異国の男 A Stranger
聖カタリナ尼僧院のある町には、宿が七軒ほどある。
このような片田舎の町にしては、数が多いようだ。それでも土地の老人達の話によると、昔はその倍ほどの数があったという。戦乱が始まる前までは、世間で『巡礼の旅』のブームが起こった時期があり、伝統ある聖カタリナ尼僧院に各地から大勢巡礼者達が訪れていたのだそうだ。
まあ、それも昔の事。戦乱が始まり、そうした巡礼者の数も少なくなった。需要が少なくなれば商売は厳しくなる。それでも商売人達はたくましい生き物だ。新しい商売に切り替えたり、蓄えた元手で別の町で新しく宿を始めたりしている。現在まだ商売を続けている宿のほとんどが、次の手を考えながら日々精を出している。
それでも、不器用な者もいる。
ここで死ぬまで旅の宿を続ける覚悟を持ち、その仕事に誇りを持っている商売人が。それしか自分の生きる道はないと思い込んでいる、そんな頑固者の宿のオヤヂがいる。
普段は影に控えるその妻も、夫をどこまでも一緒に支えつづける覚悟を決めている。『彼には私が必要だ』と妻は自覚し、夫も口には出さないが、そんな妻を認めて愛している。『この女が側に居てくれるから、自分はこの仕事で生きていけるのだ』と思っている。二人の間に子供は授からなかったが、それでも夫婦は張りを持って商売に精を出している。
そんな宿のオヤジ、ノーマンがパイプをくゆらせながら閑散とした一階のテーブルを拭き上げていた時だ。客の来る気配を感じた。
「失礼つかまつる」
妙な言葉づかいで入ってくる男もいたものだ。ノーマンは仕事の手を止め、入り口に視線を投げる。一見、愛想良く見えるノーマンの表情だが、その瞳の奥に隠された光は油断がない。
その男は黒い髪に切れ長の漆黒の瞳をしており、顔立ちは彫りが浅い。年は二十代前半といった所か。黒く太い直毛を頭の後ろで束ね上げた髪の様子は、馬の尻尾を連想させる。背は低い。体つきは引き締まっているようだが、全体の感じからしてどうしても見劣りしてしまう小さめな体格ではある。
腰には、湾曲した鞘に収められた剣を帯びている。サーベルのようでもあるが、明らかに異質だ。独特の光沢を放つ鞘には、何か特殊な塗料が塗られているようだ。異国の剣のようだ。言葉づかいも変なアクセントがある。着ているものはこの町の普通の人間と同じような軽装だが、その風貌からしても、やはり異国の人間だろう。
以上の事柄を、瞬きする間もなく把握しているノーマン。
にこやかな営業用の声で、『へい、いらっしゃい』と答えるのも間髪入れず、だ。
「しばしの宿をお借り願いたい。怪我を完全に治すため、一ヶ月ほど体を休めたいのだが。前金にてお支払い申す」
「すまないな、お客さん。今は丁度、空き部屋がないんでさあ」
よどみなくオヤジは答える。
「そうか。では他をあたろう。忙しい所、すまぬな」
軽く会釈をして立ち去ろうとする旅人に、ノーマンが声をかけた。
「ちょっと待ちな」
異国の男は戸口の前で足を止めて振り向いた。
宿の主人は、おもむろに愛用のパイプでタバコをくゆらせながら告げる。
「まあ、あんた礼儀正しそうだから、一言忠告してやるよ」
「なんであろうか?」
ノーマンの瞳がキラリと光る。
「あんたみたいな得体の知れない異国の人間を一ヶ月も泊めてくれる宿は、この辺りには一つもないぜ」
そういう訳だったのだと、この旅人は納得した。
まあ、彼はこういう事はしばしば体験している。
「この宿に空き部屋はない」と告げた宿の主人は、決して嘘をついた訳ではない。
自分のような怪しい人間に、一ヶ月もの長期間貸せる部屋はない、という事なのだろう。
「なるほど。心得た」
理不尽にも感じられる言葉だが、この異国風の旅人は素直にうなずく。自分が周囲の人間達から、どのように思われているものなのか、己の分を、よくよくわきまえているのだった。
そんな様子の男を見て取り、『悪くはない男だ』と感じたノーマンは更に教えてやる事に決めた。戦乱が始まってからは、この辺りの地域は保守的な空気が流れていて、皆よそものに対しては警戒し、大抵冷たくあしらわれる事。また、「二週間前に隣町が野盗の集団に襲われたばかりで皆ピリピリしている。剣を腰に下げた怪しげな流れ者の人間なぞ、今はまず敬遠される」と、はっきりと告げてやった。
異国の男は、そうした厳しい言葉に怒るでもなく、もっともな事だといちいちうなずきながら聞き入っている。そんな彼に好感を抱いたノーマンは、まだ吸えるパイプのタバコを片付けて、こう勧めた。
「もっと大きな街へでも行ったほうがいい。まあ、今夜だけなら俺の所へ泊まっていきな」
「ご厚意、感謝申す。しかし、その気持ちだけ頂こう。御迷惑をかける訳には参らぬ。この町の近く一帯の美しい風景が、どこか故国に似ていて気に入ったのだが……まあ、傷が癒えるまで近くの森で野宿する事に致そう。来る時、手頃な洞穴があるのが見えた」
まだ寒さ厳しいこの季節だというのに、そう告げて深々と頭を下げる異国の男だ。その馬のしっぽみたいに頭頂で束ねた髪が、宿のオヤジに向けてだらりと垂れ下がってしまう。そしてくるりと背を向けて立ち去ろうとした。
その二人のやりとりを床掃除の手を止めて見守っていたノーマンの妻が、夫に意味ありげな視線をよこしてくる。妻の気持ちを察して、夫は軽くうなずいた。どうやら自分と同じ気持ちらしい。
「待ちな。メシでも喰っていけ。金はあるんだろ? 俺の宿にずっと居座ってもらったら、どうしても商売の邪魔になるからダメなんだがな、よかったらメシでも喰いに通って来てくんな。俺の女房のメシはとびきりうまいんだ。風呂も貸してやるぜ。それくらいは全然構わねえからよ。おとなしくしててくれりゃ、俺にとっちゃあ立派な客だ。あんたの事を町の人間に聞かれたら、できるだけ悪くは言わねえようにしてやるからよ」
自分の気に入った客を引き止めようとする商売人と、甘える訳にはいかぬと立ち去ろうとする客は、しばし無言で対峙する。
根負けしたのは客の方だった。
「商売上手だな」
「あたぼうよ。商売人をなめるな」
「では素直に、お言葉に甘えさせてもらおうか。かたじけない」
またも礼儀正しく深々と頭を下げる男に、今度はノーマンの妻が進み出る。
「どうかお客様。お顔を上げて下さいませ。故郷の家だと思って、ゆっくりくつろいでいって下さい。ノーマンの妻で、エアリスと申します。どうぞ、御ひいきに」
いつの間に用意を整えたのか、エアリスはエールの満たされたジョッキを客に差し出している。その手際の良さに男は少々目を見張っている。すかさずノーマンが食事のメニューをすっとテーブルの上に置く。
「んで、あんたの名前は何て言うんだ? 異国の人」
商売に長けた夫婦に、客は苦笑しながら答えるしかなかった。
「我が名はカゲツネ。遥か彼方の東の国より、流れ流れてさすらう浮き草に申す」
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結局、昼食をとり、二時間ほどその宿の食堂で過ごしてしまったカゲツネだ。
彼はノーマンに、『俺が森の中に持っている、薪を置いてある小屋を使ってくれていい』とまで勧められてしまっていた。またも断ろうとする彼に、ノーマンの妻が『こちらに来る時、薪を届けてくれたら私も助かります。図々しいですが、お願いできませんか?』とにこやかに頭を下げられてしまい、どうにもならなかった。完敗、である。
町から歩いて三十分くらいだという、森にあるその小屋へ向かう道中、異国の男は先程の宿屋の夫婦を思い起こして微笑んでいる。
「(『仁』の心ある男だな、あの主人は。奥方様は控えめだが、優しく芯が強い。良き人達だ。俺は運がいい)」
彼は腰にあるその剣……いや、『刀』の束を無意識に撫でて小声で語りかけている。
「そうは思わぬか? 群雲よ」
鉄の塊が口をきく訳がないのだが、彼はお構いなしだ。
普段からこの男はこうしているのだ。
「うむ。お前の言う通りだ。この恩、我が胸に刻もう。『仁』には、『義』をもって応えよう。そのためにも、なるべく早く怪我を治さねばな。あの方達に御迷惑をかける訳にはいかぬ」
彼の言う『迷惑』とは、ノーマン夫婦の商売の事だけではなかった。自分が一つの場所に長期間留まるほどに、周りの人間に危険が及ぶのだ。
一ヶ月程度なら、まだなんとか自分の力でしのげる。いち早く気配を察知して、関係のない他人を彼らが知らぬうちに守りきれるだけの自信はある。しかし数ヶ月も留まると、自分の手に負えない奴等も現れてくる確率が高い。
今のところ、そうした気配は幸い少しも感じない。どうやらそれは、この町にある尼僧院の影響が大きいようだ。その尼僧院から放たれる静かな調和の力が、この町全体を優しく包み込んでいるのが彼にはわかる。
この町に食事や買い物などで少しの時間訪れるだけなら、きっと大丈夫だろう。成り行きで一人町から離れた場所に身を置けるようになったのは、自分が傷を癒すためには最も良い形だ。
この地に訪れてから、やはり自分は運がいいのかもしれない。
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こうして、小さなアリアのいるこの町に、この異国の男の姿が見られるようになった。
何かと町の人々に差別的に扱われる事も度々あった。しかし、町の人々から彼の事を尋ねられたノーマンやエアリスが事情を説明し、また彼を悪くは言わないものだから、町の人間も一応は受け入れてやっていた。
それでも自分の子供達には、『あの男に決して近づくな、口をきくな』と、厳しく言い聞かせていたようだが。




