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その定め His Destiny

 異国の男は愛刀を鞘に収め、不思議そうな顔をして立ち尽くしているアリアを、そっと元の指定席に促して座らせてやる。そうして自分は床に正座する。

(なんだか小さなアリアが、罪人に裁きを行う奉行様に見えてしまう配置だ)


「俺の一族には時折、『素気』を引き寄せる体質の者が生まれる。そうした者は十を超えるくらいの年頃になると、普通の人間には見えない素気の姿が見えるようになる」


「『 ソキ 』?」


ぎゅっと眉をしかめて問いかける女の子に、異国の男は正座したまま大きくうなずいた。頭頂で拳一つ分余り高く束ね上げた黒髪の先っぽが、ザワリと揺らめく。


「素気とはな、万物に宿る命の源に近しい存在だ。様々な異形の姿や性質を持ち、我々の世界に溶け込んでいる。素気そのものには善悪などはない。あるがままに己の存在を全うするだけの事なのだ。ただ、人間に恵みを与えるか害を与えるかどうかで、氏神・山の神・海の神、はたまた邪気・物の怪・魔物などと呼ばれる事になる。こちらでは、ある種の素気は『精霊』や『悪魔』などとも呼ばれているな」



 淡々と、この異国の男は突拍子も無い事を少女に語る。しかし、幼い子供をからかっているのでも、嘘を言っている訳でもない。この男には、今この小屋の中にも無数の小さな素気達が見えているのだ。


ミミズのようなものもあれば、渦巻き貝のようなのも宙を飛び交っている。アリアの鼻からすうっと入って口から出てくるモヤのようなのもある。古い薪束をサビのように侵食している素気もある。


どれも人間には害の無いもので、道端の石ころのようなものだ。


 アリアの体内に入って出てきたモヤのような素気は、人間の体内でわずかな湿り気と体温を吸収し己の糧としているだけで、全く害は無い。むしろ人間の害になるウィルスや細菌をついでに奪ってくれるので、健康に良いくらいだ。薪を侵食している素気は、その薪が多少燃えにくくなるくらいだ。



 しかし、先程アリアの背後に忍び寄ってきたドス黒い大きな蛭(ひる)のような形をした素気は、人間や動物に取り付き、宿主の病気に対する抵抗力を吸い取って己の糧とする。宿主が病気にかかりやすくなり衰弱した末に死亡すると、新たな宿主を求めて体から離れる。それでカゲツネは『破魔の太刀』の技を使って一突きにその素気を散らしたのだった。



静かに静かに、男は語り出す。

遥か東方にある地。

大陸の東の端から更に海を越えて渡らねばならぬ故国。


 その国の人里離れた山奥にひっそりと暮らしている、彼の一族の事を。不思議な予知夢や啓示が聞こえたりする者もおり、霊感の強い者が多く、また心に病を持つ者も少なからずいる、その一族を。


 それ故に、時には『生き神』として畏怖され崇められ、時には人々から蔑まれ迫害を受け……その結果、人目に触れぬ過酷な地で隠れ住む事になってしまった一族だ。


その一族の中に、カゲツネは生まれた。

『素気』が見え、それを引き寄せてしまう体質を持つ人間として。


 素気の息吹を引き寄せてしまう体質の者は、害のある素気に取り憑かれて殺されたり、周りの人間までも巻き込んでしまう事もある。一族の昔の掟では、そうした災いをもたらす子供は、ある谷へ突き落として間引くのがならわしとなっていた。


ある時、そんな運命に立ち向かった一人の女がいた。『返しの谷』と呼ばれるその谷から落とされても、生き延びた一人の子供がいたのだ。


彼女は数十年間諸国を放浪した末、素気を打ち払って生き抜く術を身につけ、一族の里へと戻ってきた。その技が『破魔の太刀』。己の内に宿る力を刃に込めて、素気を絶つ技だ。



 こうして、素気を引き寄せてしまう運命を背負った子供にも、自らの力次第で生きる希望がもたらされた。素気が見えるようになってから、五年の猶予が与えられる。その間に『破魔の太刀』を会得できた者は生きる事を許される。五人のうち四人は途中で命を落とすか、期限内に技を会得できずに処分される過酷な修行だ。カゲツネは、その厳しい試練に耐えて技を会得して生き延びた一人だ。彼は開祖である女性の血筋を引き継いだ子孫である。


このようにして、彼の一族は新たな掟を守って、今も細々と山奥に隠れ住んでいるのだという。


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小さなアリアは息を飲んで、カゲツネの一言一句に耳を傾けている。


その話の全てが、静かな修道院の世界で過ごしてきた幼い彼女には衝撃的だった。ピクリとも、体を動かせずに聞き入っている。


やがて、異国の男は一つ大きく息を吐くと、その物語を締めくくる。


「この『破魔の太刀』の技を会得して生きる事を許された者は、もう一族の里にはいられない。一つの場所に留まるほどに、強い素気を引き寄せてしまう事には変わりがないのだ。周りの人々の命を脅かすような魔物がやって来る事もある。……俺はこの技の修行中に、そのせいで大切な人を失ってしまった。もう二度とあのような思いはしたくない。だから、死す時が来るまで、各地をさすらうより他はない。そうした素気と闘いながら旅をせねばならぬ定めだ」


その薄暗い薪置き小屋に、シンとした静寂が訪れる。


うつむいてしまったアリアは、金縛りにあったように体も口も動かせない。この目の前で正座している男の背負う過酷な運命は、幼い彼女の言葉を失わせるのに充分過ぎた。


カゲツネは、そんな女の子に向けて、かすかな微笑みを浮かべる。

いや、笑っているのか……泣いているのか、なんとも言えない表情だ。


それは限りなく温かで優しい、そして悲哀に満ちた顔だった。



大きく息を吸い込むと、異国の男はその静寂を破った。


「だから、もうあまり俺の側に近寄らない方がいい。ここに来てからしばらく経っておるから、俺の周りの場に素気が集まりやすくなっておるのだ。そなたが、また怖い思いをする事になる」


思わず、顔を上げて男の目を見詰めるアリア。

カゲツネの黒い瞳は、静かに彼女の視線を受け止めて吸い込んでゆく。


彼の心を察したアリアの小さな瞳が、みるみるうちに潤んでくる。それでも、カゲツネは微かに、しかしはっきりと首を横に振った。


小さなアリアの瞳から、ポロポロと涙が溢れ出してくる。

胸が……胸が痛くて、

締め付けられるように痛くて、どうしようもなかった。


「それじゃあ、カゲツネおじさん……ずっと、ずっと一人ぼっちなの?」

「もう、慣れた」


「これからも、ずっと?」

「そうだろうな……死す時まで。体が衰えて『破魔の太刀』を使えなくなり、素気に喰らい尽くされるのが早いか、その前に命を落とす事になるかは、わからぬが。もうここへは来るな、アリア」


「イヤ! イヤです、そんなの!」



小さなアリアはそう叫ぶと、床に正座する彼の胸に飛び込んで抱きついた。力の限り彼の服を握り締めて、泣きじゃくってしまった。



異国の男は困ったような顔をして溜息をつく。

この子の心を傷つける事になるのは、わかってはいたのだ。


もっと早く、この子を追い払うべきだったろう。

簡単な事だ。

嫌われるように接すれば良かったのだ。

もしくは、すぐにこの地から離れれば良かったのだ。



 宿の夫婦や、この小さな女の子から与えられた、人の温かさに久し振りに触れ、ついつい甘えてしまった。背中に負った傷が完全に癒えるまでは、と自分の心に言い訳をしながら。



自分は以前より、弱くなってしまったのかもしれない。

こうした生き方に、少し疲れてしまっていたのかもしれない。

しかし、それはやはり、許されない事なのだ。


自分の未熟さが招いた、かつての過ちを繰り返してはいけない。

あのような形で大切な人を失うのは、もう二度と……

関係のない人間を巻き込む訳にはいかない。



男は優しく、しかししっかりとアリアの両肩に手をかけて引き剥がした。厳しい顔と有無を言わせぬ口調で言い放つ。


「さあ、帰るのだ。本当の事を言うとな、俺は騒々しいのは嫌いなのだ。今まで我慢してきたが、俺にはおまえがうるさくて仕方ない。もう二度とここへ来るな。邪魔だ」



泣きながらパタパタと駆け去っていく女の子。

前もろくに見ずに駆け出したので、すぐ転ぶ。

でも、あの大きくて温かい手は、もう差し出される事はない。


閉まる小屋の板戸。



その小屋のドアを背に立ち尽くし、

『すまぬ、すまぬ』と何度も低くつぶやく男の声は、

小さな暖炉で燃える薪の音にかき消されていった。


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