異国の遊び Exotic Play
カゲツネがその愛刀を一心に研いでいると、見知った人物の小さな足音がパタパタと小屋に近づいてくる気配を感じた。彼は微笑みを浮かべると、その手を止めて戸口へ向かう。外から、男の腰くらいの高さで戸を軽くノックする相手に答えて、彼は出迎えた。
表にはやはり、小さな修道服を着た人形のような女の子が、ニコニコして彼を見上げていた。白い息を弾ませて胸に手を当てている様子から察すると、また走ってここまで来たようだ。彼が、足元が滑るから走らぬが良いぞと言い聞かせるのだが、それでもアリアは走って来る。(だから良く転ぶ)
このような無邪気な顔を向けられると、どうにも負ける。
今日もどうやら、質問攻めになりそうだ。
「(さて、今日はどうやってこの子の好奇心を満足させてやれば良かろうか?)」
彼にとって、子供相手の、しかも女の子相手のこうした戦は専門外で、いつも考えあぐねてしまうのだが。
小さなアリアは、そんな大人の男の苦悩なぞ、お構いなしだ。ひょいと小屋の奥を覗き込んだ女の子には、床に置かれた彼の武器と研石が目に入る。
「カゲツネおじさん、またやってます」
面白そうに問いかけるアリアの視線の先に気づいた男。ポリポリと頭をかく。頭頂で束ねたその黒髪が、ハタキのように揺れてしまう。
「ああ……うむ。なかなか自分の思うようにいかぬのでな」
「何がどう思うようにいかないのですか?」
不思議そうに尋ねてくるアリア。男は言葉に困る。
「ううむ。そのう……なんだ。言葉では難しいな。とにかく、己の心が納得するという事だ」
「ふ~ん。変なの。でも今日は新しいのを教えてくれる約束です! あれが終わったら教えて下さい。私、待ってますから」
「ううむ、そうだったか? まあ、とにかく入るとよい」
アリアはうれしそうに、その薪置き小屋に入る。そしていつも彼女が腰掛ける指定席に落ち着く。アリアが座りやすい高さになっている薪の束の上で、座り心地が良いようにと男が布をその薪の上にかぶせてやっていた。小さな暖炉の近くで、なかなか温かい場所だ。小屋の中は半分ほど薪の束が積みあがっている。(この小屋を貸してくれているノーマン夫妻への感謝の気持ちにと、カゲツネが新しい薪の束をせっせと作っているのだ)
アリアは足をぶらぶらさせながら、ポケットから正方形の紙切れを取り出して、何やら折ったり開いたりしている。男に教えてもらった異国の子供の遊びの復習をして、この男が刀を手入れし終わるのを待つ事にしたようだ。
そんな女の子の側で、床に正座してぴっと背筋を伸ばすと、また異国の男は愛刀に研石を軽くあてる。シュッ、シュッと規則正しい研石の音が小屋の中に響き渡っている。
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あれからアリアは、学校が終わるとこの異国の男が仮住まいしている森の小屋へしばしば立ち寄るようになっていた。イノシシに追われたあの日、そのまま尼僧院に帰るのが気まずい様子の女の子に、カゲツネは気づいていたのだった。それで彼はお互い名を名乗りあった後、助け舟を出してやった。
『アリア、俺に少しばかり祈るやり方を教えてくれぬか? こちらの神に触れる機会もあまりなかったものでな。「郷に入りては郷に従え」と言う。修道女殿に今、時間があるとよいのだが』
『大丈夫です。私、教えます!』
男の頼み事に、たちまちアリアは乗ってきたものだ。
これなら、きっと神様も許して下さるだろうと思えたのだった。
そうしてあの日は学校の終わる時間になるまで、異国の男の小屋で楽しい時間を過ごしたアリアだ。
カゲツネという男は、彼が今まで立ち寄った土地の話をしてくれた。
向こう岸が見えないくらい大きな川。その川が逆流する時があるのだという。
砂が空から降ってくる時期もあるそうだ(これは『黄砂』の事だろう)。
炎を神様として崇めている人々の話(ゾロアスター教徒か?)。
鼻の長い小山のように大きな動物(『象』だ)。その動物を飼い慣らして力仕事をさせる人々がいるそうだ。
不思議な話ばかりで、小さなアリアは一心に聞き入っていた。
そしてさらに彼は、この女の子に彼が子供の頃にしていた遊びを教えてくれたのだ。
『あやとり』、『折り紙』などなど……それが面白くて、アリアは何度もここに訪れている。
(学校で覚えた遊びを皆に教えてあげたら大好評で、アリアの株が上がっている)
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異国の男は、床にきちんと正座して一心に剣を研いでいる。その単調な音は、不思議とアリアにも心地良く耳に響く。温かい場所でこうしてその音に聞き入っていると、油断すると眠ってしまいそうになる。
男は時折、その異国の剣を目の高さまで上げ、片目をつぶって刃の根元から切っ先にかけて全体の刃渡りを確認している。その眼差しは真剣そのものだ。やがて大きくうなずき、今度は手荷物から薄い紙を取り出し口にくわえ、綿帽子のついた小さな棒で刃にポンポンと粉を塗る。それから口にくわえた薄紙を手に取り、刃を念入りに拭きあげてゆく。
アリアはなんとか、一昨日教えてもらった『やっこさん』という人形を一人で折り上げた。カゲツネは丁度一段落したらしく、右手に異国の剣を垂直に持ち、その刃紋をしみじみと眺めている。ふと、女の子もじっとその剣に見入っているのに気づいた男だ。
「この剣、怖いか?」
小さなアリアは、ふるふると首を振る。
『綺麗だ』と、思った。
薄暗い小屋の中で、神々しく煌いているように感じた。
その緩やかに波打つ刃の模様は、風にうねる草原のような、流れゆく雲塊のような……
町の武器屋の店先で垣間見たどんな武器よりも、綺麗だと思った。
異国の男は、その愛刀を見詰めて静かに微笑む。
「俺はな、一人じゃない。こいつが俺の側にいてくれる。この剣にはな、立派な名前があるのだ。"群雲"と言う。こいつはな、俺に色んな事を教えてくれる。俺を支えてくれてる。こいつを見てると、こいつが俺に語りかけてくる」
変な事を言う男だ。アリアは目をぱちくりさせている。しかし、カゲツネは真顔だ。相変わらず細い目を静かに輝かせながら、その刀を見詰めている。
「『お前は、何を求めているのか? お前が一番に守らなくてはいけない事は、何なのか? この俺の主としてふさわしい男に近づいているのか、遠ざかっているのか?』、とな。この群雲の声が聞こえるのだ」
剣が口をきく訳がないのだが、この男の心の中にはきっと聞こえているのだろう。自分の生き方を見詰め直し、その心の拠り所となっているのだろう。その剣の存在が。
真面目に、しみじみと告げる彼の様子に、アリアは微笑んだ。
「今は、何て言ってるの?」
異国の男は、アリアの方に顔を向け、いたずらっぽく笑った。
「『俺の事はもういいから、修道女殿に新しい折り紙の技を伝授せよ』と言うておる。さ、待たせてすまなかった。新しいのを教えて進ぜよう」
男は愛刀を鞘に収めて床に置き、手荷物から先程愛刀を拭きあげた時に使った薄紙をもう一枚取り出す。斜めに折り目をつけると余分な端を短刀ですっと切り落し、紙を正方形にした。今日は何ができるのだろうと、アリアは男の近くに寄ってきて、その指先に一心に見入っている。カゲツネは静かな微笑みを浮かべると、器用な手先で迷う事なくその紙を折ってゆく。
数分後。
男の手には、左右に羽根を広げた小さな紙の鳥が生まれていた。
「うむ。久々にやったが、やはりできてしまうものなのだなあ。幼き頃に覚えた技とは、不思議なものだ」
男は、それをアリアの小さな手の平の上にちょこんと載せてやる。それを手に取り、あちこち眺めている女の子を、にっこりと異国の男は見守っている。
「それは『鶴』と言ってな。我が故国に冬になると群れを為してやってくる。池や湖で、小魚を喰らう。大きな鳥で、首は長く足も長く、体は白い羽毛に覆われている。顔の一部と首と足は黒い。頭のてっぺんだけ赤い。こんな話だけだと、変てこな鳥だと思うやも知れぬが、とても美しい鳥なのだ。オスがメスに舞を見せる様は、またなんとも華麗なのだ。その鳴き声はとても大きくて、遠くまで良く通る。我が国では『鶴の一声』なぞと言ってな、皆を制して一存で物事を決めてしまえる力ある者の言葉を意味する。この鳥は片足で立って眠るのだぞ。面白いぞ」
こんな感じで、いつもカゲツネはうれしそうにアリアに解説してくれるのだ。きっと故国の事を思い出す事ができて、懐かしく楽しいのだろう。
一人さすらうこの異国の旅人は、他人にこうして故国の事を語るのは久し振りの事だった。物騒な世の中では、この異国の人間にまともな会話をしてくれる人間なぞ、ほとんどいない。
仕方ない事だと理解してはいても、慣れてはいても、やはり寂しさを感じる事ではある。
学校で少し浮いてしまい、からかわれていたアリアが、なんとなくこの異国の男が気になっているのは、今の自分の立場と似たようなものを感じたからかもしれない。町でカゲツネを見かける事もあった。買い物をしようとした雑貨屋に入った彼が、たちまち店の主人に追い払われるように叩き出され、ピシャリとドアが閉まる。歩いていると、幼子を連れた母親はたちまち姿を消す。どこからか子供が石を投げつけてくる。
それでも、彼は怒るでもなく、悲しみにくれるでもなく、真っ直ぐに背を伸ばして涼やかに歩いて行ったのだった。瞳を曇らせる事なく、誰に媚びる事も当り散らす事もなく。そんなこの異国の男が、前からずっと気になってはいたアリアだった。
その折り紙の『ツル』を眺めていた小さなアリアだが、何やら疑問に思う事があったようだ。
「こんなにしっぽが長くて、ピンと立ってる鳥なの?」
「いやいや、そうではない。そうだな、実際の鶴はこんな感じが近かろう」
男は折鶴のピンと立った尾の部分を下に折り下げて伸ばす。その先をちょいと折って足らしくする。
「うむ、こんな感じの鳥だ。足が長いのだ。尾はそれほど長くは見えないな」
「なら、なんでさっきみたいにして『ツル』って言うの? こっちにすればいいのに」
男は予想外の質問に焦る。
そんな事など、考えたこともなかった。
「うううむ、それはだな、そうだな……むう。ま、まあ、『折り鶴』とは、そういうものなのだ。そ、そうだ、別のもあるのだぞ。『帆掛け舟』などもある」
カゲツネは、なんとか話題を逸らそうと必死だ。小さなアリアは答えに納得できなかったが、まあ、それ以上問い詰めるのは止めてあげることにした。新しい折り紙をやり始めた彼の手先を、正面からしゃがみ込んでじっと見入っている。
しゃがみ込んでいてちょっと足が辛くなってきたアリアが、一度立ち上がった時。
急にアリアの背筋が寒くなってきた。暖炉の近いこの場所で、だ。我知らず、彼女は腕を自分の体に回して小刻みに震えてしまう。
『その気配』を、異国の男もいち早く察知していた。床の刀を取り上げ抜き放ち、束を握り締めたまま静かに片膝を立てアリアの方に真っ直ぐ向く。先程までの彼ではない。その切れ長の細い目が更に針のように鋭く輝き、険しい表情になっている。引き結んだ口から長く長く息を吐き続け、アリアの背後の一点を凝視していた。それは彼女が初めて目にした、この異国の男のもう一つの顔だった。
乾いた声で、彼は告げる。
「修道女殿。目を閉じよ。決して動くな」
びくりと、アリアは言われるままに目を閉じた。
彼女の左頬に風が吹きぬける感触。
背後の木の壁に何か突き刺さる音とその震動。
不安で我慢できなくなったアリアが目を開けると、彼女の顔のすぐ左側に、男が片腕で突き伸ばした異国の剣が冷たく光って背後の壁に切っ先を埋め込んでいた。
目を見開いて、言葉を失っているアリアだ。震える息を飲み込む。男は剣を引き抜くと、そんな女の子の前に片膝をついて、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「すまぬな。驚かせて申し訳ない。あやつは退治した。もう、大丈夫だ」
そこには、いつもの彼の顔があった。そしてカゲツネは、『すまぬ』と、小さなアリアに深々と頭を下げる。よくわからなかったが、とにかくアリアはうなずいた。目が合った時、この男がとても悲しそうな瞳をしていたからだ。突然の事で驚いたが、それだけの事だ。
「あのう、私、大丈夫です。でも、何をしたのですか?」
「そなたには、話しておいた方がよかろうな。先程、急に寒気を感じなかったか?」
「うん。なんか背中が……」
「うむ。それで、今はどうだ? その気配はなくなったであろう?」
「う、うん……」
異国の男は、心を決めて静かに語り出した。その逃れられぬ宿命を。
「そなたの後ろに忍び寄っておったその根源を、俺が消滅させたからだ。『破魔の太刀』、という技だ」




