敗将ロメオス Defeat
荒野を裸同然でさまよう一人の男がいる。
時折転ぶ。
足元がおぼつかず、岩や野草の根に足をとられては転ぶ。
それでも、なんとか立ち上がっては、再び彼は歩き始める。
裸足で、足の裏は傷だらけだ。歩を進める度に、痛々しく血の滲む傷口が益々開いていってしまう。よく見ると、彼の両目から頬にかけて、乾いた血がこびりついている。
彼は、自ら両の瞳の光を奪い去ったのだった。その剣で。
かつて、陽に鮮やかに煌めいていた彼の金髪は、汚れて埃にまみれ輝きを失っている。腰には鞘に収めたはずのブロードソードも無い。金も食料も、その男は持っていなかった。目の見えない彼は、先程何者かにいきなり後頭部を棍棒のような物で殴られ、身ぐるみ剥がされてしまっていた。下着姿で、ボロボロになって歩き続けている。
彼は、死にたかった。
でも、それは彼には許されないのだ。
それが与えられた罰ならば、受け入れねばならない。
だから、彼は前へ歩き続けた。
前へ、前へ……
その先に、彼の求めている答えが待っているのだという、曖昧で不確実な微かな望みだけが、彼の歩を進めていた。
もう故郷には戻れない。
自分の居場所は、どこにもない。
信じてくれた人々を裏切って敗北を招いた自分には、もう軍人として故国の地を踏む資格はない。
歩き続ける彼の胸に、答えの出ない問いが何度も何度も浮かんでくる。
俺が信じた道……戦乱に疲れた世に『争いのない平和な世界』をもたらすために、優れたジューダスの民が強大な力で混乱を収め統率するという道は、間違った事だったのか?
俺を信じて忠誠を尽くして闘い、命を落とした部下達の心に、俺はこれからどう報いたらいいのか?
命を賭けて信じてくれた彼らに『敗北』を与えてしまった俺は、どう責任を取ればいい?
……これから俺は、何を信じていけばいい?
あの修道女の言葉が胸に浮かぶ。
『それは私が教えられるようなものではありません。それは、あなたがこれから生きていく中で、あなたにとっての真実の答えを見つけ出してゆくものなのです。心の目で見るのです。それが主があなたに与えた罰……』
『罰』というのなら、理解できる。
罰ならば、俺は全て受け入れよう。
信じてくれた人々を裏切り、『平和』という名の下に幾つもの命を奪った俺だ。
生きてゆく事が罰だと言うのならば、
この苦しみの全てが罰だと言うのならば、
もっと苦しめてくれればいい。
心の目で見る事が必要だと言うのならば、
俺は光を捨てよう。
それが俺の罰ならば。
しかし俺は、その言葉の続きの一言は、まだ理解できない。
「(それが、神が俺に与えた愛だとも、あの修道女は言う。これが神の愛なのか? ……なんとも厳しき愛情か)」
『心の目』……
あれから俺が目にしたものは、何もかもが偽りに思えた。道行く人間達の笑い声が全て、俺自身に向けられているかのようだった。俺をあざけり笑う顔に思えてしまった。
『俺より下等な人間達が、俺を笑う』
くそっ、この考え……
これが、これが俺を苦しめる。
俺は、どこでこんな考えを拾ってきてしまったのだ?
これが俺の過ちではないのか?
敗北を招いた根源ではないのか?
ヤツに受けた傷口が、うずく。
俺を倒した男……「ライル」という名の男。
俺が間違っていると告げた男。
俺がしている事も、ある意味正しい事なのかもしれないと告げた男。
間違っている事に、俺自身が気づいているのではないかと問いかけた男。
あの言葉を聞いたとき、なぜ俺の手は汗ばんだ?
なぜ、あいつがしゃべるに任せた?
斬りかかればよいものを。
あの時俺は、何を……何を待っていたんだ?
あいつは言った。
『お前は、俺と同じだ』と。
『だから、俺がお前を倒す、お前を止める』と。
『受け取れ、ロメオス。俺の心だ』と叫んで、あの技を放った。
そして……俺の命を助けた。
修道女の話では、『これから何があっても、生き抜け』と告げたという。
あいつは一体、何が言いたかったのだ?
お互いに命を削り合うギリギリの死闘の中、俺に何を伝えようとしていた?
わからない……わからない。
俺の目に映る世界は、何もかもわからなくなってしまった。あの闘いの前には、全てがはっきりと単純に割り切れていたというのに。
『心の目で見るのです』
この言葉が、俺の頭にこびりついて離れない。
『心の目』で見るためには、俺にはこうするしかなかった。
見える目を捨てるしかなかった。
俺の目に映るものは、一つの真実なのかもしれない。でも、今の俺には信じられぬ。目に映る物、何一つとして。
今までの俺は、自分が見たいものしか、見ていなかった気がする。
信じたい事しか、信じていなかった。
ならば、俺には目はいらぬ。
真実をこの手に掴むには、心で直接見るしかない。
敗将ロメオスは、こうして、ただただ歩き続けていた。泥水でも足に触れれば、渇きを癒すために地に這いつくばってすすった。
そうしてついに、若々しく屈強な彼の身体と精神にも限界が訪れた。小川の側でうつぶせになったまま、ロメオスは意識を失った。
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そんなロメオスは、ハリセンで叩き起こされた。
「おらっ! 大の男が、いつまで寝てんだい。いい加減に起きろっ! あたいはメシを喰いにいきたいんだよ! あんたを放っておいて、戻って来た時死んでたら、あたいの寝覚めが一日だけ悪くなるじゃないか! それともなんだい? 恩を仇で返すってのか」
その威勢のよい女性の声を、ロメオスはボンヤリと聞いている。
「(俺が死んだら、目覚めが悪くなる? 一日だけか? ……まあ、それくらいだろう。それでも、ありがたいと思うべきなのだろうな……)」
混乱した意識の中で、彼はそんな事をつらつらと考えてしまっている。
彼の頭は再び、ハリセンでスパーンと張り飛ばされた。なかなか思い切りの良い一撃で、洞穴の中に音高く反響する。
「う……」
たまらずロメオスは半身を起こした。
再び先程の女性の声がする。
「よし。やっぱ気付けにはコレが一番だね」
「今のは、何なんだ? ここは……お前は? 俺は……?」
見えぬ目をぐるりと周囲へ向けるロメオス。見えはしないのだが、様々な気配を感じ取る事はできた。まず鼻をついたのは、ジメジメした空気に酷い臭い。何人かの人間のボソボソした声が広々した空間に反響している。自分が寝かされていたのは、麦わらの上らしい。そして声の位置からすると、側で見下ろしている女の気配。
混乱しているロメオスの問いかけに、その女がやれやれと告げる。
「はいはい、意識なくした野郎のお約束ね? まったく、クソ真面目な男だねえ。そんな手続き、すっとばせばいいのにさ。あたいはそーゆーの、いちいちじっくりつき合いたくないから、一度しか言わないよ。目が見えないあんただったら、耳はいいハズだから、一回聞けば充分だろ?」
その若い女性の声は、一気にまくしたてた。
「まず最初の答え。あんたを起こしたコレは、『ハリセン』。あたいのおじいちゃんだって、コレで何度か生き返ったんだから、御利益バッチリってやつだ。まあ、最後はびっくりして死んじゃったけどさ」
「(そんなモンで俺は叩き起こされたのか……)」
ロメオスは呆然と言葉を失っている。
(エリート軍人だった彼には、かなりの衝撃のようだ)
「はい次。ここは『穢れの谷』。腐れ病にかかった人間とか、頭がいかれちまってるヤツとかが捨てられる場所。他の人間に病気をうつして迷惑かけないように、自分から進んでここに来る人間も多いけどね。まあ、みんなじきに死んでくのさ。あたいはエヴァ。あたいもこんな所にいるって事は……わかるだろ? そんなトコさ」
ふくみ笑いをするようなエヴァの声。
ロメオスの嗅覚は、このエヴァと名乗る女の身体から強い腐臭がするのを感じた。
「はい、最後はあんたの事ね。あんたが倒れてたのを、あたいが見つけて男衆に頼んでここまで運んだってだけ。どうせ、なんか訳アリなんだろ? あんな所に裸で倒れてるなんてさ。ここは、そういう人間達が集まる場所なのさ。それにあんた、ちょいと言葉に訛りがあるね。他の国の人間だ。そんな人間が目を潰して裸で倒れてりゃあ、ここに来る資格は充分あるって。あははははっ」
エヴァの心底楽しそうな笑い声が響く。
笑い事なのか?
少なくとも、この女性にとっては笑い飛ばせる事らしい。
ひとしきり笑うと、彼女は
「じゃ、あたいメシ喰いに行くから。あんたのも取ってきてあげるよ」と、立ち去ってしまった。
圧倒されたロメオスは、ただうなずくしかなかった。
エヴァはなんだか、台風のような勢いを感じる女性であった。
目の見えぬ彼には、彼女の風貌はわからなかったが、張りのある美しい声が耳に焼き付いていた。




