悲しい道化師 Miserable Clown
何日経っても、母は迎えに来てくれなかった。
元々住んでいた、小さな宿場町に帰る方法すらわからない。かなり長い道のりを母に連れられて、この街へやってきたのだ。街の大人達の噂話からすると、街の外では戦が繰り広げられているらしい。妹を連れて、この街から抜け出して危険にさらす訳にはいかない。
小さいながらも、その兄にはそうした現実を見る冷静さがあった。
母は、もう戻っては来ないだろう。
何か、事故に巻き込まれたのか、それとも……
そうは思いたくなかったが、彼は母が『事故に巻き込まれたのではない』と感じていた。
妹を……
ニーナを、自分が守ってやらなくてはいけない。
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彼と妹は、あちこちのゴミを漁って、なんとか生き延びていた。
同じような浮浪児達と友達になって、色々と穴場を教えてもらった。時には、大人達にうるさそうに追い払われる事もあったが。でも、十分に食べていける訳ではない。彼も妹も、みるみる痩せこけてゆく。
生ゴミをまさぐりながら、妹がためらいがちに尋ねてくる。
「お兄ちゃん。私達……お母さんに……」
兄は妹の言葉を遮る。
『捨てられたの?』と続くであろう、その問いかけを。
「違う! 母さんは、いつかきっと、迎えに来てくれる。なんか、訳があるんだ。俺達を迎えに来られない訳が」
「どんな訳なの?」
「それは……俺もわからないけど」
口ごもる兄。
小さな妹はうつむいている。
「お母さん……私の事、嫌いになったのかな? きっと、私がいい子じゃなかったから……」
妹は、ポロポロと涙を零す。
「そんな事ないっ! 母さんは、お前の事、大好きなんだ! お前は、世界で一番いい子なんだから」
「でも、あのおじさん、『お前達みたいなゴミ、全部燃やしちまうぞ!』って……。私が悪い子だから、要らないから、だから、だからお母さん……」
つい先程、ある飲食店の裏手で二人がゴミ箱を漁っていたら、散らかるのを嫌がった店のオヤジが、そう言って二人を追い払ったのだ。まあ、店のオヤジも普段は何も言わない男なのだが、昨日食い逃げした客を捕まえられなかった事を妻にグチグチ言われた直後で不機嫌だったのだ。
しかし、大人の何気ない一言が、子供の心をひどく傷つける事もある。
もう、どうしようもなく泣きじゃくり始めた妹。
兄は必死な顔をして、そんな妹の両肩に手をかけて言い聞かせる。
「違うっ! ニーナはゴミじゃねえっ! いいか、お前は『人間』だ。誰が何と言っても、人間だ。ゴミでも、クズでもねえ。この街の奴等と同じ、人間なんだ! 世界一かわいい、俺の妹なんだっ! だから、もう泣くな。泣くな……」
泣きじゃくる妹を抱きしめ、兄は天を仰ぐ。
必死で、彼は涙するのをこらえている。
ここで自分まで泣いたら、妹はどうなる?
俺は、絶対、泣いたらダメなんだ。
泣いたら、俺の負けなんだ。
甘えられない子供……涙を流せない哀れな子供が、そこにいた。
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時折、兄は隙をみては店先から食べ物を盗んだ。
うまく逃げられればいいが、捕まる事もある。殴られる。蹴られる。散々な目にあっても、泥にまみれてしまったパンを抱えて、なんとか待っている妹の所へ持っていく。
兄の怪我を見て、妹は泣き出してしまう。
「ちょっと転んだだけなんだ、いいから、食べろ」
「うそ! ごめん、お兄ちゃん……」
一層泣き出してしまう。
困った兄は、なんとかホラ話を作り上げる。
「ははっ、バレたか。ホントはな、このパン拾ったんだ。それが、俺が転んだ拍子にパンが地面の穴に落ちちゃったんだ。そしたら、その穴からきれいな女神様が出てきて、『お前が落としたのは、こちらの金のパンか、それとも泥のついたパンか』って聞くんだ。俺は迷わず「金のパンだ」って言ったら、『ウソつきは嫌いじゃ』って、思い切り引っぱたかれたのさ。そしたら、その穴は消えた。この泥のついたパンだけ残ってた。びっくりしたぜ。後でニーナにも、その穴のあった場所に連れていってやる」
大袈裟な身振り手振りで、兄はそんな事を言う。
似たような感じのおとぎ話を母から聞いた事がある妹は、半信半疑だ。
なおも兄は、不思議で面白い話を妹に聞かせてやっていた。
妹は、疑いながらも、ついつい引き込まれてしまう。
いつのまにか、妹の顔から暗い影が消えてしまっている。
悲しい嘘とホラ話。
兄は大袈裟におどけては、なんとか妹を笑わせる。
妹が笑うと、自分も楽しくなってくる。
一心に、笑える話を見つけだす。作り出す。
時には妹自身をからかってやる。
怒った妹は悲しみを忘れて自分を叩いてくる。
なんとか頭を下げて、妹に許しを乞うと、妹もニコニコと許してくれる。
『笑い』は、救いようのない心を救ってくれる……元気が出てくる。
笑わせた相手も。
笑わせている自分自身も。
現在、彼が人をからかいながら、にぎやかにおどけているのは、この時の癖なのだ。それなくしては、この絶望的な日々に彼は耐えきれなかったのだろう。必死だったのだろう。
悲しい悲しい、道化師。
それがホークスだった。




