天才軍師 Genius Tactician of Judas
ジューダス王国の天才軍師は、不機嫌だった。
その秘書役でもあり弟子でもあるランスには、それがかなりのレベルに達している事がわかる。普通の人間が接したら、この軍師が不機嫌であるなどとわからないだろう。しかし、何年も側に控えているランスにはわかる。
少しだけ……ほんの少しだけ早足になっている。
(50歩で歩く所を、49歩で)
腕組みをする頻度が、わずかだけいつもより多い。
(合計10回の所を11回程度)
まあ、表に現れるのはたったそれだけなのだが。
『いついかなる時も、自制を失って感情に流されてはならない。心を相手に悟られてはならない。表に現す心は、常に計算し尽くされたものでなければならない。我々のような立場にいる者が、あくびを一つするだけで何千人もの血が流れる場合もある事を忘れるな』
この軍師は、弟子にそう教えている。
見事に、自分でそれを実践しているという訳だ。
なかなか、このようにはいかないものだ。
ジューダス城の長い石畳の回廊を歩いて、二人は自室へと向かっている。
無言だ。
夜の薄暗い回廊に、二人の足音だけが響き渡っている。
いつもならば、師匠が弟子のランスに対して、今回の軍略の長所と短所、なぜその軍略をこの場合に選択すべきだったのか、そして今後に予測される展望に関して、テストとして問いかけるものだが。今回も、ランスは自分なりの答えを徹夜で考え抜いて準備してきたのだが、どうやら今日はテストはない雰囲気だ。
残念に思う反面、ほっとしてもいるランスだ。
なにせ今までに一回も、100点満点の答えを返せた事がないのだから。
師匠の解答を耳にする度、彼は心から納得しつつも、自分の至らなさが歯がゆくもなるのだった。『神童』と呼ばれていた彼も、この天才軍師に弟子入りしてからは劣等感に悩まされる時もしばしばだ。
教科書通りの答えならばランスは大丈夫なのだが、現実にはそうはいかない事の方が多いのだ。それに、正解は一通りではない。何を優先すべきかで変わってくる。全て考え尽くした上で、それぞれの軍師個人が信じる価値観に関して議論できる所まで到達できればよいが、ランスはまだまだその手前だ。彼が思いもよらなかった点を天才軍師に次々と指摘されてしまう。それでも、常人が考え及ぶ遙か先をランスは考えているのだが。
なぜ、この天才軍師が不機嫌なのか?
ジューダス王国の北と東の隣国との戦は大勝利に終わった。
北の小国に対してはランスが担当した。師匠の練った軍略あればこそだが。
東の強国に対しては師匠自ら出向いて、五倍の兵力を持つ敵国を完全に屈服させた。
おそらくは、その間に南のミッドランドへの拠点であるエドの街を失った事への苛立ちだろう。さらには、麻薬『霧の華』を独占し盟約を結んでいたサカムビットの死亡。
そのエドの街で、師匠の計算を狂わせる何かが起きたのだ。
その知らせを受けてから初めて戻って来たジューダス城に到着してから、弟子は師匠の不機嫌さを目の当たりにしたのだった。落ち着ける自室を間近にして、少々感情の自制がゆるんできているのかもしれない。髪の毛一本くらいの微妙な違いではあるが。
ふと、ランスは思い出す。
今回ほどではないにせよ、以前にも一度、師匠は不機嫌だった時があった。同盟を結んだばかりのアイアンメイデン国へ、最新兵器の設計図を届ける策謀が展開していた時の事だ。
真の設計図は、サーカスの団長に持たせた偽の設計図を囮にして、海路を使って首尾良く同盟国へ届ける事はできた。そして計算通り、敵国のミッドランドとブロミアが囮に喰らいついたという動向も把握していた。しかし、その後なぜか二国間に予期した混乱がなかったのだ。
ランスは、そういう事もままあるのだろうと感じていたが、師匠はそう感じていなかった。
天才軍師は、背後に何者かの存在を感じたのだ。自分の策謀を全て見抜いて、混乱を防いだ人間がいる。かなりの実力を持った人間だ。軍師が知る二国の要人達の中には、それができるような才覚を秘めた人物は一人もいないはずなのだが。こうした不確定要素の存在を、軍師は嫌う。それで不機嫌だったのだ。
その後、彼はしばらく様子を観察しつつ策謀を展開したものの、計算通りに事は運ぶ。うまくいかない場合も、予測範囲内に収まる程度だ。その何者かの気配は消えた。ただの思い過ごしだったのかもしれないと感じるほどに。
しかし今回のエドの街での出来事を再調査して分析してゆくうち、天才軍師は以前感じた何者かの存在を、再び強く確信した。軍略に関して、侮れない力量を持った人物の存在を。それは政府要人や騎士などではなく、おそらくは国家に属していない人物だ。一番扱いづらい。行動が予測不能だからだ。
国家への奉仕や正義の心、道徳といった慣習やモラルに縛られている人間、己の利益や欲望、名誉心といったものに支配される人間ならば、その思考パターンと行動予測は容易だ。それらを計算に組み込む事はたやすい。しかし、今回のような相手が最も警戒すべきだと、彼は感じている。
「ランスよ」
この城に到着してから初めて、師匠は弟子に口を開いた。
不意を突かれて、少しだけびくりとしてランスは答える。
「はい、師匠」
「最も注意すべき『英雄』とは、どんな者達だと思う?」
ランスは予想外の質問に焦る。
今回テストはないと思ってもいた。
彼が今までに読んだ教科書を次々と思い出している。
何百冊もの本のページが彼の頭を駆けめぐる。
ダメだ……どこにもそれっぽい事書いてないぞ!
説教臭くてカビの生えたような事しか書いてない。
ううっ……でも、何も言わないよりはマシか。
「はい……比類ない知恵を持ち、常人を遙かに凌ぐ力を持ち、死をも恐れぬ気高い勇気を持った者達こそ、注意を払うべきかと。(うう、腐った答えだぞ、コレ)……そうした者達は、予想を超えた働きをして策謀を打ち破りますから。(これはオマケで、自分の考え)」
「前半は間違っている。後半は、まあ正しい。前半部分の答えはマイナス30点。後半は40点。合計10点の解答だ」
ばっさり斬り捨てる師匠。相変わらず手厳しい。
そして天才軍師は点数の理由を続いて告げる。
「『比類無い知恵を持った者』には、こちらがそれ以上の奸計を用いればよいだけだ。『常人を遙かに凌ぐ力を持った者』には、ワナをかければ済む。『死をも恐れぬ気高い勇気を持った者』には、望み通りにみじめな死を与えてやればよい。例えそれらの資質を全て備えた者がいても、同じ事だ。恐れるに足りない。この答えは、馬鹿な道徳に縛られて現実を見ていない腐れきったインテリが、己に酔って書き記したクソの役にも立たない書物の記述だな。役に立たないならまだしも、後世の者達に害を与える忌むべき答えだ。だからマイナスの点にした」
ランスは思わず息を飲む。
こうした答えが書かれていて彼が参照したその兵法書は、今もバイブル的な存在となっている高名な書物なのだが。
さらに師匠独自の解説は続く。
「『英雄』の存在は、不確定要素を与える。古来よりそうだ。綿密に計算し尽くされた謀略をひっくり返す。それでも、国に属する立場の英雄なら扱いやすい。王族や貴族、騎士などの身分にある者達の中で突出した才能を持った『英雄』ならば、まだましだ。その行動や判断は読みやすい。可能性のある行動を十数通りほど予測し、それぞれに対する策を練ればよい。それに、そうした英雄達が倒れた後は、必ず混乱が起きてつけいる隙がいくらでも出てくる。英雄カール大帝が、その良き例だ。一度は全土を統一して大帝国を築き上げたものの、カール亡き後、瞬く間に帝国は崩壊した。一時的な英雄、国家権力に属する英雄などは、長い目で見て対応すれば、恐るるに足りない。逆に利用すればよいだけの事だ。その行動や理念は幅が狭く、予想しやすいからな」
師匠は一度言葉を切り、弟子をちらりと見やる。
ランスはもう、目をキラキラさせて一心に聞き入っている。師匠の次の言葉をジリジリしながら待っている。
その様子を見て、軍師は心の中でだけ、微笑む。
表に出したら、弟子の成長を妨げる事になるからだ。
軍略に関する増長は、この若者を死に招く。その周りの人間も、だ。
この弟子は、筋が良い。鍛えがいがある。
自分の亡き後、この世を背負って立つべき若者だ。
この弟子のために、再び彼は口を開く。
「しかし、だ。今回のエドの街で起きた事件のように、どの権力機構にも属さない『英雄』というものが、一番厄介なのだ。六人の流れ者達だというが……。行動に予測がつかない。何をしでかすのかわからない。見た目には普通の人間達と全く変わらないのだ。それに、そうした英雄というのは、その亡き後にも影響を与える。多くの人々の心に何かを残してゆくものなのだ。そうした英雄達の息吹は、その死後も生きている。それこそを恐れるべきなのだ。だから、お前の後半の答え、これは正しい。だが、こうした分類をしていない。恐れるべき点に気づいていない。不十分として40点だ」
もう感動して、声を震わせているランスだ。
「はい! 自分がまだまだ未熟でした。御教授ありがとうございます、師匠!」
弟子はいつもながら師匠の解答を聞くと、その辛口採点も公平なものだと感じてしまう。むしろ、付け足した自分の考えの評価が教科書よりも高い事が、うれしくて仕方ない!
こういう瞬間、やはりこの人にどこまでもついて行こうという気持ちが強くなる。その考えの全てを吸収したいと思う。願わくば、それに自分独自の色をつけられるようになりたい。
それが、ランスの夢だった。
やがて、それぞれ自室の前に到着し、二人とも与えられた部屋へ入ってゆく。自室のランスは、う~んと伸びをして思い切りだらしなく落ち着く。
この部屋だけは、誰にも心を張りつめる必要がない。遠征も終え、久し振りの自室は本当に心が安らぐ。今頃、隣部屋の師匠もくつろいでいるに違いない。
……が、
その師匠の部屋から、何やら騒々しい物音が聞こえたかと思うと、師匠の怒声が聞こえてきた!
今までにない異常な気配に、ランスは何事かと師匠の部屋のドアを叩く。
いきなり扉が乱暴に開く。
そこには、頭から腐った生卵をポタポタと垂らした天才軍師が、顔面をインクで真っ黒にして、片足には足拭き用のマットをぴったりと引きずりながら怒り狂っていた。
「一体、何があったんです!?」
尋ねる弟子に答えず、軍師はランスが今までに聞いた事もないような悪口雑言をまくしたてているばかりだ。
とにかくランスが、師匠の足に接着剤のようなものでぴったり貼り付いているマットをとってやろうと、それを裏返すように丸めて引っ張ろうとすると、そのマットの裏に何やら紙が貼ってある。
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≪請求書≫
・卵代、インク代、特製粘着シート代:500ギル
・裏情報を買った時の代金:3万ギル
・ブロミアの刺客輸送料:10万ギル
・カイエンの濡れ衣代:100万ギル
・サミィが悲しんだ慰謝料:5000万ギル
・俺様の手間賃:まあ、これはサービスしとくぜ。楽しかったしよ。
※合計 5113万500ギル
誰もいなかったんで、適当にもらったからな。
足りねえ分は宝物庫から頂いたし、サミィに慰謝料とカイエンの濡れ衣代渡してやるから、心配しないでいいぜ。
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呆然として、その請求書をランスが師匠に手渡すと、天才軍師は怒りのあまり口から泡を吐き出しながら、それをこれでもかと破り捨てるのだった。




