ナイフをいじる少年 Boy with a Knife
街角で一人、積み重なったゴミの上にポツリと座って、何度もナイフをいじっている少年がいる。
痩せこけていて、髪も服も顔も小汚い。バサバサした灰色の髪をしている少年は、明らかに浮浪児だろう。ナイフを二つに折り畳んだり、また素早く刃を出したりしている。
街の人々は、そんな子供を気にも留めない。忙しそうに側を通り過ぎてゆく。もしくは、嫌な顔をして避けて歩いていく。あまりそうした、この街の闇の部分を好んで目に入れようとする人間は少ないのだった。
十歳を越えたくらいと思われるその痩せこけた少年は、時折顔を上げては、通りを行き交う人々の姿をあちこちと眺めている。やがてゴミの上から降りて、ねぐらにしている裏路地へと入ってゆく。そこには、彼と同じような何人かの浮浪児達がいた。
消耗が激しくて、また栄養失調気味で顔色悪く横たわっている小さな女の子もいる。ボロボロになった人形を、その小さな少女は大事そうに腕に抱いている。先程の少年が、その女の子に声をかけている。どうやら、少年の妹のようだ。しばらく声をかけて様子をうかがい、力無く横たわる妹の頭を優しく頭を撫でてから、少年は再び通りに出て、なんとはなしにナイフをいじり続ける。しばらくしては、顔を上げてキョロキョロする。その繰り返しだ。
彼は、誰かを待っているのだろうか?
そう……彼は、待ち続けていた。
来てくれるはずもない人を。
自分と妹を捨てた母親を。
もう、何年かにもなる。
こうしてナイフで遊んでいれば、迎えに来てくれるかもしれないと、心の片隅で微かに期待しながら。
約束したのだ。
彼の母親は、彼にはそのナイフを、妹にはかわいい人形を買い与えて、別れる時に言った。
『ちょっと買い物してくるから、ここで待ってて。それで遊んでいていいから。でも、それで絶対人を傷つけたらダメ。わかった?』
言われた通り、彼と妹はそれぞれ与えられた物で遊んで待っていた。
少年はピカピカ光るナイフをいじって。
妹は人形でままごとをして。
しかし、いつまで待っても、夜になっても、母は迎えに来なかった。
その日は側の路地裏で、妹と抱き合いながら、ゴミにくるまって眠った。
妹のニーナが尋ねてくる。
「お兄ちゃん。お母さん、どうしたの?」
「きっと、買い物があんまり多くて、今日一日じゃ終わらなかったのさ」
兄は、自分でもそう思いたかった。
何とも言えない不安は膨れあがる。
それは妹も同じだ。それでも兄の言葉を信じようとする。
「ふうん。ねえ、明日になったら、お母さん、来てくれるよね?」
「ああ。きっと来る」
「そっか」
「もう、寝ろ。ニーナ」
「うん……」
ひとまず妹は安心して、兄の腕の中で眠りに就いた。
いつもは兄が嫌がるので、こうしてぴったりくっついて寝るのも久し振りだ。
ちょっとうれしい感じだ。
妹は、兄が大好きだった。
一方の兄は、不安でなかなか寝付けなかった。
次の日も、その次の日も、母は帰って来なかった。
水は、かろうじて街の井戸から勝手に飲む事はできた。
でも母がボケットに詰めてくれた菓子は、底を尽く。
「お兄ちゃん。おなか空いた」
「なら、これを食べろ」
少年は、ポケットから大きめのビスケットを一枚取り出し、妹に渡す。
兄が持つ最後の食べ物だ。
妹は、まじまじと兄の顔をうかがう。
「お兄ちゃんは、いいの?」
「俺は、腹が一杯なんだ」
言った側から、兄の腹は意に反して、大きく大きく、グゥと鳴ってしまう。兄の顔が恥ずかしさで、みるみる赤くなる。妹が、じっと見ている。そして、そのビスケットを兄へ返そうとする。
「お兄ちゃん、食べて。お兄ちゃんのだもん」
兄は自分の情けない胃袋を罵りながら、顔を赤らめて妹の手にビスケットをしっかりと握らせてやる。
「いいから、お前が食べろ、ニーナ」
妹のニーナは、そんな兄の様子を見て少し考えた。
兄は、こうなってしまうと頑固なのだ。自分が食べないと納得しないだろう。
渡されたビスケットを見詰めて、かわいらしく知恵をひねった。
「じゃあ、半分こしよ、お兄ちゃん。ね?」
にっこり笑って、妹は兄の顔をのぞいてくる。
兄は思った。
この妹は、自分が食べないと納得しないだろう。頑固なのだ。
「……うん」
兄は折れた。ニーナの顔が輝く。
手にしたビスケットを兄に渡して告げる。
「お兄ちゃん、割って」
兄はビスケットを割る。
大きい方と、小さい方に割れる。
兄は迷うことなく、大きい方を妹に手渡す。
思わず顔を上げようとする妹が言葉を発する前に、兄は小さい方を自分の口に放り込んでしまった。
「うまいぞ、ニーナも食べろ」
「うん! お兄ちゃん、大好き!」
軽く兄の頬にキスをすると、妹もビスケットを口にするのだった。
兄は、あらぬ方を向いて顔を赤らめていた。




