魂の拳 The Fist of Soul
地面に俯せになってもがきながらも、少年は憎しみに満ちた声で吼える。
「俺を殺せ。ちくしょう、ちくしょう……」
「まだ言いやがるか、この大馬鹿野郎が!」
ギャラハッドはバッと少年を仰向かせて馬乗りになると、一発頬を殴る。
「ボウズ。お前はな、幸せになる義務があるんだ」
今度は反対の頬を殴る。殴りつけながら、一心にこの盗賊は少年に語りかけている。
「子供の幸せを願わない親なんていねえ。お前の親も、お前の幸せを心の底から願って、悩んで悩んで、心が引き裂かれるような思いをしたに違いねえ。後で恨みに思ったお前に殺されてもいいってくらい、そこまで思い詰めて、そうしたんだろうさ。俺には、わかる。わかるんだ」
容赦なく殴りつけてくるギャラハッドを、ぼんやりと見上げる少年。
そうだ、そのまま俺を殴り殺してくれと。
これを、待ってたんだ……あの時からずっと。
ニーナを守ってやれなかった、あの時から……
と、少年は眉をひそめた。
「(なんでこいつ……泣いてるんだ?)」
殴りつけているギャラハッドの澄んだ深緑の両目に、光るものが滲んでいたのだ。殴られているホークスよりも痛そうな顔をしている。深い深い悲しみに満ちていた。この少年に一撃を加える度、少年が味わっているよりも何倍もの痛みと悲しみを心に感じながら、ギャラハッドは殴り続けていた。
この少年の心を救ってやるために。
かつて自分も居た、この少年が迷いこんでいる闇の泥沼から拾い上げてやるために。
左右に少年の頬を殴り飛ばしながら、なおも語りかけてくる。
「自分で、自分の生き方に納得できるようになる事。自分で自分に胸張って生きていけるようになる事。親ってのはな、子供がそういう『幸せ』をつかむためだったら、必死で何でもやるモンなんだ。だからって、俺はお前に、聞き分けのいいガキになれなんて言ってる訳じゃねえ。ただ、お前の『幸せ』を心底願ってる人間がいたんだって事だけは、感じとけ。それは、お前がどう目を背けようと、お前がどれだけうざったく思おうと、真実なんだ。未来永劫、変わる事のねえ想いが、お前の体中を包み込んでるんだ」
一発、ひときわ音高く少年の頬を殴りつけ、ようやくギャラハッドは身を離す。もう少年には、起きあがる力もない。仰向けに力なく呻いている。
そんな少年の側にギャラハッドはひざまづくと、懐から少年の大事なナイフを取り出して、そっと左手に握らせてやった。
「それはな、あの街のどこにもねえんだ。その想いはな、おめえ自身の身体中に染みこんでるモンなんだ。……このナイフが、お前にとって、そういうモンなんだろ? すまねえな、悪かった。それをお前に言いたかったんだ。返すぜ」
言葉を失うホークス。
ただ、そのナイフをぐっと握りしめた。
そんな少年の側に片足を地につけたまま、静かにギャラハッドは語りかける。
「それでもおめえは、あんな街角でいばり散らして、他の人間を震え上がらせて、誰も寄せ付けずに、血生臭い道で、たった一人でのたれ死ぬ道を選ぶってのか? 自分なんて死んで当然の人間だと思ってるのか?」
ギャラハッドは、この少年の頭にそっと手を置く。
魂が凍り付くような世界で、たった一人で悲鳴をあげてもがいていた、この少年に。
「違うぜ、ボウズ。おめえの身体も心も、そんな風にはできちゃいねえよ」
少年の頭を温かい大きな手で、優しく、そっとなでる。
「おめえは、生きてていいんだ。俺が保証する。絶対、間違いねえ」
心に染み通るような声で、静かに告げる盗賊。
青く澄んだ大空のような、広大な海のような、威風堂々とした山のような……
この変な男は、少年の頭の側にある小さな野草の花を指さす。
「この小さな花を見てみろ。こんなにきれいに咲いてるだろ? この花が、『自分が死んでもいい』なんて思ってて、生きてると思うか? そんなのかけらも思ってねえよ、こいつは。小さな小さな命燃やして、厳しい世界で必死で生きてる。だから、こんなにもきれいな花が咲くんだ。種が実るんだ。命をつないでいけるんだ。ボウズ、おめえも同じなんだ。根っこは、この花と何も変わらねえ存在なんだ。俺達全部、そうだ。生きてていいんだ」
その名も知らぬ小さな小さな白い花は、本当にきれいに美しく、生き生きと咲き誇っていた。
信じて……いいのか?
ニーナに何にもしてやれなかった俺が、
涙の一つも、流してやれなかった俺が、
生きてても……いいっていうのか?
ギャラハッドはすっと立ち上がる。
もう少年の方を見るでもなく、遙か遠くを眺めて、きっぱりと言う。
「悲しい世界。楽しい世界。どっちもひっくるめた、このでっかい世界でおめえは生きてていいんだ。……生きろ、ボウズ。ちっとも恐れる事なんてねえ。おめえがちゃんと胸張って一人で生きてけるようになるまで、俺が側に居る。それまでは、俺は何があってもくたばらねえからよ。俺は絶対、おめえを捨てねえ。盗賊の誇りにかけて、誓う」
少年は身をひねってうつぶせになり、顔をギャラハッドの方から背けた。どうしようもなく溢れてくる涙を、見られたくなかったからだ。土にかじりつくようにして、声を殺してホークスは号泣した。
ギャラハッドは、地面に突っ伏してすすり泣いている少年からくるりと背を向けてやった。
男は、そうした涙を他の人間に見られたくはない生き物だからだ。
プライドの高いこの少年は、特にそうだろう。
同じ男として、見る事は許されない。
男は懐から一本、愛用のタバコを取り出してマッチで火をつけて紫煙をくゆらせる。腕組みをすると、流れゆく雲を見るともなしに遠く遠く眺める。盗賊の正面から涼やかな風が吹き抜ける。口にくわえたタバコから紫煙がたなびき、彼のクセのある伸びやかな茶色い髪が流れるようにふわりと浮かぶ。
その野性的な横顔は高貴で精悍。
その心はどこまでも自由奔放で、つかみどころがない。
誰にも彼を縛り付ける事はできない。許されない。
遙か遠くを見詰めながら、この男は静かに告げる。
どこからくるのか知らないが、訳のわからない自信に満ちあふれた声で。
「容姿端麗、品行方正、惚れる女は数知れず……男の中の男、このギャラハッド様を信じろ」
相変わらずの変な男だ。
少年は眉をしかめる。
……こういうトコは信じられねえけど。
でも……
こうして少年ホークスは、盗賊ギャラハッドに弟子入りしたのだった。
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そして、師匠ギャラハッドの最期。
弟子を庇いながら、黒装束の曲者と相討ちになったギャラハッドだ。この弟子が傷一つ負っていない事に、ギャラハッドは満足した。
もう、この弟子は自分一人で歩ける力を充分に持っている。筋がいい。覚えがいい。一を聞いて、千を自分で見つけられるヤツだ。これから、自分の側から離れて羽ばたこうとしていた頃合いだ。
これも、定めだと感じた。
この弟子に出会った事が、運命だ。
盗賊としての素質は、この弟子は自分以上のものを秘めている。それに加えて、闇の陰謀に対峙して奇抜な策を練り出す才能。相手を出し抜く並はずれた才覚。その弟子にとって、自分は師匠としてゆるぎない土台を鍛え上げてやる事ができた。
満足だ。
悔いはない。かけらもない。
きっと俺の師匠も、こんな気持ちだったんだろう。今わかる。
「師匠、師匠! 死んじゃイヤだっ! 俺はまだあんたから、もっともっと技を盗んでやるんだっ! だから、死ぬなっ!!」
ああ、こいつ、やっと俺様を『師匠』と呼びやがった。
強情なガキだったなあ……
魂をぶつけてやらねえと、納得しねえ。
ホントに、昔の俺と、そっくりだ。
へへっ。
やっぱ、悪かねえ気分だなあ……
最高だ。
何考えてんのかわからねえ『神様』って野郎が創りやがった、
この世界ってのは、やっぱ、最高だ……
「おめえには、基礎は全部叩き込んだ。あとは、おめえの力で俺を越えてみろ。男だったら、そうやって生きろ。どんな事でも、全部ひっくるめて入るような、でっかい器を少しずつ作っていけ。じゃあな、『ホークス』。なんだかよ、息子と友達がいっぺんにできたみてえで、なかなか悪くなかったぜ……」
「いやだっ! ギャラハッドっ! 俺は、俺はあんたに認めてもらいてえんだ。拾ってくれた礼だってちゃんと言ってねえのに! そんなの、そんなの嫌だ……師匠……うわあああああっ……」
山のような、海のような、広大な空のような……
父親のような、兄のような、親友のような……
そんなかけがえのない師匠の亡骸に取りすがって、ホークスはとめどなく泣き濡れたのだった。




