露天風呂 Open-Air Onsen
一つ大きな息をつくと、ティナは心を決めて建物から出る。
裸体の前をタオルで隠しつつ、露天風呂へと向かう。
歩を進める度に、その紅玉のピアスが陽に煌めく。
いつでもサラマンダー達を解き放つ心構えはできている。エドの街で酔って油断した時のようなミスは、二度としない。隙は見せない。ゲイツに近寄らせない。相手の出方をうかがって、少しでも妙な気配を感じたら、容赦なくフレキとキリーを召還するつもりだ。
やがて、湯煙が立ち上る見事な露天風呂に行き着いた。
男の鼻歌が聞こえてくる。
一番奥に浸かるそのゲイツの姿は、岩陰にほとんど隠れ、湯煙でぼんやりとした影にしか見えないが。ティナの気配を感じたのか、鼻歌が止まった。
「おめえさんが、俺と話がしたいっていう、べっぴんさんかい? 遠慮はいらねえ。入ってきな」
少しザラついた感じの低い渋い声。
ごろつきの親分と納得する貫禄ある声だろう。
ティナは無言で風呂桶を取ると静かに身体に白濁した湯を流し、露天風呂へ足を浸ける。足の裏に触れる感触では、湯の下は大きめの砂利が敷き詰められているようだ。
膝の辺りまで湯が来る深さまで、ゲイツ方へ歩み寄る。そこまでなら、ゲイツが襲いかかってきても瞬時に対応できる。動きも妨げられない。
ゲイツが再び口を開いた。
「ちょいとすまねえが、だ。べっぴんさん、そのタオルをどかして丸腰だって事を証明して見せてくれねえか? これでも、俺の命狙ってる奴等もいやがるんでな。……タオルを手から放して、両腕を広げろ」
一瞬ティナはためらったが、それでも唇を噛みしめながら言われるままにする。裸体を隠していたタオルが、白濁した湯の上にハラリと舞い落ちた。
ゲイツの視線が自分の身体をなぞる気配を感じる。
ムカムカしたが、なんとか彼女はこらえた。
「もういいでしょう。ゲイツとか言ったわね。なんでこんな事すんのよっ! 他の人と一緒に普通に入ればいいじゃない」
岩陰と湯煙ごしに、ゲイツのザラついた声が響く。
「俺の身体にゃ、いくつも醜い傷跡がある。背中一面に入れ墨がある。そんな俺が入ってみろ。他の客達は怖がって居心地悪いじゃねえか。俺だって、そんな事気にしながら入りたくはねえ。それに一人でのんびり浸かるのが好きなんだ。俺はここの温泉がとても気に入ってる。だからだ」
「だからって、こんな事していいハズない! 間違ってるっ!」
「いいハズも、悪いハズもねえ。間違ってようが正しかろうが、関係ねえ。俺が決める事だ」
ティナは、もうこの男には口で何を言っても無駄だと悟った。
ならば……
彼女は即座に召還の言葉を口にしていた。
『我が僕達よ、封じの壁を今解かん……主たる我に仕え、その……』
その時、先程までの声とは全く違った声がゲイツの影からあがった。
「相変わらず気が強い女だねえ。……ま、お前らしいけどよ、ティナ」
それは聞き覚えのある男の声。
その声に、ティナは召還の言葉が途中で吹っ飛んだ。
湯煙が途切れ、岩陰からすっと移動した人影がティナの視界に現れる。
胸の辺りまで湯に浸かり、頭には畳んだ手ぬぐいを乗せ片手に酒杯を持って、のんびりくつろいでいる男の姿。
その男の姿と声は、紛れもなく……
「ホ、ホークスっ!? ……はあ???」
開いた口がふさがらず、これでもかと目を丸くして呆然と立ちつくすティナ。そんな様子の彼女に、いつものようなニヤリとした笑いを浮かべるホークスだ。
「よう! 久し振りだな、ティナ。思ったより元気そうじゃねえか。にしても、なかなかいい温泉だねえ。気に入ったぜ。身体の芯まであったまる。この地酒もイケるな! 五臓六腑に染み渡るってくらあ」
小さな酒杯で、くいっと酒をあおるホークス。
その横には白濁した湯に木の盆が浮かび、その上に陶器製の酒瓶が乗っている。
「な、なんであんたがココに!? ゲイツってやつは一体……?」
仰天しているティナをよそに、この盗賊は気ままにのんびりとくつろいでいる。
その問いに答えるでもなく、彼は飲み干した酒杯を盆の上へ置く。
「それに湯煙の中、裸で立つ美女。う~ん、絵になるねえ。目の保養ってやつだ。ありがたや、ありがたや」
ホークスはパンパンと両手を打って、立ちつくしているティナの裸体を拝むようにする。
「んあっ!? ……やだっ!」
顔を真っ赤にして、胸を両腕で隠しながらバチャンと勢いよく腰を落して白濁した湯に浸かり、深場へ進んで身体を隠すティナだった。
「まあ、落ち着けって。空を見ろよ。綺麗だぜ」
そう言ってホークスは、青く広々とした空をしみじみと見上げる。
遠く遠くを、ただ無言で眺めているホークスだ。
なんとなくつられて、ティナも空を見てしまう。
確かに、きれいだ。
静かな静かな時間の流れを感じる。
山奥の新鮮な空気も心地よい。
しばし二人とも、その青空を眺めていた。
やがてホークスは、空からふっと視線を戻して、おもむろに盆にある酒瓶に手を伸ばす。手酌で酒盃を満たすと、今度はちびちびと飲む。ほんの少しだけ口に入れて酒を舌の上でじっくり味わいながら、彼は周りの大自然の息吹をのびのびと満喫している。
ようやく落ち着いてきたティナが、いかにも胡散臭そうな視線でジロジロとそんなホークスを見詰める。
「んで、なんであんたがこんな所で、こんな風にしてる訳?」
「ま、どうでもいいじゃねえか、そんな事。今は、のんびり温泉を味わう方がずっと大事だと思うぜ」
相変わらずホークスは自分のペースで酒をくいっとあおっている。
「よくない。気になる! 気になり過ぎるっ! なんでこんなトコにいるのよ!?」
「気になるっていやあ、ティナ。お前、髪切ったんだな? ちょいともったいねえって気もしないでもねえが……んでも、悪かねえ。よく似合ってるぜ」
今度は急に真面目な顔をして、ティナの顔をしげしげと見詰めながら、ホークスはそんな事を言う。いきなり思いもよらない賞賛を耳にして、ティナは少し戸惑う。
「そ、そう? ありがと。自分でも結構気に入って……じゃなくて!」
はぐらかされつつあったのに気づいたティナ。この男のペースに巻き込まれつつある。
「まあまあ、細かい事ぁ気にしねえ、気にしねえ。何、俺もここの温泉に浸かりたかったってだけの事さ。邪魔な野郎がいたから、のんびり入れないんでな、ちょいと一工夫したのさ。お前達も入りたがってるみてえだったから、まあ、丁度良かったんじゃねえか?」
「一工夫って……どうやって!? それにあんた。いつから私達の事……」
なおも詰め寄ってくるティナだが、ホークスはいたずら坊主のように、ニヤリと笑うのみだ。
「ま、そんなつまらねえ事よりもよ! シャリーも来てるんだろ? ちょいと一息ついたら、呼んで来てやれよ。温泉ってやつは、一緒に入った方が楽しいしな。俺は先に出てやるからよ。シャリーが怖がるといけねえし。 ……まあ、一杯どうだ? なかなかイケるんだぜ、この酒。ゲイツの野郎に飲ませるにゃもったいねえ」
またも軽めに注いだ酒盃を一気にあおるホークス。
こたえられないといった感じで、本当にうまそうに味わっている。
ティナは、今の自分がどうあがいても、この目の前の男のペースを乱す事など不可能だと悟った。もう、どっぷり巻き込まれてしまっている。まあ、最初から勝ち目はなかったように思えてしまうが。彼女は肩をすくめて、小さく溜息をつく。
「はあっ……ま、いいか。ここは私の負け。乗ってやるか! 私にもお酒ちょーだい♪」
「お、いいねえ、いいねえ。そうこなくちゃな!」
一つしかない酒盃を、側に近寄って手を伸ばしてくるティナに渡してやる。
『ぐい呑み』と呼ばれる小さな陶器だ。
この酒は、コレを使って飲むべきものなのだ。
両手で酒盃を構える彼女に、ホークスはなみなみと地酒を注いでやる。
「こうして美女と二人きり、しっぽりと温泉に浸かって酒を酌み交わすってのも、なかなか味があるってもんだ。……う~ん、濁った湯がうらめしいぜ」
「濁った湯に感謝しなさい。だからこそ、こうして美女とお酒を飲む事を許してもらってるんだから。……コラ。その目つきをやめんかっ! そう言えばあんた。さっきはよくもだましてくれたわねえ~っ! 私の身体ジロジロ見てたでしょ! 我が僕達よ……」
ティナの胸元辺りの白い湯を一心に見詰めていたホークスは慌ててすくみ上がる。
「じょ、冗談だってばよ! 無邪気な軽いジョークってやつじゃねえか。……わかった、悪かった! 絶世の美女と一緒に酒を飲めるだけで、死ぬほどうれしいですっ! 変な事はもう絶対、いたしやせんっ!」
相変わらずのこの男に、ティナは眉をしかめながらも酒杯に口をつける。
「ったく、もう。邪気の塊のクセして……あ、このお酒、おいしい! ちょっと変わってるけど」
「だろ? なんかよ、米を原料にしてるんだってよ。そん中でも、今飲んでるヤツは『大吟醸』っていう、上等なランクだそうだ。ここら独特の地酒らしいぜ」
(すみません。作者は日本酒が一番大好きです)
「へ~、初めて飲んだ。でも、ギリアムなら知ってるかもね」
「そうだねえ。三度のメシより酒が好きって感じの、あのオヤジなら絶対知ってるだろうなあ。こんなうまい地酒、見逃すハズはねえ。……おい、今度は俺様にもくれよ」
「ダ~メ! あんたはさっきから飲んでたじゃないの。まだ私が飲むの」
「へいへい。わかりやした。やっぱ、お前にゃ適わねえなあ」
ボヤきながら酒を再び注いでくれるこの男を見て、ティナは微笑んでいる。
「(どっちが? 私の方があんたには適わないっての。ホントに変なヤツねえ。フフッ)」
静かな温泉郷の露天風呂で、しばしのんびり酒を酌み交わす男女だった。




