振り乱して必死で森へと走り去ってゆく。
ジュードを無事に送り届け、自分の持ち場へと戻ろうとして礼拝堂から外へ出たノーマンに、裏手からイングリッドの叫び声が届いた。何事かと彼が裏手に回ると、イングリッドが邪魔な修道服の裾をたくしあげ、畑を突っ切って走っている。
「おい、イングリッドさん! どうした!?」
「アリアが森の中に!」
言いながらも、彼女は走る。ノーマンが大声で制する。
「待て! 今、男衆を集めてくる。それまでは待て!」
「じゃあ、早く!」
唇を噛み締めて、やきもきするイングリッド。
男達の合流を待つ間、ジリジリする彼女の足元で、修道女達が精魂込めて育てていた冬大根が幾つも、力任せに踏みつけるイングリッドの『かかと落し』で更に地中深くめり込んでいた。




