マメな男 Caring Man
彼女のはっきりとした記憶は、そこら辺りで途切れていた。あとは、断片的にしか覚えていない。
ぼんやりとした記憶では、その後リデルにおぶってもらったような気がする。
(そう)
『降ろせ、降ろせえ~っ!!』と叫んで、リデルの頭をポカポカ殴っていたような気もしている。
(かなりの力で殴ってたぞ)
でも、リデルは足元がよろけながらも、頑固に私を降ろさなかった。必死で自分を運んでくれようとしているリデルが健気で、私は結局おとなしくした。
(うん。……ちょっと、うれし涙がにじんでたぞ、ティナ)
それで、リデルのあったかい背中で、なんだか安心して、うとうとしてきて……
(そう。幸せそうに寝てた。小さな女の子みたいだった)
いつの間にか、ベッドに寝かされていた。
(リデルの下宿。あの酒場から近い所にある)
あいつは、奥でなんかゴソゴソしてたな。台所みたいだったけど……
(次の日の朝食の仕込みとか、風呂を沸かしておいたりしてたなあ。それだけじゃないぞ。ティナが酒場に置き忘れた手荷物を取りに戻り、マスターに『仕事サボッて何してたんだ!』って怒られてた。リデルは、あそこのバイトなんだってさ)
リデルは床で寝ようとしたけど、私が
『一人はイヤだ、こっち来い!』
と言って、あいつをベッドに無理矢理ひきずりこんだ?
(そのとーり)
あいつを抱きまくら替わりにして、そのまま眠ったんだっけか?
(リデルは顔を真っ赤にしてたぞ。ティナがリデルの頭を胸に抱きながら眠るもんだから)
ズキズキする頭に手を当てながら、半身を起こしてリデルの寝顔をまじまじと見詰めるティナだった。
「(こいつ……私にそんな事されても、結局なんにもしなかったって?)」
幸せそうに眠りこけてるリデルを起こさないように、そっとベッドから出る。靴を履く。そしてベッドに頬杖をついて、またもリデルの顔をつくづく見やる。
「(あんな状況で、男がよくもまあ眠れるもんねえ。ふうん……変なヤツ。フフッ)」
にっこりと微笑むと、ティナは寝ているリデルの頬をプニプニと人差し指で突っつく。リデルは童顔をしかめて、うなされているようだ。
……なんとも可愛げがある。
ティナはニコニコして、さらに寝顔にいたずらを仕掛ける。子供のようなリデルの寝顔を眺めていると、なんとなく、いぢめてやりたくなるのだ。
リデルの鼻をつまみ、ぽっかり開いた口に片手を置いて塞ぐ。
しばし、待つ。
リデルの眉がピクッと動いた。だんだんと、苦しげに顔をゆがめていく。クスクス笑いながらも、なおもティナは手を離さない。
「……う……く……ぷ……ぷはあっ!」
たまらず、リデルが目を覚ました。ティナが横で見詰めているのにハッと気づき、慌てて身を起こしてベッドの上で正座して頭を下げる。
「ご、ごめんなさあいっ! あの、ティナさんがどうしてもって言うから横で寝ちゃいました。でも、僕、なんにもしてませんから……」
顔を真っ赤にして必死で謝るリデルを見て、ティナはプッと吹き出してしまった。
「くっ……あはははははっ、いい! あんた、面白いわ」
腹を抱えて笑うティナに、リデルは小首をかしげる。
「はあ……そうですか? みんなには『つまらないヤツ』って言われるんですけど」
「そうそう、わかるわかる。そんな感じだわ、リデルって。あははははっ」
虫も殺せないような感じのリデルが不思議そうな顔をするので、ティナはおかしくて仕方ない。
逃げるようにして一人別れてから、彼女がこんなに腹の底から笑えたのは初めての事だった。
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ひとしきり笑いが収まると、再びティナに二日酔いの頭痛が襲ってきた。彼女は顔をしかめる。
察したリデルが素早くベッドから出て、ティナをベッドへ座らせて、コップに水を満たして持ってきてやる。それを手渡すと、リデルは奥へ消えてゆく。
「すぐお湯ができますから、一息ついたらティナさん、お風呂へ入って下さい。昨日、一度湧かしておいたんです。酒場に置いてあったティナさんの手荷物も取って来ましたから、着替えも大丈夫ですよね? さっぱりしますよ~。その頃には御飯ができてますから」
ティナは素直に従った。
頭痛がして気持ちが悪いのだが、その気持ちの悪さのかなりの部分を、風呂に入らずに寝てしまった事が占めているのだった。服が肌にまとわりつく。肌がベタついている感じだ。風呂に入れるなら、ありがたい。手荷物から下着を取り出して向かった小さな風呂場の前には、既に乾いたバスタオルがきちんと畳んで置いてある。タオルもある。用意周到だ。
身体と髪を洗って、ぬるめの湯にのんびり浸かっていると、風呂場の外からリデルの声がした。
「服、洗っておきますから。あの、コレ使って下さい。男物ですけど、よく洗ってありますから」
ティナが口を開く前に、リデルの気配は風呂場の前から消えてしまった。
「(下着まで洗ってくれなくても……ま、いいか。それにしても、マメな男ねえ)」
つくづく彼女は思う。ここはどうやら長屋の一つらしいが、部屋はきれいに片づいていて、掃除も行き届いている。この小さな風呂場も清潔感があって綺麗だ。気持ちがいい。女が急に来る事になって、慌てて部屋を片づけたという訳でもなさそうだ。普段からリデルはこんな生活をしているのだろう。こんな男は、そうそういるものではない。
湯上がりのティナだ。リデルの言う通り、さっぱりとして気分が遙かに良くなった。まだ二日酔いそのものの気持ち悪さは残っているので、鼻歌混じりとまではいかないが。
彼が持ってきてくれた若草色の長袖のワイシャツを着る。ティナにはちょっと大きめくらいか。柔らかなデニム地のジーンズも用意してくれていたが、ティナは履かなかった。身体が締め付けられそうな服は、今は身につけたくない。裸足で、ワイシャツの下は、ブラもつけずショーツだけの状態だが、まあよしとした。シャツが大きいので、太腿辺りまでは隠れるからだ。それに、リデルに対しては、こんな格好をして前に出ても、身の危険はかけらも感じない。
(むしろ意地悪く、リデルの反応をちょっと見てみたいような気もしているティナだ)
「ティナさん、御飯ができましたよ~! 二日酔いに効く特製スープも作りましたから♪」
奥からリデルの声がする。そんな格好をしたティナが、そちらの部屋に入っていくと、エプロンをしたリデルがテーブルにてきぱきと料理を並べていた。彼はこうした事が、とても好きらしい。
「『味噌』っていう調味料を使ってあるスープなんですよ~。今日はアサリを入れてみました。東の方の国にある料理なんです。おばあちゃん直伝です。自家製なんですよ。赤味噌と白味噌があるんですけど、僕は赤の方が好きですね! 白よりも料理に使える幅が広いんです。味噌カツなんて、シャレにならないくらい美味しいんですから……」
湯気の昇る美味しそうな赤ダシの『味噌汁』なるものを、リデルはテーブルに並べる。
(すみません。作者は愛知の文化圏出身です。赤味噌と中日ドラゴンズの国から参りました。あ、味噌汁は合わせ味噌が好きですが)
そんなリデルが、何気にティナの方を見やって慌てふためく。
「うわあっ、ティ、ティナさん! 何すか、その格好!? ズボン履いて下さいよ!」
「いいじゃない、別に。ちょっとくつろぎたいの。うん、美味しそう~♪」
リデルの抗議をよそに、どさりとイスに落ち着くティナだ。テーブルの料理からは、とてもいい香りがしている。酒で弱った胃袋に優しめものをリデルが作ってくれているようだ。
香草を散らした粥に、アサリの入った『味噌』スープなるもの、柔らかく煮込んだ野菜の煮物に、香りの良いマスタードを混ぜたマヨネーズソースをかけたトマトと大根のサラダ。食欲の無いティナでも、お腹が刺激される。
前のめりにティナが匂いをかぐと、正面に立っているリデルから、胸の谷間が……。
それに、太腿丸出しなのだ。(というか、奥の下着までチラリと)
「し、下を履いてくださいよう。ぼ、僕が困ります……」
「パンツ履いてんじゃない。なんで私の格好でリデルが困るのかしらあ?」
顔を真っ赤にして視線を逸らすリデルを、ニヤニヤと意地悪くティナは観察している。一通り朝食を並べ終えたリデルも席につくものの、そわそわと落ち着かない様子だ。
「ありがとね、リデル。とっても美味しそう~。じゃ、頂きま~す♪」
朝食をパクつくティナだ。アサリの『味噌汁』は確かに、美味しい。『お腹が弱ってるハズですから、汁だけ飲んだ方がいいですよ』というリデルに、素直に従った。重粥の塩加減がいい。香草のほのかな香りがまた食欲をそそる。
口に入れるにつれ、お腹が減ってくるような感じで、ティナはいい感じで食べ続ける。しかし、リデルはどうにもティナの格好が気になってしょうがない。食も進みにくい。
「どうしたの、リデル? とっても美味しいのに」
「ティナさん、僕だって男なんですよ。襲っちゃいますよ!」
「そっかそっか、ゴメ~ン」
と言いつつ、リデルが粥を頬張ったのを見計らって、ティナはワイシャツの胸元を一瞬チラリと開く。
「ほれほれっ♪」
「ぶほっ!」
むせかえるリデルだ。
(粥が飛び散って汚い)
「あはははははっ。……あんた面白いって、やっぱ」
「もおう、ティナさん。勘弁してくださいよう~」
純情な若い男をからかって、ティナは心ゆくまで朝食を楽しんだ。




