↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
123/163

弓の道 Kyudo

二人はウィードとシャロンおばさんから、なんとか事情を聞き出した。


 男が一人、この屋敷の女の子を人質にして立てこもっているというのだ。その男は、実の姪のエルザに刃を突きつけ、別居している妻との離縁を阻止しようとしているらしい。


一人の女性が屋敷の前に進み出ており、声を張り上げて必死で説得している。


どうやら、その男と別れようとしている妻らしい。正面にある戸口で少女に短剣を突きつけている男に、一心に叫ぶ。


「やめて、ジラルド !! エルザを離して! その子は何も関係ないじゃない!!」


「ミランダっ! 俺は絶対に別れない。でないと、この子を殺して俺も死ぬ!」


 ジラルドと呼ばれた男は、女の子を脇に抱えて、右手に持った短剣をそのエルザの喉に突きつける。顔見知りの実の叔父さんである男に、こんな事をされているエルザは泣きそうな表情だ。しかし、その閉じた両目をジラルドの方へすがるように向けている。


この女の子は……エルザは盲目なのだった。


 今、丁度彼女の両親は不在だ。エルザの目を手術できる遠方の高名な眼科医の所に、手続きや娘の入院のための準備をしに遠出している。屋敷にはメイドが一人残っていただけなのだ。そして目が見えないエルザは、メイドがちょうど食料の買い出しに出ていた時にやってきたジラルド叔父さんの手に、短剣が握りしめられているのがわからなかった。逃げ出す事ができなかった。いつものような、優しい叔父さんだと信じ切っていたのだ。



妻であるミランダの説得が続く。


「とにかく、エルザを離して! それから話をしましょう!」


「どうせ、俺を捕まえてしょっぴくだけだろうが? だまされるかっ! どいつもこいつも、俺を馬鹿にしやがって……」 


余計に男を刺激するだけだ。膠着状態が続いている。



 シャロンおばさんの話によると、内弁慶のジラルドは妻に度々暴力を振るっていたそうだ。結婚する前までは、ミランダに対してとても優しい男であったのだが。妻は、とうとう我慢しきれずに実家へ逃げ込んでいた。そして夫との離縁の手続きを進めていたのだ。


 離縁状を突きつけられたジラルドは飛び出して、この凶行に及んだという。ジラルドは仕事場の法律事務所では、真面目でおとなしく、こんな事をするような男にはとても見えなかったのだと言うが……。


人の心に渦巻く闇は、時に人を狂わせる。

人の世では悲しい事に、こうした事をよく耳にする。



「どうしよう!? エルザが、エルザが……」


 ウィードはポロポロ涙を流している。この浮浪児は、この屋敷に忍び込んでエルザとよくおしゃべりをしていたのだ。目の見えないエルザに、何かと外の世界の面白い話を聞かせてやっていた。エルザにとっては、一番仲良しの友達と言ってもいい。ウィードの優しさに、この少女は日々救われていたのだった。



 事情の全てを聞いたリデルは、エルザに刃を突きつけるジラルドの様子を静かにじっと見詰める。しばし目を伏せ視線をさまよわせていたが、やがて彼はきっぱりと顔を上げた。その瞳に、何かの決意が煌めいている。


「ウィード。僕がなんとかしてみる。ティナさん、コレお願いします。すぐに戻ってきますからっ!!」


リデルは買い物袋をティナにどさりと手渡す。


「ちょ、ちょっとリデル!? どうするつもりなのよっ!」

「弓です!」


一言そう叫んで、リデルは一目散に駆け去っていった。



 現場は新たな動きもない。男は時に刃を振りかざし、時にエルザの喉に突きつけて、わめいている。取り囲む自警団も下手に手出しができず、歯がゆく見守って隙をうかがっているばかりだ。


ティナ達がやきもきしながら待っているうち、リデルが帰ってきた。


左手には弦を張った竹製の長弓を持ち、右手には革製の手袋らしきものを装着している。


(「かけ」と呼ばれる鹿革製の手袋だ。親指から手首にかかる部分は弦を引くために堅くなっており、親指付け根部分に取っ掛かりがあって、ここに弦をかけて弓を引く。リデルの「かけ」は親指・人差し指・中指までの革手袋で、「三つがけ」と呼ばれるタイプだ。弦にかかる親指を、人差し指と中指で押さえて弓を引くのだ)


そして右手に矢を一本だけ持っている。

鷹の矢羽根が三枚ついた、立派な矢だ。


息を切らせながら、リデルは告げる。


「これで、あの男が短剣を持っている右手首を狙います。ティナさん、男がナイフを手放したら、なんとか取り押さえて下さい。お願いします」


リデルの装備を見たティナは思わず声をあげる。


「ちょっと、なんで矢を一本しか持ってこないのよっ! 外したら終わりじゃないの!」


眉をひそめているティナに対して、リデルは軽くうなずいて静かに告げる。



「そうです。外したら終わりです。矢を二本持つと、最初の一本に油断が出ます。二本目の矢の存在に頼って、怠ける心・いい加減な心が出ます。きっと、チャンスは一度しかないでしょう。だから僕は、この一本に集中します。あんな事があってはいけません。エルザちゃんも、あの女の人も……それに、ナイフを突きつけてる男の人も、かわいそうです。僕が止めます。この一本で」


きっぱりと言い切る。

彼のその瞳から、静かに輝く意志の光が放たれている。


 なおも言葉を重ねようとしたティナだったが、そのリデルの放つ静かなオーラに戸惑い、言葉を失った。弓矢を手にしているリデルは、普段の頼りない様子からは想像もつかない、凛々しい顔をしているのだ。



 リデルは野次馬の壁を盾にして身を隠しつつ、屋敷の少し横の方へ移動して陣取る。距離は30mほどだろうか。今のところ正面から説得する妻に男は気を取られていて、弓を持ったリデルには気づいていない。買い物袋をシャロンさんに預け、ティナはリデルの側に控えて、矢が放たれたらすぐに屋敷へ突入する構えだ。ウィードも不安そうに見守っている。



リデルは目標へ左を向けて横向きに立ち、左手に弓を下げ、右手に矢を持った状態で両拳を腰へつけ、真っ直ぐ立つ。


これから彼は、弓の道『射法八節(しゃほうはっせつ)』に入る。


 顔を左へ向け目標を見据え、左足をまず目標側へ踏み込む。右足を軽く左足に引き寄せると、緩やかな大きな弧を描くように右足を横へ広げてどっしりと地を踏みしめる。足を広げる幅は、自分が使う矢の長さと同じだ。両足のつま先を結ぶ線と、足先から踵の線を伸ばしてやると、正三角形をぴったり描く。膝の裏に力を込め、ゆるぎない足場を作り上げる。


(この動作を『足踏み』という)


 静かに顔を正面へ戻し、くるりと弓の弦を返し目の高さまで上げる。右手に持つ矢を弓へ交差させ、矢をつがえる。そして矢をつがえた状態の弓の下端を左膝の上に据えて、右手を腰へ戻してピッと姿勢を決める。


(これを『胴造り(どうつくり)』という)


 弦の下~上へと視線を走らせ異常のない事を確認し、次は矢に視線を走らせる。そして一度、目標である男の右手首を確認し、再び顔を戻す。右手の「かけ」の親指付け根の部分に弦をかけ、つがえた矢の所まで上方にずらして、弦を引くための用意を整える。弓を握る左手も整え、再びゆっくりと顔を左に向け、目標を見据える。


(『弓構え』(ゆがまえ)だ)


矢をつがえた状態で両手をゆっくりと上方へあげる。その角度は水平面から45度。

(『打起し(うちおこし)』)


掲げた左手を横へ持ってゆき、弓を左手親指の付け根で押す。右手はその動きに逆らわず、右肘がゆるやかに曲がってついてゆく。頭上で軽く弓を引いている状態だ。


いよいよそこから大きくゆっくりと、弓を引き絞ってゆく。


 大地と平行になった矢が、弓を引き絞るにつれて徐々に降りてくる。その間中、矢は大地との平行状態をぴったりと保っている。背筋は真っ直ぐに天へ伸びており、胸はピッと張り、彼の背中の肩胛骨(けんこうこつ)が左右からぐっと近づいてゆく。右手の力で引くというよりも、左手の親指付け根で弓を押してゆく感じだ。やがて、矢がリデルの口元まで達してピタリと止まる。その矢は彼の右頬に軽くつけられている。


(『引分け』)



ティナは、固唾を飲んでリデルのその静かな静かな一連の動作に見入っていた。


 何もかも独特で、今まで見たことがない。一本の矢に対してこれ程時間をかける人間を見たことがない。普通は、矢をつがえたら腕力で引き絞って、狙いを定めて放つだけだが、リデルは全く違う。傭兵をしていた事もあるティナだが、これ程大きく弓を引いているような状態を初めて見た。


 通常であれば、弓を引く右腕はもっとぴったり降りたためられてしまい、弦を引く右手が張った胸につくような感じになるものだ。よく引いても、右胸辺りまでだ。しかし、リデルは右肩上方辺りまで弦を引いているし、リデルの右肩と弦を引く右手との間には、拳一つ~二つほどの空間がある。ティナから見れば、このまま矢を放ったらリデルの右耳が、勢いよく戻る弦に当たって痛い目を見る事になりそうなのだ。


 これほど大きく弓を引いたならば、力んで両肩が上がりそうになると思うのだが、リデルの両肩は平静時と全く変わっていない。変な力みは特に見られないのだ。『自然体』、とでも言おうか。確かに以前リデル本人が言っていたように、彼は腕力だけで弓を引いている訳ではないようだ。


 さらにティナは気づいたが、弓を握る左手の使い方も明らかに違う。リデルはぎゅっと弓を握りしめてはいない。本当に軽く握っているようなのだ。矢先が乗っている左親指は曲がらずに伸び、その親指付け根だけで弓を押している感じだ。人差し指など軽く伸びて弓から離れており、残る指は弓を握っているものの、力んで握りしめている訳でもない。多分、弓を握る中指から下の指を離しても、リデルはこの状態で弓を引いている事ができるだろう。本当に、弓を握る指は添えているだけという感じなのだ。



リデルは完全に弓を引き絞った緊張状態で、目標に狙いを定めて、気力の充実を図る。


 その瞳は半開きになり、見るともなしに見ているようだが、鋭い光を放っている。

遠くにある針穴をも貫き通すような眼差しだ。


(『会(かい)』という)



「(我、天地(あめつち)の間に在りし「人」なり。我、今ここに、天地と一にならん…… )」


 それは魔術師ノエルが呪文に集中している時、そしてライルが『ソウル・ブレード』を放つために精神を研ぎ澄ましている時、盗賊ホークスが墜ちてゆくライルにカギ縄を飛ばした時に匹敵するほどの、高度な精神集中であった。


見守るティナは、思わず息を飲む。


「(何、これって!? すごい気の集中……)」


 リデルの全身から溢れ出す気のオーラが、彼のへそ下辺りに凝縮しているのをティナは感じる。へそ下三寸、いわゆる『丹田(たんでん)』と呼ばれる場所で、『弓の道』ではこの丹田へ気を練り上げるのだ。


(スポーツなどで、「下っ腹に力を入れろ」と呼ばれる箇所でもある。あるプロ野球の打者は、スランプに陥った時期に、『下っ腹に意識を集中して、余分な肩の力を抜いて打席に立つ』ようにした所、よく打てるようになったそうだ)


 リデルは身体中の気だけでなく、大地から立ち上る気柱をも取り入れて、この丹田へ凝縮させている。その凄まじい気の高ぶりは、側にいるティナを痛いくらいに圧倒する程だ。ライルの必殺技、『ソウル・ブレード』に匹敵するかもしれない。



 その時ジラルドの右腕が、離れた所に立っているミランダの方へ向けて真っ直ぐ伸びた。凶刃がエルザの喉元から離れた、その瞬間。



リデルが矢を放った!

(『離れ(はなれ)』)



 弦の反動による小気味よい軽やかな音とは裏腹に、空を切り裂く鋭い矢が一直線に屋敷の庭を飛んゆき、狙い通りに見事にジラルドの右手首を正確に射抜いていた。灼けつく痛みと衝撃に、ジラルドは短剣を取り落とした。



「当たった! リデル、あんた、すごいって!!」


間髪入れず、ティナが飛び出してゆく。

矢を放った直後も、しばし気を抜く事なく保つ姿勢『残心(ざんしん)』を貫いたリデルも、弓を地に置いて駆けながら答える。



「いいえ。矢を放つ前に、当たる事は決まってたんです。それがはっきりと見えましたから。だから、僕はその通りに弓を引き、矢を放っただけなんです」



射法八節の『弓の道』を垣間見たティナだったが、鳥肌が立つほど凄まじいものだった。


こんなリデルを、彼女は少し見直してしまったようだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。