勇気ある子供達 Brave Children
聖カタリナ尼僧院の門前で、二人の修道女が取っ組み合っている。
いや、正確には、息巻いている一人の修道女が飛び出そうとするのを、もう一人の修道女が腰にしがみついて必死で制している。
「放しなさいっ、フローラ!」
物凄い剣幕で怒鳴りつけるイングリッド。
こめかみに脈打つ青筋が美しい女性だ。(←そうか?)
たまたま通りがかった野良犬が、彼女の怒声にキャウンと悲鳴をあげ尻尾を股にはさんで逃げ出した。
「お願いだから落ち着いてって、イングリッド姉さんっ!」
命懸けで止めようとするフローラ。でも引きずられている。
死人を出す訳にはいかない。
『怒り狂って暴れ出した一人の修道女が、町の人々を素手で虐殺した』
この伝統ある聖カタリナ尼僧院の分厚い日誌に、そんな一行を加える訳にはいかない。
「これが落ち着いていられますかっ! アリアに誰が何をしたのか、絶対突き止めてやる!」
「気持ちはわかるけど、ひとまず落ち着いて! こんなんじゃ、話を聞く前にみんな逃げちゃうよお~」
殺気に満ちたイングリッドの茶色い瞳が、毛細血管の隅々まで血走っている。
「その前に、とっ捕まえて白状させるっ! 誰がやった? 誰が私のアリアをあんなに泣かせた!? どこだ、出て来い! ドタマかち割って、その腐った脳みそ引きずり出して口からケツまで突っ込んでやる! ノコギリで両足切って、石抱かせて荒縄でグルグル巻きにて海に沈めてやるっ! ふざけんなああ~~っ!! 」
着ている修道服におよそふさわしからぬ、恐ろしい言葉を吐き続けるイングリッドだ。普段は穏やかな微笑みを浮かべて人々を励ましている彼女のどこから、そんな素敵な言葉が次々飛び出してくるのだろう?
「海まで遠いよ、イングリッド姉さん。沈めるなら井戸のが楽だよお~!」
半泣きでなだめるフローラは、もう自分でも何を言っているのかわからない。フローラ以外、他の修道女達は怖く怖くて手が出せないでいる。(もっともだ)
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泣きながら帰ってきて、誰に何を聞かれても首を振って泣き続け、小部屋に閉じこもってしまったアリアを見て、とうとうイングリッドの堪忍袋の緒がキレ飛んだのだ。跡形も無く、きれいにきれいに吹っ飛んだ。今まで、これほど痛々しく泣きじゃくっているアリアは初めてだったのだ。心がえぐられるようだった。
もう許せない。
神が赦しても自分は許せない!
ズカズカと表に向かう彼女を見て、フローラは押しのけられても、突き飛ばされて壁にキスしてしまっても、なんとか尼僧院の前でイングリッドの腰に組み付く事に成功した。しかし、とどめておけるのも、もう限界に近い。イングリッドの力は、とても女性とは思えない。彼女が乱暴に開けた尼僧院のドアの一つは、そのドアノブがありえない向きに曲がっていた。
そんな修羅場を収めたのは、片手に杖を持って、一人の修道女に体を支えられながら進み出てきた老修道女の静かな声だった。
「おやめなさい、イングリッド。修道女として、人々の前に見せる姿ではありませんよ。私達が人々を不安にさせるような言動をしてどうしますか? 主が見ていますよ。恥じなさい」
「院長様……」
自由が利かなくなった体にムチ打って姿を現した院長に、ようやく我に返ったイングリッドだ。彼女の動きがピタリと止まるのを感じ、安心したフローラはもう力無くその場にへたり込んでしまった。
フローラと仲の良い修道女、ジュリエッタが無理を承知で院長に急を告げたのだ。
動揺して早口でまくしたてるジュリエッタの言葉が全て聞き取れた訳ではない高齢の院長だが、何が起こっているのかを瞬時に理解した。イングリッドが暴れ出したとしたら、アリアの事以外にはないだろう。
特に慌てた素振りもなく、院長は杖を持ちジュリエッタに体を支えてもらいながらアリアの閉じこもった部屋の鍵を開けさせて、アリアに少し声をかけて様子を確認した後、こうして怒り狂ったイングリッドを制しに向かったのだった。それまではフローラが止めていてくれるだろうと院長は見切っている。さすがだ。
「イングリッド。あなたは勘違いをしていますよ。あの子は確かに子供ですが、あなたが考えているような事で泣いているのではないようです。私の見るところでは」
「それでは、一体何が!?」
「詳しい事は、私にもわかりません。イングリッド、あなたはアリアにとって、とても良き母親です。でも、そのせいで見えなくなっているものもあるようですよ。小さなアリアの嘆き。あれは、他の子供達からいじめられたからではありません。あれは、好きな人を失ってしまった人間の嘆きです。それも、私の勘では異性の相手ですね」
院長の言葉の意味を理解するのに、一瞬間があったイングリッド。ポカンと口を開けてしまう。やがて目を丸くして院長に喰ってかかる。
「それはありえません、院長様! アリアはまだ、あんなに小さな子供なのですよ!?」
目の前にいるこの老修道女を飲み込まんばかりだ。文字通り、そんな勢いだ。院長の横で支えていたジュリエッタは一歩後ずさりした。
しかし院長は全く動じない。
その皺くちゃの穏やかな顔は、洗濯ノリで固まっているようにピクリとも動かない。
「子供の成長は、親が思っているよりもずっと早いものなのですよ、イングリッド。おそらく、アリアには初めての経験で、今の気持ちを言葉にする事ができないのでしょう。たとえ、あなたであっても、アリアは言いたくない事柄なのでしょう。今、この時は」
「そんなはず……」
抗議するイングリッドの言葉は、院長の歳経た穏やかな声が遮る。その眠たげなまぶたの奥から放たれる眼光から、イングリッドは目を逸らす事ができない。
「イングリッド。私の言葉が信じられないのですか? あなたをなだめるために、私が嘘を言っているとでも? 私があなたに嘘をついたのは、一度だけです。それはあなたの命がかかっていたからです。その結果、こうして修道女として生きる事になって、あなたは私を恨んでいますか?」
「い、いいえ……」
猛獣のように暴れていたイングリッドは、急におとなしくなった。固唾を飲んで見守っていた修道女達は目を見張る。
強い。この院長は強い。
怒り狂ったイングリッドよりも強い。
キレたイングリッドよりも、ある意味もっと空恐ろしい。
その場に居合わせた誰もが揃って、そう感じた。
ボケたなどと噂した事もある修道女達などは、心底震え上がっている。
震える息を吐き出したイングリッドの瞳が、悲痛な色に染まる。
「何があったの、アリア? 何があなたを苦しめているの? 教えて、お願い……」
泣き崩れるイングリッドを、フローラが今度はその胸でしっかりと抱きしめてやる。
老院長は大きく一つうなずくと、また杖をつきジュリエッタに支えられながら、膝の関節の痛みに皺だらけの顔をしかめてゆっくりと自室へと戻っていった。
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一方、ここは町の近くの森の中。
あの三馬鹿達が、彼らの『聖地』・樹上の小屋で息を潜めて、下から聞こえる男達の声に聞き耳を立てている。時刻は丁度、激怒したイングリッドが尼僧院から飛び出そうとしていた頃合だ。
『御頭。やるなら夜の方がいいんじゃねえっすか?』
『辺りが暗いと女を逃がす。あれくらいの小さな町なら昼間やった方が都合がいい。火をつけてあぶり出せば、どうって事ねえ。修道女抱きてえだろ?』
『ま、そりゃそうです。さすが、御頭だ。頭が回る』
不穏過ぎる会話だ。
樹上の小屋で床にピタリと耳をつけて盗み聞きした男の子達は、目を丸くして顔を見合わせる。ヒソヒソ話も少し震える。
「(おい、あいつら一体……?)」
ザックの顔が緊迫している。
「(俺達の町を襲おうとしてるぜ!?)」
キースは蒼ざめている。
「(二週間前に近くの町を襲った野盗達でしょう、おそらく。町の人達に早く知らせるべきです)」
意外と冷静なジュード。
三人は、一つ大きくうなずき合う。
この日、いつものように学校帰りに『秘密基地』で過ごしていた三人は、森の奥から馬に乗った20人余りの男達が近づいてくるのを目撃したのだ。どの男達も武器を帯びている。しかし軍隊のようなものではない。明らかに、ならず者達だ。その男達は、樹上に小屋があるのに気づかず、彼らのいる大木の下で小休止を取り、馬から降りてしばしくつろいでいたのだ。これから行う襲撃の手はずを今一度確認する意味もあったらしい。
「(どうする? 今は下にやつらがいる)」
「(でも、馬に乗ってあいつらがまた動き出したら、みんなに知らせるのに間に合わないぞ!)」
考え込むザックとキースを見守りながら、ジュードが小声で告げた。
「(ザック君。キース君。小屋をカモフラージュする時に隣の木の枝を縄で引き寄せましたよね? アレを使いましょう。こっそり枝を伝って隣の木から降りるのです。やつらから見えない死角から。君達二人は必ず町の人達に知らせて下さい。ボクが囮になります)」
「(おまえだけ残して行けるかよっ、ジュード!)」
ザックが驚いてジュードの肩に手をかける。
ジュードはその手に自分の手を重ねる。
辛抱強く、この親友を言い聞かせる。
「(いいですか、ザック君。君はいいやつだ。勇気もある。行動力もある。それはみんなが認める所です。そしてキース君。キミはこの中で大人達に一番信用されている。君達二人の言葉なら、みんな信じるでしょう。ボクが入るとダメなのです。嫌味っぽくていつも大人達を小馬鹿にしてますからね。みんな嘘だと思って相手にしてくれないでしょう。ま、別にいいんですが)」
肩に置かれたザックの手を、そっとジュードは取り払う。ザックは黙り込み、キースは静かにじっと、二人のやりとりを見守っている。再びジュードが口を開いた。
「(君達は、みんなのために行くのです。ボクだって、無駄に死ぬつもりはないですよ。木で馬が通れない所に逃げ込めば、なんとかなるでしょう。多分ね。さあ、二人とも急いで)」
まだ迷っているザックを、キースが無言で促した。
のろのろと小屋から出ようとするザックは、急にジュードの方に振り向いた。ポケットから皮の鞘に入った自慢のナイフを取り出して、有無を言わさずジュードの手に握らせる。
「そのナイフ、お前に貸す。いいか、貸すだけだ。後で必ず俺に返しに来るんだぞ」
続いてキースが畳み掛ける。
「年上好みのお前がフローラの事好きだっての、俺知ってるんだぜ。戻って来ないとみんなにバラすからな」
「なにっ!? そうだったのか!?」
寝耳に水のザックだったらしい。
「気づけってばよ、ザック。アホだなあ……」
キースが溜息をつく。相変わらず、ザックはそういうのに鈍い。こいつは女の子達に結構モテている事も気づいてない。(面白いから、黙っているキースだ)
そんな親友達にジュードは苦笑する。
「全く……二人とも使い古された表現ですね。わかってますって。ヘマはしないつもりですから」
こういうクサいやりとりは、彼にとっては本当に馬鹿げて感じる。しかし、この親友達を必ず逃がすという決意は更に強く強くなった。
ザックとキースは音を立てぬように、こっそりと枝を伝ってゆく。そしてジュードは秘密基地の平らな屋根へ登った。幸い、少し風が吹いていて、ざわめく木の葉の音が守ってくれている。二人とも、無事に隣の木に移った。さあ、これからが勝負だ。
三人は目でうなずきあう。
ジュードは自分の折り畳みナイフを取り出して、ピッと刃を伸ばす。
屋根のへりから、下で繋がれている馬の一頭に上空から慎重に狙いを定め、刃を下にしたナイフをポトリと落とす。
それは狙い通り、一頭の馬の背中に突き立った!
突然の痛みに、繋がれた馬が竿立ちになって暴れ回る。
それに驚いた他の馬達も、不安になって跳ね回る。
『おい、どうした!? 早くなんとかしろ!』
『へ、へいっ! コラ、おとなしくしやがれ!』
『上から何か落ちてきたぞ! ……なんだあ、ありゃあ?』
混乱する野盗達。一人の男が、樹上の小屋に気がついた。
その騒動を合図に、素早くザックとキースは木から降りる。
ジュードの心を汲んで、二人は必死で走り去ってゆく。
間髪入れず、ジュードは別の隣の枝を引き寄せているロープを掴み、ザックから手渡されたナイフでそのロープを断ち切った。しなった枝の反動で、下で騒いでいる男達の頭上をターザンよろしくジュードは吹き抜ける。
彼は野盗達から離れた小道に見事に着地すると、大声を張り上げて自分に注目を集めた。
「野盗だあっ! 野盗が来たぞ! みんな逃げろ!! 」
町の方へ向けて小道を一目散に駆け抜けていく。
男達が何人か、血相を変えて追いすがってくる。
馬が思ったより暴れてくれたので、野盗達は走って追いかけてきている。
もう少しで、密集した藪の中に逃げ込めるとジュードが思った時。
彼の左腿の裏側に焼け付く痛みが走った。土を削りながら転がり込むジュード。彼が痛みに顔をしかめながら足を確認すると、矢が一本突き立っていた。追いかけてきた男の一人が、ボウガンで矢を放ったのだ。もう逃げられない。
それでも立ち上がって、右足でひょこひょこと町へ向かおうとする男の子に、先程ボウガンを放った男がもう一度矢をつがえてジュードの後頭部に狙いを定めた。
その引き金に指がかかった瞬間。
その男の首は、胴からコロリと転げ落ちた。
雪の残る小道が鮮やかに赤々と染まりあがる。
続けてカゲツネは愛刀『群雲』を振るって、ここまでジュードを追いかけに来ていた残る二人の男に、漆黒の影のごとく飛びかかる。一人の首を半分断ち切り、最後の男は眉間から後頭部まで一突きに貫いた。
怪我をしたジュードを介抱しながら、異国の男は事情を聞き出す。ジュードに刺さっていた矢は、幸い深くは入っていなかった。引き抜いて、止血のために内腿の付け根に小石をそえて布できつく縛り上げる。こうして動脈を圧迫して出血を少なくするのだ。さらに傷口にも布を巻く。応急処置を完全に終えると、近くにある細木を刀で切って、杖がわりに男の子に渡す。
「町はもう近い。なんとかそこまで一人で歩けるか? 勇気ある子供よ」
「うん、これなら、なんとかいけるでしょう」
異国の男は、ジュードを立ち上がらせてやると、静かに告げる。
「よし。もう少しだけ頑張るのだぞ。俺は、この奥でやつらを食い止める。少なくとも、町の人々が襲撃に備えるための時間稼ぎにはなろう」
ジュードの答えも待たずに、血まみれの愛刀を右手に持って頭頂で束ねた髪を左右に振り乱しながら、カゲツネは森の奥へ駆け去っていった。
そんな男の後姿を見送って、ジュードは足の痛みに顔を歪ませながら町へと歩く。
小声で彼はボヤいている。
「いい人ってのは、長生きできないものですね。あの人に対してボク達の町の人間がしてきた事を全部考えれば、ボクがどう甘く計算しても、あの人がこんな事をする価値のある人間達だとは思えないのですが。まあ、ボクも含めて、ですけど」
およそ子供らしからぬ独り言を吐きながら、ジュードは黙然と歩きつづけていた。彼自身、そんな風に評価している町の人間を守ろうとして囮になった事には、あえて目を背けながら。




