自分だけの真実 My Own Truth
《家伝の剣》Ancestral Blade -------------
身支度を整えて落ち着いたエヴァは進み出てきて、男達が置いていった物を手際よく物色し始める。たくましい事ではある。
「金が無いとか言いやがって、これくらいはあるじゃないのさ! ったく、ムカつくよ。お、この服だったら、丁度あんたが着れそうだ。ほら、ちょいとそのボロ脱ぎな。腕通して……」
エヴァに言われるままに、もそもそと上着を着させてもらうロメオス。彼女の言うとおり、なぜかぴったりサイズが合う。なんだか知らないが、彼にそうしてやるエヴァはとてもうれしそうだ。(出勤前の新婚夫婦を連想する光景だ)
「よしよし。ぴったりだ! ……そうだ、あんたコレ欲しくない?」
今度はエヴァは、最後の男が置いて逃げたブロードソードをロメオスに手渡した。その剣をロメオスが手探りで触っているうち、彼の表情がピクリと変わった。
「これは……俺の剣だ」
そう、これは彼が奪われた愛用の剣だった。
幾多の闘いを共に生き抜いてきた、かけがえのない剣。
彼の尊敬する亡き父も、祖父も、この剣を手に取り、武人としての誇りを持って闘ってきた。ジューダス王国の文様が刻まれた甲冑は捨てられても、この剣だけは手放せなかった。
その重さ、束の握り具合、切っ先の角度、刀身の長さ、刃の厚み……それに何より特徴的なのは、彼の家の紋章が飾りとして施されている事だ。
『地を駆ける片翼のペガサス』の紋章が、刀身の根本にプラチナで飾られた、家伝のブロードソード。間違いない。
おとぎ話では、地を走る馬達を馬鹿にしていた天駆ける高慢なペガサスは、神の怒りをかって片翼をもがれて地に墜とされた。絶望の淵で己の心を見つめ直し、守るべき仲間の馬達のために大地を襲う悪魔に対峙して立ち上がる。武勇の騎士を背に乗せて雄々しく地を駆けめぐって闘い、見事に悪魔を打ち破ったという。
なんというか……今のロメオスの手にあると、その魂の一部のようにぴったりと似合う剣ではある。
実は、目の見えない彼を昏倒させて身ぐるみ剥いだのは、あの男達だったのだ。彼がエヴァに着せてもらった上着も、元々彼が着ていたものなのだ。ただの偶然に過ぎないのだろうが、なんとも奇妙な巡り合わせではある。
しかし、『単なる偶然』だとは思えない者もいるようだ。
彼からそれを聞いたエヴァは、にっこりと笑う。
「そうだったのかい。こりゃ、不思議な事もあるもんだねえ。きっとその剣、あんたの所に戻ってきたかったんだろうさ。『あんたにゃ、まだまだ俺の力が必要だ』って言ってるよ。あんたには、それを使ってやるべき事が待ってるのさ、きっと。あんたを『穢れの谷』から引っ張り出そうと出迎えに来たんだ。あたいは、そう思うよ」
まじまじと愛用の剣に触れているロメオス。
彼はエヴァの側から離れ、しっくりと手になじむ束を握り直すと、軽く振り回してみた。
ヒュンと空を切り裂く音。自分の意志通りに素直に剣が動いてくれる。
「(うむ。これだ……この感覚)」
段々と身体の動きを早めてゆく。
自分が修得した流派の型を、剣舞を演じて確認する。
剣の切っ先が美しい弧を描いて、途切れる事なく変幻自在に空を切り裂く。それは華麗で力強く、流れるように滑らかだ。
一心に剣を振るう、そんな彼の姿を見て、エヴァが何か思いついたらしい。側に落ちていた小枝を拾うと、ロメオスに向かって投げつける。
ピクリと反応したロメオスの剣の切っ先は、その小枝を真っ二つにしていた。
「いいねえ、シビれるよ! じゃあ、どんどんいくよ、ほらっ!」
次々とエヴァが枝を投げてくる。
無心に斬り捨ててゆくロメオス。
十本のうち六本は斬り落とす事ができた。
エヴァが手を叩いて感心する。
「すごいもんだねえ。あんた、この芸をもっと磨けば、これでメシが喰っていけるんじゃないかい? 目が見えないって、わかりやすいように派手な目隠しなんかしてさ、街角でやるんだ。とりあえず喰うくらいにゃ稼げるかもしれないよ」
「そのような事はしたくないのだがな。この剣に申し訳ない」
お堅い答えを当然のごとく返すロメオスに、エヴァは苦笑する。
彼女の予想通りの答え振りなのだ。
「やれやれ、相変わらずクソ真面目な男だねえ。ま、ホントに喰っていくのに困ったら、その剣も許してくれるさ、きっと」
「そうだな。そうかもしれぬ。いざと言う時には、考えておこう」
今度はエヴァの片眉がピクリと動く。
この答えは、彼女の予想とは違っていたからだ。
「へえ、ちょっとだけ石頭が柔らかくなってきたみたいじゃないか」
「うむ。お前に『甘ったれの坊ちゃん根性』を叩き直してもらったからな」
そんな答えを、生真面目に返してくるロメオスだ。
エヴァの顔にみるみる笑みが広がってゆく。
「まだまだだね。あんたのカチコチの石頭なら、あと千回はハリセンで張り飛ばさないとダメだ」
「俺の頭がハゲあがらないように祈ろう。あのハリセンを喰らうと髪が抜けるからな。フフッ」
「言うねえ、あはははははっ」
ロメオスの落ち着いた静かな笑い声と、エヴァの明るく大きな笑い声が木立に響き渡っていた。
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《自分だけの真実》 My Own Truth
その帰り道。
ロメオスは、エヴァに手を取ってもらって、歩いている。
彼は、あの現場に必死で駆け抜けてきたため、探り歩くために使う杖を失っていた。彼が手頃な杖がわりになる枝を探していると、エヴァがそっと手を握ってくれた。
その時、彼女は何も言わなかった。
そのまま彼を導いて歩き始めたので、連れられるままにロメオスは従っていた。
本当にエヴァは今、何も言わない。無言だ。
先程、明るい笑い声を立てていたのが嘘のようだ。
最初のうちは、水たまりがあるとか、大きめの石があるとか言ってくれてはいたが、段々と口数も減ってゆき、黙り込んでしまった。そうした彼女の様子に、ようやくロメオスが口を開いた。
「どうしたのだ? エヴァ」
それでも、彼女は答えない。
しばし待っても、返事がない。
ただ、彼の手を握るエヴァの力が、少しだけ強くなった。
再び彼が同じ事を問いかけようとした時、エヴァが口を開いた。
「あ~あ、とうとうバレちまったねえ。ま、別に隠すつもりはなかったハズなんだけどさ。……あたいは、あいつらの言う通りの女さ。『化けモン』なんだよ。目の見えないあんたににゃ、詳しくわからないだろう? 教えといてやるよ。あたいの顔は、踏みつぶされて腐ったヒキガエルみたいになってるんだ。そんな『化けモン』の目の前に、あんたはいるのさ。あたいの素顔いきなり見たら、子供は泣いて逃げるんだ。あたいは、あんたが目が見えないから、ちょいと優しくしてやっただけなのさ。あたいの顔も見えないからね。……でも、もうダメみたいだね」
ロメオスが口を開こうとすると、その気配を察したのか、エヴァはせわしなく言葉を重ねた。
「それに、あたいは売女。あの男達とだって、何度も何度も寝たよ。スズメの涙くらいの金やパンの四つ五つくらいで、ほいほい身体を売る汚れた女さ。こんな醜い顔した化けモンが、ぞっとしないだろ? 『顔を見ると萎えるから隠せ』って客もいるんだよ。しょうがないから、自分の脱いだ服で顔を隠すのさ。さっきと同じさ。あははははっ」
エヴァは笑う。
いつもの彼女の笑い声ではない。
ロメオスは、ピタリと足を止めた。
エヴァの手を、ぐっと強く握りしめる。
「待て」
「なんだい、小便か? だったら、あたいがズボンから出してやるよ。慣れてるからさ。あはははははっ」
そう言ってロメオスの方へもう一方の手を伸ばす。
ロメオスは彼女のその手をがっしりと掴んだ。
彼はエヴァの両手を握りしめて、自分の正面に向けさせる。
そして静かに、ロメオスは告げる。
「エヴァ。お前は化け物などではない。お前は、美しい」
「……はあ? さっき殴られ過ぎて、とうとう頭がいかれちまったのかい? 気にする事ないよ。ホントの事なんだから。あたいなら、大丈夫だから」
「ならば、なぜ泣いている?」
エヴァの瞳に、涙が滲んでいた。
目の見えないロメオスだが、それを敏感に感じ取っていた。彼女は、それを悟られまいとして威勢のよい声をあげ、笑っていたのだ。
一瞬、言葉を失うエヴァだが、すかさずまくしたてる。
「馬鹿だねえ、そんな訳ないじゃないか。あんたの勘違いだよ。まさか『お前の心が泣いてる』とか言うんじゃないだろうねえ? そうやって優しそうなトコ見せて、今まで何人の女を口説いてきたんだい? そんなんじゃあ、引っかかる女はいないって! それも、よりによって売女のあたい……」
ロメオスの鋭い声が、彼女の言葉を遮った。
「止めろ! それ以上、もう何も言うな。……頼む」
「な、なんだよ。言うも言わないも、あたいの勝手じゃないか!」
エヴァがそのように憎まれ口を叩いた瞬間。
いきなりロメオスは、エヴァの顔を覆う布を引きちぎると、彼女を抱き寄せて唇を奪った!
あまりの事に驚いて、エヴァは必死でもがいて、直ぐさま彼の唇から逃れた。
「何するんだいっ! 病気がうつるよっ!!」
「構わぬ」
ロメオスは左手で彼女の身体をぐっと抱き寄せると、右手でエヴァの顔に伸ばす。そのただれた顔を、そっと優しく撫でる。
「や、やめなっ! あんたにもうつるっ! やめるんだ、やめろっ!!」
必死でロメオスの腕から逃れようとするエヴァだが、彼の力強い腕は全く動かない。そうしている間にもロメオスの大きく温かな手の平は、そっと彼女の頬に当てられている。
「俺は、構わぬ」
「あたいが、構うっ! ……やめて。もう触らないで。あたいは、あんたには絶対、病気をうつしたくないんだよう……」
懇願するエヴァ。
ロメオスが顔に触れる度、そうした恐怖が彼女を襲うのだ。
かつて、子を産めぬ体だと彼女は医者に断言された。
そしてこの腐れ病を患い、将来を約束し合った男が逃げるようにして消えた時から、
エヴァは女である事を捨てた。
人並みの幸せなど、不可能なのだと悟った。
病気は確実に進んでゆく。間もなく自分も死ぬ。
それなら、もう何も怖くないと思った。
こんな自分の身体が、同じように苦しむ人々の助けにでもなるなら、最期の時まで命を使い切ってやろうと思った。
身体を売った。
それで金と食料を手にできるなら、安いと思った。
子を産めない体なら、かえって便利だ。
人々から白い目で見られても構わなかった。
短い命でも、なんとか人の役に立てると思えた。
こんな自分でも、何かを残していけると思った。
『もう何も怖くない』
そう思っていたはずなのに、彼女は今、顔を優しく優しく触れてくれるロメオスの手に怯えていた。
ロメオスは見えぬ目を彼女の瞳に向けて、一心に告げた。
「願わくば、俺にもうつって欲しい。……お前の美しい心根が。お前の魂は、綺麗だ。何よりも、清らかだ。今、それがよくわかる。光を失った今、かえってそれがよく見える。……お前は女だ。美しい女だ。俺にとって、誰よりも美しい女だ。それが、俺だけの真実だ。誰に何を言われようとも」
もがくエヴァの身体中の力が抜けてゆく。
言うべき言葉が見つからない。
「な……んだよ。そんな事……言うなよ。あたいは、数え切れないくらいの男に抱かれた女なんだ。あんたみたいな人に、そんな風に言われる価値なんて……」
そんな彼女を、ロメオスはたくましい両腕で優しくしっかりと、抱きしめた。
エヴァの視界一杯に広がるのは、はだけた上着から覗く彼の若々しい厚い胸。シャツの胸元に見えるのは、痛々しい青黒いアザ。
それは、こんな自分のような女を守るために闘ってくれた、気高い一人の男の心……
「俺は、お前に何もしてやれない。お前の苦しみを替わりに背負ってやる事もできない。お前の与えてくれた優しさに報いるには、どうしたらいいのか、わからないが……せめて、せめてこうさせてくれ」
愛しそうに彼はそっと、エヴァの汚れた髪を何度も撫でて静かに告げる。
もう枯れ果てたと思っていた涙が、堰を切ってエヴァの両目から溢れ出す。
「うっ、うっ……うわあああああああああああああぁぁぁっ…………」
ロメオスの広く温かいたくましい胸にすがりついて、エヴァは号泣した。
そんな男女を、岩の上から遠目に眺めていた野良猫が、興味なさげに一つ大きな伸びをしてアクビをすると、ピョンと岩から飛び降りてどこかへ消えていった。




